Neetel Inside 文芸新都
表紙

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 やっぱりお嬢さんと話したくなってね、と言って話始めたおじさんは前より酔っているみたいだった。話の内容はプロ野球から高校野球、ついでにおじさんの出身地の甲子園出場歴、そして最近のその県出身のプロ野球選手で、そこから引退後の選手がやっているビジネスやら馬主やらの話から競馬、そして競艇や競輪、その後に何故かドラッグの話になって、チャイニーズマフィアの話なんて胡散臭い都市伝説の話にもなって、日本経済と景気の話になった。はっきり言って聞き役に回るだけで、私はそんなに発言をしていなくて、これだったら隣の綺麗なお姉さんに聞いて貰えばいいだけじゃないのかよ、と心の中で毒づいた。
 私の手には寧々ちゃんが作ってくれた水割りがあって、お上品に少しずつしか入らない細いグラスに大きな氷が容積を圧迫しているのですぐに飲み干してしまう。水割りはそんなに早く飲むものではないのかもしれないが、おじさんの話を聞く以外に何かをしていたかったので、飲むしかなかった。指先は氷の入ったグラスから伝導する温度で冷え切ってしまっていて、それは口内も胃もそうだった。そしてそれとは逆に頬は酷く熱くなってきて、更年期障害みたいに火照ってきた。
「最近は不動産業も陰りが見えてきたみたいだよ」
「そうなんですかぁ、オリンピック景気に湧いててチャイナマネー入ってるって聞いたんですけどー」
「そうらしいけど、もう天井は来たみたいだよ」
「そうなんだぁ、知らなかったー」
 馬鹿みたいに知らないことと、褒め称えるような表情をすると場は丸く収まる。それくらいどんな女でも知っているやり方だ。
 ふかふかなソファーに座って、よくわからない話に相槌を打つ。溜息を押し殺して天井を見ると、ホールに一つだけ大きなシャンデリアが付いていて、その下に大きな花瓶、花瓶というよりは陶器の壷といった大きさの器に何本もの花と緑が突っ込まれて不自然に咲き誇っている。今あのシャンデリア目掛けてグラスを投げつけて、中心にストライク当たって割れたら、雪の結晶みたいに硝子が砕けて花瓶に降り注ぐのかな、とその姿を想像すると綺麗で笑えた。グラスみたいな軽いものでは割れないからおじさんが飲んでいるボトルとかかな、と掴みやすいその形を見る。中身さえ入れ替えれば荘厳な見た目で高い料金を取れそうなそれは、華麗な花瓶と一緒の消耗品であって、一度開けたらお仕舞いの、私みたいな一般人には手の届かない高級品だ。
 高級品、とは何だろうか。よくわからない、とグラスに口を付ける。何も、何もかもがよくわからないのだ。だって、もう、大分酔ってきたのだ。
 急に内臓が寒く感じて、二の腕と肩辺りに震えが来て、腕を抱いた。薄手のシャツが手のひらでくしゃっと皺になる。
「ちょっとお手洗いに、失礼しまーす」
 笑って立ち上がったつもりが、よろけておじさんに寄りかかる形となってしまった。ごめんなさい、とその肩に手をかけて身体を起こすと、おじさんは大胆だねぇ、と笑ってきた。何が大胆なのか全くもってわからないが、大胆らしいので目を合わせてにっこりと笑って舌を出して、テーブルから離れた。歩きにくいったらない絨毯を、歩いていると直ぐ横に黒服と思われる人が併んで来て、お手洗いに案内してくれた。手洗いを済ませて、横の洗面台に申し訳程度に付いている鏡で顔を確認すると肌の色は変わっていないが目が据わってきていた。流行のうさぎ目メイクというやつかしらと笑う。つけまつげが取れていないので良しとして、化粧道具が入ったバッグを忘れてきたことに気付いて備え付けの油取り紙でテカリを軽く取って出た。
 大失敗だ、トイレに立ってそのまま帰ろうとしたのにバッグを忘れてきた。酔っていて全然上手に立ち振る舞えていないどころか、馬鹿な行動をしている。馬鹿は今に始まったことではないか。
 お手洗いを出てすぐに黒服の人がおしぼりを渡して来て、これはドラマで見たやつだ、と興奮した。そして、その人のおしぼりを渡す手に触れながら少し近寄る。
「ごめんなさーい、酔っちゃったみたいで、帰りたいんですー、お会計お願いしまーす」
「あ、っと、会計は大丈夫だと思いますよ」
「ふふっ、そうなんだー」
 違ぇよお前私が帰るのにあのおじさんに上手くアシストしろよってのを酔った勢いで可愛い子ぶって言ってみたんだよ、本当に上手いことかわすな、と笑う。黒服が役に立たないとわかったので、すぐ身体を離して席に戻る。もう直球で帰る宣言しかないので、酔った勢いで好き勝手にしようと思う。
 ふわりふわりと絨毯を歩くと、おじさんが完全に女の子達に夢中な姿が見えて、笑顔を作って近づく。
「すみませーん、私酔っちゃったみたいでお先失礼しますね」
 にこりと笑って、寧々ちゃんに目配せをすると、彼女はさっとバッグを渡してくれた。おじさんが反応しきれないうちに、バッグを掴んでご馳走様でした、とお辞儀をして入り口に向かう。あまり早く動くと酔いが回ってしまうし、すでに回っているのだけど、腰から崩れそうなくらいには酔っているので逸る気持ちを抑える。黒服なんかよりよっぽど寧々ちゃんの方が役に立つ。が、その黒服に入り口の扉を開けてもらって、二本松君がエレベーターのボタンを押しているのを見て、まだ後ろに黒服の人がいるのにその場でしゃがみ込んでしまった。石の床はひんやりと冷たくて、体温が奪われてしまいそうで何もかもが冷たい。思わず笑ってしまって、おそらく心配して腰を落としていた二本松君を見ると苦い顔をしていた。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫、かな?ここって最寄り駅どこになるの?」
「えっ、この状態で電車乗って帰る気?」
 二本松君は驚いたように言って、タクシーの手配をしようと動いた。
 ここからタクシーは結構お金がかかるぞ、と急に頭が冷静になって、立ち上がろうとする。どうしてこんな世の中が発達しているのにどこでもドアが発明されないのかしら、瞬時に家に帰りたいのに、もう二十一世紀なのに。立ち上がろうとしたが、上手くヒールが床を捉えなくてよろけて二本松君に抱きつく。スーツに包まれたがっしりとした身体に抱かれて、顔を上げると二本松君が笑っていた。この軽蔑と浅ましさに満ちた笑顔を私は知っている、馬鹿な女だと、それでいて変な気持ちを起こしている顔だ。この小さな空間で嫌な顔だ。
 私の意見は無視に近い形で二本松君が私の腰を掴んでエレベーターに乗せて、そこで掴まった小動物のように大人しくしていた。寒いのに、二本松君の身体は温かい。彼の着ているスーツは手触りが良くて、二本松君の身体に合わせて作られているようだった。
 エレベーターを降りると少し歩いて、雑居ビルみたいな所の路地裏を抜けると古めかしい駐車ビルが建っていた。歩いているのか、運ばれているのか、飛んでいるのか、起きているのかわからない状態のまま二本松君に連れられてエレベーターにまた乗せられた。次の記憶ではアルファードみたいなミニバンが目の前に出てきて、助手席に押し込まれた。背中に固いものが当たって、見るとクリップボードでそこに挟んであった書類を折り曲げてしまっていた。
「あれ、タクシーは」
「送迎車で送ってあげるよ、それかパクったチケットあげようか」
「あー、いい、いい。もういいよ、普通に帰る。帰るお家わからないけれど」
「は?」
「家の場所誘導出来る気がしない、てか眠い」
「そっかー」
 そのまま二本松君は私にキスをして、良い子にしていてね、と言って車を走らせた。揺れが気持ち悪いと上がってくる吐き気を堪えて、助手席に塩をかけられたなめくじのように縮こまった。車の中は変なにおいがして、温かかった。
 それほど距離を走る事なく停車して、私は知らない場所に降ろされた。抱えられたまま階段を上って、部屋に連れ込まれた。ワンエルの部屋のベッドに転がさせられて、二本松君は冷蔵庫からペットボトルを私の枕元に置いた。
「俺戻るけど、瀧澤吐くタイプじゃないよね」
「うん、吐く時はトイレ」
「良い子だね、トイレはこっち」
 二本松君は私の頭を撫でて右側にある扉を指差すと、部屋から出て行った。気持ち悪いし、ここはどこだ、という気持ちの中眠りに付いた。良い子というのが口癖なのだろうか、きっしょい口癖だな、良い子、酔い子、と口の中で泡を作りながら意識を手放した。

