第八話 デビルバスターズ (後藤健二)


 乾いた風が吹き、横っ面を凍えさせる。
 灰色しかない荒涼とした郊外の町を、俺を含める四人の非正規英雄が歩いて行く。
 俺以外の三人は顔見知りらしく、迷いのない歩みを見せている。俺はなんとなく空気を読んでついていっているだけだ。
 ───いったいどこへ行こうってんだ?
 そう声をかけようとも思ったが、どうせすぐ分かることだろう。
 デリヘル嬢に殺されかかったりウニになったり色々あったが、中国での武術の修行のおかげだろうか、どんな事態となっても心を平静に保っていられるような、そんなクソ度胸がついていた。鬼が出ようが蛇が出ようが驚かねぇぞ。
 他の三人を注意深く観察する。
 俺たちを先導するのは、銀髪と瑠璃色の瞳という神秘的な雰囲気の外国人美女リザ。クールビューティーという感じで、翼ちゃんとキャラが被っている気もするが、彼女の方がより大人っぽい。三つものアーティファクトをまとっていた姿に目を奪われたものだが、それらを解除した今の姿も中々に人目を引くものだった。戦闘に適しているからだろうか、ボディラインがハッキリと分かるような黄色と黒のツートンカラーのレーシングスーツをまとっている。うん、脚がグンバツなうえにボインだ。
「なにをニタニタしてるのよ、気色悪い…」
 そう言ったのはリザではなく、もう一人の女性非正規英雄だった。金髪ポニーテールにポップな赤いキャップを目深に被り、やはり動きやすそうなデニムのショートジーンズから伸びる黒タイツが眩しい。まさしくギャルって感じだ。洗濯板だけど。
「あちらのおねーさんがリザさんで、あんたは?」
「鹿子よ」
「俺は石動堅悟! よろしくな、鹿子ちゃん!」
「馴れ馴れしくしないで。アンタ、アタシたちは商売敵同士ってわかってる?」
「同業者なんだろ? 仲良くしたっていいじゃねぇか」
 ふっ、こっちはツンデレギャルか、悪くねぇな……。
 そんな俺と鹿子の和気あいあいとしたやり取りを見て、ノッポで陰気そうなもう一人の男(名前は憶えていない)も会話に加わろうかという素振りを見せているが、俺は無視した。
「俺はかず…」
「着いたわよ」
 俺たちの会話を遮るように、リザがそう言って歩みを止める。
 そこはなんてことのない郊外のパチンコ屋の、だだっ広いだけの露天駐車場だった。
「え……」
 だが、それを目に捕らえた瞬間、俺は心底驚かされ、その場に立ちすくむ。
「まさか……そんな、あれは……! 伝説の……!」
「なぁにが伝説の、よ。ただのキャンピングカーじゃない……」
 鹿子ちゃんが呆れたように呟いている。
 ふっ……ギャルのように見えて意外に清純なのか? あれを…。

 ───かの伝説の、マジックミラー号を知らないとは!!!

 90年代後半からAV業界に出現し、数々のムーブメントと悪名高い逸話で社会問題を引き起こしてきた通称「MM号」の雄姿がまさしくそこにあった。X-videoを何千本と観てきた俺には分かる。あの独特で存在感のありすぎるシルエット。外から見ると普通のキャンピングカーのようでいて、車内に入ると外の景色が丸見えとなるマジックミラー張りの内装! 
 その事実に気づいた時、俺の久しく使われていない脳神経に電流が走る。ドーパミンがあふれ出す。

 ───こ、この場にいるのは男女二組のペア……! ま、まさかこのどちらかと…!? はっ…ま、まさか…! 伝説の再現を…!? ら、乱交パーティーが始まるというのか……!!???

