寂しい人と山ガール

 ヒモ男の朝は早い。
 勿論、朝早く目覚めたところで何かをするでもない。
 では、何故朝が早いのか。
 俺の置かれている状況のせいだ。
 十も歳の離れた女性に養われていると、背徳感に苛まれ、自尊心が砕け散りそうになる。早起きというのは、そんな精神的衝撃を少しでも和らげてくれるのだ。
 何故か?
 早起きは、何だか良い事をしているみたいだろう。
 何だか、真っ当である感じがするじゃないか。
 するよな?

「何ぶつぶつ言ってんの?」
「…現実逃避だ」
「いい加減、現実を受け止めなよ」
「お兄さんなら、なんでも受け止められると思ってるのか?悪いがヒモにだけはなるつもりはない」
「そう言いながらも、提供されたご飯は必ず食べてるけどね」
「…少し、外に行ってくる」
 気分を害した俺はお椀を置き、ソファから立ち上がる。
「ちょっと待ってよ」
「何だよ」
「ご飯残さないでよ。子供じゃないんだから」
 返す言葉が無く、腰を落とし食事を再開する。
 これから先、華族に歯向かおうと画策しているのに、こんな事で悩んでいてよいのだろうか。
 俺は食事を終え、健気に片づけを始めるアキコの姿を見た。
 日がな一日テレビを眺めている事も増えてきている。時には昼ドラの後ろめたい恋愛模様に心を揺さぶられたり、夕方には5時に夢中の出演者らから放たれる際どいコメントに魅了されることもある。
 そんな現実を受け止め精一杯の感謝を彼女に告げるべきだなと思った。
 テレビのニュースでは稀勢の里、二度目の優勝が報じられており、街頭インタビューを受けた親子が和気藹々と語っている。
「お父さん、稀勢の里に勝てる?」
「あっさりやられるだろうなあ」
 そうだろう。子にとって父親はヒーローだ。親としてもヒーローでありたいだろう。多少であれば虚勢を張りたいだろうが、相手が悪い。
 そんな微笑ましい親子の様子を、不意に自分に重ねてしまう。
 俺が、俺達が華族に適うだろうか。
 やはり。あっさりやられるだろう。
 大なり小なり策を弄したところで、圧倒的な力に圧し潰されるだけじゃないのか。今までだって、必死に奔走しているつもりだったのに、実際は華族達の掌の中じゃないか。
 宮田茜に化けた構成員の不敵な笑みが浮かび、溜息をつく。
 もはや玉砕覚悟の特攻しか残された道は無いのだろうか。
 小さな葛藤を募らせていると、テーブルに置いていた携帯が鳴った。
 液晶には諸星の名前が表示されている。



 諸星からの連絡内容はまさに青天の霹靂である。
 彼は無事、隠していた俺達の資金を入手することに成功し、諸星のアパート傍を流れる河川敷でお金の受け渡しが行われることになった。
「はい、約束のブツです」諸星は不気味な程の笑みをみせ、トランクを差し出してきた。
「確かに」
 俺はトランクの中を確認し、諸星の隣の人物へ視線を移す。
「ところで、その妙齢の女性は誰だ?」
「よくぞ聞いてくれました。この人は、私達の救世主です」
「救世主?」
「元、宮田茜さん、そして私達の憎むべき組織の元構成員、その名も桐谷さんです」
「は?」
「改めまして、桐谷です」
「…訳が分からない」目の前に立つ二人は何を言ってるんだ?
「だから、彼女は宮田茜さんになりすましていた、桐谷さんですよ」
「竹ノ内さん。私の正体を尋ねるならお金の受け渡し前にするべきですよ。あまりに不用心です」
「…仮に諸星の言う通りだったとして、何故、彼女は軽々しく偉そうなことを言っているんだ?そして何故この場にいるんだ?」
 俺が畳みかけると、彼は腕組をして思案する様子を見せる。
「やはりそうなりますよね。説明させてください」
 最初からそうしてほしいものだ。



