Neetel Inside ニートノベル
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「ていうかおい!『混沌』!」

 白いフードマントをばさりと翻して、マーリンが人差し指を立てて黒い不定形の汚泥のようなそれを指し叫ぶ。
「…何か?」
 とある神話体系からの名を冠するバハムートの側近、這い寄る混沌ことニャルラトホテプがくぐもった声色で応じる。
「何かじゃないだろ!バハムートとハスターの説得はどうしたんだ!君が説得を担当するってカイザーから聞いてたんだけど!」
 こぽりごぼりと音を立てながら黒色の人型になったニャルラトホテプの、その口元にあたる部分が横一文字に開き、
「駄目だった」
「この役立たずぅ!」
 バハムート含む過激派三名による一斉掃射を器用な体捌きで回避しつつ、マーリンは配下の二人に指示を飛ばす。
「クトゥルフ、クトゥグア!『混沌』と『黄衣おうい』の遊び相手になってあげなさい!僕とカイザーはあの脳筋覇王とお話があるから!」
「あはははっ、わっかりましたぁ!!行こうセバス!?」
「御意に」
 水と火の悪魔が同時に動き、過激派を両側から挟撃する。生物のようにうねる水流と火炎が左右に迫る中、黒い塊と黄の衣の悪魔は確認を取るように水の椅子に座す主へそれぞれ視線を寄越す。
「…許す。邪魔なアレらを引き離せ」
 装甲竜鬼の許可の直後、今度こそ半壊した工場を粉々に吹き飛ばす衝撃が吹き荒れる。水が泡立ち蒸発、火炎が呑み込まれ蒸気が渦と化す。
 ぶわりと湿度の高い温風が白煙と共に巻き上がり、その内側から数度の打ち合いと狂気と悦楽に満ちた奇声が響き渡るのも僅かの間。白煙が晴れる頃にはその場には四体の悪魔が姿を消していた。主達の邪魔をさせぬ為に場所を移したのだろう。
「マーリン、少し下がっていろ。私が話しを通す」
 そうして戻った静寂を善しとして、カイザーが鞘に指を這わせたまま一歩前に出る。マーリンは唯一仮面に覆われていない露出した口元を指先で掻きながら警戒を維持しつつ訊ねる。
「大丈夫かい?あれ、毎度の如く話し合いする気皆無だけど」
「説得が通じなかった以上、止む無しだ」
 鬼面の下で自嘲気味に笑み、カイザーは同種の装甲を宿す相手に足るだけの殺意を身に纏う。
 立ちぼうけでの会話など、端から成立するとは思っていない。装甲三柱、揃う時はいつもそうだった。
 歩み出るカイザー。二歩、三歩で声を発す。
「バハムートよ」
 先に射程圏内に手が伸びるのは蒼海の覇王。集う水流が四周を囲う。

 この三名、特にカイザーとバハムートが対峙する時、『話し合い』が始まる時、
 その近傍の地図は書き換える必要が出て来る。

「私の計画に耳を貸せ」
 直上から巨大な水の槍、貫くというよりは押し潰すに近いその質量を神速の居合で両断し距離を詰めるべくしてさらなる一歩を踏み込んだ。

「賢人の勢力を取り込み尚、俺を取り込む必要がある計画。成程確かに興味はある」

 地面を抉る水刃を跳躍で躱し、空中のカイザーを全周に配置された水の直刀が襲う。

「『神殺し』の次に、貴様が何を企んでいるのかも、知りたくないと言えば虚偽となろう」

 抜き身の刀を振るい、空中で身を捻り繰り出される剣戟の余波で工場の残骸や朽ちた建物を粉微塵に打ち砕いていく。

「殺してはいない。厳密には封じただけだ。天界に引き籠っている分には神とやらはほぼ何も出来ないし、精々が己が力を眷属に分け与える程度のこと。だからこそ天界側は非正規英雄などという面倒なシステムで我々の阻害に身を粉にしているわけだ」

