第六話 君の中の英雄 (鹽竈)


 終末の世。破滅の淵が見える世界の様相。
 そんな世界が必要としているものは何か。
 金か。力か。運か。
 おそらく違う。
 であれば、自分は何を必要としているのか。
 自分という一個人が世界に求めているものが、鏡合わせのように世界が求めているものであるという確証は何処にも無い。
 ただ、どうしてか。
 英雄に、焦がれるほどの熱を感じた。
 ヒーローを憧れた。
 世界を救う英雄となれることを求めた。世界も英雄を求めていた。
 理由もなくそんなことを想う。
 …いや。違うか。
 そんなものは後付け。非正規ながら英雄たる資格を有したとされた時に付けた、それらしき理由の一つ。自堕落に生きて来たこの身を動かす為の燃料。
 本当はどうして、だった?どうして英雄を受け入れた?
 金が欲しかったから。圧倒的な力が得られたから。類まれなる強運に導かれたから。
 おそらく全て違わない。俗物の自分には分相応の醜い欲望だ。
 だから俺は行かねばならない。
 天使から授かった力を存分に振るい、大金を稼ぎ、高級風俗をハシゴして快楽を貪り喰らう為。人々を救った英雄として祭り上げられる為。
 ああ。それに何より。

 何よりも俺は、―――の為に。

 求められた力を、求めるがままに使う。



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 さいたまグレートアリーナ。
 超巨大多目的ホールであるここは、今日この日に六万人もの観客を収容し大規模なイベントが催されていた。
 発狂に近い歓声と息の合った応援振付は地を揺るがすほどであり、その熱気は中にいる七割以上を占める眼鏡男子の視界を曇らせる。
 彼らの視線はステージに全て掻き集められ、そこでは可愛らしい衣装に身を包んだ高い声色の女性達が歌い踊りで客を賑わかしていた。
 時刻は昼を過ぎた十二時五十分。
 熱狂の舞台を、群衆の最後尾から冷ややかに眺める男女がそこにいた。明らかにこのイベントを目的にやって来た者には見えない。
「ホントに出るの?悪魔。こんなトコで」
 目深に被ったキャップの後頭部からぴょこんと出た金髪のポニーテールを指先でいじりながら、歌に連動した怒号のような合いの手に嫌悪感たっぷりの視線を向ける女が問う。
「らしいぞ。だから来てる。お前もアイツらもな」
 長身矮躯のノッポ男が、隣の女に同業者の存在を指し示す。それは視覚や聴覚などで捉えられるものではなく、彼ら特有の空気が発する共振のようなもの。
 非正規英雄の男女二人は、自分達以外にも複数の英雄の影を掴んでいた。
 皆ここに集った理由は同じ。というより、彼らが同一の場所に意図せず集結してしまう理由など一つしか存在しない。
「取り合いになるわね。譲る気はないケド」
「それはこちらも同じだ。俺もアイツらもな。…英雄以前に日々の生活が懸かった仕事としても、悪魔討伐は逃せん」
 呟くように切実な本音を吐露する男の声が、より一層甲高くなった歌と合いの手に呑まれて消える。
 男の名は間遠まとう和宮かずみや。女は鈴井すずい鹿子かのこ。共に数多くの悪魔を討伐してきた熟練の非正規英雄だった。
 長くこの仕事を続けて来た二人だが、こうして狙った獲物が被り対面したのは初めてである。非正規英雄の報酬は悪魔の息の根を止める一手を打った者に全て渡る方式であり、こうした獲物被りの場合は必然同業者間での交渉や取り合いが発生するのが常となる。
「そいえばアンタ、なんであの悪魔姉妹がココで暴れるの知ってんの?どっかで情報拾った?」
「俺のところの天使からな。どこぞの英雄が仕損じた悪魔がこのイベントで暴れる旨の発言をしたという情報を入手してきた。天使達にも横に繋がるネットワークがあるらしい、手に負えない敵は数で圧倒するに限るからな」
「なーんだ。んじゃ、他の連中もおんなじクチってわけね」
 両手を後ろで組む鹿子も、実を言えば担当の天使から強力な悪魔の出現地点と時刻を聞いていたのだ。鹿子と和宮を除くこの会場に紛れ込んだ他三名の英雄も、おそらくは同じようなものなのだろうと予想する。
 おもむろに和宮が右腕を持ち上げて腕時計を確認する。十二時五十七分。天使の情報が正しければ、もう数分で…、

