Neetel Inside ニートノベル
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 次の日の昼休み、菱村は学校の屋上に繋がる階段を一段ずつ上っていた。クラスメイトに無視をされ教室に居場所が無いシオンは屋上で昼食を摂っているらしい。

 普段、屋上は危険だからと言って封鎖されてるのだがシオンの唯一の友人である秋風天音が朝早く職員室から屋上の鍵をくすねて来るらしく、シオンと同じく問題児扱いされている秋風に近づく生徒が居ないためこの件は黙認されている。

 菱村が屋上の重いドアを開けると反対側の手すりに腰かけてシオンが髪を風にそよがせていた。視線を遠くに伸ばして長い睫毛で瞬きをふたつ。手すりから落ちて今にも途切れてしまいそうな儚げな景色に思わず目を奪われていた。

「でさー、昨日知り合った男とはどうなったのー?雑貨屋の店長のギンノジョーだっけ?」

 自称“世界を救う大天使”と名乗る転校生ギャルの秋風がシートを敷いた床から立ち上がってスカートをはたきながらシオンに尋ねた。秋風から出た名前を聞いて菱村は壁の影に姿を潜めて会話を聞き逃さないよう意識を集中させる。

 たった今秋風の口から出たギンノジョーは飯山さんの名前だ。嫌な予感がして菱村の喉が引きあがる。俺は確かにあの人にシオンを逃がしてくれるように頼んだ。それなのに知り合った?どういう事だ?

 シオンは校庭を見下ろしながら表情ひとつ変えずに秋風に答えた。

「あー、そのギンノジョーなんだけど、車の中でなんか口説かれちゃってそのまま流れでホテル入っちゃって」

「流れで!入っちゃったんだ!?制服のままで!」

 秋風の言葉が菱村の頭をハンマーで殴ったように揺さぶった。

「うん。で、服脱いでシャワー入るじゃん。そんで私だけ食われるのもなんだからゴニョゴニョゴニョ」

「あー、そのごにょごにょの部分、詳しく聞きたい!」

「…やめろ。俺はそれ以上聞きたくない」

 菱村はその場に居た堪れない気分になりドアを開けて屋上の階段を下り始めた。視線がぐにゃりと歪み始めて危うく足を踏み外しそうになる。俺はシオンを、あの子を助けてくれと頼んだ。それなのにあの店長、なんてことをしてくれたんだ。

 いや、それ以前になぜ俺はあの後シオンの安否を確かめずに家に帰った?化物女に一芝居打っただけで満足してしまった。

 シオンが学校中から売女だと呼ばれているのを忘れていた。

 いや、俺は信じていたかったんだ。君の事を。

 体が火照って呼吸が苦しくなる。菱村は結原シオンの事を汚れた俗世とはかけ離れた孤独でも路傍に力強く咲く花のような女性だと思っていた。しっかりと自分の意思を持ち、数多の誘惑を断ち、毅然とした態度でまっすぐな道を歩いていく。そんな強い光を放つ一輪の花。

 でも、実際のあの子は…理想と現実のギャップに耐え切れずに菱村は午後の授業を心あらずと受け流していた。


「おう、無事だったかシンイチ。こんな事になる可能性があるんだったら連絡先を交換しておくんだったな」

 校門の影から背の高い痩身の男が姿を現した。面倒そうに首を反対側に曲げて菱村が視線を外す。

「ああ、あんたか」

 立ち止まらずに歩き出した菱村の後を和宮が追ってついて来た。

「お前が仕事を依頼した鹿子が悪魔に倒されてな。あいつを助け出す交換条件として結原シオンを探させる為の進路を譲った。モールの近くにフルフェイスを被った女が来ただろう。どうやって潜り抜けた?」

