Neetel Inside ニートノベル
表紙

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 夜。
 空には月が浮かんでいる。
 大宮おおみや駅前の通りはいつも以上に人通りが多い。
 どうやらさいたまグレートアリーナでアイドルか何かのイベントがあったらしく視界を埋め尽くす群衆はその帰り道にあるようだった。
 まるでお祭り騒ぎ。人波が風に揺れるように畝って、身動きの自由を縄のように縛ってしまう。
 雑踏にもまれる。はぐれないようにと、佐奈の右手を強く握った。
「――この人混みじゃ、騒ぎがあっても、すぐにそうとはわからなさそうだな」
 SNSは細かにチェックしている。どこかで火事があったり、救急車が走っていたりという情報はいくらでも見つけられるが、どれも有益とは思えない。
 何か酷く無意味なことをしているように思えてならないが、白けた空気さえも賑やかな喧噪に染められてしまう。
 佐奈は俺の手を握り返し、
「大丈夫だよ」
 と、自信か何かに満ち足りたような顔をする。
「ねえ、堅悟くん。オカルトっていうのはね、疑似科学的な推論と――超自然的な直感に基づくものだと私は思ってるの」
「……相変わらず、言ってる意味がわからんな」
 歩くたびに誰かと肩がぶつかる。小柄な佐奈は少し息苦しそうにしながら、
「予感があるの。そのまま、鐘塚かねづか公園のほうまで行って」
「予感って」
 何じゃそりゃと鼻で笑い飛ばしそうになる。
 けれど、佐奈の偶然力――とでも言うべきか、先刻自身で口にした「直感」とやらは案外存外侮れない。
 思えばカイザーとの遭遇や、非正規英雄という未知なる存在になってしまった俺との再会。
 普通は幻想や空想で終わるオカルティズムの世界に、彼女は自分がそう求めるがままに、もはや片足を突っ込んでいるも同然なわけで。
 例えそれが本当に何の起因も意味も持たない偶発的な事象だったとしても。
 同じだ。寧ろ自分で幸運を呼び寄せるよりも――。
 そんな彼女が予感を覚えた? なんとなくそんな気がする? ……ああ、上等じゃないか。
 アリーナのイベントだけが原因とも思えない過剰な人混みを抜けて、鐘塚公園の広場にある笹かまチックなモニュメントの前まで移動する。
 酒に酔った陽気なサラリーマンの集団や、立ち話に興じる大学生カップル、誰かと待ち合わせでもしているのかスマホのバックライトを光らせながら俯く有象無象――。
 夜の気配ってやつは独特だ。朝より静かで、昼間よりもうるさく喚く。
 仮にここで殺人が起きるとすれば――間違いなくパニックが起きる。
 下手をすればそれだけでも怪我人どころか、死人だって出かねない。
「――それで」
 実際、どうなる。
 佐奈は疲れ切った様子だ。いつもより空気がぬるい。密室に閉じ込められたような閉塞感さえ覚える。
 巡回する警官の数も多い。それは事件の発生をかぎ付けてのことなのか。単にアリーナでのイベントによる混雑を想定してのことかもしれない。
 いつの間にか、額には汗がにじんでいた。
 悪魔と対峙した時のような内蔵がぴりつく緊張感。
 本当に今日、事件が起きるかどうかも分かりやしないってのに。
 まるで予定調和を待ち侘びるような。
「――――」
 思わず、空を仰いだ。
 狂気を呼ぶという満ち足りた――真円の月。
 眠ってもいないのに呼び起こされた五感は、派手やかで賑やかな喧噪の透き間を縫って届いた――名も知らぬ声を捉えた。
 それは多分。
 誰かが上げた腹の底からの悲鳴。
 男か女か。老人か子供かもわからない。
 佐奈も異変に気付いたのか、目が覚めたみたいに俯いていた顔を上げて、脇目も振らずに響めきさざめく人混みのなかへと突っ込んでいく。
「ばッ……」
 馬鹿野郎、と俺は叫んだ。
 危険だ。今すぐ戻れ、と。
 だけど、届かない。追った背中もすぐに喧噪のなかへと消え去って。
