第十九話 ジ・アウトロウズ (宮城毒素)

 決しておごっていたわけではない。
 希望もないまま高校を卒業して、展望もないままフリーターのその日暮らしを送っていた自分のような人間が、ただ超常の力を手にしたからといって、全てが都合良く――少年漫画の主人公みたいに大活躍が出来るなんて、思っていたわけではなかった。
 それでも自分に固有のものとして与えられた能力が、“そんじょそこら”と一線を画するものであるという自覚はあったし、非正規英雄としての実力はあの百戦錬磨の匂いを漂わせていた間遠和宮にだって決して負けていないという自負もあった。
 ただ、強いであろうという推論があっただけ。
 ただ、誰かと正面から戦って、その上で力負けするというあって当たり前の想定が、心のどこにもなかっただけで。
 四体の悪魔に囲まれて、食い下がりながらも常に死を隣り合わせに感じた五分間。それを経ても尚、勝利の道筋がまるで見えなかった連中をほんの一瞬で肉塊へと変えてしまった――あの怪物と対峙して。
 思い知った。その瞬間に理解した。
 自分は自由ではない。頭上を仰げば見えない糸が垂れていて、自分より強い誰かがその気になればいつでも簡単に操られてしまう哀れな人形でしかないのだ、と。


 大宮駅から高崎線沿いに北へ向かう途中にフロリダという喫茶店がある。男はつらいよで寅さんが喫茶店を「きっちゃてん」と読み間違えた頃から続く老舗の純喫茶であり、ワンコインで満腹になれるモーニングやランチといった代々続く定番メニューが二一世紀になった今も人気を博している。
 そんなフロリダでぎこちなくメニューを指しながらブレンド珈琲を注文しているのが石動堅悟である。しゃれた店内には小洒落た客が少なくない。ありもしない視線をちくちくと感じながら、どこか所在なげに身体のあちこちを掻いている。
 何をする時もそうだが、初めてのことは苦手なのだ。勝手が分かればなんてことない。勝手が分かるまでは、意味もなくきょどきょどしてしまう。
 スタバで待ち合わせさせられるよりはましか、と堅悟は思う。
 そう。これは待ち合わせだ。指定された時間をすでに一〇分は過ぎているが、時間通りに現れる相手だとは思っていない。
 窓際のテーブル席に運ばれてきた珈琲は、当たり前だが苦かった。堅悟にはそれがアメリカンだと言われても味の違いはわからないから、角砂糖はあるだけ入れる。ミルクもそれがカプチーノみたいな色になるまで入れると、ようやく飲める味になったと感じられた。
 半分くらい飲んでから、カップが空になると待ち合わせの相手が現れるまでますます所在がなくなってしまうことに気が付いた。追加で注文――と思っても、それだけのことがなんとなく出来なくて、下を向いて苦笑いする。
 そのうち、客がひとり、勘定を済ませて帰って行った。続けて、もうひとり、今度は二人組のカップルが、チェック柄のシャツを着た大学生が、職業不詳の太ったおじさんが――と立て続けにドアベルを鳴らして帰って行く。
 五分も経たずに、がらんとした。なかなかに異様な光景だが、さして気にするふうでもないマスターは、ひとり店に残った堅悟には一瞥もくれずカウンターの奥へと引っ込んでいく。
 からんころん、とまたドアベルが鳴った。出て行く客の影などもうない。来客である。そこには、見知らぬ少年の姿があった。
 それでも、堅悟は「やっとか」と思う。少年は堅悟の姿を見つけると、そのまま堅悟の向かいに腰を下ろした。“東中”とプリントされた――どこかの中学校の指定ジャージに、肩から提げた通学鞄とエナメルバッグ。まるで部活帰りみたいな格好。
「遅刻してごめんなさい」
 存外素直なその声を聴いて、堅悟は戸惑いを隠せない。
