番外編 魔導青年ウリエル The Power (混じるバジル)

「やっぱりアレは夢だったのかな」

 大学の講義中、隣の席で在間ありまが頭の後ろで手を組んでぼんやりとそう呟いた。その後ろで有吾ゆうごがそれに呼応するように頬杖を付く。

 斜めった講義室の最前では緑板を前にして禿げ頭の教授が経済理論についての経営方針やら概念をガリガリとチョークで書き殴っている。

なぎさはどう思う?」

 在間に尋ねられて俺は利き手でシャーペンを回しながら二人に向き直る。

「大学入って観にいった折角の初ライブがアレじゃあな」

「でも楽しかっただろ?」

 在間が振り返ると口数の少ない有吾が無言で頷く。複雑難解な教授の講義が長引いて周りのだらけた空気が俺たちの会話のトーンを薄めていく。

「…なんか俺、すっげー嫌な経験をした気がするんだよな」

 俺は机に落としたドクターグリップに目をやって当時の記憶を思い出す。瞼に手を当てた俺を見て在間が椅子に背をかけながら陽気な声で笑う。

「良かったジャン。渚、憧れの生パメラさん見れて」

「あのCG演出と声優の生歌との競演は見事だった」

 これまでひと言も言葉を発しなかった有吾がようやく感慨深げに呟いた。実は俺、高校時代からCGアイドル柿崎パメラさんの大ファンで、彼女のキャラソンや声優を務める三島栞さんがパーソナリティを務めているラジオも毎週マストで聴いている。

 今回初めてその憧れのパメラさんが参加するシンデレラライブにこいつらを誘って行ったんだけど、途中で口に出すのもはばかられる様な奇妙な経験をして、そっからどうも俺たちの記憶がそれぞれすれ違っていてライブの感想に誤差が生まれていた。

「確か閉演時間は夕方の5時過ぎだったよな?」

「そんなに早く終わる訳ないだろ。アンコール3回あって危うく終電逃しかけたぞ俺」

「いや、ライブ途中でトラブルが遭って俺達全員会場から出されたと思うんだけど」

「おいおい、渚」

 在間が俺の肩を馴れ馴れしく揺らした(在間とは高校時代からの付き合いで別に仲が悪いという訳じゃない)。在間は俺がこのライブの元ネタになったアニメを勧めたら俺以上にドハマリして、大学で知り合った有吾と一緒に、今はもう完全にそれの普及活動を始めている。

 在間はその時のライブを振り返るようにして俺に言った。

「もうシンデレラの魔法は解けたんだぜ?俺たちは週4で職場に顔出して月10万以下にしかならないバイトをやって、こうやってほとんど居場所の無いFラン大学に通って、ツマンナイ現実と向き合わなくちゃ行けないって訳よ」

 在間が手を離したから後ろを振り向くと有吾がうんうん、と頷いていた。

 コイツが言うように先日3人で行ったライブは確かに映像スタッフの技術力の高さと観客のオーディエンス、歌手やダンサー、演者のパフォーマンスが高度なレベルで成立した素晴らしいライブだった。でも、その記憶さえも何処か曖昧で、例えば誰かが造りだした虚像事実で、それを誰かに見せられていたような気がするんだよな。


 眠っていて悪夢で覚める事がある。血まみれの在間と既に息も絶え絶えの有吾が何者かの強い暴力によって冷たいアスファルトの上に横たわっている。俺はそんなこいつらを棒立ちで見ている夢だ。

 ライブに来た観客達に暴力を振るう複数のソレは――充血しきった真っ赤な瞳で振り返るソレは人の形を保たない血に飢えたモンスターのようななりで次の標準を俺に向けている。状況を切り抜ける力も持たない俺は瞬きもしない内に他の観客達と同じように地面に組み伏せられる。

 しばらくして不気味な銀の光沢を放つ鎧に身を包んだソイツらの頭目が現れてヤツの右腕が大きく上がるとその合図で俺たちは自分達を羽交い絞めにしている悪魔に首を撥ねられて目を覚ますという最悪の夢だ。