 ドッ、ブシャア…ッ!!
 『……かひぇ?』

「「あ」」
 腕時計から顔を上げた和宮と、蛆蟲を見るような侮蔑の視線を前に向けていた鹿子とが同時に声を上げる。
 間抜け面した眼鏡男子の首が錐揉みしながら高く放り上げられ、鮮血を雨と散らしながらぼとりと会場の只中へ落ちて行く。
 戸惑いに二秒、困惑に三秒。たっぷり五秒を掛けて理解した恐怖を絶叫という形で吐き出した観客達の恐慌が始まる。

『うわぁぁああああああああ!!?』
『なんっ、首、え?なんだよこれえ!!』
『う…おえぇ…!』

 落ちた生首を中心に大混乱が巻き起こり、嘔吐する者や眩暈に跪く者が多発する中で。

「英雄サン、来なかったわねぇ。約束破られちゃった」

 容易く素手で人間を斬り裂き引き裂き、血霧の中で残念そうに口を開くサハギンの怪物が現れた。
「…あと二分あるがな。せっかちな女だ」
「ま、どうせ来ないっしょ。とりあえずあの悪魔の両手足落としてから、報酬どうするか決めましょ。下手に仲間内で荒事になるのめんどいし」
 虐殺されていく観客達を興味無さげに眺めて、共に自らの神聖武具アーティファクトを具現させた英雄達が役立たずの同業者の尻拭いに赴く。



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「―――聞こえていますか。石動堅悟様」

「―――先に言っておきますが、私達は貴方達人間をなんとも思っていません。精々が捨て駒程度の認識です」

「―――多く悪魔を倒してくれれば儲けもの。一体でも滅してくれれば僥倖。そうでなくともこちらとしての損失はほぼゼロ。多少時間を無駄にする。失うものはたったそれだけです」

「―――まして今の貴方はウニ。しかし…笑い種にもなりませんが、貴方は未だに英雄なのです。だからここまで連れてきました」

「―――これは私の気まぐれです。貴方があのまま研究に使われて死んでくれた方が私としては助かったのですが。まあ、気まぐれです。あと仕事なので」

「―――……だから、貴方はせめて、応えてください。仕事とはいえ、気まぐれとはいえ、ここまで連れて来てあげた私に応えて頂けると助かります」

「―――貴方がそんな有様で、なおもこの地を目指したこと。貴方が英雄たらんとして成したことかどうかはわかりません。ですが、私はそうであってくれればと、そう考えています」

「―――…………ああ、長話が過ぎましたね。既に現地では惨劇が起きています。あの悪魔、この短期間で大きく力を蓄えたようです、今の貴方など片手で握り潰されて終わりでしょう」

「―――では、天使として加護と力を与えた私から、死地へ向かう貴方様へ」

 強風吹き荒ぶさいたまグレートアリーナの上空。可視化された天使が長い独り言を終えて、重ねた両手の上に乗せていた、黒い棘皮動物をじっと見る。
 コロコロと、天使の手の上でひとりでに転がるそれは、まるで急かしているようだった。早く行かせてくれ、と。
 ゆっくりと掌を傾け、小さく無力なウニが一つ落ちて行く。その真下、かの悪魔との約束の地へ。
 落下していくその間際に天使……翼と名付けられた天使が送る。
 極力無関心に、それでいて最大限の鼓舞を。

「貴方の活躍を願っています。武運長久を祈っています。応じてください、我が英雄」

 その口元に、いつか誰かの闘志を奮い立たせた控え目な笑みが浮かんでいることに、本人は気付かないままに。