 やはり――何かがあったらしい。色めき立った声が徐々に動揺へと変わり、次第に恐慌状態へと陥っていく。
 我先にと逃げ出す大人たち。怒声。悲鳴。また悲鳴。
 俺はまるで目もくれない。
 親を見失い泣き喚く子供の姿にも、足をくじいて逃げ場を失った少女にも。
 どこを目指すべきかはすぐにわかった。
 鐘塚公園に隣接する交差点。車道だって不自然なくらいに渋滞していたっていうのに、そこだけ車が一台も見えない上に、人気も急に失せている。
 それに、血溜まりだ。
 明らかに致死量を超えた赤い水たまりが横断歩道の白線を塗りつぶしている。
 肌が粟立つのを感じた。これは寒気か。それとも吐き気か。
 血の持ち主が誰なのかはわからない。
 ただ一つ言えることはそこに――佐奈の姿はないってことで。
 魔王。
 そう呼ぶに相応しい足が竦むような覇気と。
 あたかも絶対防御を謳うかのような傷一つない鎧に身を包んだ――
 俺が知る限り最も強大で敵に回したくない悪魔。
 そいつだけが悠然と買い物帰りみたいな顔をして、その血溜まりの上に佇んでいた。
「……どうしてあんたがそこにいる? カイザー」
 問いながらも怖じ気づいている自分に気付く。
 対峙しているだけ。それでも全身から汗が噴き出して、心臓の鼓動が急加速する。
「さ、佐奈は――どこだ」後ずさりしてしまいそうになる。
 それでも勇気を振り絞って、
「……彼女は、どこにいる!」
 カイザーの鬼面がこちらを向いた。
 まるで銃口を向けられたかのような。
「お、俺は……事情を知りたいだけだ!」
 そう言いながら、俺は無意識にアーティファクトを顕現させていた。
「何があったか……言えよ」
 カイザーは何も答えない。
 木偶を相手にしているような空しさ。
 喉を潰す威圧感。
 だけど、俺は黙らない。
 再び腹に力を込めて、
「おい、何か……言ってくれよ、カイザー!」
「君には――」
「え」
 カイザーの姿が視界から消える。
 次に聞こえた声は、
「――何一つとして、為し得ない」
 背後から、耳許で囁かれた。
「う、わぁッ」
 転がるようにして、カイザーから距離を取る。
 心臓が体内で蛙のように跳ね回っている。
 剣を交えたわけでもないのに、直感する。
 戦いになれば――十中八九こちらが負ける。
 為す術もなく殺されてしまう。
 呼吸が浅い。視界が急に狭くなる。
「く、くそッ! なんだってんだよ!」
 弱気な自分に腹が立つ。
 いや、弱気というか。
 戦う力は確かにある。今も捨てずにこの身体に残しているのに。
 わかるのは、本能が理解するのは、目の前に立ちふさがる強敵との、当たり前すぎる力関係だけ。
 俺自身が行動して現状や未来の何かを変化させることは到底出来ないって。
 そう認めてしまっていることが、悲しくて、悔しくて。
 カイザーが歩み寄ってくる。
「君は、英雄にも、悪魔にもなれない。……なのに、普通の人間すらない」
 ――中途半端な奴だ。
 カイザーが仮面の下で不敵に笑う。
「黙れ……。俺はッ」
「そんな君には、凄惨な結末も、滑稽なばかりの終焉も、栄光に満ちた結実さえも似合わない」
 まばたきをした。
 その瞬間に、カイザーは至近距離まで間合いを詰めて、俺を冷たく見下ろしていた。
「ただ、死ね。なんの意味もなく死ね。それが、君が君であるということなんだ」
「そんなこと――」
 わかっている、と。
 ない、と。
 それぞれの言葉が同時に頭の中でこだました。
 歯ぎしりを鳴らす。耳鳴りを散らす。
 張り裂けそうな胸を、右手の力で握りつぶす。
「――堅悟様、聞いていますか? 石動堅悟様」
「翼、ちゃん?」
 ハッとする。
 まるで夢でも見ていたみたいに、俺は非正規英雄になるまで暮らしていたボロアパートのボロ部屋に立ち尽くしていた。
「あれ、……俺は」
 何を、していた?
 今、何をしている?
