Neetel Inside ニートノベル
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 地を這うような衝撃。大気を震わせて魔獣の咆哮が背中の産毛を逆立てる。両腕の中のシオンは苦しそうに顔を歪めて荒い呼吸を繰り返している。菱村は汗をほとばせながら一瞬だけ後ろを振り返る。

 アメコミのヴィランを彷彿させる硬質化させた体をゴムまりのように弾ませながら怒声を発して金髪の男が近づいてくる。

「逃げたって無駄だぜェー!さっさとその女をコッチにわたしなァー!」

 菱村は正面を向き直るとシオンを抱きかかえたまま金網を開け、工事関係者用の螺旋階段を駆け上がり始めた。この細さの道なら膨れ上がったあの体では入っては来れない。

 男は階段の前で立ち止まると駆け上がる菱村の姿を金網越しに眺めながら路上に唾を吐いた。

「はっ、いいねぇ。ワルモンから姫を助けるヒーロー気取りかよ」

 男はぐるんぐるん、と二度腕を回すと岩のように硬く握られた拳を目の前の階段に叩き付けた。

 辺りに地鳴りが響き階段が中心からぐにゃり、と崩れ落ちた。

「う、うわぁああああ!!」

 目の前の段差が消え、菱村の体が地上15メートルの高さから落下する。思わず目を瞑り、頭をかばって瓦礫の上に身をゆだねる。すると尻の辺りに柔らかいクッションのような反動があり、そのバウンドで無傷のまま菱村はその場を立ち上がった。

「結原!」

 声を出して見回すと少し離れた位置でシオンが瓦礫の中から立ち上がった。

 男が硬質化した顔の装甲を解いて呆れたように二人を見て手を広げた。

「おいおい、そいつをかくまうなんてオマエ正気か?その女が何をしてるか理解してんの?オマエ」

 訊ねられて菱村はシオンをかばう様に前に立つ。ああ、分かってる。結原シオンは不特定多数の男とすぐに関係を持ってしまうどうしようもない女だ。でもそんな彼女が自分はとても愛おしい。

 この男とシオンの間にどんな痴情のもつれがあったのかは知らない。今、シオンを守ってやらないと彼女があの化物に息の根を止められてしまう。惚れた女一人守ることが出来ない。そんな馬鹿げた事実をこの菱村真一が認められる訳が無い。

「チッ、オマエ見たところ一般人だな!オマエみたいなちっぽけな正義心を振りかざすヤツが一番ムカつくんだよ!そこをどけよ!」

 目の前の化物は骨組みの鉄塔を持ち上げるとその落下線上をシオンの頭に合わせた。「まずい、逃げろ!」菱村が振り返るその瞬間、顔のすぐ横を肌色の蛇のような意思を持った生き物が体を伸ばして怪物目がけて飛び込んでいった。

 その生き物は怪物の足元をかすめるとアスファルトを大きく抉り、体をしならせてその宿主の元へと戻るように伸縮した。

「えっ、結原」

「い、痛ッてぇー!右足4本持ってかれたぁー!」

 目の前の怪物の装甲が一瞬にして全て解かれ、スポーツ用のアンダーウェア上下を着た金髪の男がその場で膝をついて倒れこんだ。菱村はシオンの姿を見て血の気が引いた。

 顔の右側がもぞもぞと揺れ動き、頬の一部がカタツムリの目のように伸びている。そしてそれが次第に形を変え、シオンが微笑むとその口許が怪談の口裂け女のように三日月に伸びた。

 シオンは右手に持った、男からその新たな口で食いちぎった足の指を転がしながら地面を転げまわる男を哀れみを持った目で見下ろした。

「右足4本?馬鹿じゃないの。右足の指4本でしょ。タコかよ」

「て、てめぇ!今馬鹿って言いやがったな。返せよ俺の足ぃ!」

 懇願する男の言葉に耳を貸さずシオンはその指をラムネ菓子を食べる子供のように口へ放り込んだ。軟骨をかじるような鈍い音が響き、最後にケホッともうひとつの口が呑みこんだ空気を吐いた。