 いやいや、そんなのはただの気の迷いに似た俺の夢。仮にこの時代の日本に宇宙人かシュメール人がいるとしてどうやってあの災害レベルで起きた大規模事件を揉み消せようか。

 …個人的な先入観は極力ナシにして、冷静に当時を振り返ってみる。


 さいたま某日、俺たちはグレートアリーナの熱狂の渦に居た。

 午前から始まったそのライブのステージには目まぐるしくアニメ内で結成されたアイドルユニットが色鮮やかなフリフリの衣装を着て観客を大いに沸かせていた。

 今回で4回目となるシンデレラライブはステージ上で該当アイドルのキャラクターボイスを担当する声優が歌う3Dライブ、それにステージ後方に設置された大型電光掲示板によるアニメ演出による2Dライブ、そのふたつを足した前人未到の5Dライブとして全国から6万人の集客を集めていた。

 この日の為に完璧にコールを覚えた俺は腰から下げたウエストポーチに差し込んだ次のソロを歌うアイドルの色を模した青色のサイリウムに手を掛ける。前のパートを担当していたアイドルが次に歌うその子に向かって手を差し向けると会場の眼鏡男子の右腕が一斉に大きく振れた。

「ゆみかさーーん!」思わず俺の唇から溢れ出すエモーション。二本線の熱い涙が頬を伝う。前に居た何人かのファンが俺の方を振り返って怪訝そうな態度でまたステージに顔を戻す。あれ?おかしいな。俺は違和感に気付いて自分が持っていたサイリウムに目を落とす。

「残念、浅葱色だ」

 後ろを振り返すとまるで単身アフガンに乗り込んだランボーのようにホルダーを肩から斜め掛けした有吾が俺を見て勝ち誇った表情で微笑んでいた。

「担当アイドルはマストでしょ」

 ゆみか推しの在間がステージで走り回るゆみかさん役の声優を目で追いながら俺に怒気をぶつけた…こいつら俺よりもハマっていやがる。基本色8本しか持ってこなかった俺はそそくさとその場で小さくサイリウムを振る事しか出来なかった。


「さぁみんなー!これからも盛り上がっていくわよーー!!」

 ゆみかさんが所属するクール系ユニットが舞台袖に掃けて次はお笑い色の強いアダルトチームが色々とキツめの衣装でステージへ勢い良く飛び出してきた。

「おい、トイレタイムだ。空いてる内に行こうぜ」

 一足先に振り返って人ごみを歩き出した在間と有吾を追って俺は会場を出る(入り口で会場スタッフにリストバンドを見せる事で入退場は自由)。

 人の入りが少ない会場脇の便所に入ると隣の小便器の前に立つ在間が俺を見てにやにやと呟いた。

「いよいよ次だな」

「ああ、この日の為に緑のサイリウム二刀流だ」

「ははは、準備完璧じゃん」

「先、行ってる」

 後ろの便器で用を足した有吾が俺達に声を残してその場から立ち去った。次のステージ、正午の12時ちょうどからは魔法がかかるシンデレラの演出と共に今回のファン投票一位になった柿崎パメラさんのソロステージが行われる。

 俺的にはこれが本日のメインステージ。持ち歌である『 Hotel Snowdome 』の演出をBD観た時は心が震え上がった。用を済ませた俺は手洗い台の前に立つとウエストポーチからサイリウムを取り出してボタンを二度、三度押して輝き具合をチェックした。

 俺の気持ちが少しでもパメラさんに、そして彼女に息を吹き込んだ声優の三島栞さんに届くように想いを込めて俺はそれを握り鏡の前でそれを振ってみる。

 馬鹿だな、シラフに戻ったその瞬間、トイレの外から野太い悲鳴が巻き上がった。なんだ?普段道でトラブルが起きても見て見ないフリをするのがマストな俺だが、この時はライブの高揚感でその場を飛び出して声がする方へ飛び出していた。

 機材搬入用の関係者駐車場の茂みの奥、そこに目を落とすとその下からどろっとした赤黒い血がアスファルトと這い伝うように溢れ出してこっちへ流れてきた。興味本位でやって来た野次馬の背筋が凍りつく。間違いない、コレは人間の血だ!