「ええ加減にせぇや、クソガキ!」
 突如、威勢のいい関西弁が飛んできた。
 驚いて声がした方を見ると、何とも異様な風体の物体が浮いていた。車輪に四枚の翼が生えており、車輪の内側部分には四つの人間の顔が並んでいる。何とも奇妙な物体、それから声が発せられていた。
「ご無礼をお許しください。ケルビム様」
 リザが深々と頭を下げている。
「ケルビム様?」
 俺がまじまじとその奇妙な物体を見ていると、リザが俺の方を見てしかめ面をした。
「馬鹿者。こちらにおわすは智天使ケルビム様と言って、我々非正規英雄を管轄する天使様たちの更にずっとずっと上役にあたる。まさに雲の上の御方なのだぞ」
 リザの説明によれば、天使にも序列、ヒエラルキーというものがあり、トップがいわゆる神様で、その下にミカエル様やらガブリエル様といった俺でも何となく聖書で名前を聞いたことがあるようなないような熾天使というのがいて、ケルビム様というのはその下あたりにいらっしゃる上位天使様だという。つまり会社で言えば常務か専務取締役ぐらい偉い。ケルビム様の下には更にいくつもの序列があって、俺たち非正規英雄を直接管理している翼ちゃんのような役職も持たない一般天使は最下位にあたるそうだ。
「そんな偉い天使様が何で軽々しくマジックミラー号に姿を見せてるんですかね……」
 と、突っ込みたくもなるが。
「ワイのような上位天使が地上界に顕現するには、とてつもないエネルギーが必要なんや。この姿も本来のワイのものではなく、地上で最も天界と繋がりやすかった場所を選び、この車を依り代とし、ワイのごくごく一部を顕現させたんや」
 とのことだった。
「なるほどなるほど、確かにここは色んな意味でヘブンに近そうだ…」
 なんで関西弁を喋っているのかとか疑問は尽きないが、余計な話はしたくないらしく、ケルビム様は俺たちを車内へと入るよう促した。
 マジックミラー号の外装は数々の動画で見たようなものではなく、これがヘブン風というべきか、抜けるような空色にポップな「DEVIL BUSTERS」というロゴが塗られてあった。ただ、車内はやはりマジックミラー張りとなっている。外の景色が丸見えとなっており、車内にいながらにして羞恥プレイが可能な造りだ。が、撮影機材らしきものはなく、代わりに大型のソファやテーブル、それに今時珍しい大型のデスクトップパソコンが備え付けられている。モニターも三つあった。
 ああ、ここで数々の伝説の動画が撮影されたのか…!
 俺は胸いっぱいに車内の空気を吸い込んだ。
 名シーンの数々が今にも目に浮かぶようで───。
「何を想像してるのか知らないけど」
 呆れたように、リザが言う。
「ここは私たち非正規英雄たちのアジトよ。敵の悪魔からの襲撃に備え、いつでも対処できるように外の景色が見える造りの内装に、移動もできるキャンピングカーはぴったりって訳」
「なるほど、それで中古のマジックミラー号を手に入れたって訳か…」
「デビルバスター号よ!」
 なんだそのクソダサい直球ネーミングは……と思ったが、敢えて言わずにいた。例のお偉い天使ケルビム様が怒りを滲ませた表情で俺を睨んでいたのだ。そういえば天使というのは人の心を読めるのだったな…。
「───つぼみ! この非正規英雄の教育どうなっとるんや!」
「つ、つぼみ!?」
 それもまた伝説のAV女優の名前ではないか。驚いて周囲を見回すが、どこにもあの「つぼみ」の姿などない。
「……ケルビム様」
 弱弱しく声をあげたのは、俺の担当天使である翼ちゃんだった。
 またいつの間にか霞のように現れていた。
 はっ、まさか……。
「あなたのご想像通りですよ……石動堅悟様」
 なるほど、名前にコンプレックスがあった訳ね。
 スマートな俺は、その本名は聞かなかったことにした。
「今まで通り、翼ちゃんって呼んでいいかい?」
「ご随意に」
 ちらりと横目で俺を見て、翼ちゃんは小さく呟く。
 気のせいか、最初に会った時より少しだけ表情が和らいでいる気がした。
「ケルビム様、申し訳ございません。私の管理不足ゆえに……」
