Neetel Inside ニートノベル
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 序章 三 大柄な小動物と月の少年

 ギルド入会用紙を持ち、僕は途方に暮れていた。今日中にあと二人ギルドメンバーを集めたいのだが、さっき立ちあげたばかりの弱小ギルドでは通りすぎる冒険者の注意を引くことすらできない。
せめて他に人手があればいいのだけど、サラは公国に報告があるからと出かけてしまい、アニタはアニタで剣の素振りをしたいからとサラより先に冒険者ギルドから飛び出してしまった。
 はぁ。
 深いため息を一つ。これで何度目になるのか数えたくもない。
 気がつけば人も疎らになり、外から射す明かりもオレンジがかってきた。もう夕方だ。
 お腹も減ってきた。大事な資金を無駄にしまいと、昼食も食べずに勧誘をしていたからだ。
 限界に近い空腹感を覚え、その場にうずくまる。何だか涙まで出てきた。
「はい、これでも食べて頑張りや」
 すっと目の前に差し出されたサンドウィッチ。その先を辿ると、自分の体ほどの大きさの盾を持つ褐色肌のお姉さんが微笑んでいた。
「いいんですか」
「遠慮せんと、食べな」
僕は何度も何度も頭を下げた。彼女はそんな僕を見て、何も言わず目を細めた。
 そして盾を脇に置くとその場にしゃがみ込み、僕に目線を合わせると「美味いか?」と尋ねてきた。僕は何度も何度も縦に頭を振る。彼女は満足そうに微笑んだ。
「ノーマさん、何やっているんです。皆待っていますよ」
 腰に剣を携えた細身の青年が彼女に駆け寄る。
「ごめんな。うち仲間が待ってたんや」
申し訳なさそうに立ちあがり頭を下げる彼女に、慌てて立ち上がり僕も頭を下げた。
「いえ、ありがとうございます。助かりました、ノーマさん」
「ええで」彼女は爽やかに笑い、目の前を歩く仲間の元へ歩いて行った。「お互いに頑張ろうな、アルフォンス」彼女は立ち止まり、振り向いてもう一度笑う。そしてひらひらと振った手にはいつの間にか入会用紙が握られていた。

「遅くなってしまい、申し訳ありません」
 それから間もなくして、サラが戻ってきた。深々と頭を下げるサラの隣に見知らぬ青年が気まずそうに身じろいでいる。
「頭を上げて、サラ。それより一つ質問してもいいかな?」
 視線を青年に移すと、青年はびくっと身を竦めた。大柄な体躯に似合わず、どこか小動物のようだ。
「ああ、彼のことですね」サラは彼を一瞥すると再び僕に視線を向け「先ほど冒険者ギルド前でお会いしまして。困っているようでしたので、うちのギルドに誘ってみました」また青年に顔を向ける。
 サラに促され、青年は一歩前に進み出た。
「アルフと申します。よろしくお願いします」
 大きな体を勢いよく折り曲げた彼に、何だかこっちまで恐縮してしまう。今更ながら、これが初めての能動的な勧誘なのだと気付いた。何と言えばいいのだろう。思わず言葉に詰まっていると、サラがそっと近づき「一言歓迎の言葉だけでもいいんですよ。しっかりしてください。あなたは腐ってもこのギルドのマスターなのですから」と耳打ちしてきた。
 その言葉に、背中を押された。大きく息を吸い、青年を見据える。
「ようこそ、ダンダンへ。僕はギルドマスターのアルフォンスだ。歓迎するよ、アルフ君」
 ずっと頭を下げていたアルフは、弾かれたように頭を上げた。手を差し出すと、がしっと握り返してきた。力強く、心強い、温かな手だった。

