Neetel Inside ニートノベル
表紙

非正規英雄(アルバイトヒーロー)
第十八話 キョータとふしぎなサウナ (混じるバジル)

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 新神戸にある不夜城・神戸サウナ。熱気立つ3種のサウナルームが設置されたその階でも一段と強い熱を放つメインサウナルーム。

 横長く置かれた3段のひな壇の中央には膝上にタオルを掛けて腕組をし、ひとりじっと熱気に耐えるキョータの姿があった。

 瓜江から言い渡された修行に取り組んで早3日。初日はこの不夜城特有の猛烈な暑さに耐え切れずわずか1時間でリタイアを喫し、旅館に戻った後も激しい頭痛に悩まされたが徐々に身体が成れ、3日目の今日は午前中からこのサウナルームに篭もって蒸気にその身を晒していた。目を閉じて意識を集中させる。

 あの日マッチアップして闘う事になった四大幹部の一人。自分を見下すようにため息をついたクトゥグアの姿を思い出してキョータは思わず拳の腹を座っている木製のベンチに叩きつける。

「クソッ!」確かに『硬質化』の能力を強化すれば一度受けたあの炎は防げるようになるかも知れない。しかしこんなやり方で強く成れるのか?

 俺たちの力であの悪魔四大幹部やその上の装甲三柱に勝つ事が出来るのか?

「クソォ、わかんねぇぜ!ウリエルよぉ…」

「お、キョータ君。今日は早いね」

 悩んで頭を抱えるキョータの視界にここのサウナなじみの客が三人組みで恰幅の良い身体の腰にタオルを巻いて現れた。

「うぃっす。先に頂いてます」

「結構良い汗かいてるじゃなーい」

「今日はもう3セット目です」

 ※サウナは1セットをサウナ→水風呂→休憩と数える。

「へーすごいじゃないー。最近の若いコは暑さに強いんだねー」

「いや、俺が特別なんだと思います」キョータは崩れた前髪を後ろに掻き上がると近くに座った中年客に向かってキメ顔でこう答えた。

「オレ、暑さ感じない体質なんすよ」

 某サウナ漫画の名ゼリフを引用したキョータを三方向から取り囲んで座る中年達は特別反応を見せずにその場に留まって暑さに耐えていた。

「あれ、スベッたか?」キョータがタオルで汗を拭うと突然入り口の扉の方から蒸気を孕んだ熱風が勢い良く吹き寄せて来た。

「な、なんだ?ロウリュの時間はまだ…!」

 ※サウナで店員がストーンに水をかけて水蒸気を発生させるサービス。体感温度を上げて発汗作用を促進する効果がある。

『聞いたぞ今鐘キョータ君』

 重いドアが開きその向こうから低い男の声が聞こえる。辺りに居た中年たちの姿は消え、キョータは立ち上がってその声がする方向を眺めた。

「ハッ、奴等の使い魔がオレの命を狙って来やがったか。わざわざ神戸までご苦労なこったぜ」

 両腕に自身のアーティファクト、カタール型の手甲『コモン・アンコモン』を具現化するとキョータは声の主に向かって見栄を切った。

「逃げ場の無い密室で勝負とは考えたな。きやがれ!この準悪魔!」

「フフフ…」

 不敵に笑う謎の襲来者の声がサウナルームに響く。分厚い蒸気の渦が男の姿を包み込んだ。


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「そしてコッペリウス博士は、大切に作った人形をスワニルダに無残に壊され悲嘆にくれてしまいました。ああ、なんて可哀想なコッペリア!」

「…まだその話続けるつもり?」

 埼玉県秩父市のとある山奥。瓜江にコンビネーションを磨くよう言い渡された天音と鹿子のふたりは夕暮れ時に焚き火を囲んで釣り上げた川魚を焼き上げていた。

 バレエ演目のあらすじを身振り手振りで紹介する天音の姿を見て鹿子が飽き飽きした口調であしらおうとした。

「やだなぁ。かのん先輩が全然っ、飲み込み悪いから私が座学講義からしてあげてるんじゃないですかぁ」

 悪びれる様子もなく天音が強い口調をぶつけるのは昼間に行った特訓で鹿子が目も当てられない低調なパフォーマンスに終わったからだ。

 元々鹿子は英雄として、今を生きる女子高生として自分一人だけで行動してきた。探偵業もそうだが誰かと一緒に息を合わせて何かをする事は性に合わない。

 アルミコップに注がれたスティックシュガーを振っただけの水を飲んで、鹿子は事務所に置かれたコーヒーが飲みたいと願った。

「こないだ会ったばかりの能力者と一日、二日合わせただけで完璧に連携が取れるようになるなんて無理無理。能力そのものの相性もあるし、闘いの中で安易に組み合わせられるモンじゃないよ」

「むー、それじゃかのん先輩はどういうアーティファクトの組み合わせが良いと思うんですか?私、こんなばっちい所から一日も早く帰還したいんですけど」

 魚に寄ってきた銀バエを手で追い払いながら天音は鹿子に向かって口を膨らませた。

「私だって同じ気持ちだし。たとえばアイツみたいに一人が敵と正対して私が背後からドカーンとトールで不意打ちを狙うのが一番成功率が高いかな」

「あの、ずっと気になってたんですけど…鹿子先輩と和宮さんってどんな関係なんですか?」

 天音のマジな視線に魚の串に手を伸ばした鹿子の動きが止まる。

「いや、私もアイツも長くこの仕事を続けてるけどこれだけ長い間一緒に行動するのは初めてだよ?別にアイツの事、なんとも思ってないし」

「嘘。そのリアクションは絶対なんかある」

 見透かしたような瞳の天音を見て鹿子は「ホントにないって」と強く弁解した。煌々とした夜空の下でガールズトークが続いていた。


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「さぁ、さっさときやがれこの悪魔!訳わかんねぇ修行ばっかでムカついてんだ!すぐに終わらせてやる!」