 諸星からこれまでの経緯を、無言で頷きながら聞き続けた。
 正直、眉唾物の話だが、この状況で疑っていても仕方がないとも思う。
「私が元宮田茜である証拠に変身能力でも見せた方が良いですか?」
「いや、いい。その嫌味っぽさは本物の証拠だろ」
 元、宮田茜こと桐谷は不服そうに目を細める。
「落ち着いてください。ここへ豊さん達をお呼びしたのは情報交換の為ですから」
 諸星が最初から連絡していれば、気構えも出来たのだが。
「とにかく、これまでの非礼はお詫びします」
 彼女は深々と頭を下げる。見た目は初対面なのだから妙な気分である。
「桐谷さんも華族に裏切られて傷心中ですから、あまり責めないで上げてください」
 桐谷を庇う彼の様子を見て、一つの疑念が生まれる。
「待て、お前は本当に諸星か?」
 そう言うと、諸星は首を傾げる。
「変身能力を持つ人間が複数居ることは分かっているんだ。俺に近寄る為、何者かが諸星に変身していても不思議ではない」
「それは、その通りですね」桐谷が言う。
 本物か否か確かめる方法は、一つ思いつく。
「確か、変身相手の姿を真似る事は出来ても、記憶を得ることは出来ないとみそかが言っていたな」
「はい」桐谷は答える。
「じゃあ、諸星。俺達が同じ会社に勤めていた頃、お前が入院した上司に送った雑誌は何だった?」
「インリンオブジョイトイのグラビアです」
「…MEGUMIじゃなかったか?」
「いいえ、あの人はインリンにハマってましたからね。忘年会で物真似を披露するくらいですから」
 そう言えば、そうだったかもしれない。
「もういいでしょうか」付き合いきれないといった様子で桐谷が口を挟む。
「分かった。じゃあ情報をもらおうか」
 とにかく今は、何よりも情報を得るべきなのだ。

