第二十三話 そして終わりは始まらない (宮城毒素)

「本当に、それで終わりか?」
 石動堅悟は問いかける。
「お前は本当に、動かないのか? 終わったのか? ――死んじまったのか?」
 足許に転がる生首は、かつて装甲竜鬼と恐れられた過激派準悪魔の旗頭であるバハムートこと馬場夢人のものだ。無残に切り離されて胴体はさぞ寂しかろうに、固く握りしめられたまま硬直するその両手は、再びの生を求めて彷徨うこともなく沈黙している。
「……そぉかよ」
 わかっている。死んでいる。もう二度と動き出すことはない。この男は、敗北したのだ。殺された。他でもない――石動堅悟がその命を奪い取ったのである。
 それでいい。これでいい。
 しかし、
「もっと、“ひりつく”かと思ったんだけどな」
 残念だよ。
 そう言った。
 そう言って、何故か。
「――――」
 堅悟は、僅かに目を見開き、外を見ようとする。
 デビルタワー最上階に位置する本会議室の全面に張られていたガラスは、先の戦闘の衝撃で全て砕け散っている。そこから望めるはずの埼玉の夜景は階下から立ち上る黒煙によって遮られている。
 見えない。
 何も――見えないはずなのに。
「石動先輩、僕たちもそろそろ撤退しよう」
 四谷は暇を持てあましたような顔をしてスマートフォンを片手でいじっている。
「ほら、さっきからリリアックのグループライン、引っ切りなしに鳴りまくってる。海老名ちゃんも燐ちゃんもお疲れ様でした――ってさ」
「まだ、終わってねえ」
「もちろん、そうだよ。これで終わりじゃない。始まりに過ぎないって話だよね。バハムートを倒したからって、僕たちは――」
「そうじゃない」
「そうじゃない?」
「わからないのか、四谷。何かが――」
 嫌な予感。
 いや、それよりも具体的な。
 気配が。
「先輩?」
 想定外など想定内だ。ここは戦場。そしてリリアックの――石動堅悟の敵は、バハムートだけではない。
 四谷の顔が曇る。
 足許が揺れる。地震とは違う。下で何が起きているのか。時折聞こえる爆音が、このビルの崩壊を予感させる。
 最大の目的は達せられたのだ。ここに留まる理由はない。今すぐにでも撤退すべき。四谷は間違いなくそう思っている。堅悟も、同じ事を考えている。しかし、同じ思考が同じ行動を喚起させるとは限らない。
 堅悟は――待ってしまった。待ち構えて、対応しようとしてしまった。それが慢心なのか悪手なのか。
 ずっとわかっていた――来るはずだ、と。現れるはずだ、と。そう確信していた何かが、黒煙の壁を突き破って堅悟と四谷――二人の前に躍り出た瞬間。
 四谷の腕が飛んだ。
 絶叫が響く。ぼだぼだと血をこぼす傷口が気を狂わせる激痛を訴えている。
「よりにもよって――」
 現れたのは、死に神だ。
 少なくとも堅悟の目にはそう映る。
 震える。軋む。淀んで、腐って、透明になる。
 死に神の目はすでに、自身が一撃で戦闘不能に追い込んだ少年を向いてはいなかった。
 視線がかち合うのは、まるで運命のような――。
「久しぶり……だな、石動堅悟」
「間遠、和宮……!」
 堅悟の瞳と口許には、二つの感情が複雑に絡み合ったように浮かび上がっている。
「ここに来れば会えると思っていた」
 静かな口調。しかし、その心臓は激しく脈打っている。
「へえ、情報が流れてたってぇわけか。いいね。……あぁ。いや、残念だが、ここでテメェ等と雌雄を決するつもりはねえ」
 個々の作戦が完遂され次第、順次撤退するように命じている。既に多くの仲間が現場を離れているから、このまま全面戦争突入だけはあり得ない。
