イチ

田舎は建物が全て低く飛び降り自殺も出来ず、ただただ精神が死んでいくだけで身体は生きるしかない。だから私は上京したのだ、東京は死ぬための場所だ。だって田舎は世間体という鎧で死ぬ事も許されない。
 買いたての安い服は肌なじみが悪く、薄手のシャツと長いスカートに歩きやすく就活用に買った葬儀にも役立つ楽チンパンプスを履いて、五時過ぎに家を出る。今日行く場所に合わせてアクセだけは少し高いものにした、よくわからない石のマスカットと山葡萄みたいな色をしたネックレス、緑色の石の指輪。それに比べて使い古した肩掛けにもクラッチにも出来るバッグにはスマホとティッシュとつけま糊とルースパウダーとグロスと、クレカも保険証もほとんど抜いた財布を入れた。これから先の私は何をしでかすかわからないから、身分証みたいな物は抜いていく。都会の人間は信じない、私も含めて。きっとアクセなんかは途中で外したりしないだろうから、でも怖いのでピアスは外していく。
 家の側のゆるい下り坂はヒールでは下り辛く、その先の横断歩道に辿り着いて今日も転ばずに済んだと胸をなでおろす。夕方特有のゆるい温い風と排気ガスの匂いが私の周りを取り囲んで、信号青に合わせて歩みを進める。家のすぐ近くにも飲み屋街はあるのだけれど、多少荒らしてしまったから、今日は電車に乗って遠くの飲み屋に行く。スマホアプリで面白そうな居酒屋を探して、狙いをつけて最寄り駅で降りる。メトロで八駅、八駅も進むのに所要時間は十五分、地元だったら八駅も進んだら四十分以上かかるだろうし、かなり遠くまで行けるだろう。駅に近づくにつれて人が増えてきて、スマホを見て歩きにくくなる。都会の人は能力が高すぎて異生物だ。電話をしながら、スマホを見ながら、人にぶつからずに細い道を歩いていく。彼らには高機能センサーでも眼球に張り付いていて、最適な経路が見えているのではないだろうか。私は数年でその能力を失ったので、ただただ歩くのに集中する。一気に喧騒が増えたのに私は一人で、人が多い方が孤独だ。
 改札を抜けて電車に乗って、早い帰宅ラッシュと被りながら、目的の駅に着く。どっと降りる人たちと一緒にホームに降りて、出口を確認する。めったに来ないのでどっちが何口かもわからないのだ。案内看板で出口を見つけると一緒に電車に乗ってきた人たちに数分遅れで、改札に向かう。彼らはもう何処かへ行ってしまった、この場所は人が多いのに霞のように消えていく。掃いても捨てるだけ居そうな人数、一人一人のアイデンティティはどうやって満たされるのだろう、恐ろしいと身震いをする。
 階段を上ると地上に出て、スマホの地図が示すように進む。霞でありながら実体を持った障害物たちは、誰も同じ場所を目指さなくて、一人路地裏の居酒屋に進んだ。初めての場所に入るのはとても怖い、一杯か二杯ひっかけてくれば良かったと思いながらも路地の片隅にあるスタンドが立っている居酒屋に入った。商売屋さんの店先と思えないすりガラスのアルミ製の事務所の勝手口のような扉を開けると、カウンターが延びた店内が見えた。
「いらっしゃいませ」
 早く来たつもりだけれど、常連のようなおじさんが一人、年齢不詳の女性が一人もう飲み始めていた。お好きな席どうぞ、という自主性の無い私には辛い言葉を優しさで投げかけられて、二人から遠い入り口よりの席に腰をかける。ビール、と言いながらおしぼりを受け取って、メニューを開く。
 一品料理、焼き物、煮物、お食事に分けられた見開きをめくるとドリンクメニューが出てきて、細長い冊子に似合いの丁寧な文字で種類分けされていた。店内に貼ってある黒板に本日のお造りと、オススメが書いてある。辺りを海外に踏み込んだ異国人の気持ちで少しずつ様子見をしていく。瓶ビールが届くのと同時にお通しのミドリの茎っぽいものにハムと玉ねぎが和えてある小鉢が運ばれてきた。一席に一膳ずつ備えてある割り箸を割ってお通しをに口をつけると、茎だと思っていたものはセロリだった。しゃきしゃきとした歯ごたえと今まで食べた事のないセロリとハムと玉ねぎのマリネの味わいに満足する。顔を上げて配膳をしてくれた女将さんのような綺麗なお婆ちゃんに笑顔を向けると、注文と察したのか側まで来てくれた。
「揚げ出し豆腐と刺身盛り合わせ、って一人前大丈夫ですか」
「はい、お作りできますよ、以上でよろしいですか」
「ええ、お願いします」
 女将さんは数十年若い私なんかより、若さに頼らない美しい笑顔で注文を受けて、隣の旦那さんなのかわからない男性の板前さんに注文を伝えていた。二人で切り盛りされている店内はこじんまりとして、カウンター以外には奥に座敷が一部屋あるだけみたいだった。割烹や寿司屋と居酒屋の中間のような小奇麗で整った店内は板前さんと女将さんの二人で切り盛りされていて、静かで、それでいて気取っていない中に気品が漂っていて、ああ土足で踏み荒らしたいなぁという気持ちを押さえ込んだ。美しく整った桐のような木目のカウンターテーブルに、お醤油と一味と爪楊枝しかない調味料類。カウンターの側には魚が置いてあるガラスケースがあって、魚の死体が鮮明に生きた姿を残しながら整備され並べられていた。私の死体もこんなに綺麗ならばいいのにと思いながら、自分の死んだ場合の利用価値の無さに絶望して二杯目にハイボールを頼んだ。