「やれやれ。3日も居てまだこの修行、いやご褒美の素晴らしさに気付いていないのか」

「な、何を言ってる!早く姿を見せやがれ!」

 キョータが手甲のはめられた腕を振るうと扉の奥からきょむ、きょむとアニメキャラが歩くような音が鳴り、薄くなった蒸気の影からクマのサウナキャップを被った3頭身ほどの中年男性が姿を現してキョータに向かって右腕を立てた。

「やあ。私の名は軽石ファート。日本とドイツのハーフ。サウナ大好きおじさんだよ」

「むめめぇーーー!!」


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「私がバレエを始めたの6歳の時。バレエ審査員だったおばあちゃんの影響で純白のレオタードに身を包んだ私は他の女の子と比べて少し太っていた。演技をするために病的にまで痩せた子達の中で私は10歳の時に出た発表会で決勝まで選び抜かれた。
そして最後の演目を終えて開催者の口から優勝者、秋風天音の名が告げられた。嬉しかった。これまでの苦しい努力が報われたと思った。でも閉幕後に控え室で審査員の一人が言ったの。お前を優勝させたのはデブがバレエを踊れる物珍しさからだって」

「あのさ、天音」

「ん?なんですか先輩」

「浸りすぎ」

 目の前で自分が破壊するはずだった大岩を天音が空気の刃で切り刻んでしまったから、鹿子は振り上げたトールを苦々しい表情でそのまま能力解除した。

「すいません。あの時の腐りきった控え室の空気を思い出したらつい怒りがこみ上げてきてしまって…でも結果オーライですよね!こうやって制限時間内にターゲットを破壊できたし」

 魔靴の能力を解除して雑木林の小枝を踏みしめた天音を振り返って鹿子は言った。

「サポートが味方の邪魔してどうすんのよ。あんたのアーティファクトじゃ前衛は無理なんだから私の進路にある木だけ切らなきゃ特訓にならないでしょ」

「うーん。でもこんな事続けててもあの名状しがたい連中には勝てないと思うんですよねぇ」

 崩れたツインテールの毛先を指先で弄ぶ天音を見て鹿子は呆れたようにため息をついた。自身のトレードマークのキャップを被りなおすとやっかいな相手とコンビを組ませてくれたな、と鹿子は瓜江を呪う。

 この天音というコは前もって決めた戦術より自分のインスピレーションを優先して動くタイプ。一人の身勝手な行動は戦場では部隊の壊滅に直結する。ガラではないがここは英雄の先輩として天音に強く言うしかない。

「あ、そうだ。良い事思いつきました」

「えっ?」

「私がかのん先輩の言うとおりに動くんじゃなくて、かのん先輩が私の言うとおりに動けば良いんですよ!」

「…やれやれ」再びキャップを深く被りなおす鹿子。こうなってしまったらすっかり天音のペース。

「とりあえずやらせてみるか。せっかくの特訓だしやってごらん。それでうまく行くんならそれで良い」

「やったー!じゃあ、先輩、コレ着てみてください!」

 そう言ってキャリーケースから取り出したのは年季の入った着古したバレエレオタード。げんなりする鹿子の表情をよそに天音は目を輝かせて鼻息を噴き出した。

「何事もまずは形からです!ああ、逃げないで!先輩の体系だったら入りますって!」

「…アホ臭くてやってやれるか!」


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 予想外の風貌をした襲来者に思わず鼻水を噴き出してしまった今鐘キョータ。軽石と名乗った中年男性の顔をしたその生き物は小さな身体を弾ませるように歩きながらひょい、とベンチに腰掛けた。

 すれ違ったキョータが彼の姿をまじまじと眺めると「こら、他のサウニシャンの身体をじろじろ見るのはマナー違反だぞ」と怒られた。

「瓜江君から話は聞いている。まぁ、座りたまえ」

 自分の半分くらいの大きさ程しかない軽石になだめられ、キョータは能力を解除し少し距離を置いてベンチに座る。そこでキョータはようやくある違和感に気付く。さっきまでとはこのサウナルームの雰囲気が変わっている。

「あんたも瓜江と同じような能力者なのか?」

 キョータの問いに軽石は目の前の砂時計を見ながらかすかに頷いた。

「入室中にむやみに会話を交わすのはバッドマナーだが、最初だから答えておく。私はキミのように過去に非正規英雄として日夜、敵対する悪魔と闘っていた。闘志を全面に出したファイトスタイルで鮮やかに敵を退ける私のその姿は『熱風』と呼ばれ、母国では名の知れた戦士だった」

「その『熱風』さんがなんでこんな場末のサウナに居るんだよ?」

「年長者の話は最後まで聞きたまえ。キョータ君」

「アッハイ」

「永きにわたる戦いの中で私はふと癒しを求めて世界各国のサウナ巡りを始めた。そして遂に出逢ったんだ!この美しい国、ニッポンのサウナに!」

「はぁ」

「日本のサウナは非常に衛生的でイメージもクリーン。その上利用客のニーズに幅広く合わせて作られている。流石はオモテナシの国!日本という国は平和だ。ドイツ風呂のように全裸の女に金絡みでしつこく関係を迫られたり、入浴中に頭を殴られたり、シャンプーをしている際に無限に頭に容器をプッシュされたりすることも無い!」

「ソースネ。ヨカッタッスネ」

「日本のサウナの魅力に取り付かれた私はこの国で一人の人間として暮らしたいと願った。そして私は家族を捨て、国を捨て、能力まで棄てこの神戸の地に移住を決めたのだ」

「おい、ちょと待て!能力を棄てたって…あんた今、英雄じゃねぇのか?こんな馬鹿げた娯楽に全てを捨てるなんてどういう神経してんだよ。悪魔と闘う事が嫌んなって投げ出しただけじゃねーのか?」

