「あの子を頼みたい。善悪の観念が無いだけで、歪んでいるだけで、性根は悪くないはずさ。ルシアンとの約束を、僕は死んでも果たさねばならない。報酬は用意してある」

 死に際のマーリンと交わした最後の会話。魔術師はあろうことか非正規英雄に純悪魔の身柄を託すという暴挙に出た。
 …いや、石動堅悟を真っ当な英雄ではないと見込んだからこその英断、とも取れるが。
 ともあれ亡き装甲魔鬼の遺志を引き受ける形で、堅悟はこうしてクインの面倒を見る羽目となったのだが、これが中々に骨の折れる仕事だった。何せ子供の世話なんてしたことがなかったし、その上この曲者は落ち着くことを知らない。
 人工島を舞台にしての第二次神討大戦から二ヵ月。色々なことがあり、様々な変化があった。
 石動堅悟のカイザー継承、海座弓彦の引退、リザの隠遁。これらはその一部でしかない。
「で」
 そしてそれらの中心全てに置かれている男は今、街外れの旧洋館の庭園にて椅子に腰を下ろしていた。大きくため息を吐いて、
「まーた茶会これかよ」
 足を組み、椅子の肘掛けに頬杖をついて堅悟は唸る。
「文句を垂らすな若造。お嬢の要望に応じるのが貴様の仕事だろうに」
「面倒を見るとは言ったがあの執事みたくなんでもかんでも応じるイエスマンになった覚えはねえぞジジィ」
「……」
 一定の感覚を置いて向かい合う二つの座席には歴戦の悪魔の姿。
 一つは老齢、あの大戦からいくらか老いが加速したように思える蓮田。その少し離れた位置から野外机に乗せたパソコンをいじりながら人差し指で眼鏡の位置を直す内阿。
「あははっ、ほら行くよー!?」
「だー!ちょっと待って急すぎってか殺す気満々じゃないアンタ!?」
 楽し気な声に切羽詰まった声、共に少女のそれは庭園の真ん中で『遊び』という名の激戦を繰り広げていた。踊るように無邪気に走り回りながら襲い来るクインを、鈴井鹿子は冷や汗を飛ばしながら迎撃している。
「馬場コーポレーションは持ち直したみてえだな、蓮田のジジィ」
 そんな戦場を横目に眺め、足を組み替えて堅悟は早々に本題に入る。この場、英雄と悪魔の入り混じる此処は平和でこそありながらどこか不穏さが漂っていた。
「おかげさまでの。野良の英雄と悪魔を牽制し、時に撃退をしてきたお前の功績も評価しておいたほうが良いか?」
「いやいい、こっちが勝手にやったことだ。なあ?」
 顔を仰け反らせて背後を扇いで問えば、そこには両腕を汲んで仁王立ちの間遠和宮が背中を向けてクインと鹿子のじゃれ合いを見物していた。
「…害さえなければ悪魔を無差別に殺すことはない。そう知っただけだ。そして害あらば、俺の看過せざる事態になれば、その時はお前らとて容赦はしないぞ幹部共」
「吠えるのう。若さの成せる無知と無謀か?」
「……」
 じわりと蓮田から魔力が漏れ出る。キーボードを打つ音も止まり、眼鏡の奥から鋭い眼光を飛ばす内阿も座したまま臨戦態勢の様子を見せる。
「いやいや、待てやテメェら」
 ドスと庭の地面に顕現させた聖剣を突き立てて、堅悟は薄く笑って気軽に両者を牽制する。
「話をおかしな方向に進めんな、殺すぞ?」
 その声色に加減の意思は無い。現状、英雄悪魔どちらの勢力にも身を置かず、かつどちらの戦力をも上回る次代の『単体勢力』。確実にその名声はカイザーと共に引き継がれ、さらにそれは強固なものとなっている。
 誰よりも強く、誰よりも無欲な男が、あらゆる全ての抑止力となる。
「絶対強者として均衡を保っていた三柱が崩れた今、新たに抑止を働かせないと準悪魔勢はもとより非正規英雄間にも混沌が渦巻きかねない。その為にお前らに手を貸した」
 正直なところを言えば堅悟には興味の無い話だ。英雄と悪魔がどれだけ大きな騒動を巻き起こそうと知ったことじゃない。そのスタンスは今も変わらない。
 ただ受け継いだ装甲悪鬼の意志を。
 ただ引き受けた装甲魔鬼の遺志を。
 完遂するまでのこと。
 そして自らが手に欠けた装甲竜鬼の死が人界にもたらした影響についても、一切責任を感じないというわけでもない。その意思は蓮田が果たしてくれるだろう。
 その上で、現存する勢力を束ね掌握下に置く。『過激派』と呼ばれていた馬場コーポレーション一派との会合も、それを本題としたものだ。
「今んとこ、お前らの勢力が一番保有戦力も権限も強い。他の木っ端悪魔共もお前らが幅利かせてる間は大きく動くこともできねぇだろ。それを維持してくれりゃあいい」
