「力天使、だと!?」

 目を開いたゾンビの飼い主がその男に声を向けると、天使と名乗った男は背景に咲かせた薔薇をひとつ取り出してその茎を咥えて「やぁ」と小さく腕を広げた。

 一体何がどうなってるんだ?もしかして俺、死んじまってコミックの世界に転生しちまったのか?俺は緩んでいた脳殺――と呼ばれていたゾンビの腕輪の下を抜けて、その場を駆けて倒れこんでいた在間の肩に手を掛けて身体を起こすと、その先にいる有吾の元へ合流した。

「ありがとう」

「助かった」

「馬鹿言え、まだあいつらが襲ってくるぞ」

 俺は振り返ってマヌケな顔でこっちを眺めている木偶の坊の姿を見て路上に唾を吐く。

「やや、隙をついて敵の手を逃れて更に仲間を救うとは!…いいねーキミ、ヒーローとしての素質をビンビンに感じるよー」

 振り返らずに男が小さく三回拍手すると俺は褒められてるんだか、小馬鹿にされてるんだか分からずに顔にこびりついたゾンビの肉片を拭った。

 よく見ると天使と名乗ったその男の背中には光の粒子が形を整えていき、羽らしき形状を構成し始めた。

 更に目を凝らしてみれば、頭頂部にも何やら輪っかのようなものが、光の加減によって薄っすらと見えたり見えなかったりしている。

「…天、使……」

 有吾の口から2ちゃんのピンク板コピペのような台詞が零れて俺と在間が笑いを堪える。こんな場面だってのになんで笑ってんだ俺たち。気が付くと在間と有吾の傷が消えていた。

「特別サービスだよ。闘いに解説役がいなくちゃ詰まらないだろう?」

 天使と名乗った男は俺たちに気取った声を飛ばすとゾンビ4体とそれを操るマッドサイエンティストに向かって「キミが今回のライブ会場襲撃事件の首謀者かい?」と尋ねた。

「いや、違うな」

 相手の答えを待たずにその男は考え込むように自分の額に拳を当てた。

「悪魔の大総統があんな貧相な外見で醜悪な使い魔をはべらせている筈が無い。さいたまグレートアリーナの収容人数は確か六万人超。これだけの数を襲うには悪魔とはいえそれなりの格と言うものがある。

それに他の仲間とは手を組まずに単独で民間人を襲い始めた……つまり、キミは邪悪武装を手に入れたばかりの下っ端悪魔だという訳だね!」

「うるさい!だまれ!どいつもこいつも俺を馬鹿にしやがって!」

 悪魔、と呼ばれたその博士が取り乱しながらその天使に向かって口角泡を飛ばした。

「フン、俺の名前は久慈友和。三十を過ぎて何者にも成れなかった駄目人間の成れの果てよ。俺は何もかもを失ったその日、酒場で悪魔と名乗る奇妙な男と出合った。
意識を失い、目が覚めて家に変えると俺は死者の身体を自由に組み替えて新しい人体として生成できる能力を手に入れていた。それでこのゾンビ4体を秘密裏に造り出してこの大舞台で一旗上げようっていう目論みさー」

「おお、なんと。死人を弄繰り回して新たな生命への改変…文字通りの悪魔の所業。まさに神への冒涜だね」

 自分が天使だと名乗ったその男は貧血気味の女子のようにふらついた動きを見せてその場でよろめきながらステップを踏んだ。

「故にお前、さっき天使と名乗ったか?はは、これは良い!」

 自ら久慈と名乗ったその博士風の男は利き手を上げてゾンビ達に襲撃の構えを取らせた。「ヤバイぞ!」身の危険を感じて俺たちはその場を立ち上がった。

「知ってるかー小童ども。天使はいつ如何なる時も中立。よってお前たちを助ける義務はない。この天使がお前らにやっかいな能力を授ける前に殺してしまえば問題ない。骨要員の激鉄ちゃん、準備!」