「等、じゃない」
「は?」
「ここに来たのは、俺ひとりだけだ」
「意味が、わからねえな」
「お前と、話がしたかったんだ」
 間遠は飽くまで穏やかだ。その口許には笑みすら浮かんで、どこか狂気染みてすらいる。
 堅悟は、間遠の肩越しに四谷を見遣る。歯を食いしばり、苦悶に顔を歪めてはいるが、意識ははっきりしているらしい。きつく――間遠の背中を睨み付けている。
「話をするのに、おれの仲間の腕をぶった切る必要はあったのか?」
 堅固の問いに、間遠は肩を竦める。
「そいつの噂は聞いていた。何をするにせよ、先に潰しておく必要があると思った」
 邪魔をされたくない――と。
 確かに、こうなっては四谷のサポートは期待できない。
 堅悟は、まっすぐに扉を指さし、言う。
「行けよ、四谷」
 四谷は何も言わず首を振る。
 流れ出る血は止まらない。止まるはずがない。
「久慈か菱村にでも拾ってもらえ。どうせまだその辺にいるんだろ。手当てしないと、マジで死ぬぞ」
 これ以上は、足手まといなんだよ。
 堅悟がそう言うと、四谷は悔しげに顔を歪ませ、顔を伏せた。
「僕、……なしで。か――勝てるのかよ、先輩」
 残れと言えば、このまま居残りそうな雰囲気だ。
「俺は知ってる」
 間遠和宮という男を知っている。
 一度、剣を交えた。
 殺してやろうと思って、戦ったから。
「こいつは、バハムートよりは弱い」
 そう断言できる。
 四谷は、堅悟の目を見た。これ以上、四谷に語りかける言葉は残していないらしい。この場に留まり、ただ無意味に命を落としても、彼は微塵みじんも興味を傾けてはくれないだろう。
 堅悟は間遠に、間遠は堅悟に。すでに相思相愛の構図は出来上がっていた。
 今まさに幕が上がろうとしている舞台には、四谷の居場所は残されていないようだった。

 二人だけの世界で、間遠が笑う。
「そこの死体よりも俺が弱い、と? 言ってくれるな、石動。あれから俺も色々あった。強くなったんだ」
「はっ、風俗通いしてかよ」
 きぃん、と空気が凍り付く音が響く。もっとも、それを聴いたのは間遠ただ独りだけであったが――。
「ど、どうしてそれを知っている!」
 声を震わせる間遠に対して、今度は堅悟が不敵に腕を組む。
「おいおい、神がいようが悪魔がいようが、結局この世は情報に支配されてンだぜ、間遠くんよ」
「ふ、はは。――それにしても石動、お前も偉くなったものだな。リリアック。非正規英雄と準悪魔の混合軍、か」
 ずうん、とビルが重たく揺れる。誰かが戦っているのか、単にこの建物が崩れているのか。堅悟も間遠も気にもとめない。
「ああ、力をつけた。今じゃあ独りじゃ出来なかったことも出来るようになった」
「それは、純然たる非正規英雄としてでは、いけなかったのか?」
「――さあな」
「言いたくないのか? 言語化出来ないだけか? それとも、最初から考えなんて何もないのか?」
「さあ、どれだろうな」
「……わかった。もういい」
 話はもう――。いや、まだ。
「石動堅悟」
「なんだよ、間遠和宮」
「お前は毎日、眠れているか?」
「はあ?」
「飯は食べているか? 息抜きは出来ているか? 体調はどうだ。ストレスを感じてはいないか? 悩み事があるんじゃないか? 一重に、健康か?」
「なんだよ、急に。俺は――」
 万全だ。
「そうか、それなら」
 間遠はアンスウェラーを現出させる。武器を構える。その切っ先に、殺気を宿す。そして、安堵しきったような笑みを浮かべて、眼前の敵を見据える。
「心置きなく、お前と戦えるというものだ」