 その答えを翼ちゃんに求めようとするが、
「堅悟様、私は……あなたの力によって、天界との繋がりが断たれてしまいました。もはや天の使いを名乗るわけにもいかない。それなら私は、一体何者なのでしょうか。宙ぶらりんの、確かさの何もない存在。まるで」
 ――あなたみたいですね。
 翼ちゃんが嗤う。
「な、なんだよ……」
 俺を、憎んでいるのか。
 首輪をつけられた――安穏たる世界から。
 自由という呪縛を科したこの俺を、恨んでいるのだろうか。
 とんとん、と肩を叩かれ振り返ると――そこに広がった、いつか俺も参加した、さいたまグレートアリーナの惨劇。
「ねえ、アンタ、邪魔だよ。戦わないならさ、どっか余所行ってくんないかな」
 あの時いた、金髪ポニテの――鹿子とか言ったっけ。
「私らだって全部納得してコミュニティに属してるわけじゃない。だからって他人と関わることは媚売ってへらへらしてるってことと同義ってわけでもないんだ。いつだって不満や不安と戦って、それでも前向きに生きてるんだよ。一匹狼が気取りたいなら、餌も獲れず飢えて死ねばいいんだ」
「俺は、別に……そんなつもりは!」
「手は、差し伸べた」
 間遠和宮。
 新火駅の駅前広場。
 俺が見殺しにした人々が呻き声を上げながら、俺の脚にすがりついてくる。
「貴様は考えたふりをして、結局は逃げただけだ。……英雄はミスマッチだったと? 悪魔の社風は自分に合わんと? そんなもの、どこに行ったって同じさ。結局、世界を見ているのは、貴様という人間を演じているのは――他ならぬ貴様自身なんだからな」
「そんなこと、……わかってんだよ! 偉そうに説教垂れてんじゃねえ!」
「結局、あなたには居場所がないんでしょ、石動堅悟」
 旧マジックミラー号を背にしたリザが、同情するような眼差しを俺に向ける。
「違う。俺を受け入れてくれるって人だって――」
「残念だけど、所詮はアルバイトだよ。君よりも優れた人材なんていくらでもいるし、僕はもっと……揺るぎない向上心を持った人と、一緒に働きたいなぁ」
「阿武さん……。でも、俺――」
 また、世界が変わる。
 ここは、どこだ。
 真っ白な世界。
 空白。
 俺と同じ、空っぽの世界だ。
 いよいよ、聞こえてくる声も、何者でもない機械音声みたいな無機質に変わって。
「変わらないんじゃない。変われないわけでもない。ただ変えようとしないだけ。そう自覚しているくせに、自分はそういう人間だからと言い訳して、腐り続けることに一種の快楽さえ覚えている。人間のクズだな、お前」
 人間のクズ。
「――はは」
 そんなこと。
 わかってるさ。
 しかも、クズはクズでも、特別汚れているわけでもなければ、磨けば光るかもしれない石ころってわけでもない。ありきたりで有り触れた――無数に投棄された粗大ゴミのひとつでしかない。
 悲しいくらいに無価値なんだ。
 俺って一体なんなんだ?
 生きてる意味とか何かあるのか?
 多分、ないよな。俺がいなくたって世界は回る。多分それすらもこの世界では当たり前のことだ。
 だけど、世界どころか俺以外の誰かの日常を変える力すら、俺の死にはないのだろう。
 本質的に、無意味だから。
 つまりは空虚なんだ。
 俺が俺であること。
 俺が俺であるために。
 出来ることは。
 ただ、死ぬこと?
 何の起伏も理由もなく何の意味すら示さずに。
 消えていくことなのか?
 俺は――俺を。

「それは違うよ!」

 ぴし、と。
 ひびが入る。
 ……何に?
