Neetel Inside ニートノベル
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約束の地へ
第6話

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土曜東京メイン。
来年の3歳三冠路線を占う2歳の重賞戦のパドック。
この日は中央競馬専門チャンネルのパドック解説者として、朝川は久々のテレビ出演を果たしていた。
慣れ親しんだラジオのパドックブースとはまた違う見方を予め目に慣らしておき、中継が始まる。隣に座る見目麗しいパドック担当アナウンサーが話し始める。
「東京競馬第11レース、パドック解説は駿馬の朝川征士さんです」
「よろしくどうぞ」
「1番、シャインマスカット。馬体重は456キロで前走新馬戦からプラス8キロでの出走。現在一番人気、単勝オッズは4.8倍です」
仕上がっている。
それが、朝川のパドックでの第一印象だった。
「はい。非常に伸びやかな歩きで、休み明けはあまり感じさせません。増えたのは成長分でしょう。気配もここにきて上昇。夏の新馬戦から久々にはなりますが、何も問題なさそうです。ただ、騎手が乗ってからのテンションの上がり方には注目しておきたいところですね。パドックからは十分な出来に見えます」
朝川はパドックを確認して、シャインマスカットの勝利をより強く信じられるようになった。
「最後に9番、マイジャーニー。馬体重は552キロ。前走新馬戦から16キロの増となりました。単勝オッズは7.9倍、現在4番人気です」
単勝オッズがだいぶ跳ねた。つい30分前までは5倍台だったと朝川は記憶していた。
「…初戦も太く感じましたが、今日はさらに太め残り。周回を見ても、キョロキョロしていていかにもレースに気が向かっていない印象です。初戦から相当な能力は感じさせましたが、1勝級に混じると……やはり、ここを叩いて次走の狙いではないでしょうか」
ファンの状態評価も大差ないだろう、と朝川はため息をついた。紺田騎手の話を聞いても、改めてレースVTRを見直しても、マイジャーニーが恐らく本物であるということは理解できた。本命をどちらにするか、ギリギリまで悩まされた。
だが、買い時はここではない。そう信じた。
ここを使って、暮れの500万下や重賞に駒を進めてきたら、そこでこそ重い印を打とうと、朝川は心に決めていた。
やはり、現状は完成度重視、状態重視。キャリアの浅い馬同士の争いなら尚更である。
間違いなく、シャインマスカットだ。

東京芝1,800メートル。今、スタートゲート前で輪乗りの態勢になっている9頭。
この中に、来年の春、超大観衆の眼前で東京芝2,400メートルのゲートに収まる馬はいるか?
少頭数、小粒、といわれるメンバーでさえ、レース後の評価はどうなるか分からない。事前の想定を覆す馬など当たり前のように現れる。それが競馬だ。
「朝川クンが一番人気本命なんて珍しいことしたから、雨降ってきたじゃない」
今日の東京地方は午後から雨雲に覆われる予報であった。俺のせいじゃないよ、と朝川は背後の女性2名の方を向いてしかめっ面を見せた。
駿馬トラックマンの紅一点……いや、紅二点。戸田明美、そして吾妻乃梨子の両名だった。
2人とも、朝川より先輩である。そして共に独身。ミセスではなくミス。
「…なんとか持って欲しいと思ってたんですけどねぇ。まぁ、レース直前だしそこまで影響はないでしょ」
戸田は本命党とも穴党とも分類できないトラックマンだった。人気に関係なく、自分が担当している厩舎や仲の良い騎手に重い印を打つことが多かった。とはいえ根拠のない予想をしているわけではなく、関係者と特に距離の近いトラックマンだからこそ得られる情報や感触を頼りにしているのだった。荒れたレースで戸田だけが的中させる光景を、これまで何度も見てきただけに、朝川も一目置く予想家だった。
結局、当てるやつが偉い。競馬とはそういうものだ。
「ノリちゃんはマイジャーニーだね。雨降ったのは良さそう!」
「…えぇ、まあ……元々東京でこそと思っていた馬ですから……初志貫徹の本命印です……」
吾妻は寡黙なトラックマンだった。黙々と仕事をし、実績を積み上げていくタイプ。爆発力はないものの、本命馬が馬券に絡む確率は高く、読者からの人気も駿馬トラックマン中トップクラスである。
「…自信はあります。きっと突き抜けてくれるでしょう」
今時珍しい瓶底眼鏡の奥がキラリと光った気がして、これは相当な自信だな、と朝川は思う。
「男子三日会わざれば刮目して見よ」
朝川は再びターフに視線を戻した。2人は首を傾げていた。
「そんな言葉がありましたね。なんて意味でしたっけ……」
未来を占うレースが始まる。ファンファーレが府中の秋空に響き渡った。