「臭ッ」

「いや、臭くはねぇよ!?」

 男が目を見開いて叫ぶと菱村は再びゆっくりとシオンを振り返った。

「結原おまえ…」

 シオンはすっきりとした顔で菱村を見た。その瞳には悪戯がばれた時の子供のような茶目っ気と今まで嘘を突き通してきた事に対しての後ろ目たさがあった。

「ごめんね。シンイチ君。私、どうやら人間じゃないみたい」

「そこから離れろ、シンイチ!」

 遠くから駆け寄ってきた和宮の声が聞こえる。和宮は立ち止まると異形の姿を見せたシオンを見て両肩を揺らした。

「やはりそうか。ティンダロス。人喰いの悪魔だ」


――先日、マジックミラー号に姿を顕現させたケルビムの車体を磨いている最中に彼が機嫌良く話していた内容の一部を和宮は思い出した。

「悪魔界に天界、どっちも現世に干渉しないようにはしてはいるんやけど、ごくごくまれに悪魔、もしくは天使の性質を持った人間が現世に生まれてくるんや。そいつらの一人は教科書に載るような聖人と呼ばれる人間になったり、歴史を揺るがすような犯罪者になったりもする。
天界での定例会からの公表によると人里から離れて穏かに暮らそうとするヤツがほとんどらしいがな。あひっ!そこ触らんといてな、大事な所やから!…で、何やったっけ?ああ、まー、実態は知らんがそういった特性を持った人間はどの時代に生まれても生きにくいんやないやろうか」

 そのひとつが対面する結原シオンの体に取り憑いて生まれた人喰いのティンダロス。一説によるとその生命を維持するために人間の魂を定期的に摂取する必要がある悪魔の一種で、宿主が生き続ける限りその者を介して他者を喰らい続けると言い伝えられている。

「あ、悪魔だと。冗談だろ。この男の方が悪魔と呼ぶに相応しいじゃないか」

「おいコラ!見た目で判断すんな!俺は悪魔じゃねぇ!」

 菱村が振り返ると男が立ち上がって腕を交差するポーズを取った。肘から先に金属質の鉄板が延び、アーティファクトとしての光り輝く手甲を具現化した。

「メインウェポンはこの『コモン・アンコモン』。『硬質化』は悪魔探索用の能力だ。なんせ現役高校生ヒーローが顔を知られちゃマズいからな」

「なんだと。だとしたらお前は」

 驚いた和宮を見て男はニヒルな笑みを浮かべて白い歯を見せた。

「俺の名は今鐘キョータ。オマエラと同じ、非正規英雄だ」

「キョータ!」

 名乗りを挙げた少年の背中に後方から女性の声が飛んだ。フルフェイスを被った彼の連れの少女と鹿子が和宮の元へ合流した。

「鹿子、怪我は大丈夫なのか?」

 和宮が尋ねると鹿子がいつもの後ろで留めた金髪を撫でながら赤いキャップを被り直した。

「話は来る途中でこの子から全部聞いた。たく、同業者だったら始めに名乗りなさいよ。馬鹿じゃないの」

「な、オメーまで馬鹿って言いやがって…!くっ」

 激痛で顔を歪めながらキョータがその場で膝を追った。それを見てフルフェイスの少女がマスクの口許に手を置いた。

「あ、キョータあいつ怪我してんじゃん。やばっ」

 英雄同士を合流させんとシオンの顔の片側が膨らんでその標的がキョータ目がけて一気に伸びた。

「急いで!『ティップ・タップ』!」

 少女が肩膝を上がると彼女の足に透明のピンヒールが具現化され、そのまま足を振り回すと周りの空気が削り取られたようにキョータの体がその場から浮かび上がり、瞬時に鹿子側に引き寄せられた。

