Neetel Inside ニートノベル
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約束の地へ
第29話

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「私の本命馬は、マイジャーニーです」
 大葉アナと榎本がおおー、と声を漏らす。これが穴党の気持ち良さの一つである。朝川はもちろん、彼なりに明確な理由を持ち、弥生賞でザラストホースとの勝負付けは済んだと見なされがちなマイジャーニーを本命にしたのだが、普通の選択ではないことは明らかなので、この二人の反応も当然だと思えたのだった。
 一時間の番組で、今日は皐月賞に多くの時間を割く。理由をたっぷりと説明しよう。
「本命マイジャーニー。少し驚きましたが、理由を伺えますか?」
 大葉アナの後、朝川は語り出す。
「理由を説明するにはまず、弥生賞の総括から始めなければいけませんね。
 みなさんご存知のとおり、弥生賞はザラストホースの完勝でした。もちろんそのパフォーマンス自体には何らケチのつけようもないです。強い馬だと思います。
 ただ、このレース、よく見返しますと、マイジャーニーは本来の力を発揮できていませんでした。
 まず、展開の誤算はあったと思います。戦前は、ザラストホースは最後方からではなく、もう少し前目、中団あたりでレースを進めるというのが大方の見方でしたが、安斎騎手が最後方からのレースを選択しましたね。私は安斎騎手が意図的にそういうレースを選択したと思っていますが。
 そして、その煽りを一番食らったのが、マイジャーニーでしたね。乗り替わり緒戦の榮倉騎手は、完全に最後方からの捲り一発決め打ちで乗ってましたから、自分より後ろに、よりキレのある馬がいるというのは不気味だったと思います。致命的になった仕掛け遅れもある意味、仕方なかったのかなと。本来のレースプランで行けたなら、ここまで負ける馬ではないと思いますね。
 今回は本番ですから、ザラストホースも相手を一頭に定めたようなレースではなく、本来の実力を最大限に発揮できると思われる中団からの差し足を活かすレースをしようとするのではないでしょうか。弥生賞と決定的に異なるのは、自分より前にシャインマスカットがいることです。これは一度負けていることからも明らかなように、楽な相手ではないですから。かなり意識して乗ってくると思いますね。自然、仕掛けも早めになるでしょう。
 そうなると、マイジャーニーは格段にレースがしやすくなりますね。もちろん弥生賞とは頭数が違うので、最後方勝負は上手く進路が取れない危険性もありますし、また枠がどこになるかというので道中の有利不利もかなり変わってくると思うのですが、榮倉騎手も二度目ですし、馬のこともかなり理解してきていると聞いています。前走は同期の安斎騎手にやられましたが、若手騎手の中では抜群に追える騎手ですし、勝負度胸もあるので、マイジャーニーとの相性はピッタリだと思います。
 本番では、勝ち目のない大外捲りなどせずに、コーナー最内、最短距離を回るようなレースをしてくれると期待して、本命を打ちました。一発期待しています」
「マイジャーニー、いかにも人気の盲点になりそうですものね……」
 大葉アナ自身も(というか競馬実況アナウンサーは圧倒的に馬券ファンが多い)マイジャーニーに食指が動いているような表情で言った。
「なんだか、マイジャーニーすごく買いたくなってきました!」
 榎本も華のある笑顔で続けた。そう言われると語った甲斐がある、と内心良い気分になる朝川だった。
「あと付け加えるなら、週間天気予報を見ますと、土曜から日曜にかけてかなりまとまった雨が降るという見込みです。雨量によってはさらにマイジャーニーに有利な馬場になりますね。
 いかにもな馬力型なので、重馬場、荒れ馬場は他馬と比べて相当こなすと見てます」
「さらに買い材料いただきました。さて、次は対抗ですが、シャインマスカットですか」
「はい。正直悩みましたが、シャインマスカットの方にしました。スプリングステークスは、素晴らしかったですよね。改めてこの馬の中山適性の高さを思い知らされたという感じです。
 今回から乗り替わった紺田忠道騎手もさすがといいますか、シャインマスカットの力を一番引き出せる乗り方を緒戦からしてきましたね。この辺りにはキャリアを感じさせられました。馬への思い入れの深さも窺えますし、これは相当にプラスに働く乗り替わりだと思いますね。陣営も騎手も、一丸となってこの馬にビッグタイトルを、という思いの強く出ている一週前追い切りでしたしね。本当に出色、超抜の追い切り時計でした。
 これは近年目立つのですが、皐月賞と日本ダービーの間隔があまりないせいか、言い方は悪いですが、皐月賞を日本ダービーへの過程と見ているのではないかと疑ってしまうような陣営もあります。
 そんな中で、シャインマスカットの柿田調教師は、ここに全力できています。私は柿田厩舎の取材担当なので、それはもう、ひしひしと感じさせられますよ。ここ勝負だな、と。柿田調教師も定年が近く、これが最後かもしれないクラシック制覇のチャンスですから。そして、それができるだけの力がある馬ですからね。
 展開的には、恐らくザラストホースやワールドエンブリオ、そしてマイジャーニーらに早めに競りかけられることが想定されますので、できれば逃げたくはないところ。一頭標的にされるのは苦しいので、直線前で逃げ馬を捉えて、後続を離して直線を迎えられたら理想的でしょうね。ただそれが叶わなくても、粘れる脚は持ってると思います。