「まったくやわ! 非正規とはいえ、英雄としては……」
 ガミガミと怒っている車輪野郎に、翼ちゃんがぺこぺこと頭を下げている。
 むむむ、何だ俺が悪いのか?
 翼ちゃんが怒られていると俺まで怒られた気になってくるではないか。
 直属の上司が更に上の上司に怒られていると、部下まで申し訳ない気持ちになるっていうあれか!
 飲食店やら工事現場やら色んなところでバイトしてきたが、そういう気持ちにはいっぺんもなったことなかった俺が、今は無性に腹立たしいぞ…! 非正規の仕事ばかりしてきたがゆえに自覚することのなかった社会性が、急激に身についていてくるかのようである。
「まぁ、ええやろ」
 一通り翼ちゃんを叱った車輪野郎は、やっと満足したのか今度は俺たちの方を見る。
「おぅ、バイトリーダー!」
「はい」
 リザが前に出る。
 そうか……この強そうでカリスマたっぷりな非正規英雄でも、上位天使様の前じゃしょせんバイトリーダー呼ばわりな訳ね。
「ワイがここにいる理由と、非正規英雄の目的というのを、新人に教えてやれや」
「かしこまりました」
 リザはパソコンの前に進み、キーボードをカチャカチャとタイピングする。
 やがてモニターに幾つかのグラフやら映像やらが出てきた。
「和宮と鹿子には一度説明したけど、堅悟というのね? あなたはここは初めてだし、もう一度説明するわ。私も含め、非正規英雄は天使から選ばれて悪魔討伐の任務にあたっているけれど……」
 リザの説明によれば、非正規英雄が悪魔に敗北、つまり殺されてしまうことも決して珍しくはないという。それはそうだろう。俺もあのユキと名乗ったサハギンに一度は負けて殺されかかった。
「それだけじゃなく、あのアリーナにいた一般人にも多くの被害が出たのは見ていたでしょう…? 何の力も持たない人々にとり、悪魔ははっきりと脅威よ。警察や軍だってあんな奴らを相手にすることはできない。私たちが討伐するしかない」
「まぁ、そうだな……」
 はっきり言って、俺は俺以外の連中がどうなろうと知ったこっちゃなかった。
 こんな将来有望な若者が月給手取り14万でくすぶっているような、そんな不条理で生きにくい社会なんて壊れてしまえと願ったことも一度や二度ではない。
 ただ、ただ……非正規ながら英雄と呼ばれるようになって、心境に多少の変化があったのも確かである。
「私たちは、別に正義の味方をやろうって訳じゃない。ただ、かりそめにも英雄と呼ばれるようになり、悪魔を討伐できる大きな力を得た。その使い方はそれぞれに委ねられている。傭兵のように一人自由気ままに悪魔を狩って報酬を得ていくだけの生活も悪くはないでしょう。でも、それでは多くの命が理不尽に奪われ、多くの悲しみが生まれてしまう……」
 そう言うリザの表情は、いくぶん怒りを含んでいるように見えた。やはり彼女は英雄と呼ばれるに相応しい人物なのだろう。悪魔へ対する怒り、義侠心に燃えているように見えた。
「先程のアリーナでの戦闘で見られたように、悪魔側も組織だって英雄を襲うことが増えている。たった一人で戦っていては、野良の悪魔を討伐することも難しくなるわ。だからこそ、我々も組織を作って対抗しなければならない」
「それがここって訳か」
「そうよ。和宮に鹿子、先日は返事を保留されたけど、今回は承諾してもらいたい。あなた方も、あのアリーナの戦闘で協力して戦わざるを得なくて、共に戦う重要性を認識したことでしょう?」
 リザの演説に対し、和宮と鹿子は顔を見合わせるが、やがて溜息をついて頷いた。
「……不本意だけど、そのようね」
「一対一で戦うのみであれば、俺もこの長剣アンスウェラーさえあれば誰にも負ける気はしないがな……」
「賢明な判断だわ」
 リザは頷き、最後に俺を見る。
「で、あなたはどうする? 石動堅悟?」
「どうするとは……?」
「私たちの組織、デビルバスターズに加わるのか、加わらないのか?」
 やっぱりその名前か。
 俺の脳内で、レイ・パーカー・ジュニアの歌が鳴り響いていた。



