Neetel Inside ニートノベル
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「うーん、うーん……」

 事務所内には佐奈の唸り声、他には重苦しい沈黙が三人分。
「うーん。何か無いかなぁ、面白いオカルト。ねー堅悟くん」
「…あぁ」
「阿武さぁん。もちょっとハードル下げてもよくないですか?このままじゃ掲載できるネタひとっつも無いまま締め切り来ちゃいますよ」
「…そうだねぇ」
「うだぁーぜんぜん出てこないっ。あ、翼ちゃん。お茶ちょーだい」
「…はい。ただいま」
 一人喧しく声を張り上げる佐奈に応じるそれぞれの声色も何やら薄暗い。
 その理由は皆共通していた。唯一、佐奈にだけはわかり得ないそれ。
 目には見えない、耳にも届かない。しかし感じるのは悪魔の鳴動。しかも相当強大な力の衝突。
 現役英雄の堅悟、それに魔力のみを今尚保有し続けている元英雄の阿武熊。そして元天使の翼。三名はその肌に突き刺さるような殺意と敵意の応酬を確認していた。かなり遠方だが、この力の持ち主には微かな覚えがあった。
 装甲悪鬼カ イ ザ ー
 あの猛者に匹敵する存在が、彼と交戦している。それにその周囲にもいくつかの悪魔の気配。これらもどうやら戦いの最中であるらしい。
(悪魔同士で仲間割れ?俺が言うのもなんだが、あんた何やってんだカイザー)
 ギシリと古錆びた椅子の背もたれを軋ませて天井を仰ぐ。
 横目で佐奈に茶を手渡す翼をちらと見れば、そのいつも通りのように映る無表情にも僅かな緊張が滲んでいた。阿武に関しては開いた新聞を握る両手が震えている。あの様子では落とした視線の先にある新聞の内容もまともに頭に入ってはいなかろう。
 このままでは空気が重い以上に気持ちが悪い。あまり厄介事と分かり切っている事に首を突っ込むような真似はしたくないが、様子を見るくらいなら問題ない。
「ちょっと、外でネタ探しして来まっす」
「あっ、ならなら私も」
「お前はそこで唸ってろ。邪魔だ」
 言葉半ばで遮り、視線で佐奈を椅子に射止める。いつもであればこんな程度で引っ込む彼女ではなかったが、今回ばかりは堅悟の身が竦むような低く冷えた声に無理矢理体を押さえ込まれてしまう。
「…阿武さん、ここは頼んだ」
「堅悟君。出過ぎた真似は…」
「わかってますよ。何もしません」
 相手が関わって来ない分には。
 そう心中でのみ続けて、事務所の出入り口へ向かう。その途中、茶を乗せていた盆を胸元に抱えて堅悟の顔を見上げる翼の肩をポンと叩き、耳元に口を寄せ、
「何かあれば二人を連れてすぐ逃げろ翼ちゃん。天界の制約を断ち切った今のあんたなら、それくらいの力はあるよな?」
「あります。…ありますが、ですが。私は貴方を…、貴方、と…」
 堅悟の横顔を間近に捉えながら戸惑い淀む言葉を聞く。
 その内に含まれるのは怯えと恐れ。石動堅悟という精神的支柱の無事を願う心。願うからこそ引き留めねばという思考が駄々漏れとなって伝わって来る。
 随分と人間らしく感情を見せるようになったものだ。これが弱みの露見であると同時に、堕天者となった彼女にとっての新たな開拓の兆しだと信じることにした。
「心配すんな。阿武さんに言った通り、何かするわけじゃない。様子を見て来るだけだ」
 ゆっくり安心させるように言葉を紡ぎ、曇りの無い笑みを見せる。まだ何か言いたげだった翼の横を通り過ぎ、事務所から外へ出る。
 寂れた三文オカルト雑誌の事務所は、やはり人気の無い灰色の建物の中に埋もれるようにして建っている。周辺の建物にも人の気配はほとんどありはしない。のんびりと、両手をポケットに突っ込んだまま歩き始める。
 強大な気配のぶつかり合いが発生している、その場所の真逆へと当ても無く。
 大口開けて欠伸をしながらしばらく歩くと、雑木林に出くわした。アスファルトとコンクリートで埋め尽くされた街の中で、拓かれ忘れた隙間のようにぽつねんと存在する林の中へ潜り込む。
 日の光をまばらにする林の中心まで来て、立ち止まる。
