翌日の放課後、鹿子は4階まで階段を上がると事務所のドアを開けて制服から普段着ている服に着替えた。

 自前の金髪をスプレーで黒く色を落ち着けると彼女のトレードマークとなっている赤いキャップを目深に被る。

 普段飲んでいるコーヒーの代わりに冷蔵庫から緑茶を取り出してそれをコップに注ぎ、一飲みすると鹿子はソファの上で両膝を手で叩いて立ち上がった。

「さ、お仕事行きますか」

 ――今回の調査対象は栗桐町の駅前で男漁りを繰り返していると噂されている結原紫苑。普段であれば年頃の女子高生がどんな遊びをしていても鹿子は気にはならないのだが、不特定多数の男と関わりを持とうとしているらしい彼女が誘惑を売り物にしている悪魔の毒牙にかかってしまう可能性が高いこと、それと…

 これは建前で断ったのだが…多額の報奨金を前にして普段あまりやる気の沸かない鹿子の探偵魂にも火が着いた。

 …菱村が帰った後、机の下に落ちた茶封筒の中身を覗いてみた。束になったソレを見て鹿子は思わず息を呑んだ。悪魔との死闘を終えて銀行口座を覗き込んでも見たことの無い大台3桁の封筒が3つ。今後の探偵稼業規模拡大の為にもなんとしても菱村グループの御曹司を自分の太客に丸め込みたい。

 次々と物欲が浮かんでは消え、また新しい空想がその次と浮かんだ。口から溢れ出るよだれを袖で拭うと駅前のショッピングモールのアーチ下で待ち構えていた和宮が鹿子に声を掛けてきた。

「よう、先に来てたぞ。悪魔調査の為とは言え、まさか女子高生の尾行とはな」

「なんでついて来たのよ。私だけで充分」

 追い越してアーチをくぐるとすぐ後ろを和宮がついて歩き出した。季節のイベントで華やかな取り付けがさせている街灯を眺めて和宮が言った。

「未成年の女子高生独りに悪魔退治を全任する訳にもいかんだろう…お前が探偵業をやっているとは驚いたぞ。英雄の先輩として今は手出しは出来んが口出しはさせてもらう。今回は俺も同行しよう。お前の仕事ぶりが見たい」

「もう、勝手にしなさいよ。その代わり足引っ張んないでよね」

 鹿子が口を膨らませると和宮が静かに微笑んだ。和宮は前回の闘いで心に迷いが生まれ、アーティファクトが使えない。その為もし悪魔との戦闘になったら鹿子独りでの闘いになる。

 しかしその心配は目先の金に気をとられた鹿子の頭からすっかり抜け落ちていた。別の悪魔退治に向かっていたリザに電話に訊ねられても鹿子は「大丈夫、私ひとりでもやってのける」と答えた。

 鹿子だって英雄である前にひとりの少女だったのだ。

「あれが今回のターゲットのシオンさん?」

 彼女の後方15メートルの位置から鹿子が訊ねると和宮が静かに頷いた。彼女は露店で買ったクレープを一口咥えると制服のスカートをひらつかせて人波を歩いて行く。

 細身で背が高いモデル体系で、写真で見た時よりずっと可愛い。小顔で真っ白な足がすらっと伸びて等身が高く、その名が示すように瞬きの度に花が咲く仕草でぱっと長い睫毛が上下する。

 何気なく和宮がシオンと鹿子を見比べるように見つめると「なによ」と鹿子がジト目で応える。

「おお、お前たちやってるか」

 後ろから声が聞こえて和宮と鹿子が立ち止まる。ごく一般的な特徴の無い服装に着替えた菱村がふたりの前に姿を現した。それを見て鹿子が鼻で笑うようにして再びシオンを追って歩き始めた。

「なんだ、結局アンタもあの子をツケにやって来たんじゃない」

「自分の手であの子の無罪を証明してやるのが理想だからな」

「ほう、金持ちにしては殊勝な事だ。それと…俺はお前たちより大分年上だからな。間遠さんと呼べよ?」

「待った」

 先頭を歩く鹿子が後ろで口争いを始めかけたふたりを制した。シオンは歩き食べていたクレープの紙を捨て、自販機で買ったパックの野菜ジュースのストローを咥え込んでベンチに腰を掛けた。スカートのポケットに指を伸ばして携帯電話を取り出そうとしているのが見て取れる。

「ここからは二手に分かれて彼女の観察。誰か人を呼ぶかもしれない」

「ああ、分かった」

 和宮が答えるとふたりは利き腕と反対側に巻いたデジタル時計のアプリを起動した。これでレシーバーのように離れていても通話が出来る。

 鹿子はシオンが座るベンチの正面の時計台の前で待ち合わせをする振りをし、和宮と菱村のふたりは彼女の左側から野球用品店のグローブを物色する素振りをしながら彼女の偵察の続きを始めた。

 携帯電話を注視しながらシオンが悩ましげに首を傾げてストローを咥えながら足を組み替えた。落ち着かない様子で和宮がグローブのポケットに拳を入れる。

「おい、スカートから太ももがあらわになって、尻が見えかけてるじゃないか。これを知ったら親御さんが悲しむぞ!」

 菱村が苦笑いを浮かべると和宮の時計から鹿子の声が届いた。

「ちなみに私の場所から下着が見えてるけど、生地と色、知りたい?」

「…」

「このスケベオヤジが!!」

 何も言い返せずに和宮が舌打ちを浮かべるとその音声を切った。

「俺が学生の時はあんな短い制服のスカートを着た生徒はいなかった…おい、誰か近づいてきたぞ」

 和宮の声で菱村が正面のシオンに視線を戻すとひとりの男が遠巻きに彼女に声を掛けている。彼はシオンと同じくらいの年齢でまだ春先だというのに派手な柄のタンクトップの上に黒い薄手のジャケットを羽織っただけの服装をした金髪の青年。和宮の時計から素っ頓狂な鹿子の声が届く。