「だが英雄共はそうもいかんだろう?我らがおとなしくしていようがいまいが、連中は悪魔を狩り続ける、国外から来た聖職者達のようにな。それはどうするつもりだ」
「そっちは俺ら『蝙蝠』で押さえる。大英雄様の助力も得られそうだしな。あとは……ん、そういえば」
 リザに『蝙蝠』の片翼を任せるつもりではあったが、もう片翼は今どこに行っているのやら。そんなことを考えていたら、轟音と共にクインの絶叫が堅悟を呼ぶ。
「ねぇーケンゴぉー!!リンは!リンは来ないのお!?」
「おう、それなんだけどよ。…お、噂をすれば」
 ポケットの内で震えるスマホを取り出して見れば、件の人物からの着信。通話ボタンを押して耳元に当てると、そこからは荒い息と共に少女のやや憤慨した声が伝わって来た。
『…け、堅悟っ!』
「どうした、非正規英雄にでも追われてんのか」
『もっとタチが悪い…っ』
 また厄介事か、と腰を浮かし掛けた堅悟の耳に、此原燐とは違う声が遠方から届く。
『ちょっとせっかく遊びに来たのにどうして逃げるのよ!ねえ聞いてるスクブス!?スークーブースー!!』
『…まずい、追い着かれそう。堅悟、堅悟助けて……!』
 どすんと再び腰を深く椅子に落とす。何を切羽詰まった声を出しているのやら。
 燐をスクブスと呼ぶのはただ一人しかいない。数少ない友人なのだから仲良くしてやればよかろうに、彼女の孤独好きはそれを頑として許さないようだ。
「仲がよろしいこって」
『堅悟、同盟組む時に…言った!私の孤独を死ぬまで守ってくれるって!…言ってたでしょ!』
「はぁて?どうだったかなぁ~」
『こ…このゴミクズ…!』
 底意地の悪い笑い声を上げて、今度こそ堅悟は椅子から立ち上がる。
「クインの住んでる旧洋館、分かるだろ。街外れの。そこまで逃げられれば助けてやらんでもない。せいぜい運動不足を解消してくることだな」
 言うだけ言って通話を切る。もちろんここまで逃げおおせたところでしてやれることは何も無いが、別に堅悟には関係ない。そのまま鹿子と一緒にクインの遊び相手になってもらうつもりで呼んだだけだ。
「じゃ、俺は行くわ。和宮、もし燐が来ても俺はここに来てないって言っとけよ。莉愛も来るっぽいからお嬢の世話頼む」
「…いつから俺は、お前の配下に成り下がったんだ?」
 仏頂面で応じる和宮に、堅悟は笑って片手を振る。
「上も下もねぇよ、半端者のこの組織にはな。気に入らないなら掛かって来いよ、俺らはそうして繋がって来たんだから」
 あっさりと背中を向けた堅悟へと、長剣を向けることもなく和宮はただ大きな嘆息を聞こえるように溢すだけだった。
 石動堅悟との一騎打ちで負けたことは無い。だがこれ以降は勝てる気もしない。最終決戦を経て奴はあまりにも大きくなりすぎた。
 リーダーぶることもなく、また周りを部下だ配下だと見下すわけでもなく。しかしそれでも自然と人が寄って来る。英雄も、悪魔も、ただの人間までも。
 まったく不思議な男だと思う。
 黙って見送ろうと思っていた男が、不意に振り返って言う。
「そういえば和宮。あの二人はどうした。街を出て行ったって聞いたが」
 あの二人。そう聞かれて思い浮かぶのはそれこそあの二人しかいない。
「キョータなら、お前に負けてからすぐに天音を連れて去ったぞ。ベレヌスが無ければ非正規英雄でも全治二ヵ月は固かった大怪我だったがな。…全国を回って強さを見つけるそうだ」
 決戦時にも和宮はその話を聞いていた。彼女を連れてどこか遠くへ行くと。立ち去る最後に堅悟という最大級の壁を目の当たりにした今鐘キョータの心中は如何なものか。それは和宮だけが知っている。

『必ず勝ちますよ、今度こそ。オレもオレなりの「正義の味方」やりながら、いつかあの人に届くように。オレなりの強さで天音を守れるようになります』

 それは伝えなくてもいいだろう。いつか、本当に、第二次大戦を終わらせた聖剣使いの大英雄を打ち倒すだけの強さを手に入れた時に、それは本人同士で語り合えばいい。
「そうか」
 短く淡白に頷いて、堅悟はそれっきり正面に向き直ったまま歩き始めた。自分の足元にも及ばない弱者のことはさして気にもならないのか。
 違う。
 堅悟は知っている。信念、覚悟、想いの強い者ほどがより高みに登り詰められることを知っている。
 いつか超える時が来るはずだ。誰かが、自分を超えた先の強さに至る時が来る。
 だがそれはまだまだ当分は先の話。
 だから今は仕方ない。最強の名は自分が背負うとしよう。
 牽制だの抑止だのと、七面倒臭いことを責務にされる忌名をいつか誰かが奪い取ってくれるまでは。