 一滴すら残さず消失させる太刀の斬撃に、大気から掻き集めた水分がついに底を尽く。腰を上げ、掛けていた椅子から自前の水を使わざるを得なくなったことにバハムートは若干の苛立ちを覚える。
 着地したカイザーの肉迫に怯む様子を見せず、高圧縮されていた水は椅子からその無骨な手の内で巨大な大剣の形を成す。
 瞬間の空隙を埋める刃の切っ先。片手持ちのカイザーに対抗するように右手のみで握る大剣の峰で受け切ったバハムートの竜面が不吉に歪んだ。ように見えた。

「貴様の功績は大したものだ、武人カイザー。かつて最強の英雄と謳われたあの男とその一派に同盟を持ち掛けた神討じんとう大戦。結果として神は地上への干渉を極度に抑え込まれ、我々に大きく優勢な状況を生み出した」
「犠牲も大きかったがな。お前達がもっと協力的であれば事はより容易に済んだはずだったが」

 会話の合間に差し込まれる斬撃の応酬を眺めながら、「耳が痛いなぁ」とすっ呆けて明後日の方を向くマーリンに両者は視線すら向けない。

「気に喰わんのはそこよカイザー。それだけの武功がありながらにして唯の一人も配下を持たぬ貴様は奇怪を越して薄気味悪さすら覚える。…ああ気が変わった、戯言に耳を傾けてみるのもまた一興よな」
「それは重畳。であるならばよく聞けバハムート。私の目的は悪魔と英雄達との戦いの終結。ひいては神と邪神にこの世界から手を引かせることにある」

 気を抜けば瞬きの間に四肢が捥がれそうな衝撃を互いに感じ取りながら、それでも他愛ない世間話をするように本題は進む。

「そも、私は悪魔側に与しているが故に神を打ち倒す戦いを仕掛けた…
「だろうな。貴様は前から妄言の類を吐くのが得意な男だった。曰く、『人間による人間が導く人間の統べる世界』だったか。天も魔も、介在する余地の無い世界」

 大振りの大剣を上半身を落として避け、胴体を狙う横一閃の斬撃を甲冑の右脚が蹴り弾く。
 一撃一発が致命の攻防。彼らの生み出す暴風は最早鎌鼬のそれに近い切断性すら獲得していた。
 近付くことすら不可能な、装甲の悪魔達が視線で射殺すように互いを睨め付ける。

「双方の状況を理解した時、先手を打てる立場にあるのは天界側だった。必然、潰すべきは人の世に干渉を及ぼそうとする危険の高い方。だから天の神を討った」
「もし、先に力を蓄えていたのが悪魔側こちらだったとしたら発生したのは『邪神殺し』であったというわけか」
「名答」

 速度と手数に勝る細身銀刀のカイザーに対し、バハムートは威力に勝る大剣重撃を支援する水の砲撃を兼ね合わせて拮抗していた。刀と剣が刃を叩きつけ鎬を削る。
 目と鼻の先で自らの獲物を押し付け合う鬼面と竜面の眼光が交差する。

「そして時は来た。次は我らが悪魔を支配する邪神を屠る。人の世に現出するにはまだ力が足りない。人間の命を魔の贄に足らすには未だ数も質も及ばないからな」
「非正規英雄を百や二百殺して捧げたところで足りぬというのだから、その言は正しい。邪神の現界は到底先の話よ」

 邪神の配下である悪魔達は人間の生命力を人外の力に変換する為に殺戮を繰り返している。だが、膨大な力を持つ神を人の世に降ろすにはあまりにも得られる力が少なすぎる。
 それは通常の人間の約五十倍の魔力を秘めているとされる非正規英雄を贄としたところで微々たる差異しか生まれぬほどに。
 だから、言ってしまえばカイザーの計画にはまだ余裕がある。さほど切羽詰まった状況であるとは言えない。それを理解しているから、バハムートは怪訝に面の下で眉を顰める。
 此度の装甲三柱会合は何か妙がある。

