Neetel Inside 文芸新都
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 来客に乏しく、外観以上に寂れた印象を受ける一軒の酒盛り場。
 名を<巨樹の酒神亭>といった。

 この店は、とかく日当たりが悪く、湿気に傷んだ床はそこかしこに黒いかびが生えている。
 カウンターには、二人の男がいつものように定位置を陣取っていた。

 一人は無精ひげを蓄えた細身の男。
 もう一人は、長身で筋肉質な、いかにも頑強そうな男という組み合わせだ。

 「聞いたかよ」

 髭面は、隣で黙ってグラスを傾ける男にささやくほどの声でそう言った。
 黙ってエールをあおりつつも、横目に「何が」とでも言いたげに視線を返す。

 「あすこにも、ようやく調査隊が送り込まれるってな」

 少しだけ片目を見開いた恰幅の良い男は、今しがた空になったグラスを、そこでようやく置いた。

 「ずいぶん、のんびりとしたもんだぜ」

 「……今や心都を賑わす噂話の大半あっこからだ。
  ウチのがきんちょ共も、将来は剣振るって探検に行くんだって言ってなぁ」

 「傍目で眺めてるのと、実際に足を踏み入れるのは大違いだって教えてやんな」

 「俺が言ってもきかねぇんだ、これが。
  それよか、調査っつーのは名ばかりで、実際には攻略するぐらいの軍備を整えて乗り込むらしい。
  あくまで噂だがな……ギルドを口説き落として、S級を担ぎ上げるんだと」

 「この辺のS級だと、まさかギリガンか?」

 「多分な、あの偏屈堅物のソード・マスターさんよ。
  ああ見えて、現状を憂いて抱えているものでもあったのかねぇ」

 「お上もようやく事態の重さに気づいたってか」

 頑強そうな男が「まぁ」と続けたところに、髭面はその先の言葉を代わりに口にした。

 「遅すぎるがな」

 二人ともが、鼻で笑った。
 苦笑いを噛み殺すようにして、お互いに口角を吊り上げる。
 グラスの底に少し残った琥珀色の液体を小刻みに揺らしながら、髭面の視線は少し遠くへ向けられていた。

 どうやら、酔いも少し回ってきたようだった。

 「こないだ5階層から帰ってきたって奴を見たかい」

 「生憎と」

 「黄金で出来た杯さ、こーんなでっけぇ奴をな、持って来たんだと」

 「大金持ちじゃねぇか」

 「しかも単独でだぜ?
  アガリを分け合う必要もねぇ。
  向こう10年は食うに事欠かねぇだろうよ」

 髭面は、卓上を手のひらで軽く叩いてから、足を組みなおす。

 「相当アブない話は聞くがよ、ガキどもの噂も、この分だと夢まぼろしじゃねぇぞ」

 「ひょっこり顔を出した、謎の迷宮……ねえ」

 「お上が動き出すってんなら、今しかねぇよな。
  よそもんの奴らや騎士団に荒らし回りゃあ、取り分も減っちまう」
  お前、行くか――?」

 中ほどまで酒が注がれていたグラスを持ち上げた手指の一本を指して、無精ひげは小太りにそう持ちかけた。

 「パーティー組んだB級やA級がよ、何人帰って来てない?
  命がいくつあっても足りやしねぇ、ましてや、俺とお前じゃ」

 「もしあすこを攻略したとなりゃあ、一躍英雄よ。
  女もほうぼうから擦り寄ってくるだろうし、選り取り見取りだぜ?」

 「まぁ……そうだろうな」

 話の中で出た迷宮入りには否定的だった男が一瞬目を細めたのを、髭面は見逃さなかった。

 「酒飲みながら楽して暮らせる生活なんて最高だよなぁ。
  いい加減に抱き飽きた嫁なんかより、極上に良い女をとっかえひっかえしてよぉ。
  毎日刺激的に暮らすのよ――」

 もう一押し、とばかりに畳み掛けてくる口説き文句に耐えかね、頑強そうな男は無言で席を立つ。

 「ちっ、なんだいなんだい。
 ガキの頃はよく二人で青臭え話してたのによぉ」

 けったくそ悪そうにそっぽを向いた髭面には、相棒の表情が伺い知れない。
 彼はというと足元の荷物を掴み上げると、取り出した小銭をカウンターに置いて、背に荷物を下した。

 顔を合わせることなく、彼は背中越しにつぶやく。

 「準備しとけよ」

 一人酒場に残された無精ひげは、しばしの間、呆けた表情を浮かべていた。
 それからややあって、彼は暇をもてあそぶように、隣の空席に置かれたグラスのふちを指で弾く。

 「そういや面食いだったもんなぁ、昔からよ」


 * * *


 A級冒険者である、シーフギルドのフロスト=ラダム。
 彼が後に迷宮の各階層に残した手記からのある頁には、最愛の妻子に向けられた遺書が残されていた。
 随行した同じA級冒険者であるベイロード=マッケネンと共に、彼ら二人の消息は今なお明らかとなっていない。

       

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