「仲間割れ連中のこともそうだけど、こっちもこっちで気になってたんだよなあ」
 阿武熊は大きすぎる気配の側に気圧されて、翼はおそらく堕天者となったことで天使だった頃の鋭敏な感覚が鈍ったか。
 結局、『ヤツら』の方にも気付いていたのは堅悟一人だった。
「わざわざ場所を移させてしまいまして。申し訳ありません」
 堅悟の睨む先の木陰から、一人の青年が現れる。その顔、いつかのバーで見たそれに相違ない。
「クロちゃん、とか呼ばれてたよな?」
「ええ。黒崎と申します。石動堅悟さん」
 悪魔に勧誘された日のことが、思い返せば遠い昔のことのように思えた。
 その男はバーの店長をやっていた悪魔。勢力としては『反逆軍リべルス』とかいう名で活動していたはず。
「しばらくお探ししておりました。返答を、頂きたく」
 何の、とは訊き返さなかった。勧誘の件以外でこの悪魔との接点などないのだから、その話をおいて他にありはしない。
 だから端的に返す。
「お断りだ。非正規英雄はロクでもねぇ連中揃いだが、それに関しちゃお前ら悪魔も引けを取らないしな。俺はもうしばらく面白味の無い三文記事でも書き殴っていることにした」
「そうですか。そうでしょうね、カイザー様のお気に入りであれば、そうでなくては」
 嘲笑うように口元を横に引き延ばす黒崎の言葉にぴく、と眉が跳ね上がる。
「俺を誘った本当の理由は、それか」
「最初は違いましたよ、ただの戦力増強のつもりでした。ですが調べてみれば、あなたはかの『神殺し』、装甲悪鬼の切り札というではないですか。これほど貴重な存在、手に入れずしてなんとしましょうか」
「なんの話か知らんけど、期待外れだからやめとけやめとけ。俺一人の為に何人の悪魔を連れてきやがったテメェ。どんだけご執心だよ」
 正面の黒崎の隣には、地面から這い上がる不気味な流動体。それはやがて人型になり、衣服を生み出し、手足と顔が浮かび上がってくる。
 これもバーで見覚えがある。黒髪ソバージュの女、顔面に酒を浴びせてくれた『姉さん』と呼ばれる悪魔。
 背後にも気配が二つ。男と女だがこちらは知らない。反逆軍の新手か。
「念には念を、というやつでして。勧誘に応じないのであればせめて殺しておかないと、あの装甲悪鬼が次にあなたと何を仕出かすか分かったものではないですから、ね!」
 跳ねる語尾と共に変貌する黒崎。メキメキとこめかみから二本の角が生え、肌が真っ青に変色していく。
「!」
 悠長に変身シーンをお披露目してくれている黒崎を無視し、手元に召喚したエクスカリバーを片手で思い切り投げ飛ばす。狙いは黒崎、の隣。
「チィッ!」
 真っ先に狙われるとは思っていなかったのか、額目掛けて飛来する聖剣の刃に咄嗟に上半身を前に倒した女の判断は正しかった。既に『絶対切断』は発動している。もし防御を選んでいれば即死は免れなかっただろう。
 しかし、それでも。
(避け方は悪手だったな)
 活歩で潜り込む懐、限りなく低く入った頭の上に流動体から人型へ変化した悪魔の顔面があった。
 震脚が土を抉り衝撃を体内へ伝えて行く。足先から巡り巡った力は腰の捻転を通し倍増、さらに持ち上げた右拳へと集約される。
 一点集中、一打必倒。
 ロケットのように打ち上げられた右腕が不恰好な絶技を繰り出す。
 スパァン!!
 小気味良い音と共に黒髪の女の頭部が粉々の肉片と散った。
 鮮やかに叩き込まれるは八大招・立地通天炮。悪魔だろうが関係ない。これは確約された死を告げる砲声。
 …の、はずだったが。
(手応えが軽過ぎる。悪手だったのはこっちの方か…!)
 飛び散った肉片は中空で留まり、グロテスクな断面を晒す千切れた首へと再度集まり始める。どうやら最初に見た姿通り、流動体の悪魔に打撃は通用しないようだ。
 復活する前におまけで胴体に鉄山靠てっざんこうをお見舞いするがどうにも粘土を叩いたような鈍い感覚が返って来る。舌打ち一つ、吹き飛んだ女の真横を走り抜けて落ちていた聖剣を回収する。とりあえず、包囲されていた状況からは脱却した。