 ────


 世は終末。週末ではなく、終末だ。
 見上げた空に広がる曇天と同じくらい、薄暗く息苦しさを覚える灰色の世界。
「こんなこともできねぇのかよ」
「ったく、ほんとに使えねぇ」
「今まで何をやっていた? こんなのは仕事じゃねぇだろ」
「バイトだもんな、しょせん」
「あーあー、もういいから、やる気がねぇんならとっとと帰れ!」
 ……くそっ、くそっ、くそっ……。
 うんざりする。
 やりがいも何もねぇ。
 誰でもできる仕事じゃねぇか。
 俺の代わりなんて幾らでもいるからって、えらそうにしやがって……。
 だからって手を抜いていた訳じゃねぇ。
 俺は俺にできるだけの事をしてきたつもりだが、誰もその頑張りを見ちゃいないし、認めてもくれねぇ。
 挙句の果てには、荒んだ労働環境がそうさせるのか、同僚バイトや社員に余計な仕事を押し付けられたり、できていない責任を俺のせいにされたり……。
 ただでさえ底の見えないぬかるみに腰まで浸かって一歩も動けねぇってのに……。
 もう、足掻くことすらできねぇ。
 もう、立ち上がる気力もねぇ。
 もう、もう、もう……。
 何も、ねぇ。


 ────


「あなたを、臨時雇いの英雄として採用することが決まりました」
「神命に基づき、この地を侵す悪魔を滅しなさい。待つのではなく、あなたが成りなさい。功績も実績もない、栄誉も名誉も存在しない、正規でも公式でもない無名の英雄として、あなたが」
 この言葉に、この状況に。
 ぶっちゃけ言おう、俺は酔っていた。
 だってそうだろう? 神に選ばれた、悪魔を滅す、英雄。
 これほど胸が高鳴るワードを立て続けに出されて、ワクワクしない男の子なんて存在しねえよ。


 ────


「で、あなたはどうする? 石動堅悟?」 
「私たちの組織、デビルバスターズに加わるのか、加わらないのか?」

 この言葉に、この状況に。
 ぶっちゃけ言おう、俺は覚めていた。
 だってそうだろう? 英雄などと言っても、やはり非正規。所詮は使い捨てなんだ。
 デビルバスターズなどという組織に入ったところで、その中で駒にされるだけなのがオチだ。
 ケルビム上位天使とリザのやり取りを見ていてもそれは明らかだ。
 組織に属するということは、これまで俺がやってきたようなバイトと何ら変わることはねぇ。
 そう考えると、あの時のような高揚感はすっかりなりをひそめていた。

「少し、考えさせてくれ……」
 神妙な顔をしてそう言うと、俺はマジックミラー号から降り立った。
 心が読めるという天使のケルビムや翼ちゃんも何も言わなかった。
 俺が本当に逡巡しているというのが分かっているからだろうか。
「堅悟」
 マジックミラー号から少し離れたところで、リザが俺の背中に声をかけた。
「無理強いはしないわ。私にはその権利もない。それにこの戦いは、強制されて嫌々戦っているような戦士が役に立つほど生易しいものじゃない。ただ、あなたが英雄に選ばれたのは、その心が善性に富んでいるからこそだというのを忘れないで」
 善性だって? 
 この俺がか?
 そういえば……。
 バイトの帰り道、交通違反をしていた車をたまたま見つけた。むしゃくしゃしていた俺は、別に正義感でも何でもなく、車の運転手をちょっと困らせてやろうというぐらいの気持ちで通報してやったが、まさか……。
 善性か、善性、ねぇ?
 英雄に選ばれるに相応しい大層ご立派な善性だよなぁ?
 はっ、笑えねぇ。
「俺はそんな大層な人間じゃねぇ」
「英雄に選ばれたのだから、そんなことはないはずよ。それに、悪性の強い人間だったら……気づいていた? 敵は、私たちと戦ってきた悪魔とは、元は人間だということを」
「ああ」
 そうだ。薄々気づいていた。
 俺のボロアパートにデリヘル嬢として現れたユキは、最初は確かに人間の姿をしていた。
 それがいきなり変身してサハギンとなったが、やつも確かに言っていたな。

