俺は少し温くなったのどごし生を飲み干した。
阿武さんが買ってきてくれたのはビールはビールでも第三のビールってやつだった。本物のビールに比べるとちょっと味気ないが、値段の割に悪くない。
デビルバスターズ、反逆軍、カイザーと続いた「仲間にならないか?」的なスカウトが、まさかここまで続くとは思いもしなかった。ストーブリーグでも開催されているのかこの埼玉で。一体どうして俺なんかにみんな注目するのだろう。それとも戦力になれば儲けものとばかり、ドラフト最下位で指名しているような感覚なのだろうか。いや、恐らくきっと間違いなくそうだろう。
が、阿武さんは「戦いをやめた元英雄」であり、別によその組織と対決するために仲間に勧誘している訳ではない。カイザーの勧誘も「戦いをやめさせるため」に仲間にならないか?というものだったが、それよりも更に一歩引いた立ち位置というか──三文オカルト雑誌の編集者にならないかというのは、どちらかといえば普通の就職斡旋に過ぎない。プロ野球志望ではなく、いきなり球団職員にならないかというような提案だ。そして、今の俺に一番しっくりくる提案でもあった。
空になったのどごし生の缶をくしゃりと握り潰す。
第三のビール、いや第三の道か。
「バイトで良ければ」
と、俺はまたしても定職につかずブラブラする夢追い人のような回答をした。
そうなのだ、俺はずっと非正規職……アルバイトを続けてきた。正社員というものがもっと魅力的に映る世の中であれば違っていたと思う。だが現実、阿武さんが勤めていたような中小企業のブラック営業マンぐらいしか無いのだ。俺のような学歴も資格も無い若者が潜り込める正社員の道というのは……。だから、諦めてずっと惰性でアルバイトを続けてきた。正社員になるのが怖いというか、希望が見いだせない。これと定められる道が見つかるまでは、暫定的に、気楽なアルバイトでいいじゃないか。
「勿論、バイトでもいいよ。歓迎する」
阿武さんは穏やかに笑うと、胸ポケットから名刺を取り出して渡してくれた。編集長・阿武熊五郎の名前と共に、オカルト雑誌「月刊アトランティス」を発行している「中立出版株式会社」の住所や電話番号などが書いてある。ちょっと待て。三文オカルト雑誌というが、俺でも知っているような結構有名なオカルト雑誌だぞこれは。飄々としている阿武さんだが、アトランティス編集長とは……実はかなり有能なのでは?
「今夜はもう遅いし……そうだな、明日の正午に事務所に来てくれ」
「分かりました。ところで中立出版って言えば相当大きい会社じゃないですか? 上場企業だし……」
「いやー雑誌ごとに別々の出版社、子会社って感じなんだよ。中立の本社は確かに大きな自社ビルだけど、アトランティスを発行してる事務所はごくごく小さなところさ。古い雑居ビルの一室だしね。事務所のメンバーも正社員は僕だけで、あとの編集者や事務員はみんなバイトさ」
「本社の目の届かないところで、割と自由にやらせてもらえそうな雰囲気……?」
「ご明察。僕が編集長だし、かなり裁量を任されているよ。バイトの一人ぐらい簡単に雇うことができるし……勿論、記事も自由に書いている。例えば、この間のさいたまスーパーアリーナの事件も、天使や悪魔の存在を少し匂わせながら書いていた。テレビ、新聞、ネットニュースなんかは信憑性が薄いとして殆ど出ないが、アトランティスだけにはその手の情報は載る。まぁ、読み物として面白いという理由で売れているが、一部の非正規英雄や準悪魔も買ってるかもしれないな」
「なるほど……」
「オカルト情報に関しては昔から有名な雑誌だけど、もしかしたら僕が編集長になる前から、僕のような存在がアトランティスを作ってきたのかもしれないね」
「へー、面白いですね」
「きっと気に入ると思うよ。ところで、アーティファクトはどうする? 僕のように人に預けてしまうか?」
「いえ、それは少し考えさせてください」
「そうか。アーティファクトを持っていれば、天使と悪魔双方の陣営から目をつけられるのだが……まぁいいだろう。だが引退したくなったらいつでも僕に相談しなさい」
「分かりました」
アーティファクトについては考えがあった。
引退という道も魅力的ではあるが、一人でそう決めてしまうのも無責任だと思ったのだ。俺は翼ちゃんの鎖を断ち切ってしまった。一人の天使を堕天させてしまったのだ。その翼ちゃんのためにも、この天使と悪魔の戦いの決着までを見届ける責任がある。
未だ、俺は俺自身の正義を見つけられないでいる。その正義を翼ちゃんに求めるのは酷だろう。
結局、天使も悪魔も奴ら自身の正義に基づいて戦っている。今のところ、どの勢力にも与するつもりはないが、ニュートラルな立場が取れるなら、どうするのが俺にとって正しい道なのか見定めたい。