 ベンチの後ろの段に両肩を突いてあざけ笑うキョータの声を受けて軽石のサウナキャップの耳がぴくりと揺れた。

「…今の言葉、聞き捨てらないな」

 低い声を放ち軽石がゆっくりと両腕を組むと突然サウナルームの温度が急上昇し、入り口の扉から突風が吹き寄せて来た。

「な、何!?あんた、やっぱり…!」

 立ち上がって顔の前で腕を交差させて熱風をやり過ごすキョータ。軽石は再び入り口の前に立つと反射した眼鏡越しにキョータを見つめて言った。

「今の私の能力は特定の部屋を自らが創り出した部屋に交換する『 EX-change 』。この部屋では私が望んだ通りの事象が起きる。今鐘キョータ、キミにはこの部屋でサウナの真の魅力に目覚めてもらうぞ」

「ハッ、そういうことかよ。どのみち、ああやって常識的な暑さに耐えてた所で手詰まりだったんだ。これが修行だってんなら、とことん付き合ってやらあ!」

「良い返事だ。キミにはこの“馬鹿げた”修行に付き合ってもらう」

 灼熱のサウナルームで向かい合うキョータと軽石。温度計は破裂し、砂時計は逆回転する。部屋全体を多い尽くす蒸気を食い潰すような熱風がふたりを包み込んだ。


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「大分良くなったじゃないですか!先輩!」

「…まさか本当にコレやるなんてね」

 後方で天音が弾んだ声を上げると鹿子が砕いた大岩の破片を眺めながら汗を拭った。

「この調子ならこの戦術、すぐにでも実践投入できますよ!」

「うん。でもなんかしっくりこないんだよなぁ」

「大丈夫ですって!先輩とっても可愛いし似合ってますよ!」

「…それってどういう意味。まぁ現状これしかないし、とにかくこの形を磨くわよ。天音、次の岩はどこ?」

「あっ、この辺の大岩全部、私たちで潰しちゃいました!テヘッ」

「ったくしょうがないわね。後でイレーサー使うの忘れないでよ。地形が変わってる事がバレちゃうと今後私たちが行動しづらくなる」

 狩場を変え、キャンプを張った河川敷に戻るふたり。するとそこには見慣れた人影があった。

「待って」

 鹿子が天音を呼び止めて耳打ちをした。

「特訓の成果を見せてやろう」

 そう言うとふたりは含み笑いを堪えて雑木林の反対側に周った。


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「ほらぁああ!どうだ!キョータ!これが本場のアウフグースだぁぁ!!」

「うぉおおお!すげー暑さだぜ!軽石のおっさん!」

「おっさん呼びは止めろー!この部屋ではマイスターと呼べ!」

 常軌を逸した蒸気にまみれたサウナルームでキョータの前に立った軽石が顔を紅潮させてタオルを仰いでいる。これは一般的にアウフグースと呼ばれるプレイでマイスターがロウリュを行い、タオルなどを振り回して蒸気を室内に広げ、入浴客を仰いで発汗させるのが目的とされている。

「だー、疲れた!ちょっと休憩ね」

 3頭身のちんちくりんサウナおじさんはこのプレイがひどく肩に堪えるらしく、部屋を飛び出すと勢い良く水風呂に飛び込む音が響いた。「…ちゃんと身体を洗えっての」小言を言いながらキョータはベンチに腰を掛けた。

 軽石の協力を受け、確かに熱風には耐えられるようにはなった。ただこんな事であのクトゥグアの炎が防げるだろうか?膝の上で肘を突き、両手を組んでキョータは考え込む。もっと実践的な訓練が必要だ。

「おー、ファートさんやってるー?アレ、そこのボウヤは…新入りかい?」

 ドアが開き、軽い口調の男がサウナルームに入ってくる。その声に気付いてキョータは思わずその場を立ち上がる。今の新入りかと尋ねた言動、そしてこの部屋に入って来られるという事は彼もまたなんかしらの能力キーを持つ英雄のひとりであることが想像された。

「ほー、見たところまだ未成年じゃん。英雄側はそこまで人手不足だとは聞いては無かったけどね」

 キョータは腰にタオルの巻かれたその男の身体をじっと眺めた。長身に鍛え上げられた筋肉。全身いたる箇所につけられた古い切り傷を見てかなりの猛者であることが伺える。

「オレの名はナイル倉敷。九州を拠点に活動するチャチな双剣使いさ。同業者だ、仲良くやろうぜ」

 どかっとキョータの隣に座ったその男は髭面の奥にニヒルな笑みを浮かべながら友好の証しとして拳を突き出した。すると部屋の壁に設置された時計の秒針が頂点に周り部屋の温度が一定に保たれた。

「ハッ、食えねぇおっさんだぜ」

 キョータはナイルと拳をぶつけ合うと歯を見せて笑いながら髪を掻き上げた。

 蒸気の迷路に迷い込んだ男と男のぶつかり合い。サウナバトルの始まりだ。


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「わぁーー!まいった参った!降参だー!許してくれー!」

 鹿子のトールの一撃を受けた瓜江が棒読みの命乞いを挙げながら大げさに砂利の上を転がった。それを見て鹿子と天音が互いの能力を解除する。

「食えない奴。ガチガチにバリア張ってたジャン」

「そういうの馬鹿にされてるみたいでホント、さめるんですけど」

「いやーすまない!長らく地上で暮らしていると無意識に警戒心が生まれてしまってね…で、どうだい?課題のコンビネーションは磨けたかい?」

 気品良く立ち上がった瓜江を見て鹿子と天音が顔を見合わせて笑みを浮かべた。それを見て頭に疑問符を浮かべた瓜江に対してふたりは再び能力を具現化する。

「アンタが言う協調性なんて」

「クソ喰らえだー!」

「何!?」

 先程とは違う未体験の攻撃が瓜江の身体に直撃する。「これが…若さか…」瓜江は自身が間借りしている家賃5万5千円(管理費込み)の1DKの部屋に咲いたサボテンの花を思い出しながら清流目がけて勢い良く吹っ飛んでいった。