 ────

「私もまだこのチカラに目覚めてすぐだから慣れてないのよ」

 ────

「私たちの敵は、準悪魔アソシエイト・デビルよ」
「準悪魔…?」
「天使さまたちと同様、地獄に潜む本当の悪魔というのは地上に這い出てくるには膨大なエネルギーが必要らしいの。だから、自分たちの代わりに人間を利用している。それが準悪魔。悪魔に準ずる者たち。悪魔によって悪性を見出され、唆され、人間でありながらあのような力を得た者たちのことよ。欲望のままうごめき、この世界を破壊し、混沌に導こうとしている」
「……」
「準悪魔は人間の姿をすることもできるから、例えば政治家や会社経営者といった大きな影響力をもった人間の中にもいる。彼らはその悪意をもってこの世を乱しているの。そして準悪魔たちが増えてしまうと、ますます世界は闇に包まれてしまう。あのアリーナのように、罪なき多くの人々が殺されてしまう。それを止められるのは私たちだけなのよ」
「だけど、準悪魔も人間なんだろ?」
「悪意に染まった元人間よ」
「つまり、俺に人殺しの手伝いをしろって言ってるんだな?」
「……っ!」
 リザが言葉に詰まった。
 俺は何も言わず、その場を立ち去ろうと歩いていく。
「私は!」
 冷静沈着に見えたリザが、俺の背中へ向けて絶叫した。
「私は、準悪魔によって肉親を殺された! 好むと好まざるとに関わらず、力を持った私たちは戦わなければならない! これは戦争なのよ! 世界を守るための、正義の戦争!」
「……」
 やりたいやつだけがやればいい。
 戦争というが、結局は天使と悪魔の代理戦争じゃねぇか……。
 そう言い返してやろうかとも思ったが、どうせケルビムか翼ちゃんが伝えるだろう。
 振り返ることなく、俺はその場を立ち去った。







「……堅悟さま」
「お、いたのか」
 翼ちゃんの姿を認め、俺は手を止める。
 数日後、俺は工事現場のバイトに勤しんでいた。
 きつい肉体労働、得るのは端金。
 だが生きるためには仕方がない。
「ごらぁ! さぼってんじゃねぇぞバイト!」
 手を止めたのがさっそく見咎められ、怒声が飛んでくる。
「へーい! すいませーん!」
 俺は再びツルハシを握り、力いっぱいに振り下ろす。
 ……誰かさんのせいで、怒られちまったじゃねぇか。
「申し訳ございません。ですが……」
 そう思うんなら、もう俺には話しかけねぇでくれよな。
 どうせ心を読んでいるだろうから、俺は口を開いて話すことなく、心の中でそう呟いた。
「どうか話を聞いてください。この近辺に、悪魔が…!」
「うるせぇ、黙れ!」
 口に出すつもりはなかったのに、思わず怒鳴ってしまう。
「小僧、黙るのはお前だ」
「うげ……」
 悪魔……いや、怒り心頭の現場監督が、俺の前で仁王立ちしていた。