「非正規英雄」
「その肉、さぞ、」
「美味かろうなァ…!?」

「あん?」
 顔を上げて応じると、名も知らぬ男の悪魔は一つの口から三つの声を同時に放っていた。二つの眼球もギョロギョロとそれぞれ主導権を争うようにあっちこっちへ行ったり来たり。
 いかにも異常者じみた行動だったが、次の瞬間にはそんなことすらどうでもよくなる。
 バガリと頭が三つに割れ、ドス黒い毛が生え始める。分かれた三つの頭部はそれぞれ獣の顔を形作り、四肢は鋭利な爪と黒毛に包まれる。
「食わせろ、喰わせろ、クワセロ!!」
「その肉、その臓腑、そノ脳漿!!」
「千切って砕いて裂いて舐メて啜ッて喰らう喰ラぅクらう喰ゥァわセろォぉおおおあああ!!」
 異形たるやその姿、三つ首の走狗。
「「「グゥアアアアアアアアアア!!!」」」
「…ケルベロスか!ってことはあっちの方は」
 黒狗の咆哮にぞっとしつつも、堅悟は残る最後の悪魔を見やる。既に変身は終えていた。
 巨大な一対の白翼と対照的な黒の表皮。翼の大蛇が雑木林の狭い空に浮かんでいる。
 ツィルニトラ。
「大歓迎ってか。嬉しすぎて涙も引っ込むなコイツぁよ!!」
 聖剣を振り被り、左手の指に嵌まる指輪に意識を向ける。老師に教えられた心得を、武術を体現する。
 青い肌の羊角。
 首の繋がった流動体。
 空を舞う大蛇。
 地を裂く黒狗。
 久しい戦闘と、もはや慣れた窮地。石動堅悟の戦いはいつだってこの死線にあった。
 そのことをふと思い出し、堅悟は何故だか無性に抑えられない感情に素直に笑んだ。



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「リべルスが動いてるなぁ」
 空を見上げ、ぼそりと呟く賢人に、武人は命じる。
「行けマーリン。お前の部下はまだお遊びの最中。手空きはお前だけだ」
 カイザーの全身には幾筋もの裂傷が赤く装甲を染めている。それは対峙する蒼甲冑の巨漢も同様であった。
 こちらも二人ほどではなくとも軽傷の中で純白のフードマントの所々が鮮血の跡を滲ませているマーリンが露骨に嫌そうな声を上げる。
「ええ、僕ぅ?」
「それとも代わるか?私が行くから、バハムートはお前が押さえろ」
「よっしゃ石動くん助けるぞぉ!今の僕はやる気マックスだからねぇ!!」
「待てマーリン」
 両腕を高く上げて背を向けたマーリンを呼び止める厳つい声に、びくりと肩を弾ませてギギと首だけ振り返る。
「な、何か?バハムート」
「…貴様がカイザーに与する理由、まだ訊いていなかったな」
 水の大剣を携えて、竜面の悪魔が賢者の仮面を見据える。三柱の中で一番の曲者と認めるその賢人は、問いに対しにへらと笑って、
「言わなきゃわからないかい?長い付き合いなのに。…カイザーのやることの方が面白そうだからに決まってるさ。『神殺し』に加え『邪神封じ』の二冠達成とか見たくない?」
「興味無い」
 一蹴にしたバハムートに「あっそ」とだけ返して、マーリンはやれやれと首を左右に振るった。
「でも僕はいつだって面白い方に加担するよ。『邪神の復活を待って自らの力でその怪物を斬り伏せたい』、だなんて脳筋野郎の意見には賛同できないしね!」
 言うだけ言って、マーリンは子供のように仮面の口元から舌を出して離脱していく。バハムートは止めなかった。止める余裕が無かった、とも言えるが。
「おとなしく邪神復活から世界滅亡を待ち侘びるような奴だとは思っていなかったが、まさかそんな野心を抱えているとは思わなかった」
 自分と相手の血が混じり滴る銀刀を構え、カイザーがふっと笑う。対照的にバハムートは苛立ちに歯軋りをして、
「これだけの力があって、何故貧弱な人間をわざわざ手ずから殺していかねばならぬ。そんな下らない話があるものか。この剣を向けるに足る相手にこそ、俺は力を振るう。貴様はその前哨戦に過ぎぬぞカイザー」
 声高に実力の差を明言したバハムートに、カイザーの笑みは崩れるどころかさらに深まる。くっくっと喉の奥から漏れ聞こえる笑声に、竜鬼の殺意が膨れ上がる。
「何が可笑しい」
「いや、なに。……お前達過激派が五割、マーリン率いる穏健派が三割、そして反逆軍リべルスが一割…だったか」
 唐突に口にしたそれは、悪魔の勢力図に置ける割合。かつてこの説明を受けた時、石動堅悟はこう言った。

『一割足りないぞ?』

 これで勢力の全体図九割。真っ当な疑問に、カイザーはこう答えていた。
「残りの一割は私。配下を持たずして、何故一介の悪魔一人が一割を担うと思う」
「……」
 ぞわりと、今度はバハムートの方が悪寒を覚える。銀の刃が、途端に距離を飛んで首筋を掻っ斬っていく錯覚に襲われる。
「ニャルラトホテプも、ハスターも、他の側近達も。全てを合わせて向かって来たところで全てを討ち滅ぼせる力があると、そう考え恐れられているからこその一割わたしだ。…私もお前に対し言った方が良いのかな、この台詞」
 やたらと近く見える銀の切っ先に、装甲竜鬼は大剣を構え直す。来たる一撃は下手を打てば剣を握る両腕諸共千切られて行きかねない。
 鬼面の下で、悪魔が嗤う。しょうがないヤツだと、叱咤するように優しく静かな声がして、

「焼きが回ったか?バハムート」

 神速の太刀が四方八方から襲い掛かる。

       

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