「な~んだ。まだイケニエがいたのかい」

 どこからか調子抜けた声が響き、木の陰から白衣を着た猫背の視線が安定しない男が姿を現した。

「オレはどーもせっかちな性格でね。予定開始時間の十二時五十分を待ちきれずにジェノサイドを始めちまったー」

 その男は掛けていた瓶底の眼鏡を外してレンズを白衣で拭い始めると足元で揺れていた茂みに向かって蹴りを入れた。

「ホレ、いつまで喰ってんだ!また新しい獲物が来たぞお前たち」

 主と思わしきその白衣の男に蹴られたソレはゆっくりと茂みの影から俺達に向かって歩いて姿を現した。

「お、おい。あれって…」

「や、やばくね?警備員呼んでこようぜ」

 ソレの姿を見て俺の後ろでバッと走り出す観客達。彼らを見て白衣の男はゆらりと立ち尽くした異形のソレの背中をポンと叩いた。

「逃がさないよん♪」

「!?」

「ぐあっ」

 突然アスファルトに倒れこむカーゴパンツの男。俺は彼の姿を見て息を呑みこんだ。

「ぎゃあぁあああ!!」

 駐車場一帯に響き渡る男の悲鳴。彼の脹脛には真っ白な細長い柱状の固形物が突き刺さっている。これはまさか、人間の肋骨!?

 驚いて振り返って俺はその生き物と男を見据える。

「さぁ、次はオマエだ」

 不精髭がまばらに散った顔を歪めて笑う男の隣に身長2メートルを超える大型のゾンビがそこに居た。

 憧れのパメラさん出演ライブを直前にしてアガっていたテンションで悲鳴が轟く会場裏の駐車場に来た俺を待ち受けていたのは

白衣を羽織った妖しい男とその従者、そしてそれに攻撃されてアスファルトに横たわる無数の観客達だった。ゾンビを思わせる腐食した肌を持つ怪物がぬらりと茂みからその巨体を現すと「…げろ、逃げろ渚…!」と聞き慣れた声がしてそっちを振り返る。

 そこには俺より先にここに来て怪物の襲撃を受けた在間の姿があった。

「やばいぞ、渚。あいつらは人間じゃない…俺も興味本位で来て見たけどこのザマだ…あいつらが飛ばしてきた…膝に肋骨が突き刺さってる…!」

 俺が目を向けると右足から大量の出血を流した在間が木にもたれかかってヒューヒューと肩で大きく呼吸をしている。激痛で歪む顔からは脂汗が噴き出していた。

「…信じられねぇよな。アイドルライブに来たらゾンビに会えるなんてよ…早く逃げろ渚、あいつらは一体だけじゃない」

 地を這うような唸り声がして辺りを見回すと三方向から目の前のゾンビと似たような姿の化物がこっちに向かってゆっくりと近づいてくる。

「なんだい、もう誰も来ないのかい」

 ゾンビを従えた博士風の男が腕に巻かれた粗悪な造りの時計を眺めた。ゾンビが歩みを止めて司令官の指示を待つようにその場で留まって唸り声を鳴らした。

 一体どうなってんだ?状況を理解しようとゆっくりと息を吸い込むと腐り果てた生肉の異臭が俺の周りを取り囲んだ。「よっこいしょ」茂みから白衣を引きずりながら現れたイカれた博士が俺に向かって素っ頓狂な声を伸ばした。

「そろそろ十二時だ。他の奴らと合流しなくちゃなんねー。抜け駆けして殺害数稼ごうとも思ったけどこのゾンビちゃんが居れば即席英雄インスタントヒーロー、だっけ…?
まー名前忘れちゃったけど、統率の取れてない寄せ集めのシャバい連中には負けねーよ。ともかく、俺のこの肉塊コレクションを見ちゃった以上、お前らには消えてもらう。まずはそいつからだ!やれ!激鉄ちゃん!鎌首ちゃん!」