 日が傾き、夜の気配がこの街にも忍び寄ってきた。何となく気になって外に出てみると、昼の喧騒がまるで嘘のように夜はひっそりと静まり返っている。ふと見上げた空は、世界樹に阻まれ、月も星も隠れていた。時々吹く気まぐれな風によって、枝葉の間からきらりと顔を覗かせる。ちらちらと瞬く光によって世界樹は妖艶に笑って見せた。全身が粟立つほど美しく、眼をそらせない。
「――ル」息が吸えない。「――ア、」目の前にそびえ立つ凄艶な悪魔に気づかれてしまう。いやきっともう気づいている。気づいているのに、気づかないふりをして楽しんでいる。
「――アル!」懐かしい響き。何故? どうして?
やっと意識を逸らすことが出来た。冷や汗が頬を伝い、手のひらはじんわり濡れている。一呼吸置いて、後ろを振り返るともう目の前にアニがタ迫っていた。そして「喜べ!」とだけ叫びながら突撃するように抱きついてきた。実際、激突してきた。
 案の定、アニタの全体重を込めた突撃に僕の体は大きく後ろに倒れ込んだ。僕に覆いかぶさるような体制になったアニタは僕の顔をまじまじと見た後、また不服そうな顔になる。
「アル、弱すぎ」本日二回目。
 膨れっ面のアニタを寄せて、体中に付いた埃を払う。
「それで、アニタどうしたの?」
 その一言でアニタの顔が一気に輝く。萎れた花に水を与えた気分だ。
「仲間、仲間が出来た!」
 立ちあがり、その場で飛び跳ねている。腰にぶら下げているダガーがガチャガチャと騒ぐ。素振り練習後の体力で、武器を携えた状態でここまではしゃげるアニタが、正直羨ましい。
「それで、その仲間はどこに?」
 しかしはしゃぐアニタの周りには仲間らしき人物は見当たらない。アニタもそこで初めて仲間が傍にいないことに気付いたらしい。動きを止めて、はたと考えだした。
「しまった。アルに早く報告しようと思って、おいてきてしまった」
言うやいなや僕の言葉を待たずして、アニタは元来た道を駆け出してしまった。深紅の髪がなびき、ふわりと残り香が漂う。真昼の草原だ。草と土と花、そして陽の光が混ざった心穏やかな香りだ。
 アニタに声をかける暇なく、あっという間に背中が見えなくなってしまった。その姿を茫然と見つめる僕の傍に、いつの間にか一人の少年が立っている。さらさらと流れる金髪を風になびかせ、三白眼の青い瞳はその意志の強さを表し、まさに端正な顔立ちだった。
「あの、君は?」
 恐る恐る声をかけると、二つの瞳がこちらを見つめる。透き通った青い瞳は、吸い込まれそうなほど綺麗で、アニタとはまた違う方向の純粋さが垣間見えた気がした。
「チャーリー。よろしく」無表情で口数の少ない少年は、それだけでこちらが気負いされるほど迫力をもっている。
「君が、アニタの言っていた新しい仲間?」
 そう尋ねると、僕を見つめたまま、小さくうなずいた。
 ふと夕方のことを思い出し、にんまりと笑みがこぼれる。軽く咳払いをして喉の調子を整え、服を正し、背筋を伸ばし、朗々と口上を述べる。
「ようこそダンダンへ。僕はギルドマスターのアルフォンス。僕は君を歓迎するよ、チャーリー君」
 恭しく手を差し出すと、急に雰囲気の変わった僕に驚いたのか、恐る恐る手を差し出してきた。その手は小さくそして冷たかった。
「気軽にアルでいいよ」
 いつもの調子に戻ると、それはそれで戸惑いを覚えたようで瞳が泳いでいた。
「――チャーリー」
「うん。これからよろしく、チャーリー」

 アニタはあれからすぐ帰ってきた。
 あの短時間で世界樹の周りを一周していたことに気付かず、本人はどうして目の前に僕らがいるのが不思議そうだった。
 僕らはここから動かないでいたこと、アニタが世界樹沿いの街道を一周したことを説明すると、アニタの目がきらきらと輝きだした。想像するに、体を鍛えるのに適した場所を発見したからなのであろう。
「そうだ、チャーリー。どこにいたんだ? 私は走っている間見つけられなかったぞ?」
 その問いにチャーリーは一本の木を指差し、ピューイ、と口笛を吹いた。そのままじっと動かない。
 その木に何があるのだろうかと指先を見つめていると、枝葉が揺れ、バサバサと音を立てて何かがこちらに向かってきた。
 それは一羽のフクロウだった。チャーリーの指先に止まると、目を細めてくるくると首を回す。チャーリーはもう片方の手でフクロウの体をくすぐるように撫でると、フクロウは更に目を細めて動きを止めた。羽を膨らまして、チャーリーの指先を堪能しているように見える。
「可愛い鳥だな、チャーリー。名前は何だ?」アニタは間近で見るフクロウに興奮している。
「野鳥。先ほど見つけた。名はない」それに対し、チャーリーは冷静だ。しかし幾分か雰囲気が和らいでいる。
「まさか、野生の鳥を短時間でここまで手懐けたのかい?」
「そうだ」
 さも当然と言わんばかりに即答するチャーリー。そこには自慢の欠片もない。
 ちちっ。チャーリーが軽く舌を鳴らす。するとフクロウは急に羽ばたき、そして飛び立った。
「行こう」
「そうだな、早くみんなにチャーリーのことを紹介したいもんな」
 先陣を切るアニタとその後を続くチャーリーの背中を追いながら、凄い人が仲間になったものだと考えていた。
 ギルドの最低人数が揃った。いよいよ明日から、本格的な冒険が始まる。
 背後にそびえたつ世界樹を仰ぐ。
 風がそよぎ世界樹が僕らを誘うように枝葉を揺らしていた。

       

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