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 キョータとナイル倉敷がサウナバトルを始めて20分。ヒーターから噴き出す熱気とこの部屋独特の妖気が取り囲む中でキョータは自分の圧倒的不利さを嘆いていた。

 隣に座る長髪を背中で結った男は自分と比べて体格が良く、その上自分はこの部屋にずっと前から入っている。スタートはイーブンの状態ではなく、目の前の温度計は異常な数値を示している。

 さらけ出した肌は既に完全に乾きあがり、呼吸のたびに喉からはひゅうひゅうと音が鳴るようになっていた。『闘いは常に有利な状況で始まる訳じゃねえぞ坊主』。隣でナイター中継を眺めている英雄の先輩がそう背中で語っているように思えた。

 クソッ、そろそろ限界が近づいてる…!辛さから顎が上がり、キョータはナイルの顔を仰ぎ見た。

「あっつぅぅ……」

 汗だくで歪みきったナイルの表情を見てキョータはすっと顔を逸らす。落ち着け。あのおっさんはオレを動揺させようと変顔をしているに違いない。そもそもサウナの熱が体に伝わるまで人によって、体質によって各々異なる。

 こういった我慢比べをする際は細身の自分より成熟し、脂肪があるナイルの方が有利に思えた…

「じゃ、俺、先出るわ」

 そう短く言い残すとナイル倉敷は男としての矜持をかなぐり捨てる様にしてドアを開き、爽やかな笑みを残して消えていった。

「おい、ナイルさん。あんた」

「よくやった!キョータ!」

 入れ違うように手を叩きながら部屋に入って来た軽石を見てキョータは拍子抜けた表情を戻す。

「あのナイル倉敷にサウナバトルで勝つとはな。男を上げたじゃないか」

「あ、いや。あの人全然サウナ強くな…」

「この数日で培った熱への対応。挑戦者を退けた自信。もう私はキミに教えることは無い…実はキミが勝った時に捧げる曲を作っていた。聞いてくれ。ミュージックスタートゥ!」

 するとヒーターが巨大なウーファースピーカーに成り代わり、どこかで聞いたような芸人のネタ時にかかる音楽が流れ出した。

 その中でサウナ大好きおじさんは髪を掻き上げたり、キョータを指差したり、笑顔で手を振ったりしてどこからか聞こえる歓声に応えている。

「サウナよりぃ~~ふつぅにぃ~~


  岩盤浴がっ、好ぅきぃぃ!!あぁいッッツッツ!!」


「うおおおおい!!ギルティだろそりゃーー!?最後の最後に今更なんて事言いやがるんだこのおっさんー!?」

「やっぱ時代は美容効果よねー。今時サウナなんて発汗効率悪すぎるしー」

「いい歳こいたおっさんが流行りに乗っかりやがって!!もう二度とサウナ入るんじゃねーぞっ!!」


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「おー、ウリエル。待っとったで。それで、女子ふたりの修行はどうなったんや?」

「…さっきログで送った通りですよ。おー痛い。まさかあのガードを突き破るとは」

 鹿子に殴られた下腹部を押さえながら瓜江がケルビムの車内に乗り込んだ。「若い女の子ふたりがキャンプという事で百合ゆりな展開とか密かに期待していたんですけどね」

「ワイはあの娘らが突如大挙した悪魔共に身包みひんむかれるのを期待しとったわ」

「ケルビム様ー。あのコ達も仮にも教え子ですよ。さ、神戸に居るふたりを迎えに行きましょ」

 キーを差込み豪快なエンジン音を吹かすと駐車場の砂場を踏みしめて走り出すデビルバスター号。その異形さに歩道の高校生達が歓声を挙げながら回転する顔のホイールを指差す。

 有線から流れる長渕剛の曲に合わせて歌いながらハンドルを切る瓜江にケルビムが尋ねた。

「そんで、今のアイツラで勝算はどのくらいあんのや?せっかくこのケルビムが足を貸してやっとるんや。それなりの成果は上がったんやろな?」

「それは次回のお楽しみという事で。あらエンスト」

 気が抜けるような情けない音が車内に響き、マジックミラー号は某有名女優の母校の前で立ち往生を喰らうハメになった。

「本当にあの子達とリザさんの力だけで立ち向かえるでしょうか?でなければ私もあるいは…」

 車を降りた瓜江が天界に繋がる夜空を眺めながら自らの身体を抱えるようにして両腕を組んだ。


「あっ、しまった。明日バイトのシフト組んでたんだっけ。うーんどうしようかな」

 刻一刻と迫り来る再戦の予感。瓜江は今月の出勤日数を確認しながら青ざめた顔で職場に連絡すべく携帯電話を握り締めた。


     

 鹿子と天音がキャンプを張っている埼玉の河川敷。正午を少し過ぎた頃、駐車スペースとなっている丘の下にある砂利場から独特のエンジン音が響く。

 テントの外に居た天音は木陰からデビルバスター号を見つけるとテントで眠る鹿子を揺り起こした。年頃の女子とは思えない弛みきった動きで背伸びをする鹿子に天音がやる気を出せとばかりに発破をかける。