 幼げながらも整いすぎた顔立ちが彼――或いは彼女の性別を隠蔽している。
「改めまして、石動堅悟さん。……四谷真琴よつや まことです」
 いよいよ、堅悟は混乱してしまう。
「それも、お前が見せてる幻覚なのか?」
「ん、ああ、この姿ですか」
 きょとんとした顔も、すぐにぱあっと輝かせたその笑顔も、どこか少年的で、どこか少女的で、そのどちらもの全てを持っている。
 四谷はぱちんと指を鳴らす。すると奥に引っ込んでいた店主が、ハムサンドとクリームソーダを持って現れた。その目はどこか虚ろ。思えば、帰って行った客たちも、同じような目をしていたような気がする。
「もちろん、ここにいる僕は僕じゃない。公平性を保つ意味で、ちゃんと実体はありますけどね、容姿や今名乗っている氏名なんかは飽くまで偽り。このお話がなかったことになってしまった時のための保険です」
 いつの間にかからからに喉が渇いている。
 以前初めて顔を合わせた時の――彼と、今ここにいる四谷の印象があまりにも違いすぎている。
 疑念が堅悟の肩を叩く。
 本当に――こいつが自分を呼び出した張本人なのか。
 要するに、すでに本物の四谷は殺されていて、目の前にいるのは天使か悪魔か――或いはカイザー陣営の誰かなのではないか。
 そういう疑心暗鬼が十二指腸を駆けずり回っているのである。
 それこそがつまり、マーリンとの邂逅かいこう以来、自分が感じ続けている恐怖そのものなのだと自覚する。
 結局、弱者は強者に支配される。特に堅悟のように特異な力を持ってしまった者は、強い支配力を持った誰かの思惑のなかで溺れて喘いで操られるしかない。
 自分はまだ、自由ではない。放し飼いにされただけの――牧場を彷徨さまよう家畜に過ぎなかった。
 それをマーリンとの一件で思い知ったから、堅悟は四谷の誘いに乗ったのだ。
 これから先、何者にも従わずに生きていくためには、より強大な力が必要になる。それも単なる個人としての力ではなく、堅悟が最も苦手とする――チームとしての力である。
 だから、堅悟の“切断”で四谷を斬ってその正体を見極めることは、仮に四谷が四谷本人であるとわかったとしても、そこに結束や信頼という言葉は残らない。
 四谷はクリームソーダをかき混ぜる。溶け始めたフロートがメロンソーダを濁らせる。すっと壁際へと向けられた視線を追うと、地元のサッカークラブが新規生を募集しているポスターに衝突した。
「石動――先輩は、前に言っていましたよね。これは俺のための戦いだ……って」
 その言葉の意味を、四谷はずっと考え続けていたという。
「僕は、非正規英雄なんて退屈でくだらないと思っていました。折角馬鹿な天使どもが素晴らしい力を手に入れたのに、やることが命がけの戦いなんて――知性のかけらもない。動物的で実に野蛮だ」
「趣味で人を殺していた人間の言葉とは思えないな」
「殺し“も”、ですよ、石動先輩。別に、あれに限ったことじゃなかった。アーティファクトを使って出来ることなら、どんなことでも試したいと思いました。他人を意のままに操れるって素敵ですよ。虐待されていた知り合いに幸せな少年時代の記憶を与えてみたり、一生の友情を誓い合ったふたりに、死ぬまで消えない怨恨の記憶を植え付けたり、難関大学に合格したっていう受験生に幻覚で万引きをさせてみたり!」
 気が付けば――。
 四谷の表情は狂気に壊れていた。
 これから話し合う内容を考えれば、手を引くべき相手としか思えない。しかし、堅悟は絶対的な正義や倫理観のために戦っているわけではなかった。
 それでも、と彼は四谷を睨む。
「……これ以上は、やめろ。俺と手を組むつもりなら、今後そう言った退屈でくだらない遊びは一切赦さねえ」
