1 無意味と無価値

 生まれてきたことを後悔する日もあった。
 世界中の不幸を、一身に背負ったつもりになったこともある。
 だけど、今は普通。
 菩薩ぼさつみたいな平常心。
 かき乱すのは、他人の不幸を垂れ流すニュースと、明日の天気予報だけ。
 今日は雨が降っている。
 しとしとしとしと。
 傘を忘れて、髪が濡れる。肩が濡れる。スカートからは雫が滴り、靴は歩く度にがっぽがっぽと音を立てる。
「ねえ、萌々子ももこ
 泥濘ぬかるんだあぜ道。無限の雨を受け入れる季節外れの水田。くるくると回る傘と、彼女の鼻歌。相合い傘を拒んだ上代かみしろ萌々子が、くるんと私に振り返る。
「どうした、里緒りお
 そう首をかしげる彼女は、私と同じく中学二年生の不良生徒である。
 実は時計はすでに午前の十時をさしており、この田園地帯から一〇㎞離れた先にある校舎では今頃生真面目なクラスメイトたちが二時限目の数学に息の根を止められている頃だろうと思う。
 くるくると傘を回しながら、泥に汚れた靴を見遣る。その脇では雨蛙あまがえるがひっくり返って死んでいた。
「里緒」
 桜木さくらぎ里緒。
 そういう名前の私を呼んだ。
 不思議と視線を引き寄せる――強い魔力を持った瞳。幼さと知性が同居した凛と怜悧れいりなその顔立ち。前衛芸術めいた編み込みのある黒髪と、喪服のような漆黒のドレス。もはや社会復帰が絶望的と思うのは、先々月、彼女が学校指定のセーラー服を焼却炉にぶち込んでいる姿を目の前で見たからだ。
「……聞いているのか、里緒」
 抑揚がないのに、感情豊かと思える甘い声。
「何もないなら、行くぞ。それとも里緒は、帰りたいのか?」
 雨粒が痛い。
 ざあざあと鳴るそれが、しぶきを立てて視界を霧に染め上げていく。
 すでに傘は意味をなしていない。それでも萌々子は、傘を差したまま。くるくると、ただ回すためのみそれは存在しているらしい。
「行くよ、私も……萌々子といっしょに」
 私がそう言うと、萌々子が嬉しそうに、少し笑った。
 ついてきて、とは言えない萌々子。
 不器用な彼女が痛々しく、それでいて愛おしい。
「ねえ、萌々子」
 雨は激しさを増す。
「どうした、里緒」
「キス、して欲しい」
 そう言って、せがむ。
 萌々子は目をまん丸くさせる。
 だけど、彼女はわかっている。
 それは、全然唐突なお願いなんかじゃないってことを。
 だって、私と萌々子は、そういう関係なのだから。
 時々それが欲しくなるのは自然の摂理みたいなもので。
 欲しくなったら要求するのが、この場合の筋というものだということを。
 萌々子はもちろん全部わかっている。
sage