「しっかりしてくださいよ!かのん先輩!この日の為に先輩の体力を温存しておいたんですからねっ!」

「大丈夫よー…どうせ瓜江に『5日間の試練によく打ち勝った!キミ達の修行の成果をみせてもらおう!』とか言われてあのふたりと組み手をやらされるんでしょ?」

 鹿子が乱れた髪を後ろで結っていると近くに砂利を踏みしめながら歩く複数の足音が近づいてきた。輪の中からキョータの大きな話し声が聞こえてくる。

「おー、女性陣はここでサバイバル生活送ってたのかー。てか英雄の基本能力あったら余裕じゃねー?それ」

「たく、あの馬鹿。何も知らない顔してエラソーに」キョータと付き合いの長い天音がテントのジッパーから顔を出してアッカンべーすると瓜江が足を揃えて立ち止まって辺りに向かい毅然とした声を張り上げた。

「突如舞い降りた悪魔四大幹部に成す術も無く敗れ去った負け犬英雄の諸君!僕はキミ達にそれぞれ課題を持ってもらい、特訓に取り組んでもらった!
…時に厳しく、苦しい試練もあっただろう。しかしキミ達があの敗北をバネにして更に強い戦士として立ち上がってくれたと僕は思っている。さあ今こそその力を発現すべく時!5日間の試練によく打ち勝った!キミ達の修行の成果をみせてもらおう!」

「ちょ、なげーよウリエル!」

「…フン。修行の成果、か…」

 言い切った瓜江の隣で短パン姿のキョータがサンダルで砂利を蹴り上げ、裾の長いシャツを着た和宮が苦々しく唇を噛んだ。「ね、言ったとおりでしょ?」テントの中からさっと鹿子が姿を現すと5日前に事務所で別れた4人が一同に顔を合わせた。

「チーム分けはもう済んでいる」瓜江がプラスティック板を持って4人の間に割って言った。「ここでコンビネーションの特訓をした鹿子さんと天音さんの女子ペア。そしてキョータ君と間遠君の男子ペアによる時間無制限の英雄達によるデスマッチの開幕さ。ただしどちらかのペアが負けを認めたり、ダメージを食らってふたりともフィニッシュされたらそっちのペアが負けとなる。シンプルな潰しあいさ」

「な、オイ!今女子チームがコンビネーションの特訓をした、つったか?個別に特訓した俺達が不利じゃねーか!」

「止せよ。今鐘」

 わめき出すキョータを和宮が仲裁した。「ここに来る際、車内でお前が言っていただろう。『闘いは常にフェアな状況で行われるとは限らない』。相手がどんな手を使ってきても関係ない。自分達の力で捻じ伏せるだけだ」

「…少し見ない間に達観したキャラになりましたね。間遠のダンナ」

「まぁな。それにフィニッシュまでのしぶとさには耐性が出来た」

 不思議がるキョータを横目に天音がふたりに向かって声を掛けた。

「ねー、男子チームはわざわざ神戸まで言ってどんな特訓をして来たのよー?」

 キョータが意地悪く笑い、和宮が静かに舌舐めずりをするとキョータが天音にしたり顔で言葉を返した。

「ま、ちょっと『おフロ』にな」

「なにそれー?あやしいー!どう思います?かのん先輩ー?」

 飛び上がって両腕を振る天音を見て鹿子はキャップを被りなおして「早く始めようよ」と気だるげな声を瓜江に挙げた。その声を聞いて瓜江は「おおっ」と大げさに仰け反って頬をほころばせた。

「よかろう!既にやる気ビンビンという訳だね!寝起きにも見えるその表情にもウチに秘めた闘志をメラメラと感じるよ…!それでは設営の準備を始めるよ!闘技者は河川敷でスタンバっていてくれたまえ!」

 4人にそう告げると瓜江の居た場所が勢い良く長方形に反り上がり、その上で瓜江が小声で呪文を唱えると、地上15メートル程の高さに即席の実況席が出来上がった。

「うわー、ウリエルの奴!スゲェ魔力持ってやがる!」

「相変わらず使い方を間違ってるけどねー。謎衣装への早着替えだの、ボケのエフェクトに使ったり…」

「俺は神戸で非常識とも取れる精神を根底から揺さぶられるような経験を積んできた。負けても恨むなよ鹿子」

「それ、こっちのセリフ。てかあんた達、石鹸臭い。ホントに向こうで修行してた?」

 4人がサッカーグラウンド程の広さの整備されていない河川敷に姿を現すと、それぞれのペアに分かれて瓜江の戦闘開始の合図を待った。キョータがじりじりと照らす太陽の下で額の汗を拭う。

「…悪魔に蒸し焼きにされるなんて、もうあんな惨めな思いはしたくねぇ…!俺が先陣を切る!ダンナは後方で隙が出来たら一気に勝負を決めちまってくれ!」

「いいだろう…俺も夜明けまで精を放ち疲れた。その方が俺の肉体的負担が少なくて済む」

「間遠のダンナ…ガキンチョの悪魔に負けたのが相当堪えたんだろうな。そこまで魔力のコントロールを…!詳細は聞いちゃいねーがよっぽど苦しい修行を耐え抜いたに違いねぇ…分かりやした!オイシイ所、持ってっちゃってください!」

「ちょっとー本番前に何コソコソしゃべくってんのよー」キョータに揺さぶりを掛ける天音の隣で鹿子は男子ペアを余裕を持った態度で観察する。すると金網の上に設置されたスピーカーから瓜江の声が乱れた周波数越しに響いた。

「…えー、テステス、マイクのチェック中……それでは長らくお待たせ致しました。『特訓の成果を見せてやれ!泣くな、キミこそ真の英雄デスマッチ!』、はじめぇぇ!!」

 誰も居ないはずの穏かな河川敷で4人の英雄がそれぞれの武器を構える。それぞれの敵を見据え、それぞれの思いを胸に、4人の挑戦者達は対面する相手に飛び掛っていった。




     

「さぁー、始まりました5日間による特訓を終えた英雄4人によるデスマッチ!実況は力天使ウリエルこと瓜江累でお送りします!
えー、本日は解説者として今鐘キョータ、秋風天音に英雄としての能力を与えたそれぞれの天使をお呼びしました!それでは駄天使のアルム、ホリー。自己紹介を」

