今は亡き先代は豪快な人だった。
部下の失態を笑って許し、それ以上の成果を自ら挙げることで払拭してみせた。自分も、歳若い頃から助けてもらった回数は両手の指では到底足りないほどだ。
そんな彼が生前語っていたことは、いつだって息子のこと。
実力は伴っている、いずれ来る跡継ぎとしても申し分ない。『装甲竜鬼』も継承させるに足るだけの器はあった。
だが懸念は多い。過信や慢心はもとより、自身以外を見下しがちな性根は一体誰に似たのやら。先代は苦笑混じりに酒を煽りながらぼやいていた。
第一次神討大戦最終盤を前にして、先代は自らの死期を悟っていた。盟友装甲悪鬼と共に命を賭した大一番に参戦すること。それにより発生する人間・悪魔両面の重責を子に継がせねばならなくなることの意味。
支える者が必要だった。頂点の一角に立つ王を、配下という立場にありながらにして対等な態度と物言いで意見できる者が。
先代はそれを自分に求めた。あとを頼むと託して死んだ。
「はあ、はぁ……ふう」
魔術師マーリンの術式は極めて高度だった。手足が吹き飛ぼうが、加工を施された装甲悪魔の肉体は戦闘継続能力を失うことが無い。
目の前に積まれた肉塊は、つまるところその果て。戦闘を行えなくなるまで破壊し尽くした、人型をしていた何か。
結果だけで言えば上々である。ゾンビ化していたとはいえバハムートを相手にハスターは存命を手放した強固な意志で闘いに臨んでいたし、悪魔としての外殻をほとんど破壊された隻腕の身体でも生き残れた上で勝利を捥ぎ取れた現状は実際奇跡に近い。
要素はいくつかあった。
装甲魔鬼がこんな簡単にバハムートという大戦力を放置しているはずがない。本来であればこの戦域にも何重もの罠や支援の術式が張り巡らせてあったろう。幹部を仕留める為には多少の労苦は惜しまない、それが老悪魔ハスターの見解だった。
それらを諸共に食い千切り暴れ回ったのは五つの白刃。咀嚼するように不可解な動きで設置された術式を破壊しバハムートを撹乱した天界の秘法。アリストテレスの奥歯なる銘は知らずとも、ハスターはそれを扱う力天使の存在を認知していた。
『彼の計画を台無しにするにはイレギュラーの介入が必要不可欠さ。それも、軌道修正が不可能なほどのとびっきりな歪みを叩き込めるものが。故に僕が来た…ここ一番で現れる飛び入り戦力でなければ、イレギュラーにはなりえないからね』
激戦の渦中にいるマーリンと翼。この二人と同じく、しかしずっと古くから人の世で生き続ける最高最古の堕天者・
さらにはバハムートを囲う無数の悪魔。影という影から続々と出で続けた『混沌』の末端達。
「よもや、お主の助力まであるとは思わなんだ。…内阿」
『…別に。私自身はその地にいない。仕事の休憩がてら、様子を見てやろうと思っただけだ』
バハムートに薙ぎ倒された黒影達の残滓が、宙を揺らめきながら声に応じる。
静観を決め込むと思っていた四大幹部の残る一枠。ニャルラトホテプの能力だけが人工島の騒動に馳せ参じていた。彼女の能力であればこういった使い方が元来の使用法でもある。本体は今頃、言葉通りオフィスビルでパソコンと向かい合っての休憩中か。
先代のことを知らない内阿にとってこの闘いには一切の関心は無かったはずだが、どういう風の吹き回しか。
「のう、内阿。お主は…」
『茶会』
「うん?」
瀕死の体を引き摺って影の残滓に近付いた蓮田へ、端的に影は告げる。
『クイン嬢の屋敷で行った茶会。またあるのなら、誘え』
それでチャラだ、最後にそう言い残して残滓は完全に消え失せる。ニャルラトホテプとしての能力を全発揮してもバハムートの挙動を完全に御することは出来なかった。既に発動限界を迎えていたのだ。
「……、っくく。そうかそうか」