「あ、あの子、男に話し掛けられてる」

「そんなモン、見れば分かる。シンイチだったか?おまえちょっとあの娘の恋人のフリをして助け出して来い」

「な、そんな」

 試すような和宮の視線を受けて菱村は強く頷いた。

「ああ、やってやるさ。どのみち、あの結原シオンの恋人になるのはこの俺なんだからな」

 そういい残すと菱村はシオンと彼女に声を掛けている不良青年の前に向かった。

「ちょっと、大丈夫なの?」

 時計から鹿子の声が聞こえて和宮はそれに答える。

「おそらくあの様子だとシオンはシンイチに好意を抱いているどころか、ほとんど彼女に認識されていない。ここで見せ場を作ってやるのが年長者としての思いやりってヤツだろ」

 菱村が近づいていくと青年が次第に声を荒げて周りの喧騒が張り詰めたものに変わる。ベンチの付近から次第に人が去っていき、離れていても会話が聞き取れる程になっていた。

「…この女、散々手間取らせやがって。今日と言う今日は覚悟しろよ?」

「なんだか険悪なムードね。てっきりナンパされてるのかと思ったら」

「お、おい!俺のか、彼女に何の用だ!」

「…あの馬鹿、声が震えているぞ」

「ああ、なんだおまえ」

 青年は腰履きしたカーゴパンツのポケットに親指を突っ込みながら菱村を振り返った。

「さあ、行こう」

「あ、ちょ、ちょっと」

 菱村は大きく振り向いた青年と入れ違いにシオンに向かってその手を掴むと体を起こしてその場から早足で歩き出した。それを見て「あいつ、やるじゃないか」と和宮が目を細めた。

「おい、待てよ。男喰ってまわってるクソビッチが。今日こそは悪行のオトシマエつけさせてやっからな!嫌だってんならこの場でオメーを始末する!」

 シオンにそう告げると青年の顔が割れるように崩れ、その身を岩のような厚い装甲が包み込み始めた。

「しまった、悪魔か!」

 和宮がその場を駆けだしてその異形と化した男の注意を引く。

「お前たちは早く逃げろ!」

「なんだぁ!?お前、あの女をかくまってんのか?どこまで俺を舐めやがるんだ、このクソったれ連中が!」

 灰色に硬化した姿でくぐもった声がその装甲の中から響く。

「どけよ!邪魔すんな!」

 鈍色に硬質化したその腕が振り上げられたその瞬間、その体は横から直撃した不可視の一撃によって時計台に叩き付けられた。すこし間を置いて辺りにカップルの悲鳴が響く。

「…さすがに一撃とはいかないか」

 アーティファクトを開放し、鉄槌を抱えた鹿子が起き上がる怪物を見て息を吐いた。

「ヤロー、不意打ちかよ、汚ねぇ、ぞっ!?」

 ドン、ガシャ、ドシャン、ズドン!続けざまに怪物に叩き付けられる鹿子のトールによる連撃。その衝撃を受け止める時計台が大きく音を立てて崩れ落ちると和宮は立ち止まって息を呑んだ。

「悪いけど、こっちの事情であまり長くは闘えないの。アンタがあの子について知ってること、話してもらう」

 口から湧き出た緑色の血を地面に吐き捨てると硬化した怪物が歩み寄る鹿子に向き直った。

「オマエラこそアイツの仲間なんじゃねーのか?良い年こいたおっさんが制服着たJKに骨抜きにされやがって。やっぱ変態的にはああいうのがソソるのかね。まぁオメーがどかねってんなら無理にでも突破させてもらう!」

 起き上がって怪物が右腕を振り上げるとトールの発動距離を取るために鹿子がバックステップ。「よし」勝利を確信して和宮が拳を握り締める。

 これまで何度も傍で見てきた鹿子が一番ハンマーを振りまわすのに適した距離。しかし、次の瞬間その握られた拳は予想外の一撃によって開かれることになる。


「やっほー、待ったー?」

「おっせーよ!あと一撃喰らってたら装甲解けてた!あぶねーあぶねー」

「クソッ、援軍か」

 背中に蹴りを受けてトールを解除した鹿子がフルフェイスヘルメットを被ったレザータイツの相手を見て口許を拭う。空中に浮かぶように地面を蹴り上げた女性らしいボディラインの敵は肥大した怪物の肩に腰掛けて鹿子を見下ろしている。

「これで2対2だ。お互い不意打ち一発ずつ、ということでフェアにいこうぜ?」

 予期せぬ相手の攻撃で形勢逆転。ダメージで片膝を折った鹿子に和宮が走り寄る。

「鹿子!」

「近づかないでよ!この機能不全者!」

「なっ!?」

「ふふっ」

「あー、男として一番傷つくコトバ、言われちまったかー。でもワリーけど俺達には関係ねー。道を譲ってもらうぜ」

「…誰が通すか」

 闘士としての誇りで鹿子は再びトールを具現化する。この不利な状況、如何に切り抜ける?鹿子はいつかリザとケルビムが非正規英雄の、デビルバスターズ入門として自分に下した課題を思い出していた。