 シオンの一撃が空を切って壁に打ち当たり、それを戻している間に和宮がキョータの体を引き上げた。

「ここからは私とあの子に任せて」

 男ふたりにそう告げると鹿子は駆けて来た方向に消えていった。敵は悪魔一体。鹿子が得意とする“不意打ち”での雷神の鉄槌を浴びせるつもりだ。フルフェイスの少女はシオンの前へと歩み出すとその目窓を指で押し開けた。

「やっぱりシオンは悪魔だったんだー。残念だけど、こういう形でサヨナラしたくはなかったなー」

 少女の顔を見てシオンが明らかな動揺を見せた。「あいつは…」シオンのすぐ傍にいた菱村が学校の屋上でシオンと一緒に弁当箱をつつくギャルの姿を思い浮かべた。

「私、秋風天音は大気を操る魔法の靴、『ティップ・タップ』を神聖武具を持つ非正規英雄!日夜街に繰り出して人肉を喰い漁る猟犬ティンダロス、今日こそこの場で始末させてもらう!」

「そっか、天音ちゃんはそっち側だったんだ」

 口上を述べ挙げてポーズを取る天音を見てシオンは寂しげに呟いた。

「天音ちゃん、天音ちゃんだけは友達だと思ってた」

 唯一の友を失って悲しみの表情を見せたシオンを菱村は心が痛む思いで見つめていた。

「結原が悪魔であいつらが英雄?笑わせるなよ」

 声を震わせて菱村がシオンをかばう様に彼女の前に出た。それを見て和宮が怒声に近い声を張る。

「おい、何をやってるシンイチ!さっさとこっちに来い!」

 その姿を見てあざ笑う様に菱村は両腕を広げた。お前たちが持ち寄ったその物騒な武器はなんだ?結原を殺す?ふざけるなよ。武装集団が女子高生に一人に寄って集りやがって。俺はとんでもない勘違いをしていた。疑ってすまない。シオンは俺が思う様なたった一人で困難に立ち向かう凛とした女子高生だった!

「ありがとうシンイチ君」

 前に立つ菱村の背中にシオンの言葉が向けられた。その短い言葉は菱村にとって身悶えする様な背徳的な甘い響きを持っていた。シオンが言葉を続ける。

「気持ちはとても嬉しい。でもね、ティンダロスが普通の女の子として生きるにはすっごいお腹が減るんだよ。子供の頃は暗殺稼業の会社に拾われて遺体を“隠す”仕事を手伝ってた。
仕事のみんなからは掃除屋スカベンジャーなんて呼ばれてたり。中学二年の時、仕事で失敗してアシが着いちゃって追ってきた人間、企業の人間皆全部食べちゃった。美味しかったなー。初めて人生でお腹がいっぱいになった。
その時気付いたの。今の私は成長期なんだって。生命を維持するには前よりもっとたくさん人間を食べる必要があってね。で、私の体目当てで近づいてくるどうしょーもない男なら食べちゃってもいいかなーって」

 まるで夕食の献立を何にするかぐらい何気ない会話をするトーンでシオンが菱村に内情を語った。

「でもやっぱそういう下心がある男は美味しくない」

 シオンの話を聞いて負傷したキョータが身を震わせて和宮が異形の悪魔と化した少女の姿を見据えた。

「それがこの街に広がっている周期的に街へ訪れる人喰い悪魔事件の真相か」

「まー、周期的ってか最近はほぼ毎日だけど。でもまぁクズい大人を間引けて私もお腹膨れるし、なんてゆうか世の中的にWiN-WiNじゃない?」

「罪悪感ナシかよ、クソっ!」

 右足を齧られたキョータが顔を青白くして右膝を拳で打った。シオンのもう一つの顔による一撃は先が少し触れただけでも対象物を抉り取るとてつもない威力を誇っている。

 身を持ってその一撃を体現したキョータが「気をつけろよ!アマネ!あの顔を近づけるんじゃねぇぞ!」と吼える。フルフェイスの目窓を閉じてアマネが横立ちで親指を立てるとシオンのもうひとつの顔がアメーバのようにその体積を膨らませた。

