何かを待ち受けるように寝間着姿の男たちが、俯きながら列を作っている。けれど、その先頭の男が目の前にしているのは、何もないただの壁だ。
それでも彼らは導かれている。
彼らは一体、どこへ向かおうとしているのだろう。
元非正規英雄と現役準悪魔による殺し合いが始まったのはその日の最高気温を記録した午後二時三十五分のことだった。
場所は大宮にある半世紀以上の歴史を持つ競輪場だ。本来ならレース中の時間のはずだが、四谷の能力によって来場客も選手も――運営スタッフもみんなが眠りこけている。
戦ってみればわかる。
四谷真琴はそう言った。
しかし、石動堅悟には此原燐の右腕を吹き飛ばした今になってもわからない。ひょっとすると、このまま彼女の息の根を止めてもわかり得ないのではないのかとさえ思う。
燐の傷口が煙を立てる。あぶくを立て始める血液を見て、堅悟は土煙のなかで舌打ちを鳴らす。
燐の戦闘スタイルは接近戦が主だ。武器を持たず、丸太のように発達した両腕を用いて一撃必殺の攻撃を繰り出してくる。
堅悟はそれを真正面から切り伏せる。燐は避けない。腕が飛ぶ、脚が飛ぶ、噴き出た血飛沫が競輪場のバンクを汚す。それでも燐は止まらない。口の端に笑みを浮かべ、致命傷だけを避けながら堅悟の心臓か頸動脈を狙い澄ます。
脅威となるのは切断の能力だけだ。格闘技の心得もあるようだが、燐にとって致命の一打は持っていない。それと何か――違う生き物に変身する能力もあるようだが、今のところは脅威とは呼べない。
ただ、堅悟の呼吸は安定している。目の前に迫る敵に対して、どのように立ち回れば良いかを完全に心得ているかのように、回避から攻撃、間合いの取り方まで全てが滑らかに繋がっていた。
燐は思う。この男は、強い――と。だが、それと同時に確信を深めていく。この男は、ここで死んでおくべきだ。そもそも長生きをするような人間ではない、と。
今度は、燐の喉笛が切り裂かれる。水道管が破裂したように、粘着質な血液が塊となって弾け飛ぶ。
「あーあ、弱いなあ、燐ちゃん」
観戦スタンドにて鯛焼きを頬張りながら四谷がため息をもらす。
「……いや、石動先輩が強すぎるのかな?」
それにしても酷い戦闘風景だと思った。堅悟も燐も血みどろのどろどろ。遠く離れた場所にいるはずの四谷にさえ血の雨が降りかかっている。そして、血を浴びた時に思ったのだが、この血液は何故か――熱い。どこか燃えるような熱を保っている。それは乾いてジャージの染みになった今も変わらない。
「まあ、“まだ”だよね? 燐ちゃん」
四谷は頸動脈を切り裂かれても尚復活した燐に笑いかけた。
堅悟はじりじりと皮膚を焼かれる痛みに耐えながら、それでも大剣を燐の脳天に振り下ろした。全てを断ち切るつもりが、間に差し込まれた右腕一本に邪魔される。宙をくるくると舞うのは、その片腕一本だけ。
舌打ちを鳴らす。また血を浴びた。――熱い。まるで焼けるような熱さだ。その熱が、堅悟の集中力を奪う。
彼女の致命傷とは、一体どこを断てば探り当てられるんだ。
そもそも、殺す?
それが本当に俺の――選択肢なのか?
堅悟は目許を拭う。それと同時に心の隙間に生じたふとした迷いも振り払った。