小学校の体育館と同じぐらいの大きさの広い空間。何か物が置いてあるわけではなく、また窓もない、壁の端っこに通気口らしきものがいくつかあるだけのただのコンクリートの空間。天井にはびっしりと蛍光灯が取り付けられており、こうこうと光を放っていた。非常に面白みがなく、何の意味があるのかさっぱり分からない空間。
だが圧迫感はない。
いや、そんなものを感じている暇はないと言うべきか。
二人が来るより先に既に人影があったことと、この空間の中央に当たる位置に不可思議なものがあったからだ。
それは宙に浮かぶ黒い何かだった。
球体のようで球体ではないただ黒い穴がポコンとそこに開いているよう。質量があるようには見えないが、はっきりとした存在感がある。この黒い穴、というのか染みというべきなのか分からないが、ともかくそれが何なのか分からない。どこかに繋がっているようにも見えるし、そこが終わりにも思える。
この黒い穴からは不気味な靄のようなものが漏れ出ており、それがその穴の前に立っている人物の体にまとわりついている。赤銅色の装甲とフードマントが漆黒に染まり、全身にローブを纏っているようにも見える。手にしている杖も以前見た時よりも邪悪な形状になっている。
彼は堅悟が入って来たことに気が付くと黒い何かの方に向けていた体をくるりと回すとニッと唯一露わになっている口端を上げると話しかけた。
「やぁ、石動堅悟君」
「マーリン!!」
これはマーリンの声に他ならない。
ほとんど原型を残していないが、この聞いている人間をイライラさせる声音は間違いなく彼だ。
「こんなところで何をしている!!」
「なにをしているかって? 見てわかんない?」
「分かんないから聞いているんだよ!!」
思いっきり怒鳴る。
しかし、マーリンはどこ吹く風と言った様子で「これだから野蛮人は」と呟いて肩をすくめる。
そんな中、翼ちゃんはあるものを見つけた。
「堅悟様、あそこに佐奈さんが」
「えぇ!?」
翼ちゃんが指さすのはマーリンから少し離れたところ。
そこに倒れている佐奈の姿が確かにあった。肩のあたりが上下していることから死んでいるわけではないようだが、ピクリとも動こうとしない。気絶しているのだろう。心配だがそこに向かうと何をされるか分からない。
マーリンの戦闘スタイルはトラップを敷き、それを踏んだ敵を殺すというもの。
もし佐奈の周囲にトラップがあったら何もできず殺されるだろう。そのため、近づくことはできないが死んではいないようなので少し安心する。ほっと一息をついてから再びマーリンを睨み付け話しかける。
「お前!! 佐奈に何をした!?」
「何もしてない……というのは嘘だけど、彼女に強制はしていないよ」
「何をしたと聞いている、さっさと答えろ!!」
「彼女と契約して邪神への扉を開いてもらっただけだよ。単純な話さ」
「……どういう意味だ?」
「それについて話そうか?」
話してくれ、と言いかけた堅悟だがすぐに思いなおし口を紡ぐ。
そしてジッと彼を観察する。前にカイザーが言っていた。マーリンと戦うのならしっかりと相手を観察して油断をするな。そして彼の話を聞かず、自分のペースを一切崩すな。そうすればしっかりと戦うことができる。
いつまでたっても答えを返さない堅悟にマーリンは少しだけ笑みを崩す。これが決め手だった。
堅悟はゆっくりと口を開くとこう答えた。
「お前、余裕がないんじゃないか?」
「え? どうしてそう思うの?」
「簡単に表情を崩した。お前にしては珍しいな」
「……あー、ばれちゃった」
ポリポリと頭の装甲をかきむしる。
そして今度は諦めの笑みを浮かべてこう言った。
「いやね、この邪神の力を吸収してるのはいいんだけど思いの外強くて吸収しきれないんだよ。君が来るのがあと一時間遅ければ完全体だったんだけど」
「……これが邪神……」
「力だけだけどね」
堅悟としてはあまりマーリンとの会話を進めたくない。
だが疑問は次から次へと尽きることなく湧き出てくる。それにカイザーの忠告を聞いていなかった翼ちゃんはそれを抑えることができなかったらしい。強気に一歩前に出るマーリンに話しかけた。
「確かに、ここには大量の準悪魔から集めた魔力が集中されています。理論上不可能ではないです。しかし、どうしてこう都合よくこんな場所があるんです? あなたはいつからこの計画を進めて……」
「お、おい翼ちゃん……」
「いいだろう、その質問全てに答えよう!!」
マーリンが調子に乗り始めた。
堅悟は頭を抱える。
「まず、都合よくここにこんな場所があるかについてだが、答えは単純だ。ここの設計に関わった四谷君が僕だからさ」
「「え?」」
あまりに予想外の答えに思わず堅悟も固まる。
マーリンは隠すつもりが無いのかペラペラと己の秘密を喋りだす。
「僕は普段、自分がいつ死んでも大丈夫なように、自分自身をいくつも用意している。そして僕が死んでも変わりがいて、再び僕として復活することができるようにしているのさ。。そうして僕はずっと生きてきた」
「……そんなことができるのか……」
「でぇ、僕は邪神を吸収する計画を立てる中、君の存在を知った。そして僕は僕としての記憶のない人形を作り、疑似的な能力も持たせて君と接触させた。彼に僕としての意識はないけど、潜在意識にある命令に従って石動堅悟君の観察を兼ねつつこの計画のセッティングを進めていった。知っているかい、ここは彼が作ったんだよ」