 白衣を翻して狂人が腕をかざすと在間の傍にいたゾンビの一匹が自分の足に強靭な腕をねじ込んで自らの大腿骨を取り出した。ギリギリと筋繊維の千切れる音が響き、片足になった重心を支えきれなくなった鈍物がその場で倒れ落ちると

もう一体のゾンビがそいつの元まで近づいて取り出した骨を手に取った。そしてそれを鋭く変形した左腕で一瞬の内に尖った槍のような武器に加工し終えた。するとそれを倒れたゾンビの肩にどかっと乱雑に乗せた。

「これは本番用に取っておこうと思ったけどせっかく来てくれたおまえらで試し撃ちさせてもらうかー。肩パルトならぬボーンバリスタだ。これを天使対悪魔の殺戮合戦、開戦の号砲としようじゃないか。
さぁ、ライブ会場までおよそ30ヤード。チームデビルズ所属の俗悪ちゃん、良いキック頼むよ!」

 会場との直線上にいる在間にターゲットを合わせた肩に骨を乗せたゾンビとそれを固定するゾンビの元へ足の速そうな骨と皮だけのゾンビが近づいてきた。ご丁寧に一時期流行った五郎丸ポーズを取ろうとするが既に何処かで腐り落ちたのか、指の数が足りていない。

「やばい、逃げろ在間…!」

 俺が掠れた声を出すが在間はすっかり腰を抜かしてそこから身動きが取れない。何とかしなくちゃ、俺が…!腰に掛けたウエストポーチに指先が触れる。

「…期秒前、死秒前。時刻は十二時。さぁ、キックオフだ!やれ!!」

 見苦しいルーティーンを終えた細身のゾンビが助走をつけて骨バリスタに向かって駆け出すと俺は取り出したサイリウムをそのゾンビに向かって思い切り投げつけた…!

 はずだったが、緊迫したこの場面で汗で滑った緑色のサイリウムは意図しない方向へ飛び、地面で一回転してアスファルトを転がった。するとその上を走ったゾンビがそれに躓いて漫画のような見事なすっころびを見せて頭から倒れ落ちた。その場には頬や尻だった場所から崩れた肉片が散らばった。

「な、何をやっとるんだ!…お前か!」

 博士は一瞬転んだゾンビを自分の子供を心配するような仕草で手を伸ばしたがすぐに俺の方に向き直って瓶底越しに俺を睨みつけた。

「こんの、礼儀知らずのクソガキがァ!ライブ前に映像流れなかったか?サイリウムの投擲はお止めくださいってなァ!取れちまった肉をボンドで留めんの、大変なんだぞォ、コラァ!!
お前からあの世に送ってやる!…脳殺ちゃん!」

 ゾンビの飼い主である博士が血走った目で喚き散らすと俺の背後から近づいてきた一番最初に見た大柄のゾンビが俺の身体を抱きかかえた。鼻腔を猛烈な異臭が包み込んで一瞬の間に臭覚が麻痺する。

「ちょ、離せ!…ぶぇ」

 俺が振り返ると既に眼球が取れ落ちた眼窩の中からミミズの親子が頭を出した。鼻はヴォルデモート卿のように擦り切れ、顔の前に組まれた両腕からは奇妙な色をした寄生植物が植え育っている。

「さぁ、人間黒ひげ危機一髪だ!腸か肝臓か、何が飛び出すかはお楽しみ!それでは先生、お願いします!」

 気狂い博士が指を鳴らすと俺の背中からギリギリと硬質な何かがせり上がってくる感触が身体を伝って響く。

「肋骨が飛び出すぞ!」

 俺が来る前に肋骨ミサイルで足をやられた有吾が俺とゾンビに向かって懸命に声を出した。あいつもまた他の観客と同じようにアスファルトの上を転がっていてその影にはおびただしい血が流れていた。