 片膝をついたゾンビが低い唸り声を這わせて両腕を上げると腹部の皮を引き裂いて真っ白な肋骨が姿を表した。その背中をさっきキックミスを犯したゾンビが汚名返上とばかりに蹴り飛ばすと六本の肋骨がこっちに向かって射出された。

「速い!避けられない!」

「安心して、大丈夫」

 矢のように飛ばされた骨が俺たちの前に向かってくると目の前で俺たちを包み込む灰色のバリアーが生成された。

「な、なにをする!貴様、天使のくせに人間共の手助けをするつもりか!?」

 地面に転がった骨越しに男を見上げるとさっき身に纏っていたオーラとは別の穏かな色の気が彼の周りを包み込んでいた。

「天使の位ならもう、とうに捨てたよ。今の僕は一人のただの青年男性。普段は瓜江累うりえるいとして戸籍を取って週5でパートで働いてる」

「な、天使がバイトだと!?」

「ああ、キミ達には説明しなきゃだよね?」

 瓜江と名乗った男が長い髪をかき上げて俺たちを振り返った。

「天使にもパートの役職みたいに階級がある。一番偉い天使の下に智天使、座天使。その下に中位三隊として主天使、能天使、そして僕が居た力天使と並ぶ。更にその下は下位三隊といわれ、彼らと戦う英雄を見出すのは最下位の天使と呼ばれている。
ちなみに力天使はいるが、技天使や心天使はいない。状況が状況だ。詳しいことは自分のSiriにでも尋ねたまえ!」

 力天使ウリエルこと瓜江累はそこまで言って解説をぶん投げるとゾンビ達に向かって両手をかざした。発せられた威圧感にゾンビ達が本能的に一歩後退する。

「さっきも話したが今の僕は普通の非正規の英雄と同じ扱いだ。人間界に混じって目の前に悪魔ゴミが転がってたら気まぐれで始末する…天界はどうも僕には退屈でね。我が侭を言って魂を地球に落としてもらった。
まぁ天界と地上では勝手が違うから、流石に魔力は全盛期の1/10に落ちてしまったがね」

「な、なにをビビッている!さっさとアイツら皆殺しにしろ!」

 久慈が声を張るとゾンビ達が顔を見合わせた後、ゆっくりと瓜江に向かって歩き出した。その姿を見て瓜江は一切気にする素振りを見せずに長いチェックの入った緑色のロングコートからペンとメモ帳を取り出した。

「今キミはこのゾンビ達に一般人を皆殺しにしろ、と言ったね?それは何のために殺すんだい?」

「な、この場に及んで何を言っている!」

 久慈は欠けた前歯の間から唾を飛ばしながら瓜江に向かって拳を握り締めた。

「大悪魔からオーパーツを貰った我々準悪魔は人間を殺してこの世を混沌に導くのが仕事だろうが!」

「人を殺すには特に理由は無いか…」

「フフ、俺も既に人の道を外れた男。そんな俺にあの方達はこんな便利な力を与えてくださった。いいか、お前ら!これは言うなれば聖戦よ。俺を使い物にならんと切り捨てた社会への復讐だ!」

 瓜江はサラサラとメモに書き記していたペンの頭をノックすると、ゾンビとそれを使役する久慈に向き直った。

「おかしいな、今の悪魔はただ自分の破壊欲求を満たす為に闘っているのか」

「さっきから何なんじゃ、助けがくるまでの時間稼ぎか。さっさと天界とは別の所に送ってくれる!」

 今度は久慈が腕をかざすとゾンビ達が一斉に瓜江に向かって走り出した。パン、と大きな音を立てて瓜江がノートを閉じるとゾンビ達の足が止まり、その体がシャボンのような円形の泡に包まれてそれぞれに宙に浮かべられた。