 馬券的な話をすれば、どちらかというと二、三着で厚めに持っておきたい、そんなところも、対抗にピッタリだと思いまして、この印にしました。
 普段からお世話になっている担当厩舎の馬なので、当日は馬券とは離れたところで、人馬ともに最高のパフォーマンスを発揮できることを祈って見ていようと思ってます」
「朝川さんは、時計班と想定班を兼ねている、業界でも珍しいトラックマンの方ということで、調教と厩舎取材の両方の視点から語られているのが面白いですね。では、単穴以下も解説をお願いします。ザラストホースやワールドエンブリオはこの辺りですかね?」
「はい、単穴▲にザラストホースです。まぁ、単穴といっても恐らく一番人気でしょうが……
 実力は、現時点では三歳のナンバーワンではないでしょうか。新馬戦も目の前で観ていましたが、スケールがとてつもなくて、これは将来大きなところを狙える馬だなと思いましたよね。その後のレースでも、負けたレースも含めて、そのスケールを損なうようなものは一つもなかったですね。
 名門竹淵厩舎においても、三歳の時点でこれほどまでに可能性を感じさせる馬はこれまでいなかったと思うだけに、陣営の自信と信頼の高さも頷けます。
 ただ、今回は皐月賞、中山芝二千メートルです。この舞台設定でしょうね。もちろん、同条件の弥生賞を完勝していることからも、不安がないともいえるわけですが、やはりこのレベルのレースになってくると、適性の差が出てきます。
 この馬の中山適性が分かるレースは、弥生賞ではなく、シャインマスカットに敗れた一月の寒竹賞だと思います。あのレースは先行して敗れたので、度外視してもいいのですが、やはりそもそもの適性レベルでシャインマスカットに劣っているんですよね。コーナリングの際の器用さとか、小脚が使えないとか、そういった細かいところで差があります。もちろんそれは、中山に限った話ですが。
 正直、寒竹賞の直後は、ザラストホースは皐月賞をスキップするのでは、とさえ思ってしまいました。三冠レース初戦ですし、トライアルを勝っていますから、さすがに出てきましたけれど。
 今回は弥生賞と違って、先頭集団に以前同条件で敗れたシャインマスカットがいて、近い位置に実力馬のワールドエンブリオがいて、そして最後方からマイジャーニーが大捲りを狙いますから、なかなかにレースプランが立てづらいでしょうね。
 仕掛けどころが非常に難しいです。シャインマスカットを意識して起こしをあまりに早くすると他の切れ者に捕まりかねませんし、かといって遅くすると、楽をさせてしまったシャインマスカットや、早め捲り切った場合のマイジャーニーといったあたりを捕まえ損ねるかもしれません。なので、実力は認めつつ、この辺りの印ということになります。
 四番手にはアイゼンスパークを抜擢してみました。紺田忠道騎手の双子の弟さん、直道騎手の馬ですね。これは不気味なところのある馬でして、本当に展開に左右される馬なのですが、ハマった時の末脚はこのメンバーでも通用するだけのものがありますからね。
 昨年の二歳重賞を最低人気で勝ったのですが、その時のメンバーがシャインマスカットとマイジャーニー、今回の有力馬も含まれていて、今にして思えばかなりの高レベルレースだったんですね。その時の末脚は鮮烈としかいいようのないものでした。
 展開が向かなければ何の見所もなく敗れると思いますが、そういう馬なので人気もまったくしないでしょう。馬券的妙味も含めて、あえてこの位置に置いてみました。
 五番手にワールドエンブリオ。これは共同通信杯で相当に強い勝ち方をした馬ですし、何より無敗馬。鞍上のアレッシオ・ナッツオーニ騎手の手腕もあり、ここでも主役候補ではあります。
 ただ、ここまでのレースレベルは、正直そこまででもないなと感じるのですよね。前走にしても、勝った相手がアイゼンスパークやノーエネミーなので、まだこの世代のトップクラスとは当たっていないというのも気になります。ここで初の中山というのもどうでしょう。この世代はここまでのところ、東高西低という珍しい状況になっていますので、関西で勝った二戦もそこまで評価できないですね。
 もちろん、インディペンデンスの産駒ですし、瞬発力の生きる展開になってあっさり勝ってしまっても驚けませんが、個人的にはここまでの評価です。あと、この馬も、どちらかというとダービーを見据えているタイプだと思います。
 以下は毎レース自分の力だけは走るノーエネミー、シャインマスカットに向いた展開になった時のブライダルハンター、この馬が弥生賞二着ですからね。展開さえ向けば、というところ。そして最後に若葉ステークスの勝ち馬、ロフト。ここまでとしたいと思います」
「はい、ありがとうございました。駿馬トラックマン朝川征士さん、本命はマイジャーニーです。以下、対抗にシャインマスカット、単穴にザラストホース、四番手以下、アイゼンスパーク、ワールドエンブリオ、ノーエネミー、ブライダルハンター、そして最後にロフトと、こういった順番となりました。朝川さんありがとうございました」
「失礼しました」
 やり切った。朝川は今日の仕事を終えた気分だった。
 ただ、収録の後には、通常の新聞業務が待っている。特に関東のGⅠ週では休む暇などない。日曜日の『駿馬』紙面には特別コラムも掲載される。その原稿も用意しなければならない。
 収録終了後、朝川は挨拶もそこそこに美浦に引き返すのだった。


 そして--皐月賞本番の朝を迎えた。

       

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