『だ、駄天使呼びは酷いですね…ウリエル様の立場からすれば私たちなんてほとんど新人みたいなものですけど』

「何か言いました?」

『い、いえ!先程大先輩からご紹介預かりました今鐘キョータの使いを務めるアルムです。普段は伊藤歩夢という仮名で男子大学生として英雄と悪魔の動向を見届けています。次にホリー、自己紹介を』

《はい!どーもー★歌って踊れるみんなのえんじぇる系アイドル、ほりたんでーす☆キラッ》

「……は?」

《す、すみません!秋風天音の担当天使、ホリーですっ!堀井聖恵という仮名で平日はOL、週末はアキバで声優アイドル目指して自作のカセットを手売りで販売しちゃってまーす☆みんなも土日はアキバに集結★キラッ》

「えー、一瞬実況席が凍りつきましたが…気を取り直して。ふたりは他の天使とは違い、ボクのように人間界に溶け込んで天界とのパイプ役をしてもらっているよ!キミ達ふたりが授けたアーティファクトについて教えて貰えるかな?」

『はい、私がキョータ君に授けた神聖武具は『ジャマダハル』という名称のカタールのような形状をした手甲型の攻防一体のアーティファクト。彼に何度教えても『ジャマダハル』という呼称が覚えられなかったのでキョータ君が勝手に付けた『コモン・アンコモン』という名前が定着しています』

《あ、やっぱそうだったんだ!実は天音チンの神聖武具も本来は『ヘルメス』って名前なんだけど「能力発現のたびにブランドの名前を叫ぶのはイヤ!」っていう本人の主張で彼女が昔経験したダンス用語から拝借した『ティップ・タップ』という名前で呼ばれているんだよ!》

「えー、本来であれば地上界の人間が神聖武具取り扱い許可を得るというのは大変栄誉な事なのですが…その言い分だとあなた達、あのふたりに相当舐められてますね…」

《そんな事ないですよ~》

『お、私が捧げたジャマダハルを発現させたキョータ君が圧してますよ!』

「実況席ふもとの河川敷では今、キョータと鹿子のふたりが一対一で組み合っています。おーっと、これは…中央でぶつかり合うふたりとは対照的に天音と間遠は後方で戦況を見守ります」

『戦闘開始からまだ一分。後方からふたりの支援を行うという事なのか、それとも修行で磨いた奥の手はまだ見せたくないという事なのか…わかりませんね』

「おー、ここで戦況が動きました!『雷神の鉄槌』トールによる打撃によってバランスを崩したキョータを背負い投げた鹿子が顔面をストンプ、ストンプ、ストンプゥー!!ただでさえ平均点以下のキョータの顔面が更に残念な姿に変わっていくぅー!!」


 ・・・・

「誰のッせいでッ!私があの動くわいせつ物にッ、負け犬なんて言われなきゃならないのよッ!」

 穏かな河川敷に鹿子が足を踏み下ろす度、骨が軋む嫌な音が辺りに響く。本来味方であるキョータを自忘したように何度も踏みつける鹿子を見て和宮が仲裁の言葉を投げ掛ける。

「その辺にしておけ。こんな不衛生な所でキャンプを張ってストレスが溜まっているのも無理は無いが、俺達があの四大幹部に敗れたのは事実だ」

「何言ってんのよ。私は負けたとは思ってないし?それに今穿いてるのは安全靴だから大丈夫!」

「いや、それ笑えないから。かのん先輩」

 ドン引きしている天音を振り返ると鹿子の足元からキョータが不気味に笑う声が反響した。

「…やってくれたなぁ!鹿子の姉御!そっちがその気ならこっちも手加減しねぇぞ!?オレは女だろうが老人だろうが関係なく暴力を振るっちまう英雄なんだぜ?今度はこっちの番だ!」

 鹿子の片足が持ち上がり、その場に尻もちをつくと起き上がったキョータの腕輪が光り輝いてその身体が岩肌に硬質化し始めた。それを見て立ち上がった鹿子がゆっくりと後方に距離を取る。

「出たっ、相変わらず憎たらしいヴィラン顔。いっそ悪魔だったら一思いに全力トールで殴り飛ばせるのに」

「これだけじゃねぇ!『シーシュポス・アペンドファイア』!」

 岩の仮面に覆われたキョータの顔から詠唱コールが轟くとその身体からマグマが吹き上がるような勢いで巨体を紅蓮の炎が包み込んだ。

「…これが神戸サウナで身に着けた新能力か。さっきより格段に魔力と耐久性が上がっている」

 周りの暑さとは正反対に背筋に沸きあがった寒気を堪えるように和宮は硬く両腕を組んで飛び散る火の粉に目を細めた。

「高温のサウナで耐える事5日間。オレはある特訓により『熱風』と俺の魔力を結びつける事に成功した!何しろ身に着けたばかりの新能力だ。オレにも手加減できねぇぞ!?」

「馬鹿なヤツ。負けた相手と同じ能力にしてどうすんのよ?」

「オイ、今、馬鹿っつたか!?許せねぇ!これでも喰らえ!」

 『岩石の尖兵』シーシュポスに更に火炎を身に纏ったキョータは息を吸い込むように腹部を大きく膨らませると身体を屈めて体内で生成した炎のブレスを鹿子を囲うように辺りに噴出した。

「これで逃げ場はねぇぜ!」大きく飛び上がって拳を振り上げる異形のキョータを眺めて鹿子はこめかみに浮かぶ汗を拭う。「喰らいやがれ!必殺ぅー!ファイアパンチ!」

 キョータが鹿子目がけて炎を巻きつけた拳を叩きつけると周辺を取り囲んでいた炎がバースデーケーキのロウソクのように風圧で消え、川の水面が大きく揺れる地響きが起こった。依然腕組をしたままの和宮が目にかかる前髪を指で払ってキョータの大柄な背中を見つめて呟いた。

「今鐘、おまえそのネーミング…」

「タハッ、一度やってみたかった!」

 土煙が薄くなるとキョータは鹿子の姿を首の無い肩を揺らしながら探し始めた。「さっきの一撃、手ごたえがまるで無かった…どこに消えやがった!?」

「…後ろだ!」「!?」和宮が声を掛けるより先にキョータの脳天に鹿子のフルチャージのトールが直撃した。

「なっ!?クハッ!」「少し眠ってて」鹿子が耳打ちをすると岩面内部のキョータの目玉がぐりん、と一周し、能力が解除されてそのまま意識を失ってその場に崩れ落ちた。

 (今のトールへの一撃に繋がる一連の動き、一切見えなかった。こいつ、ここでどんな特訓を行ったんだ?)