「さて、長々と語っちゃったし、そろそろやろっか。もう一人もそろそろ死角とやらに周った頃合だし…行くよ!」

 シオンがその場から踏み出すと、アマネが地面を蹴り上げて目の前の大気を手前に引き寄せた。その刹那、シオンは前に立っていた菱村の背中を蹴り上げて彼の体をその大気の中央に投げ込んだ。

 一瞬の静寂の後、アマネのレザータイツの一部が裂かれ、わき腹が抉られた彼女の体は大量の出血をばら撒いて地面に伏した。

「やっぱ、そのタイミングで待ってたかー。うん?」

 不意打ちが破れて側面から鹿子が叫び声を挙げながらトールを振りかざしてその場に現れた。和宮の脳裏に突発的に鹿子が倒されるビジョンが浮かぶ。

「無茶だ、遠すぎる」和宮の見立てが当たり、鹿子のトールが当たるより先にシオンの一撃がみぞおちに跳ね上がった。“喰べる”事を目的としない“殴打”としての新しい一撃。

 その速度はトールの持ち手を伸ばして遠距離からでも当てられるように改良した鹿子の想像の先を超えた。崩れ落ちる鹿子の姿を見てシオンは小さく笑った。

―地面を叩いて風おこしするブーツに力任せで叩きつけるハンマー。どれも私からすれば付け焼刃に過ぎないよ。私の“顔”はあなた達風に言うと生まれ持っての神聖武具なんだから。

 私はティンダロス。生まれ憑いての悪魔。自分の武器の使い方は一番良く知ってる。伸びる顔。そして女子高生としてのイマ限定の男から見てグッと来る、性的にソソる身体。

 人を喰うということはすなわち人の命を絶つという事。私が人間である限り、もちろん悪いことだって理解してる。それでも、私はこの世界で生きていかなくちゃいけないんだ。

「やったな!結原…えっ」

 菱村が拳を握りかけて和宮に全滅の二文字がよぎった瞬間、シオンの伸びた方の顔が杭で打たれたように壁に叩きつけられた。

「あれ?援軍?そんなの聞いてないし」

 シオンが横目で自らの頬を貫いた物質を確認する。「何コレ、槍?」見覚えのある鋭槍を見て鹿子は笑みを浮かべてゆっくりとその場を立ち上がった。

「女の子ひとりにずいぶん手こずっているようね」

「リザ!」

 銀髪にツートンカラーのレーシングスーツを纏った英雄を見てキョータとアマネのふたりが息を呑む。

「すげぇ。なんだあの槍」

「不意を突いたとはいえ、一撃で」

「あれがティンダロス?」

 リザが短く訊ねると和宮が声を出さずに頷いた。背中から大剣ジークフリードを具現化すると立ち上がった菱村が歩み寄るリザに声を張った。

「待った!殺さないでくれ!彼女は悪い悪魔じゃない!」

「待たない。この子が何をしたか全部見ていた筈でしょう?」

 リザは菱村を振り向く事無く、一瞬の間にジークフリートを振るうとシオンの四肢が細切れに切り刻まれた。

「――っっ!!」

「結原ぁーー!!」

 声を出す間もなく血を噴き出してその場に崩れ落ちたシオンの元へ菱村が駆け寄る。

 なんで、どうしてこんな事になった?彼女はごく普通の、ただの女子高生だったはずだ。どうしてこんな形で殺されなければならなかった?