「何を急いている、カイザー。貴様は何に駆られている。俺には貴様の狙いが見えん」
「急いてはいない。ただ、言ったろうバハムート。時は来たのだ」

 カイザーの背後を狙う水の飛刃を、鍔迫り合いを放棄して横っ飛びに回避して再び距離を取る。
 トスッと銀刀を地面に突き立て、柄に手を乗せたカイザーの声色は穏やかだ。まるで、長年待ち侘びた何かを受け入れるように、その雰囲気には安堵すら見て取れた。

「我ら悪魔が殺した人間の生命は、纏う邪悪武装オーパーツを伝い大元たる邪神の核へ集う。大樹が根から水分や栄養を吸い上げ成長するようにな。このシステム自体は天神も利用しているものだ。ただしこちらは大樹から根たる英雄達へと栄養ちからを与える真逆のそれだが」

 今更何を語るかと、構えを解いたカイザーへ渾身の一撃を見舞うべく大剣を強く握り締めるバハムート。
 その巨躯を、突如として隆起した地面が触手のように絡め取った。
 多少の疑問はあったが、驚愕に至るほどのものではない。この戦法に覚えがあったからだ。魔術じみた奇妙な力を振るう悪魔。装甲三柱の一角にして賢人、装甲魔鬼マーリンの放った術がバハムートの自由を縛る。
(いつの間に…)
 バハムート自身に気付かれず遠隔から操作した術式で束縛されるなど、よほどの油断や隙を突かれなければありえない。あらかじめ設置していたと考えるのが妥当だが、だとしたらそれこそいつの間にやら。
 思考して、思い当る。

『駄目だった』
『この役立たずぅ!』
 バハムート含む過激派三名による一斉掃射を器用な体捌きで回避しつつ―――、

(あれか。避けつつ束縛の術式を設置…相変わらず苛立たしい小細工をしてくれる)
 怒りに歪む表情は仮面に覆われ見えないが、向けられた怒気は感じたらしい。工場の瓦礫に腰掛けていたマーリンが白々しい笑顔でひらりと片手を振った。
「人の世に現界するのを待つ必要はない、強大な力を持つ邪神をわざわざ大戦力で迎え撃つ必要も無い。現界に必要なエネルギーを根元から断てば済む話だ。それで邪神は幻想のままで魔界に引っ込まざるを得なくなる。今現在の天神と同様にな」
 初めから示し合わせていたのか、マーリンの援護に満足そうに頷いたカイザーが語りを続ける。
「天神は天使という存在を介して人間に干渉を及ぼし非正規英雄とする。いわば神は鎖で繋いだ下位天使を使ってさらに人間との回路パスを繋ぐのさ。邪神はそんな手間暇掛けずとも直接人間との間に契約を繋げられるが…無数に伸ばされた根は邪神の核に直結されている。これを狙い、断ち切る」
 引き抜いた刀を縦に振り、何かを斬り捨てる真似事をして見せる。それにバハムートは呵々と小馬鹿にするような笑い声を上げた。
「何を言うかと思えば!悪魔と邪神の間にある回路を、契約を断つだと?焼きが回ったかカイザー!俺の大剣を以てしても、貴様の刀と技量で挑んだとしても!そんな目に見えぬ概念を斬り捨てられるわけがなかろうがッ!!」
「出来る」
 身を締め付ける土の束縛に亀裂が走り、マーリンが慌てた様子でカイザーのもとまで駆け寄る中で、確固たる語調で鬼面の彼は断ずる。
 自信ではない。その断言の根元にあるのは前例を見たことがあるからこその確信。

 それはかつて天使の首輪を断ち切った聖剣。
 それはかつての戦友のように天界を見限った英雄。
 それはかつて肩を並べ戦った者と同じ本質。

「彼なら出来る。石動堅悟なら、彼の聖剣なら、彼の意志ならば。それを成せる」
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 これを以て、天と魔の干渉を完全に人世から排除する。

「だから今しかないのだ、今がその時なのだバハムート。力を貸せ。二度目の神討大戦だ」

       

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