「さ、次はあんたの番。余裕かましてないで早く剣を鞘から引きなさいよ」

 重量のあるハンマーを軽々と構える鹿子を見て和宮は身体を屈めて能力を実現し始めた。

「俺が神聖武具を出す度に『代償』が身体が蝕んでゆくのを知っているだろう?意地の悪い奴だ」

「…それじゃ特訓の成果が見れないでしょ。アンタも“私たち”の能力ですぐに楽にしてあげる」

 にじり寄る鹿子の後ろで天音が自慢げな表情を見せてふふんと笑う。二対一か、面白い。和宮は不敵に微笑むと『絶対なる長剣』アンスウェラーの鞘に手を掛けた。


     

「行くぞ、アンスウェラー!」

 和宮が鹿子と天音に宣告するとその腰から天使の加護を受けた光り輝く長剣が姿を現した。アンスウェラーは使用中、定めた一つの対象の動きを完全に読み切って最善の一手を相手に与える奇跡の剣。

 定める対象の数は増やすことができるが、和宮はまず目の前の鹿子をその手によって退ける選択した。剣を構える和宮を見て鹿子の後ろで椅子に座る天音が生唾を飲み込む。

「アレが憧れの和宮さんの聖剣。ツヤがある美しさで、長さがあって耐久性もある。すごく、欲しい…」

「こらこら、勘違いされるような言動は慎みなさいな。アンスウェラーと接近戦じゃ勝ち目は無い…それなら、これでどうッ!?」

 鹿子が不自然に羽織っていたロングコートの内側から硬質な物体を和宮目がけて投擲した。防御も兼ねているその剣でそれを切り裂くと耳を劈くような小爆発が巻き起こった。

「剣で斬ったのは正解だし、不正解。私が放ったソレは標的に当たるか打ち砕かれるまで対象を追い続ける。直撃したら結構“効く”よ?」

 和宮にそう告げると鹿子は今度は左右両側のコート内のあるそれの柄を掴むと2丁の金槌が再び和宮に投げつけられた。

「ミョルニル。私が新たに生み出した中距離戦闘用の魔法の金槌よッ」


 ・・・・

『ウリエル様、コレは?』

「うーん。どうもアレは普通のアーティファクトと違うような。ボクは天使を辞めてるから悪魔と闘う時は魔法詠唱をメインで使うんだけど、鹿子さんの武器はそれに似てるというか。
ここに来る前に4人の英雄それぞれの魔力をスカウッタで調べてみたんだけど鹿子さんは一般的な英雄より豊富な魔力を持っている事が判明したんだ」

《ちゅーことはアレは神聖武具というより鹿チン自身の魔力によって生み出された武器ってコトですかっ!?》

「本人に聞いてみないと理解わからないけどキミの言う通り、アレは鹿子さんの魔力によって生成された武器だとボクは考える」

『ん?どうされました、ウリエル様』

「…なるほど。だから対決直前まで休息して魔力を最大まで回復していたのか…やるね!」


 ・・・・

 視点は再び河川敷に戻り鹿子と和宮の闘いへ。鹿子の手から投擲されたミョルニルはブーメランやヨーヨーのようなやや不規則な軌道を描き、和宮に向かって飛んでいく。

 アンスウェラーの能力を持ってすればさばき切れない速度では無いが破壊した際に起こるミョルニル自体の小爆発が和宮の『代償』と伴って彼を苦しめていた。

 (このままではラチがあかない…!強引に距離を詰める!)

 和宮は一度能力を解除するとその場から駆け出して鹿子のいるフェンス際に走り寄った。後方に周ったミョルニルが和宮の背中に直撃し、無慈悲にダメージを与え続ける。

「やっぱ、そう来たか。天音!」

「分かってますよ!かのん先輩!」

「この距離ならもう逃げられんぞ!そこだ!アンスウェラー!」

 和宮が再び能力を開放すると目に追えない速度の超速斬撃が鹿子に向けて放たれた。今までにこの距離から攻撃を外したことは無い。勝利を確信した和宮の一撃だったがまたしてもすんでの所で鹿子の姿が幻影と共に消えた。

「『また消えやがった!?』って顔してるから説明させてもらうけど」

 背後に現れた鹿子の気配に剣の切っ先を切り替えて斬撃を加えるがこれもまた空振り。「女子の話は最後までちゃんと聞きなさいよ。これは私と天音、ふたりのコンビネーションによる能力、その名も」

「戦闘舞曲、-コッペリア- です!」

 明るい大声で能力名を明かした天音を苦々しい表情で和宮は眺める。そしてそのトリックに気付いて俯き、静かに微笑んだ。天音は椅子に座ったまま何もしていなかった訳ではない。鹿子を前衛で戦わせ、自身が持つ風の力で操り人形のように対象を操るコンビネーション技。相手の周りを囲うように姿を現しては消える鹿子を和宮は“欠けた五感”を駆使して探し始めた。