「はぁぁぁ……」
 深い溜息をつき、俺は家路へつく。
「も、申し訳ございません」
 いたたまれない雰囲気を漂わせ、俺の後ろを翼ちゃんがついてくる。
 もういいからついてくるなよ。
「ですが……」
 俺はもう、戦いたくないんだ。
 俺はごちゃごちゃと翻意を促そうとする翼ちゃんを振り切り、駅前の繁華街へと向かう。天使なんざ寄り付かないであろう、ごみ溜めとどぶ板で囲まれた…この埼玉県の田舎町に相応しい、実にこじんまりとしみったれた繁華街だ。
「あ~ら、ハンサムなお兄さん。ちょっと飲んでいかない? 一時間飲み放題でたったの千五百円よ」
 黒髪ソバージュで三十代後半ぐらいのお姉さんが俺を手招きしている。
 今日は風俗って気分じゃないし、千五百円で飲み放題なら安いな…。
 いわゆるガールズバーなのかもしれないが、そんなに安いなら女の子はつかないところなのかもしれない。いや、その方がいい。今日は静かに浴びるように飲みたい気分だ。
 俺はお姉さんに招かれるまま、裏路地にある小さなバーへと入っていく。
「いらっしゃい」
 金髪にピアスをつけたチャラそうな兄ちゃんがバーテンダーをしている。
「バーボン、ロックで」
 ワイルドターキーが出される。
 ぐいっと三秒で飲み干す。
「ジャックダニエルある?」
「ありますよ」
 ジャックダニエルのロックが注がれる。
 それもぐいっと三秒で飲み干す。
「ペース早いですねお客さん」
「飲み放題なんだろ? いいじゃねぇか」
「でも、そんなペースだと体に毒ですよ」
 バーテンダーの兄ちゃんは、金髪にピアスとチャラそうな姿をしているが、意外なほど柔らかく優しい口調で語りかけてくる。
「気遣ってくれなくてもいいよ…たくさん飲みたい気分でさ」
「何かありました?」
「まぁ、ちょっとね」
 バーテンダーの兄ちゃんは無言で頷き、ジムビームのロックが注がれる。
 深くは事情を聞いてこないその気遣いがありがたかった。
 俺はジムビームもぐいっと三秒で飲み干す。
 心地の良いジャズが流れている。
 呼び込みなんてしなくても良さそうな、普通に健全なジャズバーだった。
「バーテンダーのお兄さん一人だけでやってる店?」
「そうですね。少し前までは女の子もいたんですけど……すみませんね、つまらないですか?」
「いや、静かに飲みたかったから別にいいよ」
 ポケットをまさぐるとハイライトが出てきたので、ワイルドターキーの四杯目と共に、ハイライトを吸いながらちびちびと飲むことにした。やはり少しペースが早かったかもしれない。もう酔いが回ってきていた。
「ああ、寒い寒い。外の呼び込みも楽じゃないわー」
「お疲れ様です。姉さん」
「やっぱり私一人じゃねぇ、若い子がいないと中々…」
 俺を呼び込みしていたあのソバージュのお姉さんがバーに入ってきた。
 俺の横に座る。
「あ、クロちゃん。ホットウイスキー作って」
「了解です」
 クロちゃんと呼ばれたバーテンダーの兄ちゃんは、サントリーの角をファンシーな猫のマグカップに注いでレンチンして、出されたホットウイスキーをソバージュの姉さんはちびちびと飲みだした。
「ねぇ、君。一人? どこから来たの?」
「……ひ、一人だけど。近所だよ」
「ふーん。なんか君、死んだ魚みたいな目をしてるね。あはは、髪はツンツンでウニみたいに固い-おっかしい~」
 姉さんは俺の髪をつまみながら、陽気に笑っている。
「はぁ……」
「ちょっと姉さん。お客さん迷惑がってるでしょ?」
「えーいいじゃなーい。この坊や可愛い。お持ち帰りしたーい」
 もう酔っているのか、陽気にソバージュの姉さんが絡んでくる。
 はっきり言って鬱陶しいが、おばさんが年甲斐もなく子供のようにはしゃいでいる姿は、別に人を不快にさせるようなものではなく、むしろ微笑ましく感じる。
「……ふーん。なるほどね」
 姉さんは何だか一人で勝手に納得して、ウイスキーをごくごくと飲み干していく。
「そっか。ユキはこんな坊やにやられたのか」
 その名は。
 全身が総毛だつってのはこういうことを言うのか。
 俺は、五杯目のジャックダニエルを持つ手をピタリと止め、微動だにできなくなった。
「……別に、警戒しなくていいよ。今ここで、あんたを殺そうってんじゃない。少し話をしたくなったんだ」
 ソバージュの姉さんは、ウイスキーのお代わりを飲みながら、俺の方を横目で見ることもなく、歌うように呟いた。
