向き合った者、背を向けた者/この二人の絡み無さすぎでは

 ――日は既に、山に呑まれかけていた。
 風が吹き荒ぶ、人気の感じられない家々の間を、走り抜ける二つの影があった。
若い情報将校に手を引かれながら、金髪ブロンドの少年は、そのくせ毛を揺らしながら息を切らせていた。
 彼等を追っていたのは、古びた布切れと見紛う程のぼろい服装の、下賤さを絵に描いたような三人の男達。
少年の羽織る外套の中から、襟元に刺繍のついた純白のブラウスに、黒いチェック柄のサスペンダーの付いた半ズボンが見えてしまったらしい。
目敏くも、彼が高貴な家の出だと知られてしまったらしく、要は追剥ぎから逃れている最中だった。

「こっちだ」

 情報将校は落ち着いた静かな声で言った。不安げな表情で、追手達を何度も振り返る少年とは違い、肝が据わっているようだ。
しかし、手を引かれて角を曲がった矢先に、絶望に歪んだ少年の目に映ったのは、袋小路だった。
情報将校はポケットから小さな紙きれを落とすと、袋小路の壁に少年を押しやり、彼を庇うように追剥ぎ達の前に立ち塞がる。
 追剥ぎ達は餌を前にした獣の如く、ボロボロの歯を見せて口の両端を吊り上げる。
にも拘わらず、情報将校は終始冷静であった。追剥ぎ達一人一人に目をやると、鼻から息を漏らした。

「襲うならさっさとしないと、すぐ横のお仲間に先を越されたら、山分けなんてしないで独り占めされるかもよ?」

 彼の外套を強く握り締め、小さく震える少年の顔から、血の色が失せた。追剥ぎ達の顔にも、戸惑いが表れた。
しかし、彼等は互いにちらと顔を見ると、情報将校の言葉に思う所があったのか、一斉に襲い掛かり始めた。
その目に涙を浮かべ始め、少年は情報将校の背中に顔を埋めるが、情報将校の口元は、静かに笑っていた。

「ぎゃあっ!!」

 突然、追剥ぎ達がバチバチを音を鳴らし、悲鳴を上げ始めた。
何事かと少年は顔を離すと、情報将校の落とした紙切れから、青い稲妻が追剥ぎ達の体を駆け巡っているのが見えた。

「雷魔法を付与した護符だ。あまり強力じゃないけど、相手を気絶させるにはうってつけ」

情報将校がそんな説明をしている間に、稲妻は消え、追剥ぎ達は膝から崩れ落ちていった。
その一部始終を見ていた少年は、暫く呆然としていたが、とにかく難は去ったのだと、安堵の息を漏らした。

「ミゲル、彼等が怖い?」

 ふと、情報将校が少年ミゲルにそう訊いた。
ミゲルはドキッとして情報将校の顔を見たが、彼がそうしたのは、突然名前を呼ばれたからではない。自分の思っていた事が、この情報将校にまるきり読まれてしまっていたのだ。
そしてその問いかけをした声が、先程までと比べて幾分にも優しく聞こえてしまい、つい本音が喉まで出かかっていた。
だが、すぐにその口は堅く閉ざされた。閉ざさなければいけない理由が、ミゲルにはあった。

「――この人達だって、国民さんだもの。怖くなんか、ないよ……」

代わりに吐いた言葉を紡いだその声は、とても小さく、震えていた。
それが下手な見栄であると、情報将校に覚られているという事ぐらいは、ミゲルも承知していた。
 ミゲルは皇位継承者序列第3位を誇る、正真正銘の皇族であった。
そしてそれはこの情報将校も同様であるが、序列としてはかなり低く、本人も皇位を継ぐ意思など皆無であった。
 彼等が祖父クノッヘンが君臨するこの骨統一国家と、亜国と呼ばれる海を隔てた大陸との戦が長きに亘り、ようやく終わりを告げた。
そして一年が経った今でも、国民の飢えは止まる事を知らず、彼等が立ち寄ったようなスラムが国の至る所に確立してしまっていた。
そんな街の一つを、ミゲルはたった一人の従兄を連れ、他の従者や親族にも内密で視察に来ていたのだった。

「カール兄様は、怖くなかった?」

 追剥ぎ達が目を覚ます前に、その場を離れ始めた途中で、ミゲルは情報将校カールにもその問いを返した。
訊き返されると思っていなかったのか、カールは少しばかり瞠目して、顎に手を当てて、初めて追剥ぎに遭った時の記憶を掘り返し始めた。

「――怖い、というよりは……同情の方が強かったかな」
「同情?」
「俺達はたまたま甲家という家で生まれて、裕福な暮らしが出来たけど、彼等はそうじゃなかった。
 明日どころか、今日のパンも手に入らないような、貧困の中で生まれて、生きる為に物を盗む。
 けど、そんな業を背負ってまで生を得たのは、決して彼等の意志じゃない。俺達もそうだったように」

カールの返答を、ミゲルは神妙な顔つきで聞いていた。
そしてそれを聞き終えたところで、はっとして繋いでいた手を放し、カールの前に立ちはだかった。

「そうさ、そうだよ! 皆好きで今居る所に生まれた訳じゃないんだ! 貧乏な人や、障害のある人や、亜人さん達だって!
 それなのに、おじい様もユリウス叔父様も、それが悪いんだって言うんだ! そんなのは、おかしいじゃないか!」

