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バスを待っているときから、おれはなにか期待を持っていた。
その期待は目的地に近づくごとに高まり、その熱気は深夜の風に冷まされ、おれは現実にもどった。
明日の朝に乗り継ぎのバスがくる。今日はこれから泊まる場所を探さねばならない。

バスターミナルの近くにある小奇麗なビジネスホテルにはなんとなく泊まりたくなかったので、おれはすこし歩くことにした。
銀行や都会にもあるような建物以外は、廃屋と今も使われている建物か見分けがつかないほど古い。
古くて今も生きているだろう建物は、看板の形からなにからなにまで全てが古臭い。
全ての新しいものが不自然に見えそうだ。
別に都会の人間を気取るわけではないが、おれはここらのヤツらからすれば、明らかによそ者だろう。
ずいぶん北のほうまで来た。
オレンジの街頭に照らされた商業施設は使われていないようで、ショーウィンドウにタグが書いてある。
スプレーの線が汚く、都会で見るようなタグではない。
そうだ。これが期待していた田舎だ。想像とはすこし違ったけど、これが実際の田舎。

歩いているうちにずいぶんバスターミナルから離れてしまった。
北国の風は冷たい。
そう思っていると、繁盛してそうな居酒屋が目に入った。
外からでも騒ぎ声が聞こえていて、とりあえず、この時間でも開いていそうな店はここしかなさそうだ。
引き戸を開けると、おれはマスターに目をやった。
マスターは「いらっしゃい、そちらへどうぞ」とテーブル席を指した。
外からは想像がつかなかったが、中は意外と綺麗で、寿司でも出しそうなカウンター席と、奥にはテーブルと座敷の席があった。
「ごめん。悪いけど、座席の席でいいかな」
おれがそう言うと、マスターは機嫌の悪そうな顔をしながら、
「別にいいよ」と言った。
漫画喫茶で座席の部屋だったからか、おれには座席の選択肢しか頭になかった。
荷物も置けるし、邪魔にならないと思ったのだ。
荷物を奥に置いて腰を下ろす。旅とは荷物の置き場所を探す作業のようだといつも思う。
メニューに目を通すと、まあどれも高くて、もし美味くなかったら帰り際に後悔しか起きないだろう値段設定だった。
水はタダだ、という考えがよぎったとき、水が出てこないことに気づいた。
今店には若者の集団とおれ以外客はいないようだ。
カウンターで笑ったり騒いだりしている5人組の若い男たちは、そこらの漁師かなにかといった風貌で、5人全員の手元にはビールやタバコがあり、
おしぼりもあることにおれは気づき「マスター、申し訳ないけど、水とおしぼりもらえる」と思わず声が出た。
ずいぶん歩いていたせいか、喉にからんだつばをどうにかしたかったのだ。
それに、うす汚れた手を拭きたかった。
が、マスターはこちらを無視して、棚の一番上にあるテレビを見続けている。
そんなマスターを見ていると、カウンターの若者たちの視線がぶつかった。
そして、若者たちはおれをあざけるように大笑いした。
ここで気の弱いヤツや、すこし金に余裕のあるヤツなら、酒やソフトドリンクを頼んで、この気まずい空気をどうにかするだろうが、
おれは酒を飲まないし、ケチだ。そのうえ気まずい空気は耐えるほうが好きなので、
おれは自分の精神状態を保つために「マスター! 聞こえてますか?」と、すこし大きな声で水の催促をしてしまった。
さすがにマスターはこちらを向き、「うるせえな。少しくらい待てねえのか」と言って、睨んできた。
マスターがそう言ったあと、若者たちは騒ぐのをやめてこちらを向き、
そのうちの一人が仲間に「マスターだって。なに気取ってんだアイツ」と言い、再び笑いだした。
マスターは水の入ったコップを投げるように置き、「なににすんだよ」と注文を聞いてきた。
きっと水道水だろう。さっき、思い切り水道の蛇口から水を入れた音がしたし、コップはこれでもか、と言うほど濡れている。
投げるように置かれたせいでこぼれた水が、机をつたい、おれのひざを濡らしはじめた。
「おしぼりは?」
「は?」
「これみろ」おれは濡れた右ひざを指した。
「ふてえ野郎だな!」
マスターはカウンターへ早歩きで入り、おしぼりを持ってきたかと思うと、おれのほうに投げつけた。
おしぼりは壁にぶつかり、カウンターにいた若者はマスターとおしぼりをずっと視線で追っていたように、おれを見た。
「兄ちゃんずいぶん失礼なヤツだな。マスターに謝ったら?」と赤いニューエラをかぶった若者の一人がおれに言った。
「いやいや。わけわかんないでしょ」
「こんな夜中に急に来てさ」
どういうことだ? ほかに店が無いからきたんだ、クソ野郎共。
「そういうあなたもこんな夜中まで飲んでるだろ。おれもなにかつまみたくて来たんだけどな」
若者たちが急に黙った。
赤いニューエラの男がこちらの席に近づいてきた。
「てめえ、さっきから気にいらねえんだよ」
「知るか。おれこそ困ってるよ、この状況に」
筋肉質で坊主に眼鏡の男がカウンターのほうから、
「夜中まで飲んで、なんでお前に文句言われなきゃならねえんだ」と言ってきた。
「いつおれが夜中に飲むなと言った」
おれが眼鏡の男にそう言うと、ニューエラの男がおれの席にあったメニューを机にたたきつけた。
「コラ、おれとの話しは終わってねーぞ」
おれは立ち上がり「どっちが失礼だ。さっきから絡んできやがって」と言った。
さすがに心臓が高鳴ってきた。どうやら喧嘩のはじまりだ。
「てめえだよ」
「子供か貴様」
おれがそう言うとニューエラが座敷に上がり胸倉をつかんだので、その手を大きく回して、引き込み、ニューエラはおれの足元に倒れた。
カウンターの奥に居た細い金髪の男が、コップをカウンターに叩きつけ「てめえ、上等だな、コラ」と、こちらに向かうそぶりをして威嚇してきた。
ニューエラの男が雄たけびをあげながら立ち上がって、殴りかかってきた。
反射的に顎を殴ってしまい、男がかぶっていたニューエラは吹っ飛び、男は崩れるように倒れた。
残り4人。
通路は狭いから、一対一で戦える。おれは靴をはいた。体にアドレナリンがみなぎり、武者震いを起こした。
手前にいた、タイトな革ジャンを着た男は席から立ってはいるが、喧嘩に積極的ではなく、その手前にいる髭の男が勇み足でこちらに来た。
髭の男は無言で殴ってきたが、パンチに腰が入っておらず、左手で受けて掴み、右ストレートを食らわした後、右手でコントロールして、膝蹴りを鼻に数発食らわした。
髭の男はそのままうずくまり、鼻血にまみれた手を見つめて動かなくなった。
「おい!」
とゴジラがしゃべったみたいな声でマスターがおれに怒鳴った。
その手には長い包丁が握られており「出て行け、殺すぞ!」とおれに言った。
おれはカウンターの若者とマスターから目を離さないようにしながら、荷物を取って背負い、全て荷物を持ったあと、座敷を確認してから出口にむかった。
「二度と来るな!」そう言われたがおれは黙って出て、引き戸を丁寧に閉めた。

時計を見ると3時47分。バスまであと約5時間。この寒い中、どうしようかと改めて思った。