これはそれから分かったことなのだが、お嬢様の記憶障害と肉体障害。
それをマーリンの術式で抑えることが可能だった。お嬢様の疾患は、両親が準悪魔だったことと、生まれる前から強力な魔力を浴び続けたことに原因があるらしかった。準悪魔に子供ができることからして珍しく、それ以上の治療法は分からなかった。
マーリンとしては失った以上の戦力に加え、めったにない貴重な資料を入手することもでき、結果としてはトントン。
二人は少しだけ変わってしまったが、比較的平和な日常を過ごすことができるようになった。
こうしてお嬢様は永遠に年を取らないまま、四大幹部の一人として戦いを続けている。
記憶が失われることこそ無くなったが、精神年齢も成長しないようで、今でも十歳足らずの子供でしかない。ニコニコ笑顔を振りまき、セバスチャンと共に楽しい毎日を過ごしながら圧倒的な力で非正規英雄を殺していく。
セバスチャンはお嬢様の身の回りの世話をしつつ、めきめきと力をつけて行って、今では四大幹部の一員となっている。
「ふぅ…………」
お嬢様を寝かしつけてから、セバスチャンは外に出て、そこで葉巻を吸う。
お嬢様の健康に悪いこともあるし、売っている店が少ないので自重するようにしているのだが、定期的に吸いたくなる。思いっきり肺に煙を満たすと、何とも言えない満足感が押し寄せてくるのだ。
葉巻を教えてくれたのもまた、お嬢様の両親だった。
ただし、酒は飲まないことに決めている。
昔飲んだとき、大荒れしたからだ。
あんな姿をお嬢様に見せたくはない。
今日も無事に一日が終わろうとしている。
セバスチャンは何の気もなしに空を見上げると、そこに浮かぶ月を眺める。
このまま何事もなく一日が終われば最高なのだが、そう思った瞬間だった。
「おい!! そこのお前!!」
「…………なんでしょうか?」
「ここら辺に怪物が出るという噂があるんだが……知らないか」
「…………」
どうやらここもばれたらしい。
いったいどこから情報が洩れるのか、確かにこの間は装甲三柱会合があったりしてアグレッシブに行動していたがこんなに早くばれるとは思ってもいなかった。
セバスチャンはもったいないがせっかくの葉巻を投げ捨てると、眼鏡越しに鋭い眼光を向ける。
「あなたは非正規英雄でございますか?」
「それを知っているということは………お前は悪魔か」
「その通りでございます」
「なら好都合だ。早く終わらせる」
そう言ってその非正規英雄は腕を掲げると細い一本の槍のような神聖武具を顕現する。どんな能力を持っているのか、どんな戦い方をするのか、そんな事これっぽっちも興味なかった。ただ、早く終わらせたかった。
直立不動の姿勢のまま、全身からドッと火を吹き出す。
すると、燃えさかる悪鬼の姿へと変貌する。
それを見ても対峙する非正規英雄は大して表情を変えない。
どうやら自分のことを知らないらしかった。
それで自分に勝とうなど、論外だ。
セバスチャンは腕を振るうと自身の周囲に燃え盛る円形の壁を生み出す。
マーリン配下に収まってから、セバスチャンは自身の炎について詳しく知った。
この炎には様々な特徴がある。水をぶっかけられたり酸素が無くならない限り消えることが無い。また、他の物に燃え移ることもほとんどない。そして自分の意志で自由自在に操作することができる。普通の炎とは一線を画すものがある。
それはなぜか。
セバスチャンは自身の炎とほかの準悪魔の炎にどんな違いがあるかを調べた。
その答えは単純だった。
自分の炎は生きている。
正確に言うと炎ではなく、限りなく炎に近い性質を持った生き物ということだ。
お嬢様の「お友達」に近いようで少し違う。
この炎は自分の分身体なのだ。
セバスチャンはこの炎をこう呼んでいた「質量のある炎」と。
轟音と共に自分の体をより多くの炎が包み込み、ゆっくりと大きく大きく育っていく。五分と経たぬうちに全長十mを超える炎の巨人が完成する。
「なんだよ……これ」
目の前の非正規英雄はそれを見上げながら小さな声でそう呟く。
だがセバスチャンはそれを無視して叫ぶ。
「お覚悟を!! 四大幹部の恐ろしさ、とくとその目に刻むと良い!!」
腕を上げ、一撃で終わらせることに決める。
対する非正規英雄も、覚悟を決めた顔をすると槍を振りかざし、果敢に突っ込んできた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「うぅん………」
お嬢様は嫌な夢を見た気がして目が覚めた。
眠たい目をこすりながらなんとかもう一度眠りにつこうとしたのだが、なんだかうまく寝付けなかった。しょうがないのでベッドから出ると、セバスチャンに温かいミルクでも入れてもらうと思い、彼のことを探していた。
いつもなら「セバスチャン、来て」と呼ぶとどこからともなく飛んでくるのだが、今日はなぜか来ない。
そういう時は彼の寝室にまで行けばいい。
長く暗い廊下をおぼつかない足取りで進みながら、お嬢様はセバスチャンの姿を探す。
その道中だった。
「え?」
「………んん?」
聞きなれない声が聞こえてくる。
お嬢様はそちらに顔を向けると、暗がりの中、目を凝らして誰がいるのかを確認する。
すると、一人の少年が現れるのが見えた。
そう、現れたのだ。闇の中から突然に。