『雨がわずかに落ちる中、東京競馬11レース、最後に9番のマイジャーニーがゲートに導かれます』
場内実況のアナウンサーがレースの開始を告げようとしている。
『マイジャーニー、ゲートに入りまして……スタートしました! まずポンと好スタートを切ったのは1番のシャインマスカット! マイジャーニーは出遅れて最後方から!』
よし、と朝川は小さく声を上げた。幸先は良い。吾妻の方は口元を少し歪ませたが、すぐに元の無表情に戻した。
『シャインマスカットが好発活かして先頭に立ちますが、外から5番のカラミザケが絡んで交わしていきます。シャインマスカットは2番手。3馬身後方に2番のパープルクリスタルが続いて、その外に8番のハンマカンマ。その間半馬身差で4番セレブキング。2馬身ほど下がって7番ヒートショックと6番キヨシハイランド。3番アイゼンスパークがそのすぐ後ろで、9番マイジャーニーは最後方から』
カラミザケを先に行かせたのは良い判断だ。3番手以下に大きく差をつけているのも良い。この時点で、何も紛れがなければシャインマスカットの勝利は固い、と朝川は半ば安堵していた。直線の入り口でカラミザケを捉えて後方を突き放し、決定的な差をつける。他馬も追い上げてくるだろうが、リードを生かして残せるはずだ。
「紺田が仕掛けた」
後ろでそう吾妻が言った。普段よりトーンが上がっていた。
『3コーナーに入ったところで、マイジャーニーが一気のスパート! 最後方から、5番手、4番手と上がって、あっという間にシャインマスカットに並ぶところまできました! シャインマスカットも鞍上応戦、カラミザケは呑み込まれて3番手に下がりました! 後方からはハンマカンマとキヨシハイランドも上がっていく! さあ4コーナーを過ぎて直線!』
完全にデッドヒートの様相だった。直線入り口でシャインマスカットとマイジャーニーが並んで伸びていく。マイジャーニーの紺田はひたすらに手綱をしごき続けている。出遅れにより当初のレースプランとは全く違う展開になったが、馬の力を信じた乗り方だった。
これは、俺の想定より、力のある馬かもしれない。朝川は歯を食いしばりながら、同じ世代に生まれた2頭の鍔迫り合いを血走って観ていた。
男子三日会わざれば刮目して見よ。
『ここでマイジャーニーが抜け出した!』
なんて馬だ。
あれだけのロングスパートを見せて、なおスムーズに自分のレースを遂行したシャインマスカットを置いていくとは。
なんて、男だ。
朝川は、予想が外れたことを確信して、苦笑いを浮かべるしかなかった。
「吾妻さん、おめでと……」
「あっ!」
吾妻の声が朝川をかき消した。
後方から、シャインマスカットも追い抜いて、何かが飛んできている。
『マイジャーニーめがけて、3番アイゼンスパークが襲いかかる! マイジャーニー先頭だが勢いが違う! 並んだ! 交わした! アイゼンスパーク先頭! マイジャーニーは2番手! 3番手にはセレブキングが上がってきた! 紺田は紺田でも弟の方だ! アイゼンスパークゴールイン! 長い直線で末脚炸裂! アイゼンスパークが最後方から他馬をまとめて飲み込みました! 紺田直道騎手、重賞初制覇! 兄の紺田忠道騎手はロングスパート実らず2着! 3番手には最後セレブキングが上がって、1馬身差の4着に1番人気のシャインマスカットが入りました』
「紺田は紺田でも……」
「弟の方……」
紺田忠道騎手には、双子の弟がいた。同時に競馬学校に入学し、同時に騎手としてデビュー。弟は兄以上に不遇を囲い、一旦は引退し調教助手となった。しかし、兄の再起を見て、まだやれると決意。騎手として復帰し、苦しみながらも徐々に乗鞍を増やしていき、そしてこの日を迎えていたのだ。
もう1つのストーリーを誰もが忘れていた。だからこその、単勝79倍、最低人気だった。
「よ……ッ!」
否、忘れていなかったのが、1人。
「…しゃああああああああああああああああァァァ!! 直道、よくやったあああああああああッ!!」
朝川は、手元の駿馬に視線を落とす。
戸田明美 ◎ アイゼンスパーク ◯ マイジャーニー
大本線、的中。
「直道やっぱ良い子だよぉ! 『人気はないだろうけど手応えはめっちゃある』って言ってたもん! 信じて買えって! 信じて良かったァ!」
「…明美さん、馬券見せて」
吾妻が戸田の馬券を近づけたり遠ざけたりした。確かめるように。そして、返す。
「…ご馳走様です」
それを聞いて、朝川も追随した。
「ゴチです、姐さん」

シャインマスカットが勝つ流れだった。普通なら。
それを狂わせたのは、マイジャーニーのロングスパート。逃げ先行馬を潰し、自身は生き残る。まさにポテンシャルの違いを見せつけるレースだった。最後に足が鈍ったのは、コンディションの悪さが影響していたと朝川は見る。
アイゼンスパークは、展開が向いた。そうとしか思えなかった。前が止まり、マイジャーニーも苦しくなれば、自然と「何もしなかった」馬に幸運が運ばれる。
これだから競馬は分からない。競馬は怖い。競馬は面白い。
戸田行きつけのジャズバーで度の強い酒を飲み干しながら、次に同じレースに出たら勝つのはマイジャーニーだと、朝川は日曜になるまで戸田に絡んでいた。

       

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