 わからない。
 それは不意に。
「――堅悟くんは、クズなんかじゃない!」
 空虚のなかに生まれた。
 有限。
「たとえ誰かのために生きられなくたって」どん、と世界が揺れる。「誰かに独りでいることを望まれちゃったって」がん、と世界が大きく揺れて、「それでも堅悟くんは自分だけのために生きられる」ずん、と世界が三度も揺らされ、「強い心を――持った人間なんだ!」
 声が響いた。
「……佐奈?」
 そこなのかどこなのか。
 俺は無意識に空を仰ぐ。
 まるで自らの守護天使を求めるように視線は彷徨さまよい。
「俺は、……どこにいるんだ」
 そんな、当然の問いを今更見つけ。
「佐奈、……お前は、どこにいるんだ?」
 彼女を……守る。
 そう自分で決めた使命をただ思い出し。
「堅悟くん、さっさと――現実こっちに戻ってこい!」
 自らの首を切り落としかけたエクスカリバーを、利き手のなかで静かに消して。
「……そっか」
 と悲しく笑う。
 そうだ、これは現実じゃない。
 俺がすべて享受し、まっすぐに受け止めるべき全部じゃない。
 確かに、奴らの語った言葉は、俺の弱さ。それも現実。目を背けたくなるどうしようもない真実だ。
 だけど、弱さを晒すことが、イコール現実と向き合うって話にはならないはずだ。
 受け入れて、打ちのめされて、ただ傷つくことが強さにはならない。
 俺が本当に向き合うべきは。
 俺が本当に乗り越えるべきは。
 今すぐにでも断ち切るべき現実は。
「――この、世界。てめぇが見せた、このくだらねぇ幻想だ!」
 再び顕現させた栄光の聖剣を、天に掲げるように振り上げると。
 俺を操り、支配しようとしていた悪意の線を、なぎ払うように一刀両断した。


「ぷ、――は、ぁッ!」
 まるで、長い間水のなかに潜っていたかのように、酸素を求めてのたうち回る。
 ここは――どこだ。
 頭上に仰いだ穴隙は広く深く闇夜を湛え、林立するビル群はいつも見るそれよりもいくらか背が低い。灯りが下方から照らしていることから、この場所がどこかのビルの――屋上であることが推測できた。
 蹌踉よろめきながら立ち上がった俺の身体を誰かがそっと支えてくれる。
「……さ、佐奈っ」
 傷一つない彼女の姿を見て、緊張の糸が切れそうになる。
 しかし、まだ終わっていない。
 個人的にはさっさと帰ってひとっ風呂浴びたい気分だったが。
 騒音をまき散らす室外機の上。そこにふてぶてしく腰を下ろす学ラン姿の青年をめ付ける。
「……いつからだ」
 誰何よりも先に、俺は問う。
 青年は――あはは、とどこかわざとらしく笑い転げ、
「さて。いつからだと思う?」
 挑戦的な眼差し。
 振ったさいの行方を眺めるような。
 観察的で虚無的な。
「うーん。まあ、まさかあっちから戻ってこられるとは思ってなかったよ。もうちょっとで自死に追い込めそうだったのに。……それは、お兄さんのアーティファクトのおかげ? それとも、そっちの女の子の力なのかな」
「……そうじゃ、ねえよ」
「うん?」
「そんな話、してねぇって言ってんだ。いつからってのは、……いつからこんなこと――続けてるんだって話だよ。――非正規英雄の分際で、人殺しが趣味だってか?」
「――え」と声を上げたのは佐奈だ。
「能力は幻覚、か。連続殺人とやらで目撃者の証言が食い違っていたのも、てめぇのアーティファクトの力ってわけだ。そう考えると、今俺が見ているてめぇのその姿も本物かどうか疑わしくもあるが――あの頭の固い天使どもがそんな暴走を許すとも思えねえ。担当天使は……一体どこに行った」
「…………さあね、今頃夢でも見てるんじゃないのかな。もう一年以上会ってないし、……うーん。僕にはわかんないや」
「ちっ……馬鹿バイトが」
「なんでそうやって怒るのかなあ。……僕らの知らないところで、何百何万って命がさ、特に深い理由や意味もなく失われていってるっていうのに、日夜悪魔どもと戦って――世界平和に寄与している僕らが、その辺の無意味な人生を送ってるクズどもの一人やふたり殺したくらいでバチなんて当たらないし、世界は何も変わらないだろ?」
 そんなことない――とは言えなかった。
 俺も、似たようなことを考えている。
 少なくとも俺は失われていく助けられたはずの命を見殺しにした。