「どんなに精神統一させても無駄、無意味!それにその様子だと今回のアンスウェラーの『代償』はラッキーなコトに視覚!これで終わりよッ!覚悟!」

 人間の死角である前方斜め上に姿を現した鹿子がコートから大量のミョルニルを和宮目がけてばら撒いた。その姿を感じてまるで昔やったゲームの難敵だな、と和宮は笑う。


 ・・・・


『うわー、これは決まったかー?さすがにあの数のハンマーを剣でさばくのは不可能ッ!よって勝者、鹿子天音ペア…』「いや、待って」

 瓜江が絶大なる権限と研ぎ澄まされた眼光を持って後輩天使を制すると土煙が止むのを待って声を上げた。

「スゴいね!彼もまた限界を超えた!」

《ど、どういうコトですかっ!?ウリエル様?》

「間遠君は八門を開いたのさ」

 ミョルニルをひとつも爆破させることなく切り裂いた和宮の姿を上の視点から観ながら3人の天使は話続ける。

『八門というと…古来中国より伝わる頭部から始まる人体の魔力の密集する箇所の事ですよね?それを間遠和宮は瞬時に開いて通常より大きな魔力を発してあの攻撃をさばいたと…?』

「彼は神戸である特訓を積んでね…本来はそういう目的じゃなかったんだが、怪我の功名。彼は自分の意思で八門の一部を開くことが出来るようになって、大気中のチャクラを体内に取り込んで独自の呼吸法により自らの魔力に変換したのさ。
まぁ、一応レディもいる事だし八門のドコを開いたかはご想像にお任せするよ…」


 ・・・・

「ちょ、和宮アンタまさか…神戸に行って積んだ特訓でこれのコトだったの…?」

 勝ち誇ったような、悟りきった表情で剣先を拭う和宮を見て鹿子が蔑んだように顔を歪めた。「やっぱ、和宮さんはナシかも…」一途な憧れを抱いていた天音さえ和宮に対して幻滅したような態度をみせた。

「フン。結果的に戦闘能力が向上すれば問題は無い。それにこの闘い、お前たちはもう“詰み”だ」

「鹿子先輩、後ろ!」「!?」「オラァ!」

 突如背後に現れた巨大な影に気付かず、わき腹に強烈な一撃を受けた鹿子の身体が砂利の上を転がる。「不意打ちはアンタの専売特許だったかな?鹿子の姉御」「クソッ!油断した!」

「これで二対二だ」一時的に意識を失っていたキョータが再起し和宮の横に立って揺らめくシーシュポスの顔を一笑させると和宮はアンスウェラーの切っ先を鹿子の奥に居る天音に向けた。

「棄権しろ。さっきの-操り人形-では今の俺の斬撃はかわせない」

「…行くよっ、かのん先輩!」「分かってるよ!」天音の声によって立ち上がった鹿子がトールの能力を実現化させるとその身を大気の渦が取り囲んだ。四肢関節と頭部に取り付いた透明な風の糸が鹿子を再び宙へと浮かび上がらせる。

「限界を超えて、舞え!戦闘舞曲、-コッペリア-」

「通用しないといった筈だ!切り裂け!アンスウェラー!」「ちょ、ホントにやるんですか!?間遠のダンナ!相手は手負いの女の子っすよ!?」

 キョータの忠告を無視して和宮は八門を開き最大出力の攻撃を放った。その斬撃はまるで四方八方から飛び交うカマイタチのようだった。攻撃を受けて鹿子の足や肩から鮮血が噴き出してゆく。

「なっ!?ダメージ覚悟の特攻かよ?」「耐えて先輩!戦闘舞曲-くるみ割り人形-」

 血塗れの鹿子の身体が空中で反転すると威力を込められたトールが硬質化したキョータの脳天目がけて振り下ろされた。

「あっ、オレ死んだわ」

――鳴り響く轟音とブラックアウトする景色。キョータが天音のもうひとつの能力、『完治の奇跡』ベレヌスによって再び意識を取り戻す頃にはデスマッチの勝敗は既に決していた。


「…仲間の回復能力をあてにして特攻を仕掛けるとは関心しないな」

「ソッチこそ俗にまみれた修行というかアソビで能力を上げるとか、英雄としてどうなの?」

 口争いを始める和宮と鹿子を見て「やっぱりまだオレは修行が足んねーわ」と達観したようにキョータが立ち上がった。

「はいはいー。先生、皆さん特訓の成果をこれでもか、とばかりに見せてもらいましたよー」充実感のある笑みで瓜江が手を叩きながら4人の元へ近づいてきた。闘いを俯瞰で眺めていた時間が長かった天音が不思議がって瓜江に尋ねた。

「アレ?アルムとホリーはどうしたんですか?さっき見上げた時には居ましたけど」

「彼らは成長したキミ達の姿を見届けて去って行ったよ!鹿子さん、天音さんおめでとう!勝利ペアには景品として宮城鹽竈神社への一泊二日観光チケットが…」

「オイコラ三下共!いつまで俺を放置したまま待たせんねん!」

 駐車場からケルビムの怒声がエンジン音と共に響く。

「もー。疲れてるんだから~。どっかのブラック企業の支店長みたいに怒らないでよー」

「さ、先輩の事務所に帰りましょうよ。あー、早くおフロにはいりたーい」

「ん?なんかお前ら臭ぇぞ!?この5日間どう過ごしてたんだよ?教えろ!」

 口々に愚痴やらなにやら言い合う3人を引率する瓜江の後ろで和宮は密かに決心を固めたように胸の内で言葉を吐いた。

「もしこの特訓を経てもあの悪魔達に敵わないようであれば…俺がお前達を守ってやる。俺のこの『ブリューナク』で…!」

 それぞれの想いを込めてケルビムに乗り込む面々。鹿子の事務所に向かう路の途中で和宮はひとり強く自らの掌を握り締めた。




第十八話 完



     


       

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