幸い、カイザーが「石動堅悟はカイザーによって殺された」というデマを流してくれているらしいし……。
黒崎たち反逆軍とリザたちデビルバスターズの目はそれでごまかせるだろうし……。
考える猶予ができた。
その間に阿武さんの仕事を手伝えば、今後の身の振り方も見えてくるかもしれない。
「よろしくな、堅悟君」
「こちらこそ」
俺は阿武さんと握手を交わす。
「堅悟君が一緒の職場になるなんて! 私も楽しみだよっ! また一緒にがんばろーね!」
佐奈が一人で盛り上がっている。
そうだった、こいつとも一緒に働くってことになるのか。
騒がしい日々になりそうだ。
それからたちまち数日が過ぎた。
阿武さんのアトランティス事務所での日々は慌ただしいものだった。
最初、小さな事務所は雑然としていて、オカルト関係の書籍や資料が山のように積み重なっていた。だけでなく、カップ麺やコンビニ弁当の空き容器が散乱して、冬にも関わらずゴキブリがカサカサと音を立て……まぁとにかく酷いゴミ屋敷だった。
「ひ、酷過ぎる……!」
悲鳴を上げたのが翼ちゃんだった。
「え? そう?」
きょとんとした顔の阿武さん。この人、家庭でも蔑ろにされているらしいが、自宅も相当ゴミ屋敷になってんじゃないだろうか……。
「よく皆さん平気ですね!!!!」
何事にもきっちりしていないと気が済まない翼ちゃんが、「こんな職場環境では調べものなどできません!」と張り切り、俺たちはまず事務所の大掃除から始めねばならなかった。
俺もそうだが、阿武さんや佐奈や事務所の他の面々もまったく掃除や整理整頓には無頓着な方で、翼ちゃんの見事な家事能力に事務所員一同は唸らされた。一日がかりですっかり室内が綺麗に片付いた後、阿武さんは翼ちゃんにも一緒に働かないかと持ち掛けてきた。堕天して天界から追われる身となった翼ちゃんを匿うにはちょうどいいし、事務所常駐の事務アルバイトとして雇われることとなる。
「掃除やお茶汲みぐらいしてくれたらいいから」
と、阿武さんは鷹揚に言う。
どうせお給料は本社が出すので、阿武さんの懐は痛まない。オカルト雑誌「アトランティス」の売れ行きさえ良ければ、アルバイトを数人増やしたところでとやかく言われないらしい。
「職務には忠実です。お任せください」
天使でなくなった翼ちゃんは、気持ちに整理がついたのか、新しい生活に張り切っていた。
その翌日以降は、阿武さんにアルバイト編集者としての仕事の基礎知識などを教えてもらう。カメラの使い方や、記事の書き方、社会人としてのマナーなど。基本的すぎて余り面白いものではないが、雑誌編集者なんて仕事は俺も初めてだから新鮮ではあった。
慣れない仕事というか勉強の日々だが、割と穏やかで平和な時間が流れた。
真面目に掃除をこなし、事務所メンバーのためにお茶を入れてくれる翼ちゃん。
新しいオカルト情報を仕入れては興奮して騒ぎ立てる佐奈。
身なりや身の回りには無頓着だけど、鋭い視点を持って興味深い話をしてくれる阿武さん。
俺は、何だか久しぶりに人間らしい日常ってやつを味わっていた。
だが、こんな日々を偽りの平和と思っているやつもいるんだよな…。反逆軍の黒崎、やつとの約束もすっかりブッチしてしまっているが……。まぁ最初から行く気なかったからいいけど。
今この時も、天使と悪魔の陣営は激しい戦いを繰り広げているのだろうか。
アトランティスの事務所にいると、様々なオカルト関係の情報が入ってくる。
「UFOを見た」とか「幽霊を見た」とかいった類のもので、大抵は勘違いとか明らかなウソの情報ばかりだが、中には真しやかな情報もある。高速道路を車と同じくらいの速度で疾走する三つ首の大きな犬(ケルベロス!?)を見かけたとか、怪しげな力を使うスーパーの店員がいるとか、中学生ぐらいのヤンキー集団がホームレス狩りをしているとか。
「ヤンキーのホームレス狩り? これは警察か学校に持ち掛けられるべき話では…?」
「いやそれが、その狩られたホームレスがかなり残虐なやり口で殺されていて、まるで大きな獣に食われたかのような死体がいくつも発見されているっていうんだ」
阿武さんが顔をしかめている。
彼も中学生の息子が反抗期で悪い友達と連れ歩いているというから、他人ごとではないのだろう。
「その大きな獣というのが、明らかに……」
「準悪魔の仕業ですね」
「この街には、こういう事件がゴロゴロしているのさ」
取材対象には困らないという訳か。
ふん、望むところだ。
穏やかな日々も悪くないと思ったが、そろそろ飽きてきたところだ。
俺は、心のどこかで戦塵を望んでいた。
第十二話 完