周囲に誰も居なくなってから、蓮田はしわがれた笑い声を漏らす。ウリエルの姿はもうどこにも無かった。勝手に横槍を入れた挙句、勝手に退いたらしい。堕天者というのはどいつもこいつも堕ちるに相応しいだけの身勝手さがあって手に負えない。
しかし、あの実直愚直で面白味の無いと思っていた仕事人間の口からまさか、あんな言葉が聞けるとは。
「まだまだ、長生きはしてみるものだのぉ」
ボロボロの黄衣を纏う体が両足で支え切れなくなり、跪いて近くの瓦礫に背を預ける。もとよりこの大戦の参戦意思は無く、先代の遺言に従い始末は付けた。これ以上あの魔術師に歯向かう力も気力も残されてはいない。
『過激派』は、ひとまずこれでその戦力を全て戦線離脱したということになる。
本音を言えば仇討ち―――とまではいかずとも、先代より継承されたバハムートの遺骸を弄んだマーリンに一矢報いたいところではあったが…まぁ、いい。
(何か目的があってバハムートは死後も利用されていた。その目的までは探れなかったものの、これであ奴の思惑は一つ潰えた。老骨の挙げた戦果としては上等よな)
さて首の皮一枚のところでかろうじて生き長らえたこの命。使うのならば最後まで。
(頭を失った馬場コーポレーションの立て直しには成功したが、ふむ…使い潰すつもりだった儂が死に損なったのもこの為やもしれんな)
黄泉の彼方にいる先代はまだ歓迎してくれそうにない。せがれを
こうして、未だ激戦の気配を臭わせる微震のやまない人口島の一角で、大金星をあげた四大幹部の一角は深く深く吐息を溢した。
不本意な蘇生を受けた竜は再び逝き、そして残る二柱は……。
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カイザーが致命傷を負ってからの展開は一方的だった。
堅悟にとってもっとも頼りにしていた単体勢力が倒れ、暴走こそ治まったものの忘我の状態から復帰できないでいるリザはもちろん当てに出来ず。
全方位に撃ち出される『絶対切断』の魔術は堅悟以外では回避以外は全て意味を成さない為、防戦一方にならざるを得なかった。それに加えて四大幹部の荒れ狂う業火に呑まれこちらの戦力は次々と倒れていく。
唯一救いだったのは、マーリンが佐奈にだけは攻撃が当たらないように配慮していた点か。非正規英雄の契約を強引に交わして能力を奪っているという現状、契約対象である佐奈を死なせるわけにはいかないらしい。
「こんな局面になってもまだ他人のことを慮るとは、やはり君はどうあれ
「……黙っ、てろ」
ずるずると片足を引き摺る堅悟の視界は自身の血で赤く染まって見える。
周囲の味方はいずれも例外なく倒れ伏しているが、どれも吐血に咳き込み息も絶え絶えでありながらどうにか死人は出ていない様子だ。
腱の切れた右足が満足に動かず中国拳法も封じられた。あれは震脚という勁を生み出す手順を踏まなければ威力を発揮できない。すなわち両足が万全でなければ発勁が使えない。
満身創痍の堅悟を愉悦に満ちた表情で見据え、マーリンは高嗤う。
「しかし君もひねているねぇ。あれだけ仲間を駒扱いした発言を繰り返しておきながら、こうやって身を粉にして庇い闘っているのだから。実際、他を切り捨てて単身特攻されていたら僕は君を完全に抑え切ることは難しかったよ?クトゥグアの支援があってしても、ね」
勝利を確信したマーリンが慢心にかまけて垂らす口上を耳に入れず、堅悟は周囲に視線を配る。
倒す為の手段は、ある。
だが時間が欲しい、間合いが足りない。あの装甲魔鬼に対抗する術は、その要素は揃っているというのに。せめて数分だけでも稼げれば。