 ダメだ、やられる…!助けてパメラさん…!俺が死を覚悟した瞬間、視界を真っ白な光が包み込んだ。

「身を張って一般市民守ろうとする強い正義感!まさにヒーローと呼ぶに相応しい!キミの英雄としての資質、見せてもらった!」

「な、なんだ!」

 辺りを包み込んだ強烈な光が鳴り止むと俺たちの間ににこやかな笑顔を浮かべた長身の男が立ち尽くしている。

「我が名は力天使、ウリエル!行き成りゾンビが出てきて怖かっただろう?余りの唐突さにチビっちゃう暇もなかっただろう?でももう大丈夫!この場はこの僕が受け持った!」

「力天使、だと!」

 突然現れた俺と同い年位の男が足元に舞い上がる木の葉を演出にして俺達に向かって見得を切った。

「力天使、だと!?」

 目を開いたゾンビの飼い主がその男に声を向けると、天使と名乗った男は背景に咲かせた薔薇をひとつ取り出してその茎を咥えて「やぁ」と小さく腕を広げた。

 一体何がどうなってるんだ?もしかして俺、死んじまってコミックの世界に転生しちまったのか?俺は緩んでいた脳殺――と呼ばれていたゾンビの腕輪の下を抜けて、その場を駆けて倒れこんでいた在間の肩に手を掛けて身体を起こすと、その先にいる有吾の元へ合流した。

「ありがとう」

「助かった」

「馬鹿言え、まだあいつらが襲ってくるぞ」

 俺は振り返ってマヌケな顔でこっちを眺めている木偶の坊の姿を見て路上に唾を吐く。

「やや、隙をついて敵の手を逃れて更に仲間を救うとは!…いいねーキミ、ヒーローとしての素質をビンビンに感じるよー」

 振り返らずに男が小さく三回拍手すると俺は褒められてるんだか、小馬鹿にされてるんだか分からずに顔にこびりついたゾンビの肉片を拭った。

 よく見ると天使と名乗ったその男の背中には光の粒子が形を整えていき、羽らしき形状を構成し始めた。

 更に目を凝らしてみれば、頭頂部にも何やら輪っかのようなものが、光の加減によって薄っすらと見えたり見えなかったりしている。

「…天、使……」

 有吾の口から2ちゃんのピンク板コピペのような台詞が零れて俺と在間が笑いを堪える。こんな場面だってのになんで笑ってんだ俺たち。気が付くと在間と有吾の傷が消えていた。

「特別サービスだよ。闘いに解説役がいなくちゃ詰まらないだろう?」

 天使と名乗った男は俺たちに気取った声を飛ばすとゾンビ4体とそれを操るマッドサイエンティストに向かって「キミが今回のライブ会場襲撃事件の首謀者かい?」と尋ねた。

「いや、違うな」

 相手の答えを待たずにその男は考え込むように自分の額に拳を当てた。

「悪魔の大総統があんな貧相な外見で醜悪な使い魔をはべらせている筈が無い。さいたまグレートアリーナの収容人数は確か六万人超。これだけの数を襲うには悪魔とはいえそれなりの格と言うものがある。

それに他の仲間とは手を組まずに単独で民間人を襲い始めた……つまり、キミは邪悪武装を手に入れたばかりの下っ端悪魔だという訳だね!」

「うるさい!だまれ!どいつもこいつも俺を馬鹿にしやがって!」

 悪魔、と呼ばれたその博士が取り乱しながらその天使に向かって口角泡を飛ばした。

「フン、俺の名前は久慈友和。三十を過ぎて何者にも成れなかった駄目人間の成れの果てよ。俺は何もかもを失ったその日、酒場で悪魔と名乗る奇妙な男と出合った。
意識を失い、目が覚めて家に変えると俺は死者の身体を自由に組み替えて新しい人体として生成できる能力を手に入れていた。それでこのゾンビ4体を秘密裏に造り出してこの大舞台で一旗上げようっていう目論みさー」

「おお、なんと。死人を弄繰り回して新たな生命への改変…文字通りの悪魔の所業。まさに神への冒涜だね」

 自分が天使だと名乗ったその男は貧血気味の女子のようにふらついた動きを見せてその場でよろめきながらステップを踏んだ。

「故にお前、さっき天使と名乗ったか?はは、これは良い!」

 自ら久慈と名乗ったその博士風の男は利き手を上げてゾンビ達に襲撃の構えを取らせた。「ヤバイぞ!」身の危険を感じて俺たちはその場を立ち上がった。

「知ってるかー小童ども。天使はいつ如何なる時も中立。よってお前たちを助ける義務はない。この天使がお前らにやっかいな能力を授ける前に殺してしまえば問題ない。骨要員の激鉄ちゃん、準備!」