 シオンの身体を抱き留めると彼女の細い身体はもう事切れていた。見かねたリザがふたりに声を漏らした。

「…悪魔と人間は共存は不可能。貴方はこの子の恋人?貴方には悪いことをしたと思ってる。でもいつか貴方もこのティンダロスの標的にさせていたかもしれない」

 和宮が菱村の傍に近づいて言葉を選ぶように彼に告げた。

「想い人が悪魔だったとはな。辛いだろうが、受け入れてくれ」

「シオン…」

 菱村は文字通りの憑き物が落ちた彼女の右手を強く握り、その身体を強く抱き寄せた。市街地から離れた誰もいないはずのこのビル郡にひとりの少年の慟哭が刻まれた……


――数週間後、川沿いの鹿子の探偵事務所。部屋の隅に置かれたデスクに座る鹿子がパソコンのキーボードを叩く音が響く。

「何よ難しい顔をして」

 リザが鹿子が注視するウィンドウを横から眺めた。新聞社のWEB記者が書いた記事によると、数週間前から突然失踪する成人男性の数が急激に減り、街を騒がせた人喰いの悪魔の噂は収束したと語っている。

「うーん、なんか釈然としないって思って」

 鹿子が眉を曲げて唇を突き出した。リザはそんな鹿子を見て温かく微笑んで見せる。

「鹿子が抱えている事件がこんなにハードなものだったなんて知らなかったもの。もっと詳しく教えてくれれば良かったのに。でも貴方が無事で居てくれて私はそれで嬉しいわ」

「なんか探偵魂に火が着いちゃって」

「良いトコ無しで格好つけるなよ。結局やる気になった要因は金、だろ?」

「うっさい。あんたこそアーティファクト、使えなかったくせに」

 キーボードを叩きながら抑揚の無い声で鹿子が和宮に言葉を返した。「まあまあ」とふたりを仲裁するリザに和宮が顔を向けた。

「アイツの居場所については何か掴めたか?」

 和宮が訊ねるとリゼは含みのある笑顔を浮かべた。それを見て鹿子がロリポップの包みを開く。

「まー、あいつが簡単にカイザーに殺されたとは思えないもんねー。リザの元旦那、有望株には甘々だし」

「付近に潜伏していると考えるのが普通だろう。アイツは確か定職には就いていなかったよな。所持金が無くなったら働くなり、悪魔狩りなりして動き始める筈だ」

「向こうからのアクション待ちね。その件はしばらく泳がせておくって事で…お客さんよ」

 リザが呼びかけると階段から騒々しく口喧嘩をしながら上ってくる声が聞こえる。ドアが激しく開けられるとその中から明るい色の金髪が姿を現した。

「よっ!川沿い探偵事務所の先輩ガタ!あれから元気にやってます?」

「ちょっと、キョータ!入り口で止まんないでよ!ほら、中入った!」

 右腕で突いていた松葉杖を振り上げて挨拶をしたキョータをハーレイクインのように髪を頭の上側でふたつに結んだ天音が彼の背中を押してふたりが事務所に入ってきた。

「…どうしてここが分かったのよ?」

「こいつを途中で見かけて連れて来たんでさ」

 鹿子が訊ねるとキョータが松葉杖で入り口の方を指し示した。

「そうか、今日が告別式だったな」

 和宮が見上げると菱村は初めてここに来たときと同じような自信に満ちた顔で部屋のメンツを見回した。

「相変わらず辛気臭い事務所だな。金は渡した筈だが」

 むっとした鹿子を見て場を和ませようとしてキョータが菱村の背中を叩いた。

「まー、こいつも彼女を失ったショックで傷ついてるもんで!気にすんな。次行けよ、次!俺なんて物心つき始めた頃から天音にフラれてんだからよ!」

「それは災難だな。あまり触るな。馬鹿が感染うつる」

「ああん!?」

「これ、キョータ!先輩達の前、前ー。やめとけやめとけー」

 憤るキョータとなだめる天音を見て和宮が彼らに声を向けた。

「フン、シンイチが立ち直ったようで何よりだ。で、お前たちは何しに来た?」

「で、あれから皆さんの事をアレコレ調べたんですがね」

「わたし達を皆さんの仲間に入れてもらおうと思って!」

 色めき立つふたりを見て「おいおい」と言う風に和宮がリザに視線を向けた。鹿子は「まー、当然の流れなんじゃないの」という表情でロリポップを舐めていた。

 天音がリザに向かってがばっと大きく頭を下げた。

「リザさん!いや、リザ姉貴と呼ばせて頂きまっす!悪魔を射止めるとするクールな佇まいにあの剣さばき、自分、痺れたっす!これはお近づきの証しに…千葉銘菓こいくちぴーなっつでっす!」