うつ伏せに倒れている和宮はじき回復する。奴は八門によって大気中の魔力を吸収し肉体の修復に充てることが可能だからだ。鹿子もやられた振りをしているが、その実右手に握ったトールは固く握ったまま。おそらくマーリンに気付かれないように充填を済ませる算段だろう。
ぴくりとも動かないキョータは分からない。シーシュポスによって鈍重となった奴は真っ先に倒れたのを確認していたし、『絶対切断』に耐性の無い岩鎧など重荷以外の何物でもない。コモン・アンコモンのみで最低限の装備を整え自身の軽量化を図らなかったのが痛かった。
契約関係にある翼とは先程念話で打ち合わせを済ませてある。対抗手段の使用に当たり、自分と彼女の命を削ることになるのは既に承諾済み。
やはり、目下一番の重傷は他ならぬカイザーか。できれば控えておいた『保険』を彼に使ってやりたいところだが、これを自分に施さねばマーリンに対抗する手段が完全のものとならない。
「でもまぁ君はよくやったよ!ここまで僕に迫った者はこれまでだっていな…かっ……!」
「…マーリン様っ!?」
「あ?」
愉快痛快とばかりに両手を広げて語っていたマーリンの体が、一瞬大きく震えて止まる。傍に控えていたクトゥグアが驚きに目を瞠る中、堅悟は何が起きたかわからず不愉快な疑問符を吐き出す。
だがすぐに判明した。マーリンの内側で何かが蠢いている。ドス黒い邪神の魔力が胎動している。
「あァ、はあ……いやなに、平気さ。気にするなクトゥグア。邪神が僕の肉体を依代に復活を目論んでいるだけの話だよ。これだけ大量の魔力を取り込めば当然のことだったんだ、この身体を器にして人世への受肉を果たすつもりだ…まったく、これだから神とやらは勝手で好きになれない」
どうやら一旦は押さえ込んだようで、息を整えながらマーリンが顔を上げる。仮面の隙間から冷や汗が流れるのが見えた。
「本当なら、バハムートを受け皿にして邪神の受肉を代行してもらうつもりだった。あの強靭な悪魔の肉体なら耐えられるかもと思ってね、わざわざゾンビ化で耐久値を引き上げてまで蘇らせたっていうのにハスターめ…いや恨み事を言うべきはあの堕天者か…」
邪神の現界には門を開くだけでは足りない。この世界に性質を置き換える必要がある。すなわち形あるモノとして肉体を得なければならない。だからこれまでマーリンは門から魔力だけを取り出すことを可能としていた。こちら側に来たくとも来れなかった理由があった。
「そうかい」
だから今なら押し返せる。マーリンを滅ぼし、受肉を阻止して邪神を叩き帰す。
―――おい、聞いたかよ。
―――ああ、確かに聞いた。
「……」
石動堅悟が、ニィと牙を剥いて凶悪に嗤う。
良い、非常に良いタイミングだ。
ようやく来たらしい。
声が聞こえた。二つの声が。
贋の神を誰よりも嫌悪する、歪み狂うほどに敬虔な信者共が。
破壊され尽くした瓦礫をさらに吹き飛ばして疾駆する信徒が十字架を握る拳を振り上げる。
止めに割り込もうと動いた執事の動きを飛来した銀の矢が縫い止める。
薙刀状に変形した杖を振るって迫る影を両断せんとするマーリンの思惑は通じない。その柄に当たる部分を弾かれ、フードマントを掴まれる。
その瞬間、堅悟は弾かれるようにその戦域から背を向け走り出した。
好機。この二人であれば任せておける。
実力の程は仕合った堅悟自身がよく知っている。
「やぁっと見つけたぜ。賤しくも浅ましい不義の権化よ、ブチ殺すぜカーサスッ!!」
「言われずともよ。その魂魄、我らが神への帰入もなければ次なる命の輪廻にも期待するな。此処で永劫死滅しろ」
真正面からの打ち合いですら装甲三柱に届く底力を持った神父と修道女のコンビが、終盤戦においてその姿を現す。
非正規英雄、準悪魔、リリアック、穏健派。そんなものはどうでもよく、一片の興味すら無い。
彼らの目指す先は、見据える終着は。
真なる神に仇なす存在の滅却のみである。