 片膝をついたゾンビが低い唸り声を這わせて両腕を上げると腹部の皮を引き裂いて真っ白な肋骨が姿を表した。その背中をさっきキックミスを犯したゾンビが汚名返上とばかりに蹴り飛ばすと六本の肋骨がこっちに向かって射出された。

「速い!避けられない!」

「安心して、大丈夫」

 矢のように飛ばされた骨が俺たちの前に向かってくると目の前で俺たちを包み込む灰色のバリアーが生成された。

「な、なにをする!貴様、天使のくせに人間共の手助けをするつもりか!?」

 地面に転がった骨越しに男を見上げるとさっき身に纏っていたオーラとは別の穏かな色の気が彼の周りを包み込んでいた。

「天使の位ならもう、とうに捨てたよ。今の僕は一人のただの青年男性。普段は瓜江累うりえるいとして戸籍を取って週5でパートで働いてる」

「な、天使がバイトだと!?」

「ああ、キミ達には説明しなきゃだよね?」

 瓜江と名乗った男が長い髪をかき上げて俺たちを振り返った。

「天使にもパートの役職みたいに階級がある。一番偉い天使の下に智天使、座天使。その下に中位三隊として主天使、能天使、そして僕が居た力天使と並ぶ。更にその下は下位三隊といわれ、彼らと戦う英雄を見出すのは最下位の天使と呼ばれている。
ちなみに力天使はいるが、技天使や心天使はいない。状況が状況だ。詳しいことは自分のSiriにでも尋ねたまえ!」

 力天使ウリエルこと瓜江累はそこまで言って解説をぶん投げるとゾンビ達に向かって両手をかざした。発せられた威圧感にゾンビ達が本能的に一歩後退する。

「さっきも話したが今の僕は普通の非正規の英雄と同じ扱いだ。人間界に混じって目の前に悪魔ゴミが転がってたら気まぐれで始末する…天界はどうも僕には退屈でね。我が侭を言って魂を地球に落としてもらった。
まぁ天界と地上では勝手が違うから、流石に魔力は全盛期の1/10に落ちてしまったがね」

「な、なにをビビッている!さっさとアイツら皆殺しにしろ!」

 久慈が声を張るとゾンビ達が顔を見合わせた後、ゆっくりと瓜江に向かって歩き出した。その姿を見て瓜江は一切気にする素振りを見せずに長いチェックの入った緑色のロングコートからペンとメモ帳を取り出した。

「今キミはこのゾンビ達に一般人を皆殺しにしろ、と言ったね?それは何のために殺すんだい?」

「な、この場に及んで何を言っている!」

 久慈は欠けた前歯の間から唾を飛ばしながら瓜江に向かって拳を握り締めた。

「大悪魔からオーパーツを貰った我々準悪魔は人間を殺してこの世を混沌に導くのが仕事だろうが!」

「人を殺すには特に理由は無いか…」

「フフ、俺も既に人の道を外れた男。そんな俺にあの方達はこんな便利な力を与えてくださった。いいか、お前ら!これは言うなれば聖戦よ。俺を使い物にならんと切り捨てた社会への復讐だ!」

 瓜江はサラサラとメモに書き記していたペンの頭をノックすると、ゾンビとそれを使役する久慈に向き直った。

「おかしいな、今の悪魔はただ自分の破壊欲求を満たす為に闘っているのか」

「さっきから何なんじゃ、助けがくるまでの時間稼ぎか。さっさと天界とは別の所に送ってくれる!」

 今度は久慈が腕をかざすとゾンビ達が一斉に瓜江に向かって走り出した。パン、と大きな音を立てて瓜江がノートを閉じるとゾンビ達の足が止まり、その体がシャボンのような円形の泡に包まれてそれぞれに宙に浮かべられた。