その手には一本の短剣を握り締め、その少年はそこにいた。
さっきまでそこに誰もいないことは確認済みだった。
ということは彼は虚空から現れたということになる。
しかし、そんなことはほとんど意に介さず、お嬢様は眠そうな顔で話しかける。
「んー……んーセバスチャン?」
「え……どうしてこんな子供がこんなところに……」
「違うのぉ……。ねぇ、セバスチャンどこいるか知らない?」
「え、えぇ?」
「あれ? 知らない人だ」
視界がはっきりとしてきた。
目の前にいる少年の姿がはっきりと見えるようになった。動きやすいジャージ姿で、暗闇の中でも怪しく光る鋭い短刀。そしてその身から放たれる非正規英雄独特の魔力。お嬢様はそれを肌で感じ取る。その瞬間、鳥肌がドッと立ち、目がより一層怪しく光る。
だが、対する非正規英雄はそれに気が付かない。目の前にいるのはあくまで普通の女の子としか思っていない。
それゆえ、優しい声をかけて、無警戒で近づいていく。
「怪我はない? さらわれたの? 大丈夫?」
「あなたはだぁれ?」
「僕? 僕はそうだな………ヒーロー……かな」
「ヒーロー」
「そうさ、英雄さ」
それを聞いた瞬間、お嬢様はカッと目を見開くと叫んだ。
「じゃあ私の新しいおもちゃだね!!」
「え?」
「前の奴は壊し損ねちゃったからちょっと退屈してたんだ!!」
「まさか…………」
「いいよね!!! 壊しても!!」
そう言ってお嬢様の姿が変貌していく。
全身が触手に覆われて、あの異形の怪物となる。それを見て少年も短刀を掲げると戦闘態勢を整えようとする。だが、さっきまでの可愛らしい少女の姿からは想像できない変身に戸惑い、少しだけ反応が遅れてしまう。
その間に、お嬢様は全身から大量の粘液を発すると、お屋敷の廊下一帯を覆いつくしてしまう。
直後、そこから何本もの「お友達」が生まれると少年を囲み、逃げ場を奪う。
「どんな風に壊れたい!?」
「え…………?」
「無くなるなら腕がいい!? それとも足がいい!?」
「ふ……ふざけるな!!」
「んー、じゃ、全力で壊すね!!」
直後、少年の姿が消えた。
どうやらそういう能力らしい。
しかし、触手は自動で動くと消えたはずの少年の姿を見つけると捉える。ただ見えなくなる程度の能力ならば、クトゥルフの触手の前には無力だ。なぜなら、「お友達」には嗅覚があり簡単に敵を見つけることができる。
為すすべなく捕まってしまった少年は、完全に身動きが取れない状態で怯えきった眼をクトゥルフに向ける。
「じゃあ、覚悟してね!!」
「ヒッ!!」
お嬢様のお楽しみが始まった。
お嬢様に善悪の区別はある。
物を盗むのは悪いこと、ご飯を残すことは悪いこと、周りを気にせず駄々をこねることも悪いこと。対して良いことは例えば募金すること、疲れてるセバスチャンをいたわること、そして誰かのためになることをすること。
しかし、「壊す」ことは違う。
これはお嬢様の数少ない趣味だ。
非正規英雄は「玩具」でそれを使った楽しい「お遊び」
それが「壊す」ことなのだ。
これは
お嬢様にとって、善悪を超越した遊びなのだ。。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
数分後
「お嬢様、マーリン様と連絡が取れました。新しいお屋敷を紹介していただくようです」
「分かったよー。楽しみだねぇ」
「ええ」
どす黒い血と気色の悪い粘液でいっぱいになった廊下。その中央でお嬢様はネグリジュが汚れることを一切気にせずに座り込み、一本だけ残った小さな触手を指でつついたりして弄んでいる。
さっきまで屋敷内部に侵入した非正規英雄で遊んでいたのだが、思いのほか早く飽きてしまったらしく、残った部分は全て叩き潰してしまった。そのため、肉片がほんの少しだけ残っているだけだった。
セバスチャンは電話をかけつつ、既に引っ越しの準備を終えていた。
あらかじめすぐにでも出ていけるように最低限の荷物をいつでも持ち運べるようにしてある。
後はお嬢様を着替えさせればすぐにでもここを発てる。
ないと思うが他にも非正規英雄がいるかもしれない。
急がなければ。
そう思った瞬間だった。
お嬢様はゆっくりと口を開くと小さな声で話しかけてきた、
「セバスチャンはさ」
「はい」
「ううん…………ルシアンはさ」
「……!?」
久しぶりに本名を呼ばれ、少し動揺するセバスチャン。
記憶を失うようになってから、聞かれない限り自分の本名を教えず、基本的にセバスチャンで通してきた。マーリンのおかげで障害は抑えられているとはいえ、記憶力は一般人と比べて遥かに劣っている。
まさか覚えているとは思っていなかったのだ。
驚いているセバスチャンをよそに、お嬢様は言葉を続ける。
「ルシアンは、ずっと私と一緒にいてくれるよね」
「…………」
顔を伏せ、悲しげな眼をしたままそう尋ねるお嬢様。
セバスチャンはほんの少しだけ口角を上げるとこう答えた。
「もちろんでございます。クインお嬢様」
「そう……なら、いいよ!!!」
元気にそう答えるお嬢様。
そのはじけんばかりの笑顔を受けて、セバスチャンは思った。
お嬢様は、自分の命に代えても守らなければならない。
それが自分の使命なのだ。
セバスチャンはより一層、決意を固くした。
番外編 完