「まず、単刀直入に聞くが。俺達に勝ち目はあるのか?」
「貴方達にとって勝利とは何なのか私には分かりません。しかし、何を取ってしても華族には勝ち目がないと思っていました。でも実際は勝ち目がある、かもしれません」
 回りくどい言い方だ。どういうことだ。
「現在、華族には幾つも異変が起きているんです。異変については、竹ノ内さん貴方にも関係しているんですよ」
「俺か」
 俺に関わる華族の異変。それはやはり、あいつの事だろう。
「異変について、小さな事から挙げていきますと、組織でミスを犯した者は間もなく始末されてました。それなのに、私は始末されず五体満足で今も生きているという事です。もう一つ、貴方達の監視を命じられていたこと自体も不審なんですよ。失礼を承知で言いますが、私の主観では貴方達は脅威に値しない存在であると思います。それなのに執拗に監視を命じられた事は何か理由があるのでしょう」
「俺と源静香との関係性だな」俺は答える。
「その通り、それが竹ノ内さんに関係する華族の異変であり、貴方達の監視を命じられた理由だと思います。現在の源家の次女、源静香が失踪した件。原因は、ご存知の通り、華族への反発が原因ですね。竹ノ内さんとの恋仲を引き裂かれた事への反発」
 恋仲。
 華族の血縁者とそんな間柄になっていたなど今となっては、現実味のない事だ。
 だが、俺が華族による報復を受けた傷痕は残っている。
「そして竹ノ内さんは、この国での生き場所まで奪われた。その復讐にいまも燃えているんですね」
 復讐心が残っているのは確かであるが、それ以上に打破しなければならない実情がある。
 そう。静香だけじゃない、俺は社会的地位まで剥奪された。
 どうしようもない、大きな存在に。弱みとなる様な瑕も、掴みどころもない。
 まるで付け入るスキのない壁の様な存在だ。
「なあ、さっきと同じような話になるんだが、華族がその気になれば、以前みたいに仕事を奪い、住処を奪う事も出来るはずだ。何故そうしない?」
「それが源家のやり方なのでしょう。全てを奪うのではなく、生殺しにすることが目的なんだと思います」
 そうか。
 今更、怒りが燃え上がる事はない。だが、桐谷の言葉で改めて決心することができた。
 やはり、行動しなければならない。華族をなんとしても転覆させる。
「何か。策があるんですよね?」
 彼女の表情を見て、ある答えを待っているのだと察することが出来た。
「ああ。だが、それを教えるには、まだ君の事を信頼できていない」
「そうですよね。では、もう少し。源家の秘密についてお話ししましょうか」
 彼女はそう言って、左腕に巻いた金の腕輪を見せつける。
「ああ、確か。みそかと同じ腕輪で、それを使って変身してるんだろ?」
「ほう。あの麗人とお揃いとは」諸星が口を挟む。
 桐谷は諸星を無視して頷く。
「元々、変身能力は源家の血を引く者が生来授かる能力で、それを私達が特別な手段で使用しているんです」
「はあ」俺は嘆息を漏らすように言う。何だか、こんな現実味の無い素っ頓狂な話には耐性が付いている。それは華族と関わり合いになった時から始まっているのだろう。
「では変身能力について、もう少し掘り下げます。源家は御存知、日本人でありながら日本国憲法に縛られない特権を持つ唯一の華族です。では何故、華族制度廃止後も華族でいる事が許されているのか。そして、華族の地位を保ち続けることが出来るのか」
「華族でいる事を許されるのと、地位を保ち続けることは別の理由なのか?」
「別な様で、共通していますね」
 どういうことだ。
「そもそも華族制度と言うのは明治時代に施行されたものですが、基本的に世襲制である貴族と違い、華族になるにはいくつかの道があって、源家はそれぞれが有する変身能力が認められたことで頭首に爵位が与えられたんですよ」
「待て、源家の発祥は明治時代なのか?平安時代だと思ってたんだが」
 俺が軽い気持ちで尋ねると、と諸星が同時に冷たい視線を送る。
 妙な空気だ。
「それはもしかして、源氏の事を言ってるんですか?源氏物語とかの」
「そうだけど?」なんだろうか、この感じは。
「源氏は、簡単に言うと天皇の子孫の事ですよね。華族とは別ですよ」が言う。
「いわゆる氏族、まあ華族というよりは皇族に近いですよね」諸星が補足する。
「分かりました?」
「分かったような、分からないような」
「まあ、豊さんが歴史に弱い事は分かりましたよ」
「うるさい」
 なんとなく気まずくなり、小さく咳払いする。
「本題に戻りますね。源家は変身能力を利用した功績で爵位を得られたのですが、能力の使い道は、いわゆる影武者だったんです」
「影武者」
「激動の時代ですからね。それはもう、大変な活躍ぶりだったみたいですよ。当然、記録など残っていませんから確かな事は言えませんが、政府の重役や歴代の総理大臣などの影武者を務め、身代わりとなり命を落とす事もあったそうです」
 惨たらしい話だ。
「源家が華族になるより前の話ですが、あの織田信長も、実は源家が身代わりになっていたとか。勿論、法外な報酬を貰って」
「本当かよ」
「歴史の陰に源家ありです」
「しかし、そんな昔から源家が存在するなら、源家の血筋の人間が相当居るんじゃないですか?」
「良い質問ですね。やはり能力を持つ人間が増えすぎると不都合が多いみたいで、源家は一世代に一人まで子孫を残すよう、制限しているみたいです」
「一人っ子政策みたいですね」
「そして、これが竹ノ内さんと源静香が別れさせられた理由なんです」
「どういうことですか?」
 それは、我が身を持って知っている。
「源静香は、第二子だった。元来、源家が子孫を残せるのは長子だけらしいからな。もっとも、歴史とか変身能力のような詳しい事情までは知らなかったが」
「つまり、長子以外の人間が世の男と交際するというのは何かと都合が悪く、御法度という訳です。その忠告を無視した竹ノ内さんは、華族の敵となったわけです」
「なるほど」
「長女の源美咲が芸能活動を行っていたのは、少しでも良い婿を探す目的もあったそうですよ」
 まったく、勝手な話である。
「だけどおかしいですよね。能力を持つ人を無闇に増やしたくないのに、どうしてそんな腕輪を開発したんですか?」
「諸星さん。また、良い質問です。腕輪が開発された一番の理由を率直に言いますと、次女と三女に変身能力が受け継がれなかったことです」
「え」俺と諸星は声をそろえる。
「何故、能力が受け継がれなかったのか。これは不確かな噂でしかありませんが、源家は世代を経る毎に変身能力の質が落ちていると伝えられていて、今の世代では遂に遺伝することもできなくなったのかもしれません。とにかく、能力を失い華族の地位を失う事を恐れた源家は科学者を集め、能力の存続を目指したんです。そしてその研究の成果がこの腕輪なんです。もっとも、この腕輪だけで変身できる訳じゃなく、肉体への処置も施されましたけどね」
「なるほど」
 腕輪の話も気になるが、それより肉体の処置、という言葉へ意識が向く。桐谷は空かした様に言うが、乱暴な話である。
「みそか、あいつも同じなのか」
「そうです。ただ、彼女は何らかの異状をきたしているようで記憶の殆どを失っているとか」
「ああ」
「それもまた、肉体改造の副作用なのでしょう。成功するまで沢山の犠牲を沢山払った程の相当な荒療治ですから」
 次々と絞り出される事実。
 諸星は、「ひどい」と一言漏らした。
「そんな私とみそかをそのまま放置している現在の華族は、やはり異状と言えます。特に私は、華族の抱える汚点の生き証人ですから」
 確かに、みそかと桐谷を野放しにするのはリスクしかない。
「一先ず、有益な情報はこれ位ですね。そろそろ、私の事を認めて、手札に加えてはもらえないでしょうか」
「手札という表現はそぐわないが」一体、俺をどんな人間だと思っているのだろうか。だが、そんな事はどうでもいい。「力を貸してほしい」俺は言った。
「ありがとうございます」桐谷は口元を緩めて言い、すぐに真剣な表情を作った。
「では、竹ノ内さんの作戦についてお聞きしたいのですが。静香さんとは、いつ合流される予定なんですか?」
 いきなり、核心を衝く問いかけだ。



