番外編 魔導青年ウリエル The Power (混じるバジル)

「やっぱりアレは夢だったのかな」

 大学の講義中、隣の席で在間ありまが頭の後ろで手を組んでぼんやりとそう呟いた。その後ろで有吾ゆうごがそれに呼応するように頬杖を付く。

 斜めった講義室の最前では緑板を前にして禿げ頭の教授が経済理論についての経営方針やら概念をガリガリとチョークで書き殴っている。

なぎさはどう思う?」

 在間に尋ねられて俺は利き手でシャーペンを回しながら二人に向き直る。

「大学入って観にいった折角の初ライブがアレじゃあな」

「でも楽しかっただろ?」

 在間が振り返ると口数の少ない有吾が無言で頷く。複雑難解な教授の講義が長引いて周りのだらけた空気が俺たちの会話のトーンを薄めていく。

「…なんか俺、すっげー嫌な経験をした気がするんだよな」

 俺は机に落としたドクターグリップに目をやって当時の記憶を思い出す。瞼に手を当てた俺を見て在間が椅子に背をかけながら陽気な声で笑う。

「良かったジャン。渚、憧れの生パメラさん見れて」

「あのCG演出と声優の生歌との競演は見事だった」

 これまでひと言も言葉を発しなかった有吾がようやく感慨深げに呟いた。実は俺、高校時代からCGアイドル柿崎パメラさんの大ファンで、彼女のキャラソンや声優を務める三島栞さんがパーソナリティを務めているラジオも毎週マストで聴いている。

 今回初めてその憧れのパメラさんが参加するシンデレラライブにこいつらを誘って行ったんだけど、途中で口に出すのもはばかられる様な奇妙な経験をして、そっからどうも俺たちの記憶がそれぞれすれ違っていてライブの感想に誤差が生まれていた。

「確か閉演時間は夕方の5時過ぎだったよな?」

「そんなに早く終わる訳ないだろ。アンコール3回あって危うく終電逃しかけたぞ俺」

「いや、ライブ途中でトラブルが遭って俺達全員会場から出されたと思うんだけど」

「おいおい、渚」

 在間が俺の肩を馴れ馴れしく揺らした(在間とは高校時代からの付き合いで別に仲が悪いという訳じゃない)。在間は俺がこのライブの元ネタになったアニメを勧めたら俺以上にドハマリして、大学で知り合った有吾と一緒に、今はもう完全にそれの普及活動を始めている。

 在間はその時のライブを振り返るようにして俺に言った。

「もうシンデレラの魔法は解けたんだぜ?俺たちは週4で職場に顔出して月10万以下にしかならないバイトをやって、こうやってほとんど居場所の無いFラン大学に通って、ツマンナイ現実と向き合わなくちゃ行けないって訳よ」

 在間が手を離したから後ろを振り向くと有吾がうんうん、と頷いていた。

 コイツが言うように先日3人で行ったライブは確かに映像スタッフの技術力の高さと観客のオーディエンス、歌手やダンサー、演者のパフォーマンスが高度なレベルで成立した素晴らしいライブだった。でも、その記憶さえも何処か曖昧で、例えば誰かが造りだした虚像事実で、それを誰かに見せられていたような気がするんだよな。


 眠っていて悪夢で覚める事がある。血まみれの在間と既に息も絶え絶えの有吾が何者かの強い暴力によって冷たいアスファルトの上に横たわっている。俺はそんなこいつらを棒立ちで見ている夢だ。

 ライブに来た観客達に暴力を振るう複数のソレは――充血しきった真っ赤な瞳で振り返るソレは人の形を保たない血に飢えたモンスターのようななりで次の標準を俺に向けている。状況を切り抜ける力も持たない俺は瞬きもしない内に他の観客達と同じように地面に組み伏せられる。

 しばらくして不気味な銀の光沢を放つ鎧に身を包んだソイツらの頭目が現れてヤツの右腕が大きく上がるとその合図で俺たちは自分達を羽交い絞めにしている悪魔に首を撥ねられて目を覚ますという最悪の夢だ。

 いやいや、そんなのはただの気の迷いに似た俺の夢。仮にこの時代の日本に宇宙人かシュメール人がいるとしてどうやってあの災害レベルで起きた大規模事件を揉み消せようか。

 …個人的な先入観は極力ナシにして、冷静に当時を振り返ってみる。


 さいたま某日、俺たちはグレートアリーナの熱狂の渦に居た。

 午前から始まったそのライブのステージには目まぐるしくアニメ内で結成されたアイドルユニットが色鮮やかなフリフリの衣装を着て観客を大いに沸かせていた。

 今回で4回目となるシンデレラライブはステージ上で該当アイドルのキャラクターボイスを担当する声優が歌う3Dライブ、それにステージ後方に設置された大型電光掲示板によるアニメ演出による2Dライブ、そのふたつを足した前人未到の5Dライブとして全国から6万人の集客を集めていた。