 ふと己の世界からの帰還を果たした四谷が頬杖をつく。
「そう言われてもなぁ」
「だったら、交渉は決裂だ」
 そこまで言うと四谷は急に真顔になって、ストローを口に含んだ。するとそのままクリームソーダを飲みもせずに、またぱちんと指を鳴らした。
 からんころん、とドアベルが鳴った。来客。それを赦したのは、恐らく四谷だ。扉の向こうから現れたのは、上下灰色のスウェットすら着こなせていない猫背の少女。ただでさえ幼い四谷よりも更にいくつか年が下に見えるが、目の下には分厚い雨雲のような隈があり、拒食症を思わせるほどがりがりの痩せこけているのが服の上からでもわかる。
 その虚ろ過ぎる眼差しから彼女も四谷に操られているのかとも思ったが、こちらに近寄ってくることもなく気怠そうに一番近い椅子を引くとその上に体育座りをしてそのまま沈黙してしまう。
 堅悟は四谷に向き直る。
「……あの子は?」
「即戦力」
「非正規英雄か?」
「違いますね。近くに天使の気配がありますか?」
「それは、お前や俺の担当天使みたいに……どうにでもなるだろ」
 天使などどうにでも出来る――が、それ以前に四谷の言葉を信じるなら、彼女は非正規英雄ですらないという。
「見込みがあるってことか?」
「あるように見えますか」
 それを言えば、自分も四谷も“英雄”なんて呆れた称号を得るに足る存在ではないだろうと心の中で突っ込みを入れるが、そろそろ野暮だ。
「回りくどいな。どうしてあの子を連れてきた。単刀直入に言えよ」
「準悪魔です」
 反射的に椅子を蹴るように立ち上がり、少女に向けてエクスカリバーを構えていた。
 ばくばくと鳴る鼓動。小刻みな呼吸。血走った左目。
 それに対して少女はどこまでも無関心だ。膝を抱えたまま、ぼんやりと自分にまっすぐと向けられた大剣の切っ先を見つめている。
「先輩、びびりすぎです」
 四谷が笑う。
「そもそも先輩はすでに非正規英雄の陣営にはいない。それこそマーリンクラスの悪魔の首を持ち帰るでもしない限りは、謝ったって抹殺されるのが現実でしょう。だからといって、悪魔の陣営に与しているわけでもない。むしろ他の非正規英雄と同様に、基本的には対立している立場だ。それは中途半端とも言えるし、四面楚歌とも言えるし、――新たな第三勢力の可能性とも考えられるってわけです」
「……カイザーのようにか」
 と言っても、四谷には伝わらなかったようで肩を竦められてしまうが、代わりに離れた席に座ったままの少女が胡乱うろんとした様子のまま反応する。
「わたし……なにも、したくない」
 言葉自体に脈絡はない。しかし、明らかな協力拒否の言葉に、堅悟の心は次第に屈折していく。
「結局、これはどういう集まりなんだ! お前の認識……思惑を話せよ、四谷」
「もちろん、この三人でパーティを組もうって話ですよ」
 四谷が皿もコップも空にする。それを店長が無言で引き上げていく。
 同盟締結。堅悟がここに来た目的と相違ない結論だ。
「だったら、そのガキはどういうつもりで連れてきた。何もしたくねーっつってるみたいだけどよ」
「心許ないですか? そもそも信用なんて出来るはずのない準悪魔ですもんね。命のやり取りをする相手ではあっても、共闘なんて出来るはずもない」
 その通りだ。
 そう答えるよりも早く、四谷が続ける。
「……だから、石動先輩は脆いんですよ」
「どういうことだ」
 びびらせるくらいの気合いで睨むが、四谷は涼しい顔をしている。
「戦ってみればわかります。彼女――此原燐このはら りんと」
 一度、命のやり取りをしてみればいいんです、と。
 現役の非正規英雄が完全にぶっ壊れた笑みを浮かべていた。