確かに四谷は結構前から天神救世教にいた。
最初はただの潜入任務として。しかし人工島ができた頃に教徒としてリザに仕えるようになった。
マーリンの言うことには信憑性がある。
納得しているうちにマーリンはぺらぺらと言葉を並べ立てる。
「で、僕はそこにいる佐奈ちゃんと契約してここの魔力を集中させて邪神への扉を開いたのさ。大変だったよ。今日この日までのセッティングはさぁ」
「お前は……」
「うん?」
堅悟はぼそりと小さな声で呟く。
マーリンはそれを聞き逃すことなく機敏に反応し、続きを促してくる。
「お前は何者なんだ!?」
「僕かい? 僕のことを知りたいのかい!! 教えようじゃないか!!」
さも嬉し気に。楽し気に。
マーリンは手を大きく上げて先生にあてられた小学一年生のように元気よく答えた。
「翼ちゃん、君は知っているはずだ大昔に起きた天使と悪魔の大戦争を」
「……えぇ、知っています。けどそれを……どうして」
翼ちゃんはまだ生まれていなかったのだが、これは非正規英雄が生まれるきっかけともなった戦争として今でも語り継がれている。
この戦いの後、創造主の采配により天使と悪魔は原則お互いに、また人間に干渉することができなくなった。その結果、人間を利用しての代理戦争が起こることになった。これが非正規英雄の始まりだった。
ちなみにこれは堅悟も知っている。前に翼ちゃんから聞いたからだ。
だが、まだつながりがはっきりしない。それをマーリンが語り続ける。
「その際、邪神と共謀し天界への通り道を開けた裏切り者の天使がいた。彼はその戦い――邪神の敗北の――後、力を奪われ天界から追放された。そしてこの戦いを長い間観察し続けてきた。その天使……堕天使ルシファー。それが僕だ」
あまりにも予想外の答え。
真実。
しかし翼ちゃんは思いのほか冷静だった。
「なるほど……だから佐奈さんの魔力を引き出すことも可能だったのですね」
「やっぱ君は理解が早いねー。さすが」
一方で少し釈然としない顔をしている堅悟。
どうやら彼には少し難しすぎたらしい。だが、マーリンが人ならざる者だということは辛うじて理解できたらしい。それに彼の仕事は理解することではない。顔をしかめて少しの間うんうん唸っていたがそれを止めるとエクスカリバーを握り締めた。
そしてマーリンに向かって宣言する。
「おk、とりあえず俺のやることはたった一つだ」
「うん、確かにそうだね」
「お前をぶっ殺す」
強気な発言。
マーリンはそれを全て受け止めた。
だが、彼は堅悟の思っている以上に焦っていた。
今日に限ってマーリンの判断ミス、及び予想外の出来事は一つや二つではなかった。まずはゾンビ・バハムートだ。マーリンは陽動でそれをここまで連れてきて、上で戦わせていたのだが、それが殆ど仕事をしてなかった。本当は堅悟が引っかかってくれることを望んでいたのだがセバスチャンのせいでハスターが来てしまった。
セバスチャン、彼とお嬢様に関しても問題があった。
純粋なる準悪魔であるお嬢さまをここに連れてくると、どんなことが起きるか分からない。最悪邪神がお嬢様の方に引き寄せられるかもしれない。そうなると自分の計画が大幅に狂ってしまうこととなる。それは絶対避けたかった。
なので二人にはこのことを秘密にして別の仕事を頼み、少し遠くへ行ってもらっていた。
もし、カーサスとヴァイオレットがいると知っていたら自身の分身体を護衛させていただろう。だがそれも叶わず保険で残しておいた分身体は死亡してしまった。
マーリンは普段勝率が六割以下の戦いはしない。最悪五十パーセントを下回る場合は戦いを避けるようにしている。ところがこういったことが重なってしまい、おまけにこの戦いは避けることができない。
この戦いの勝率は五分五分といったところだろう。
久しぶりにリスキーな戦い。
だが、彼はそれを歓迎した。
「殺しあわなければ理解しあえない仲というものがある」
「…………」
「僕は今日、邪神を吸収するために生み出した分身体を一つだけ残して全て僕の肉体に戻した。ところがそれがある非正規英雄の手によって殺されてしまった。つまりどういう意味かというと、今日の僕は死んだらもう復活できないのさ」
「…………」
「そ、れ、に、邪神がまだ定着しきってないから、ここでもし邪神とのつながりを断ち切られたり、普通に切り殺されたりしたら僕の死は確定さ」
「どうして、自分の弱点をそうペラペラと……」
「対等に戦いたいからさ、そうじゃないと面白くないだろう?」
不敵な笑みを浮かべる。
そして大きく腕を上げると両手で宙を抱え込むようにしながら叫んだ。
「さぁ、ともに踊ってくれるかい? 石動堅悟君!! どっちが生きるかどっちが死ぬか!! 誰がこの幕を下ろすのか!! どっちにしろ楽しい結果になるだろう!!」
「うるせぇな!! ごたごた言ってないでさっさと始めようぜ!!」
そう言って堅悟は地面を蹴ると前に飛び出す。その手にはエクスカリバーを握り締め。
今ここに、正規の決戦の火ぶたが切られた。
どちらが勝つにしろ負けるにしろ、その先を知る者は誰もいない。