「キミ達準悪魔にはただ人を殺して暴れる他に邪悪武装によって魔力を回収する仕事も兼ねている筈だ。一般的な成人男性を殺したところで得られる魔力はほんの極少。
キミ達の本来の目的はこの会場の人間六万人を人質にとって現れた強力な魔力を持つ英雄を殺す事だろ?こんな所でわざわざ独りで暴れている時点で人間だった頃の頭の程度が知れるね」

「な、なにを言う!まともに会話も成立しないような無能な連中と組んでも足を引っ張ると考えて単独で動いているだけじゃ!これは俺側の過失ではない!俺の意思だ!」

 博士キャラを気取っていた久慈の喋りにところどころ、人間らしい方言が綻んできた。

「なるほど、美しくない」

 泡を引き寄せた瓜江がゾンビのひとつを顔を歪めながら眺めている。

「ところで、博士。これだけの邦人の死体、何処で手に入れたんだい?」

「あっ」それを聞いて俺たちの背筋が凍りつく。久慈が肩を揺らして薄気味悪く笑い始めた。

「フフ、言わんでも分かるじゃろ。例の災害で流れてきた死体の使える部位を集めて最強の人間を造りあげたんじゃ。初めて俗悪ちゃんを造ったのは5年前の夏だったかなぁ…蛆がたかって管理が大変じゃった」

「…心の壊れたネクロフィリアか。僕もこの衣服にこびり付くようなコープスの爆臭にはウップスだよ」

 瓜江はシャボンを指で弾くと手首を返してその手をぐっと強く握り締めた。

「キミ達は本来この地上に留まってはいけない生命なんだ。天へお帰り」

 次の瞬間、4体のゾンビを包んでいたシャボン玉が一息に割れ、辺りには粘ついた液体がアスファルトそこらじゅうに散らばった。

「な、貴様!ワシが手塩にかけて造りあげた可愛いゾンビ達を!…許せん!こうなったら俺自ら貴様らに手を下してやる!」

 久慈は白衣を翻して注射器を取り出すとそれを自分の肩に打ち込んだ。

「見てなよ。あれがよく漫画で見られる悪者の負けフラグだ」

 瓜江がこっちを振り返ると有吾が無言でこくこく、と頷いた。久慈の身体がみるみる膨れ上がり、服を引き裂いた上腕筋が緑色に変わっていく。その姿はアメコミにしばしば登場するミュータントのようだった。

「ぐぉぉっぉおおおお!!!殺してやる!!コロシてやるぞぉぉぉおおおお!!!」

 大きく開いた口からスライム状の溶解液を垂れ流しながら完璧な悪魔と化した久慈が瓜江に向かって、ずだん、ずだんとアスファルトをへこませながら一歩、一歩片足飛びのような動きで近づいてくる。

「残念だが僕がメモを取るフリをしている間に詠唱は終了している」

 異形と化した久慈を一切気に留めることなく瓜江は長いまつ毛に止まった羽虫を指で弾いた。そしてその奥に有る冷たい瞳でにじり寄るバケモノを睨みつけた。

「キミ、僕の名前がウニに似てる、って馬鹿にしたよね?」

「!?」

 バケモノの動きが止まるとその周りの空中に5本の白い刃のような物体が浮かび、それらが一斉に元・人間久慈の身体に突き立てられた。

「アリストテレスの奥歯。僕が天界に居た時兄弟子に付けられた渾名でね。僕の家系に代々伝わる秘法なんだけど、僕の名前が地上の雲丹に似ているとかでしばらく自主的に封印してたんだ。
宙に生やした5本の刃は対象の命が尽きるまでそれを噛み砕く。おまけにどこまでも相手を追いかける自動追尾付きだ」