「なんだ失敗したのか。依頼者との契約も守れない。その上一般市民も危険に巻き込んで何が悪魔担当の探偵だ。大の大人が小娘ひとりに翻弄されて情けないと思わないのか」

「おい、待てよ。今後のことを踏まえて少し話をしよう。お前が足を突っ込んでいる世界はお前が想像するより危険だ」

「話す事は無い。あの女の事なら、勝手に捜索を続けろ。もう俺には関係ない」

「おい!」

 歩くスピードを速めて住宅街の路地を周って和宮を振り払う。想像とは違う汚れた現実に目を瞑りたかった。もう何も考えたくない。独りにして欲しかった。

「――いい加減に」

 後ろから轟く怒声に思わず振り返る。

「――しろぉぉぉおおおおお!」

「!?」

 ぐっと両肩を掴まれて、近くにあったベンチに体を沈められる。和宮が目を見開いて菱村に言葉を投げつけた。

「関係ない、だと?自分と同い年の女を危険に晒してふざけるなよ!……すまん、高校生相手に少し言い過ぎた。話してくれないか。どうして俺達にシオンの捜索を頼んだその真意を」

「ああ、もう、わかった。話すよ間遠さん」

 観念して息を吐き出すと道路を挟んだ歩道を歩く園児を眺めながら菱村は話し始めた。結原シオンとは高校入学時に同じクラスで凛としたその横顔を見てすぐに彼女に一目惚れした事。

 大企業の息子である自分と同じようにあらぬ疑惑を持ちかけられ孤立してもそれにめげない彼女にシンパシーを感じていた事。日夜不特定多数の男に声を掛けられるというシオンを陰ながら守ってやろうと思ったこと。

 そうすればあの子に自分を振り向いてもらえると思ったこと。彼女は他人が言うような売春をするような少女ではなく、自分が想像するような真綿のように清純な女子高生で、そしてそれが全て自分の思い込みだった事。

 とうとうと語る菱村の話を和宮は自販機で買った無糖缶コーヒーを飲みながら聞いていた。話が途切れると菱村は膝の上で手を組んでそれに額を乗せて声を震わせて呻いた。

「俺は、あの子が、何を考えているか分かんなくなっちまった」

 和宮は飲み終えた缶コーヒーを潰すと「なるほど、そういう事だったのか」と優しげな目をして頷いた。菱村がシオンに抱いていた淡い恋心。その想いに間違いは無いはずだ。自らの経験則ではなく、和宮は直感的に菱村に告げた。

「お前の話を聞く限り、シオンは周りが言うような、知り合った男、誰とでも体を重ねるような女ではないと俺は思うぞ」

 菱村が頭を上げた。

「とにかくあの子とちゃんと話して見る事だ。ふたりで話したのは昨日が始めてだったんだろ?そしてこんなまどろっこしいやり方じゃなくておまえ自身の気持ちをシオンに伝えてこい。俺は鹿子の容態を見てくる。病院がこの辺りだったはずだ」

 缶をゴミ箱に流し込むと和宮はその場から歩き出した。「確かに間遠さん、あんたの言うとおりだ」そう呟いて菱村はベンチから立ち上がると学校側を目指して歩き出した。

 シオンはまだ学校の近くにいる筈だ。知らない間にずいぶん遠くの方へ来てしまったな。街の中心街へのショートカットに開発中のビル郡のあたりをすり抜ける。この日は国が推し進める“プレミアムフライデー”で辺りに従業員は一人もおらず、電源が切られた重機が隅に置かれていた。

 ふいに自分を呼ぶ声が後ろから聞こえた。

「…シンイチ君」

 細い声に振り返ると、その場でシオンが立ち止まった。制服の袖やスカートの裾が破れて出血したと思われる右膝をリボンできつく縛ってある。呼吸を整えるシオンを見て菱村が声を掛ける。

「昨日のヤツに襲われてるのか?」

 シオンが頷くと辺りを地面を鈍器で叩きつけたような大音声が響く。

「おらァ!どこ行ったあの女ァ!見つけ次第スクラップにしてやるぜェー!」

 聞き覚えのある頭の悪そうな声に菱村は逃げ込めそうな場所を探す。シオンの長い睫毛が砂埃を払うように短く揺れる。

「助けてくれるの?私の事」

「何言ってる。当たり前だろ…こっちだ。あいつの体だったらここに来るには時間がかかる」

「うん、ありがとう。シンイチ君」

 伸ばされた菱村の手を取るとふたりは叩きつける音とは逆方向の工事中の狭い路地の方へ歩き出した。


       

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