「キミ達準悪魔にはただ人を殺して暴れる他に邪悪武装によって魔力を回収する仕事も兼ねている筈だ。一般的な成人男性を殺したところで得られる魔力はほんの極少。
キミ達の本来の目的はこの会場の人間六万人を人質にとって現れた強力な魔力を持つ英雄を殺す事だろ?こんな所でわざわざ独りで暴れている時点で人間だった頃の頭の程度が知れるね」

「な、なにを言う!まともに会話も成立しないような無能な連中と組んでも足を引っ張ると考えて単独で動いているだけじゃ!これは俺側の過失ではない!俺の意思だ!」

 博士キャラを気取っていた久慈の喋りにところどころ、人間らしい方言が綻んできた。

「なるほど、美しくない」

 泡を引き寄せた瓜江がゾンビのひとつを顔を歪めながら眺めている。

「ところで、博士。これだけの邦人の死体、何処で手に入れたんだい?」

「あっ」それを聞いて俺たちの背筋が凍りつく。久慈が肩を揺らして薄気味悪く笑い始めた。

「フフ、言わんでも分かるじゃろ。例の災害で流れてきた死体の使える部位を集めて最強の人間を造りあげたんじゃ。初めて俗悪ちゃんを造ったのは5年前の夏だったかなぁ…蛆がたかって管理が大変じゃった」

「…心の壊れたネクロフィリアか。僕もこの衣服にこびり付くようなコープスの爆臭にはウップスだよ」

 瓜江はシャボンを指で弾くと手首を返してその手をぐっと強く握り締めた。

「キミ達は本来この地上に留まってはいけない生命なんだ。天へお帰り」

 次の瞬間、4体のゾンビを包んでいたシャボン玉が一息に割れ、辺りには粘ついた液体がアスファルトそこらじゅうに散らばった。

「な、貴様!ワシが手塩にかけて造りあげた可愛いゾンビ達を!…許せん!こうなったら俺自ら貴様らに手を下してやる!」

 久慈は白衣を翻して注射器を取り出すとそれを自分の肩に打ち込んだ。

「見てなよ。あれがよく漫画で見られる悪者の負けフラグだ」

 瓜江がこっちを振り返ると有吾が無言でこくこく、と頷いた。久慈の身体がみるみる膨れ上がり、服を引き裂いた上腕筋が緑色に変わっていく。その姿はアメコミにしばしば登場するミュータントのようだった。

「ぐぉぉっぉおおおお!!!殺してやる!!コロシてやるぞぉぉぉおおおお!!!」

 大きく開いた口からスライム状の溶解液を垂れ流しながら完璧な悪魔と化した久慈が瓜江に向かって、ずだん、ずだんとアスファルトをへこませながら一歩、一歩片足飛びのような動きで近づいてくる。

「残念だが僕がメモを取るフリをしている間に詠唱は終了している」

 異形と化した久慈を一切気に留めることなく瓜江は長いまつ毛に止まった羽虫を指で弾いた。そしてその奥に有る冷たい瞳でにじり寄るバケモノを睨みつけた。

「キミ、僕の名前がウニに似てる、って馬鹿にしたよね?」

「!?」

 バケモノの動きが止まるとその周りの空中に5本の白い刃のような物体が浮かび、それらが一斉に元・人間久慈の身体に突き立てられた。

「アリストテレスの奥歯。僕が天界に居た時兄弟子に付けられた渾名でね。僕の家系に代々伝わる秘法なんだけど、僕の名前が地上の雲丹に似ているとかでしばらく自主的に封印してたんだ。
宙に生やした5本の刃は対象の命が尽きるまでそれを噛み砕く。おまけにどこまでも相手を追いかける自動追尾付きだ」