「ワァオ!コレはお酒のお供に合いそうね!でもそれとデビルバスターズに入れるかどうかは別よ。ケルビム様に相談しなくちゃ」

「ケルビム様?」

「今回の結原シオンの死因は何だ?」

 きょとんとした天音とキョータに和宮が訊ねた。

「確かー、重機の先端部分の落下による全身を強打しての死亡だったはずっすよ?」

「あー、それで未来ある女子高生の命を奪った重大な過失だって、工事会社が対応に追われてるってテレビで話してた!」

「その架空の工事会社を創りあげたのがケルビム様なのよ」

「すっげー!ケルビム様、超すっげー!」

「じゃあ、マスコミは存在しない会社に電話掛けたり、押しかけたりしてるって訳?超すごくなーい?」

「…本当に凄いな。上位天使様は何でもアリかよ」

 盛り上がるふたりを見て和宮が腕を組んだ。所在なげに立っていた菱村が歩き出してドアノブに手をかけた。

「では俺はこの辺りで失礼する。もうお前たちとは会うことはないと思う。達者でな」

「あ、おう」

「ちょっとキョータ、呼び止めちゃダメだって」

 近くに居たキョータと天音が声を掛けるのをためらうとドアを開けて菱村は取り付けの悪い手すりを握りながらそのまま階段を下りた。鹿子が食べ終わったロリポップの棒と袋に包んで足元のゴミ箱に投げ入れた。

「…なによアイツ。今生の別れみたいな顔して出てってさ」

「折角金づるになりそうな客だっただけに残念だったな」

「…あんたそれ本気で言ってんの?リザ、年上を使うようで悪いんだけど、コーヒーの粉取ってくれる?」

「俺の方が近い。俺が取ろう」

「…あっ!やっちまいましたねー間遠のダンナ!」

「もう、何やってんのよ!この馬鹿!機能不全者!……」


 菱村が階段を下り切る頃には4階の賑やかな声はほとんど途切れていた。1階で純喫茶を営む老夫婦が菱村の顔を見上げると彼は小さくお辞儀をしてその場から歩き出した。

 交差点を超えて河川敷へ向かう途中、菱村は左手の爪が黒く変色した中指に向かって声を掛けた。

「もう大丈夫、あいつらはもう居ない」

 優しく語り掛けるような菱村の声を聞くと目を覚ましたように中指がぐにょぐにょと動き始めて指が反転したように指紋が浮かび上がるとそれが女の子の顔になった。

「これでいつも一緒だ。シオン」


――リザに身体を切り刻まれた今際の際、シオンの中に住むティンダロスは右手に触れた菱村の身体を新たな媒体として取り憑こうと試みた。

 しかし転身には大きなエネルギーを使わねばならず、その上生命維持も困難なほどの大きなダメージを追っていた。一度は諦めて悪魔としての生涯を終えようとしたその時。

 菱村がシオンの手を強く握った。想い人であるシオンの人生を継承し、彼女の人生に意味があったと証明したい。彼もまた人間として生まれ、悪魔との共存を求めたそのひとりであった。


「俺は君を忘れない」


 潮風が混じる川沿いを歩きながら菱村は左手の背を右手の腹でいとおしげに撫でた。頑張ったんだな、シオン。今の俺は腹が減って仕方が無い。俺の悪魔としての人生はそう遠くない未来に終わりを告げるだろう。

 夕暮れが街を染め上げて宵闇が街に迫る頃、県境の河川敷の土手に一輪の青い花が揺れていた。




第十三話 完


       

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Neetsha