 この日の為に完璧にコールを覚えた俺は腰から下げたウエストポーチに差し込んだ次のソロを歌うアイドルの色を模した青色のサイリウムに手を掛ける。前のパートを担当していたアイドルが次に歌うその子に向かって手を差し向けると会場の眼鏡男子の右腕が一斉に大きく振れた。

「ゆみかさーーん!」思わず俺の唇から溢れ出すエモーション。二本線の熱い涙が頬を伝う。前に居た何人かのファンが俺の方を振り返って怪訝そうな態度でまたステージに顔を戻す。あれ?おかしいな。俺は違和感に気付いて自分が持っていたサイリウムに目を落とす。

「残念、浅葱色だ」

 後ろを振り返すとまるで単身アフガンに乗り込んだランボーのようにホルダーを肩から斜め掛けした有吾が俺を見て勝ち誇った表情で微笑んでいた。

「担当アイドルはマストでしょ」

 ゆみか推しの在間がステージで走り回るゆみかさん役の声優を目で追いながら俺に怒気をぶつけた…こいつら俺よりもハマっていやがる。基本色8本しか持ってこなかった俺はそそくさとその場で小さくサイリウムを振る事しか出来なかった。


「さぁみんなー!これからも盛り上がっていくわよーー!!」

 ゆみかさんが所属するクール系ユニットが舞台袖に掃けて次はお笑い色の強いアダルトチームが色々とキツめの衣装でステージへ勢い良く飛び出してきた。

「おい、トイレタイムだ。空いてる内に行こうぜ」

 一足先に振り返って人ごみを歩き出した在間と有吾を追って俺は会場を出る(入り口で会場スタッフにリストバンドを見せる事で入退場は自由)。

 人の入りが少ない会場脇の便所に入ると隣の小便器の前に立つ在間が俺を見てにやにやと呟いた。

「いよいよ次だな」

「ああ、この日の為に緑のサイリウム二刀流だ」

「ははは、準備完璧じゃん」

「先、行ってる」

 後ろの便器で用を足した有吾が俺達に声を残してその場から立ち去った。次のステージ、正午の12時ちょうどからは魔法がかかるシンデレラの演出と共に今回のファン投票一位になった柿崎パメラさんのソロステージが行われる。

 俺的にはこれが本日のメインステージ。持ち歌である『 Hotel Snowdome 』の演出をBD観た時は心が震え上がった。用を済ませた俺は手洗い台の前に立つとウエストポーチからサイリウムを取り出してボタンを二度、三度押して輝き具合をチェックした。

 俺の気持ちが少しでもパメラさんに、そして彼女に息を吹き込んだ声優の三島栞さんに届くように想いを込めて俺はそれを握り鏡の前でそれを振ってみる。

 馬鹿だな、シラフに戻ったその瞬間、トイレの外から野太い悲鳴が巻き上がった。なんだ?普段道でトラブルが起きても見て見ないフリをするのがマストな俺だが、この時はライブの高揚感でその場を飛び出して声がする方へ飛び出していた。

 機材搬入用の関係者駐車場の茂みの奥、そこに目を落とすとその下からどろっとした赤黒い血がアスファルトと這い伝うように溢れ出してこっちへ流れてきた。興味本位でやって来た野次馬の背筋が凍りつく。間違いない、コレは人間の血だ!

「な~んだ。まだイケニエがいたのかい」

 どこからか調子抜けた声が響き、木の陰から白衣を着た猫背の視線が安定しない男が姿を現した。

「オレはどーもせっかちな性格でね。予定開始時間の十二時五十分を待ちきれずにジェノサイドを始めちまったー」

 その男は掛けていた瓶底の眼鏡を外してレンズを白衣で拭い始めると足元で揺れていた茂みに向かって蹴りを入れた。

「ホレ、いつまで喰ってんだ!また新しい獲物が来たぞお前たち」

 主と思わしきその白衣の男に蹴られたソレはゆっくりと茂みの影から俺達に向かって歩いて姿を現した。

「お、おい。あれって…」

「や、やばくね?警備員呼んでこようぜ」

 ソレの姿を見て俺の後ろでバッと走り出す観客達。彼らを見て白衣の男はゆらりと立ち尽くした異形のソレの背中をポンと叩いた。

「逃がさないよん♪」

「!?」

「ぐあっ」

 突然アスファルトに倒れこむカーゴパンツの男。俺は彼の姿を見て息を呑みこんだ。

「ぎゃあぁあああ!!」

 駐車場一帯に響き渡る男の悲鳴。彼の脹脛には真っ白な細長い柱状の固形物が突き刺さっている。これはまさか、人間の肋骨!?

 驚いて振り返って俺はその生き物と男を見据える。

「さぁ、次はオマエだ」

 不精髭がまばらに散った顔を歪めて笑う男の隣に身長2メートルを超える大型のゾンビがそこに居た。