 陽が沈むころ、俺は江東区のアキコ邸に戻った。
 アキコから預かっていた合鍵で玄関の施錠を解き、扉を開ける。
「ただいま」
 帰宅の合図を告げると、エプロン姿のアキコがやってくる。
「おかえり。ご飯出来てるよ」
 笑顔を浮かべたアキコの姿は妹ではなく、まるで新妻の様だと思った。
「あれ?随分、大荷物だね」彼女はキャリーバッグを見て言う。
「ああ、諸星から貰ったんだ」
 俺が言うと、彼女は首を傾げる。
 そして俺はアキコに合鍵を渡し、続けてキャリーバッグの中から、数枚の紙幣を取り出し手渡した。
「どういうこと?」
「突然だけど、この家を出るつもりだ。これは今までお世話になった御礼、宿泊費に食費に、その他雑費だ。本当にありがとう」そう言って頭を下げる。
 頭を上げるとアキコは手に取った合鍵とお札を眺めている
「住むところは大丈夫なの?」
「アパートは電気以外も止まってるかもしれないな。だけど、いつまでもここに泊まる訳にはいかなくなったから、しばらくは適当な宿で済ませようと思う」
 俺の言葉に対してアキコは「そうなんだ」と言い、少し考える様子を見せるが、「じゃあ支度しないとね」と思いの外あっさりと受容した。
 そして俺は家の中へ足を踏み込む。
 居間では、みそかが渋い顔をして珈琲を啜っている。その様子を見兼ねたアキコはカップへさらさらと砂糖を注いだ。
 俺は少ない荷物をさっさとまとめると、それをキャリーバッグの空いたスペースに詰め込んだ。
「そうだ。みそかも、連れていかなきゃいけないんだ」
 俺が言うと、アキコはみそかを眺めて、「そうなんだ」と言った。
 淡々と、本当に淡々とアキコは作業を進める。荷物が揃うと、玄関先に三人揃って立った。
「なあ。何も聞かないのか?」そう尋ねると、アキコは腰に手を当て、考え込む様子を見せる。
「ずっと話せない事情があるのは分かってるし。この場で引き留める程、空気が読めない訳でもないからね」
「そうか」
 いざという時、アキコが達観した様子を見せるのは相変わらずで、大したものだと感心してしまう。
「だけど、合鍵は受け取らないでおく」
「どうしてだ?」
「本当に短い間だったけど、家族みたいな関係で居られたのは凄く嬉しかった。その関係を解消にはしたくないんだよ。だから、その合鍵が家族の証みたいなものかな」
 家族か。
 両親と兄を亡くして、何年も一人で暮らしてきた彼女の心境を計り知ることはできない。だが家族という関係を欲し続けているのは何となく分かる。
 俺もアキコと同じような状況に置かれているからだろうか。
 そして、「ありがとう」と俺は言って、鍵を受け取る。
「あと、そのコート。凄く高価な物なのは分かるけど、いつもそればっかりだから。これ持っていきなよ」
「…いいのか?」
 アキコが差し出したのは、初めて出会った時、彼女が羽織っていた、兄の形見であるパタゴニアのフリースだった。
「いいよ。だけど、いつか返しに来てね」
「…分かった」
 フリースを手にして、再びアキコと目を合わせた時。理由が出来たと思った。
 全てを片づけて、生き延びなければならない理由が出来た。
「ご飯も作っておくからね」
「ありがとう」
 彼女は別れの際まで笑顔を絶やすことはなかった。
 
 そうして、俺達はアキコの家をあとにする。
 一先ず俺のアパートに戻ってみようか。そんな事を考えながらキーケースを取り出した。
 俺は預かったばかりの合鍵を取り付ける。
「沢山だね」隣のみそかが、キーケースを眺めて言った。
 彼女の言う通り、返却するのを忘れていた前の職場の鍵がついていたり、得体の知れない鍵が付いていたりする。そんな中で、俺のアパートの鍵が2つある事に気がついた。
「アキコに渡しておいても良かったかもしれないな」俺はアパートの鍵を眺めて、呟いた。



 思い返すだけで脳内が色めく。
 すごく良い気分だ。
 何もかも巧くいく。
 まるで神様にでもなったようだ。
 竹ノ内豊も、その仲間達も、華族も組織も、桐谷だってそうだ。
 みんな思い通りに動いてくれるじゃないか。
 否、思い通りというのは些か、誇張気味ではある。
 それでも私の手でみなが都合の良い方向へ動いている事は間違いない。
 だから、つい自己陶酔してしまう。
 だけど。
 私が欲しいのは、神の如き力ではない。
 私が欲しいのは。
sage