 熱っぽく語りだすミゲルとは逆に、カールはいつも通りの冷静な顔で、ミゲルを見ていた。
ミゲルはカールに近寄り、手を取ると、真剣な目でカールの目を真っ直ぐに見つめた。

「カール兄様、どうか、どうか明日も、僕をスラムへ連れて行って!
 僕はもっと、この目で見なきゃいけない! 国民さん達が何に苦しんでいるのか、悲しんでいるのか!
 そしてそれを無くす為に、僕は何をすべきなのか! こんな事は、もう終わらせなきゃ――」

 途端、ミゲルは大きくのけ反った。両手で自分の額を抑えて、苦痛に悶えて始める。
ミゲルの論説に答える代わりに、カールはミゲルの額を、右手の人差指で力強く弾き飛ばしたのだ。

「さっきまで半べそかいてたお子ちゃまが、随分大きく出たもんだなぁ?」

そう言ったカールの顔は、呆れたようで、少し寂しそうにも見える笑顔だった。
それからカールは、ミゲルの顔を両手で強く挟むと、説教を始めた。

「それならまず、自分の身を守れるようになってからだ。それでその恰好は何だ? 一目で貴族と分かる服装は、やめておけと言った筈だ」
「こ、この服が一番ましだったんだ! 走りやすいし……」

 この服がかなり目立つものだという事は、ミゲルにも分かっていた。
しかし、皇位継承権序列第3位の皇子である。町人と間違えるような地味な服が、箪笥にしまわれている筈もなかった。
だからこそ、黒い外套でその出立を隠していたものの、突風に靡かせないように気を付けるには些か無理があった。
 これ以上は言ったところでどうしようもない。そう悟ったカールは、長い息を吐いた。

「俺のお古で良けりゃ、やろうか?」
「え、いいの?」
「今お前が着てるのよりは、よっぽどましだ」
「だけど、僕とカール兄様じゃ、随分と歳が離れているもの。どうして今まで捨てずに持っていたの?」

 ミゲルの問いに、カールは開きかけていた口をぐっと結んだ。
継承権争いで母が暗殺された時分、何かを失う度に崩れ落ちる父を何度も見てきた彼にとって、その時にあった物を捨てる事は容易くなかった。
父をこれ以上悲しませない為に、母と同じ道を辿らない為に、カールは皇位という重荷から逃げたのだった。

「……何でだろうな」

 柄にもなく、そんな濁したような返しをしてしまった。
 ふと、自分の顔をじっと見上げるミゲルの顔を見る。何も知らない従弟はあどけない表情で目を丸くして、ただ首を傾げていた。
思えばミゲルも、立場として言えば自分と全く同じなのだ。皇位を狙う者の手にかけられそうになり、乳母のタチアナを亡くしている。
その時までは、皇位など荷が重いと、その気弱さを曝け出して泣いていたのだが、その日のミゲルは一粒も涙を零さなかった。カールはその時の事を、今でも鮮明に憶えている。
そして、あれほど首を振って嫌がっていた皇位継承に、ミゲルは意欲を持ち始めたのだ。その理由は、先程彼が述べた通り、「こんな事は、もう終わらせなければならない」からだ。
 失ったために、目を背けたカールと、失ったために、立ち向かったミゲル。この二人の『違っていたもの』に、カールは何処か惹かれるものがあるように思えた。
自分は極力権力闘争に巻き込まれないようにしてきたが、この真っ直ぐで、少し足元が覚束ない従弟の背中くらいは、適度に押してやりたいとさえ思った。
カールはミゲルに微笑みかけ、その頭を優しく撫でると、従弟の目線に合わせる為に膝を下した。

「そう心配するなよ、スラムへはまた連れて行ってやる。ただ、明日になるかは難しいな」
「どうして? お仕事が忙しいの?」
「それもあるけど、お前はまだ十になったばかりだし、タチアナ女史が居なくなった手前、今日だってそう簡単に一人にゃしてもらなかっただろう?
 万が一、俺がお前一人を連れ出したとばれた日にゃあ、ジーン伯爵やルーカス公から相当のお叱りが飛んで来るだろうよ
 果てには、俺も皇位の座を狙って、お前の暗殺を企てている、なんて難癖もつけられかねないな」
「そんな、あんまりだよ!」
「そう嘆くな。これはあくまで、予想の範疇を超えないよ。ただ、タチアナ女史はジーン伯爵の令嬢だった。そして母親である自分よりも、先に死んでしまった。
 この意味が分かるか、ミゲル? お前は伯爵にとって、娘の遺志でもあるんだ。失くす事なんて、あってはならない」

 従兄に諭されて、ミゲルはまた神妙な表情になった。自分の行動一つで、何人もの人間が悲しんだり焦ったりするのだと、心に留めておくべきだと思ったのだ。
あまりの落ち込みように、カールはどうにか、ミゲルをいつもの天使のような無垢な笑顔にさせる為に、にこりと笑って立ち上がった。

「ケートヴルスト、食べてみたいって言ってたな。今から買いに行こうか」
「本当?」

即座にミゲルは顔を上げて、ブルートパーズを彷彿とさせるその目を輝かせた。
そして嬉々としてカールの手を握ると、ケートヴルストの味について問いかけながら、従兄と共に帰路に就いたのだった。
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