 俺の鼻先にメンソールの紫煙が漂う。ソバージュのお姉さんがピアニッシモを吸っていた。
「ユキはさ……可愛い妹分だったんだよ。いつも一生懸命でさ。男によく騙されては泣いていて、あたしはいつもそれを慰めてやってたんだ。でもまさか、あたしより先に逝っちまうなんてね……まだ、三十にもなってなかったってのに」
 まともに彼女の顔を見られないが、ぽたり、ぽたりと水滴がバーカウンターに滴り落ちていた。
「じゃあ……じゃあ……」
 俺は喉奥にごくりと唾を飲み込み、やっと吐き出すように呟く。
「なんで、多くの人間を、あんなふうに殺して……いたんだ……」
「坊や、あんたは本当に、まだ坊やなんだね!」
 ばしゃっ!
 俺の顔面に、ソバージュのお姉さんがジャックダニエルが入った杯を浴びせる。
「ぐわっ」
 アルコールが目に入って悶絶する俺に、お姉さんはヒールの爪先で俺の腹を蹴り飛ばした。みぞおちに痛烈な蹴りを喰らった俺は、げろげろと嘔吐し、先程飲んだバーボンを吐き出していく。
「そう、せざるを得ない事情というのが我々にもあるんですよ」
 そう呟いたのは、バーテンダーのクロちゃんだった。
 まだアルコールが入ってひりひりと痛む目でぼんやりと見ると、クロちゃんは肌が真っ青になり、こめかみのあたりから羊のような角が二本生えていた。そうか、こいつも準悪魔ってやつなのか。
「この世界は灰色だ。終末だ。多くの人々にとり、とても生きにくい時代だ。あなたもそう思うでしょう? 石動堅悟さん?」
「俺の、名前を……!?」
「ええ、ご存知ですとも。最近デビューした非正規英雄。既に二体の準悪魔を討伐して、その魔力は並々ならぬものだと我々の間でも評判です」
「戦うつもりか、ここで……」
「いえ。さっき姉さんも言ったでしょう? 少し話したくなったのですよ、あなたとね」
 そう言い、クロちゃんはにやりと口角を上げた。
「……殺すだけなら、いつでもできますからね」
 こいつ。
 この穏やかな態度は、自信の表れなのか。
「我々は、反逆軍リベルスは、この不条理な世界の理に反逆する者たちです。そして我々は、準悪魔だけではなく、天使のやり方に反感を覚える非正規英雄をも仲間に加えている。天使たちの側には、準悪魔は一人たりともいませんが、我々の側には非正規英雄が少なからずいる」
「何だと……?」
「あなたもこの世界に不満を抱えているのでしょう、石動堅悟さん? なら、我々と共に、あの高慢ちきな天使どもを倒しませんか? ご安心ください。あなたのアーティファクトの力は既にあなたのものだ。天使たちとの契約を打ち切ったからといってなくなるものではない。非正規英雄を倒した場合の報酬も、我々はしみったれた天使たちと違い、数百万単位で差し上げるおつもりです。また、非正規英雄を倒すだけが準悪魔の仕事ではない。多くのつまらない人間どもを殺すことも仕事のうちになります」
「なぜだ、なぜ人間を殺す…?」
「この世界は、一度破壊しなければならない。天使の理によって成り立つこの世界は、既に腐敗し、取り返しのつかないほどに汚れてしまっている。ならば、我々が一度それを壊し、新たな世界を作る必要があるのです」
「そんなことが……」
「できます。それを可能たらしめるのが、我々やあなたに与えられたアーティファクトの力なのですから。天使も悪魔も元は同じもの。やり方が違うだけです。今の腐った秩序を維持するか、それを壊し、新たな世界を構築するか。あなたはどうなさいますか?」
 俺は……俺は……。
 返答につまり、呆然と立ち尽くす俺に、クロちゃんは優しく俺の手を取った。
「すぐに答えは見つからないでしょう。ただ、私たちと接触したというのは、あなたを管轄する天使も既に察知している。性急な天使どもはすぐに対応してくるでしょう。即ち、あなたからアーティファクトを取り上げようとする。その前に、我々があなたの庇護者になることもできる。明日、またここに来てください。その時までに答えを聞かせて頂ければ結構です」
「ユキを殺したあんたのことは憎いけど、仲間になるというなら許してあげる。良い返事を聞かせてね……」
 ソバージュのお姉さんが、俺をバーの外へといざなう。
 すっかり酔いも覚めてしまった俺は、後ろでギャンギャンと喚いている翼ちゃんの声も聞こえず、呆然としながらとぼとぼと家路についた。






つづく
sage