 目を覚ますと暗くて、横に二本松君が寝ていて、私は半裸で、確認するとつけまつげは外れていなかったので不思議な感動が湧いてきた。つけまのりはなんと強い接着力なのか。私にそこまで執着してくれるモノなんてお前くらいのものだ。
 そもそも何故ここで寝ているのか、ぼんやりとした頭が私に正解をくれない。そして何故半裸なのか、脱がされたが得意の貞操観念の高さが露呈してしまったのだろうか。それは不思議でありながら私を護る無意識の盾であって、今は使われなくて良かった武器であったのに。覚えていない脳をフル回転させながら答え、真実に辿り着こうと必死だ。起き上がって二度ほど頭をふると、一緒に胸も揺れた。上半身は裸で下半身はパンツとパンストというわけのわからない状況だ。おそらくやってはいないのだけど、何かはあったのだろう。頑張って口だけで抜いたのかもしれない、口の中が何だか粘っこい。知らない男のちんこを舐める事で眠る事を許してもらったのだろう、可哀想な過去の私。すぐ被害者面してしまって、自分で自分が面白かった。胃が重苦しくて、酒のせいか精液のせいかわからなかった。
 二本松君が私が動いても起きなかったので、気をよくして彼の胸元にもぐりこんだ。寒い、服を着ていないから寒いのだ。薄い清潔ではなさそうなよれかけた毛布と薄手の掛け布団の中に二本松君がスエット姿で寝ていた。すんすんと鼻を鳴らすと人の布団の匂いがして、嫌な匂いでなかったのでそのまま大人しく目を閉じた、いや閉じようとした。横で二本松君の目が開いた。
「起きた?」
「寝た」
「おはよう」
「おやすみ」
「まだ酔ってる?」
「そこそこ」
「そっか、下脱がして良い?」
「一宿一飯の礼として許そう」
「いっしょくいっぱんの礼?」
「わからないならいいや、てか写真は止めて」
「いや、撮ってないよ。すっげー抵抗したじゃん」
「おお、記憶の無い過去の私グッジョブ」
「わっけわかんねぇ」
 腰を上げるとパンストとパンツは綺麗に脱げて行った。一層寒い。全裸の私と服を着た二本松君。使い古して柔らかくふんわりとした毛布に下半身の素肌が直に触れて鳥肌が立った。

       

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