 大きく響き渡る怪物の悲鳴。咀嚼するように皮膚に突き刺さるその刃は肉を貫いて辺りには赤黒い血が噴き出している。あまりの凄惨な光景に俺たちは思わず目を背ける。

「が、た、たすけて、かぁさん…!」

「おや、やっぱり自己再生能力持ちだったか。生命を身勝手に扱った報いだ。本来人間であれば一度で済む死の痛みを何度も体験できるなんて素晴らしいじゃないか!」

「おのれぇぇええええ!!ウリエル、ウリエ、ウリ、う……」

息も絶え絶えに縮んだ久慈の姿が再生能力で膨れ上がるとその身体を再び奥歯と名づけられた刃がその身体を噛み砕く。悲鳴と血液が周りに散らばってそれが収まるとまた刃がその身に突き立てられる。その終わる事の無い例えようのない暴力は一定間隔で機械的に留まることなく行われていた。

「やれやれ、永遠の生命というのは、虚しいものだね」

 すっかり猫と同じ位の大きさに縮んだバケモノがキシャーと叫び声をあげながら茂みにその身を投げ込んだ。「これで、ひと段落か」瓜江がコートの埃を手で拭うと地面を這いつくばっていたライブの観客達は無傷で立ち上がった。

「あれ?俺生きてる」

「あのバケモノはどうなったんだ…!?」

「はいはい、みんなー起きた人からコッチに来てー」

 瓜江が怪我から立ち直った俺たちに向かって先導する。そしてメン・イン・ブラックでウィルスミスが持っていたような細長いゲームのコントローラに似た器具をコートの中から取り出してそれを右手に構えた。

「キミ達がここで見たものは全て夢だ。ハイ、みんな笑ってー…もっと自然な笑顔で頼むよ。ハイ、チーズ!」

 パシャリ!と金属的な音が響いて俺は気が付くと自分の部屋にいた。ケータイの日付はライブが行われた日になっている。

「アレは夢だったのか…?いや、そうじゃない、悪魔の襲撃は本当にあった…!」

 俺はウエストポーチに入っていた欠けた緑色のサイリウムを見つめながらあの時の体験を思い出し、震える体を堪える事が出来なかった。


「ねぇ、これ準チョコレートだってー」

「これがチョコレートじゃなかったら何だっていうんだよなーハハハ!」

――大学の講義が終わってコンビニのバイト中。商品陳列をやっていた俺の後ろでカップルが木のような形のアイスの袋裏に書かれた製品情報を眺めながら馬鹿みたいな会話を繰り返している。

 あの日グレートアリーナの駐車場で俺達の前に現れた変な博士も自分が準悪魔だと名乗っていた。ドーピングでバケモノに変身したあの姿は悪魔そのものだった。

 誰も気付くことは無いが、俺達が過ごす日常には悪魔と天使、そして英雄が溢れかえっている…ネットニュースを覗いても、身銭を切って新聞を買って全面眺めてもどこにも書かれていないような経験を俺達は確かにした。俺達に襲い掛かってきたあの異形のバケモノ。アレが悪魔じゃなかったら何だって言うんだ。

 そしてあの久慈というおっさん、死ぬ間際に母親を呼んでいた。俺も自分の不幸を世の中のせいにするようなみじめな大人にならないよう、勉強して良い会社に就職しなくちゃな。

 そんな独り暮らしの部屋に黒蟲が出たから部屋を綺麗に片付けよう、みたいな何週間続くか分からないような決意を胸に接客をしているとひとりの男がレジに並び、缶ジュースを差し出した。

「130円のお会計ですので、20円のお返しになります」

「ありがとね」

 客である同い年くらいに兄ちゃんが小銭を出すと、俺もレジからつり銭を手渡す。それは一日の勤務でも一度あるかないかの、ダンスステップでも踊るような無駄の無い完璧な動きだった。

 あの人、何処かで。名前を思い出そうにもその名前がなぜか俺の口から出てこない。自動ドアをくぐったその男の後姿をじっと見つめる。きっとあの男は手に持った缶ジュースを飲み干したらまた何処か、悪魔の匂いのする場所へ向かうのだろう。

 そんな俺の根拠の無い妄想は後ろに陳列されたタバコの番号を叫ぶおっさんの声によってこの世にしっかりと足を着けて現実に引き戻された。



番外編 魔導青年ウリエル The Power 完 
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