 大きく響き渡る怪物の悲鳴。咀嚼するように皮膚に突き刺さるその刃は肉を貫いて辺りには赤黒い血が噴き出している。あまりの凄惨な光景に俺たちは思わず目を背ける。

「が、た、たすけて、かぁさん…!」

「おや、やっぱり自己再生能力持ちだったか。生命を身勝手に扱った報いだ。本来人間であれば一度で済む死の痛みを何度も体験できるなんて素晴らしいじゃないか!」

「おのれぇぇええええ!!ウリエル、ウリエ、ウリ、う……」

息も絶え絶えに縮んだ久慈の姿が再生能力で膨れ上がるとその身体を再び奥歯と名づけられた刃がその身体を噛み砕く。悲鳴と血液が周りに散らばってそれが収まるとまた刃がその身に突き立てられる。その終わる事の無い例えようのない暴力は一定間隔で機械的に留まることなく行われていた。

「やれやれ、永遠の生命というのは、虚しいものだね」

 すっかり猫と同じ位の大きさに縮んだバケモノがキシャーと叫び声をあげながら茂みにその身を投げ込んだ。「これで、ひと段落か」瓜江がコートの埃を手で拭うと地面を這いつくばっていたライブの観客達は無傷で立ち上がった。

「あれ?俺生きてる」

「あのバケモノはどうなったんだ…!?」

「はいはい、みんなー起きた人からコッチに来てー」

 瓜江が怪我から立ち直った俺たちに向かって先導する。そしてメン・イン・ブラックでウィルスミスが持っていたような細長いゲームのコントローラに似た器具をコートの中から取り出してそれを右手に構えた。

「キミ達がここで見たものは全て夢だ。ハイ、みんな笑ってー…もっと自然な笑顔で頼むよ。ハイ、チーズ!」

 パシャリ!と金属的な音が響いて俺は気が付くと自分の部屋にいた。ケータイの日付はライブが行われた日になっている。

「アレは夢だったのか…?いや、そうじゃない、悪魔の襲撃は本当にあった…!」

 俺はウエストポーチに入っていた欠けた緑色のサイリウムを見つめながらあの時の体験を思い出し、震える体を堪える事が出来なかった。


「ねぇ、これ準チョコレートだってー」

「これがチョコレートじゃなかったら何だっていうんだよなーハハハ!」

――大学の講義が終わってコンビニのバイト中。商品陳列をやっていた俺の後ろでカップルが木のような形のアイスの袋裏に書かれた製品情報を眺めながら馬鹿みたいな会話を繰り返している。

 あの日グレートアリーナの駐車場で俺達の前に現れた変な博士も自分が準悪魔だと名乗っていた。ドーピングでバケモノに変身したあの姿は悪魔そのものだった。

 誰も気付くことは無いが、俺達が過ごす日常には悪魔と天使、そして英雄が溢れかえっている…ネットニュースを覗いても、身銭を切って新聞を買って全面眺めてもどこにも書かれていないような経験を俺達は確かにした。俺達に襲い掛かってきたあの異形のバケモノ。アレが悪魔じゃなかったら何だって言うんだ。

 そしてあの久慈というおっさん、死ぬ間際に母親を呼んでいた。俺も自分の不幸を世の中のせいにするようなみじめな大人にならないよう、勉強して良い会社に就職しなくちゃな。

 そんな独り暮らしの部屋に黒蟲が出たから部屋を綺麗に片付けよう、みたいな何週間続くか分からないような決意を胸に接客をしているとひとりの男がレジに並び、缶ジュースを差し出した。

「130円のお会計ですので、20円のお返しになります」

「ありがとね」

 客である同い年くらいに兄ちゃんが小銭を出すと、俺もレジからつり銭を手渡す。それは一日の勤務でも一度あるかないかの、ダンスステップでも踊るような無駄の無い完璧な動きだった。

 あの人、何処かで。名前を思い出そうにもその名前がなぜか俺の口から出てこない。自動ドアをくぐったその男の後姿をじっと見つめる。きっとあの男は手に持った缶ジュースを飲み干したらまた何処か、悪魔の匂いのする場所へ向かうのだろう。

 そんな俺の根拠の無い妄想は後ろに陳列されたタバコの番号を叫ぶおっさんの声によってこの世にしっかりと足を着けて現実に引き戻された。



番外編 魔導青年ウリエル The Power 完