「な、なんで……堅悟くんを狙ったの」
 佐奈が俺の背中に隠れながら問うと、
「別に深い理由なんてないよ。ただ後で邪魔されるくらいなら先にこっちから潰してやろうと思ったくらいのことで……まあ、生き残れたんだからいいじゃんか、その辺のことはさ」
 もう敵意はない。
 迷路脱出おめでとう。
 ……そんなことを言いたげな表情。
 英雄たる資質って、結局マジでなんなんだ。
 入り組んでいる。
 そう在るから人を殺す悪魔どものほうがよっぽど単純でわかりやすい。
 いや、今はそんなどうでもいいことよりも。
「わかってると思うが、人殺し。……てめぇは今すぐブタ箱行きだ。抵抗するなら俺が裁く。殺してやるよ。有象無象どもが意味なく死ぬのと同じように、戦いのなかで英雄が死ぬことだってよくある光景だもんな」
 確かに、と青年は頷く。
「でもさ、何のために僕と戦うの? 石動堅悟さん」
「頭ん中を覗いたのか?」
「違うよ。僕には幻覚を見せる能力しかない。そっちの子が堅悟くん堅悟くんうるさいから、もしかしたらと思ってさ。……だけど、その反応。やっぱりそうなんだ」
 佐奈が申し訳なさそうな顔をする。
「石動さんはさ、カイザーと戦って死んだってことになってるよね。わざわざそんな作り話を用意したくらいだ。よっぽど傭兵生活が嫌だったんだろうけど、どうして今もその剣を手放さないでいるの? 戦いたいの? それとも身を守る力を失うのが怖いだけ? 単に他の人間たちに対して優越感を覚えたいだけなのかな」
 理解不能だよ、と奴は俺の何かを揺らそうとする。
 確かに揺れる。
 それは今も揺れている。
 だけど――。
 どうしてって。
 その単純な問いに対する答えは。
 それは――。
 まだ道の途中。
 明確な目的地すらない道すがらの言葉ではあるが。
 俺は、
「何物にも属さないからだ」
 と。
 そう言える。
 それらしく形作ってはき出せる。
「意味がわからないね」青年は苦笑いを浮かべる。
 わからないか?
 それも当然かもしれない。
 だって、
「俺は……、正しさのために生きていない。だけど人間ってやつは、それが善でも悪でも、正しさのなかでしか生きていけない生き物なんだ。その点、俺は――矛盾している。それは共感されない感情だし、迎合できない俺の弱さなんだ。だから今も……俺は独りなんだ」
 そんな呆れるくらいの空論を、机上に書き散らしたみたいに。
「……だから、わかんないって」青年から表情が消えた。
「これは、俺のための戦いだってことさ」俺は力なく笑った。
 青年が舌打ちを鳴らす。
 現出したアーティファクトは全身を包むシェルターにも似た巨大な盾。
 それも構わず――俺はエクスカリバーを解き放った。




「結局、原稿は没になったのか?」
 近所の喫茶店。テーブルと一体化するように項垂れた佐奈は、嗄れた声でそう、と呟く。
「……結局犯人、逃げちゃったし。……犯人が英雄だったとなると、警察発表で犯人逮捕っていう結末は望めないし……。幻覚の理由にしても、堅悟くんたちの存在ってどっちかっていうとファンタジーだし……。それはそれでありなんだけど、思ったよりも筆があんまり乗らなくて……。なんか、だめだったぽい」
 そのまま溶けてなくなってしまいそうな程ぐずぐずのゲル状になり始める。
 慰めの言葉を知らない俺は、苦いばかりのアメリカンコーヒーを一息に飲み干し、
「わかんないのはさ」と。「結局、三人目の犠牲者は出なかったわけだが、そもそも犯人は本当にあいつだったのかってことだ」
「なぞ。わかんにゃい」佐奈が呟く。
「それに、あいつの犯行周期が本当にお前が推測してた通り、月の満ち欠けに関係してたのかね」
「……それこそ、永遠の謎……だよぉ。堅悟くんが第三の犠牲者になってたら、間違いないって断言できてたけどさぁ」
 涙ぐむ佐奈に、俺は前髪をいじりながら、
「それなら、死んどけばよかったかな、俺」
 拗ねたように言ってみると。
「んーん」
 ずずず、と鼻をすすりながら、ぬるりと身体を起こして首を振る。
「堅悟くんが、無事でよかった」
 そう言って、にっこりと笑った。



第十四話 完

       

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Neetsha