Neetel Inside 文芸新都
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一枚絵文章化企画2017
「いもうとにはきをつけろ」作 いしまつ 0304 17:11

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 はっ。はっ。はっ。はっ。

 規則正しい息の音。頬をなでるやわい潮風。
 ふりかえれば、波打ち際を追ってくる幼女の姿。

「待ってよ、おにいちゃん!」

 クソ。最悪だ。


 ※※※

 
 海でも見に行こうってのがそもそも間違いだった。
 その日はちょうど学校も休みで、彼女はバイトだからと朝っぱらから部屋を出て行って、俺はそれを見送ってから二度寝して、午後、ヒマをもてあましていた。

 誰かに会うってテンションじゃないが、かといってじっとしてるのもなんだかつまらない。でも何かをする気にはなれなくて、テレビをつけるのさえも億劫。そんな感じ。要するに空っぽの日だった。生活の隙間からストンと抜け落ちたみたいな。あるだろ? そういうの。

 だからなんとなく、海でもみるかーって、家を出たのだ。
 海、近いし。
 歩いて、十分だし。
 特に目的があるわけじゃなかった。
 あのまま家にいてテレビ見てりゃよかったって心底思うけど、今さら後悔してももう遅い。


 ※※※


 砂浜には先客がいた。
 妹がいた。
 互いの姿に気づいたのは同時だった。
 俺は逃げた。
 そしていま、あえなく捕まった。

「もー! なんで逃げるの!」
 
 俺は砂浜に引き倒され、あおむけになっている。
 視界に広がる青空。その真ん中に、妹の上半身がある。
 ぷんすかしている。
 彼女は俺の体に馬乗りになっていた。俺よりふたまわりも小柄なのに、信じられないくらい重かった。
 どうあがいても、振り落とすのは無理。
 そう俺の本能が直感していた。

「最愛の妹の顔を見て逃げるなんて、どういうつもりよ!」

 頬を膨らませ、彼女は俺の胸倉をつかんだ。手に包丁を持ったまま。首筋に近づく刃物の冷たさに血の気が引く。

「待っ、待っ、ちょまっ」
「なんなのよもう! そんなにあたしが怖いわけ?」
 
 ああ、ダメだ。
 もう逃げられねえ。

 油断してた。泣きそうになるのをかろうじてこらえる。
 自分の身に降りかかるはずがないと思ってた。
 だけど今この瞬間の光景はまぎれもなく現実で、俺は好む好まざるにかかわらず、選択を迫られている。
 地獄のような生か。
 それとも、安らかな死か。
 ……まあ、無理だよな。
 ここで全部あきらめて潔く死ぬなんて強い精神があったら、こんな堕落した生活を送っているわけがねえんだよな。
 俺は観念する。
 そして、口を開く。

「しょーがねーだろ。お前すぐ俺に暴力ふるうし、怖ぇーんだよ」
「暴力ふるわれるようなことする方が悪いんでしょ!」
「う、うるせえな。俺がなにしたっていうんだよ」
「冷蔵庫のプリン! 勝手に食べた!」
「そんくらい別にいーだろ! またいくらでも買ってやるって」
「ほんと?」
「ああ、マジマジ」
「じゃ、三倍返しね?」
「……わかったよ。しゃーねえなあ」

 俺が認めると、妹の表情がぱあっと明るくなった。
 体にかかっていた重さが消える。俺はよろよろと立ち上がる。

「ほら、早くいこ! おにいちゃん!」
「……ああ」

 差し出された妹の手を握り、俺は逃げてきた道を戻る。
 仕方ないんだ。
 こうするしかなかったんだ。
 そう自分に言い聞かせながら、砂浜の足跡を踏みなおしていく。
 ああ、それにしても――
 家出る前にテレビさえつけてりゃ、こんなことにはならなかったのに。

 どこかから、サイレンが聞こえる。
 スピーカ―越しのメッセージも聞こえる。

『現在、XX市の海岸線沿いに妹警報が発令されています。単独で行動する妹を見かけた場合は、決して自分を兄だと認めず、直ちに避難してください――』

 遅えよ。
 と、俺は心の奥でつぶやく。

「ねー、あれなんて言ってるの、おにいちゃん? 妹警報ってなに?」
「さあ? 俺もよくわからん。防災演習かなんかじゃね」


 ※※※


 妹は災害だ。
 なにかしらのウィルスのせいだっていう奴もいれば、宇宙人の侵略だっていう奴もいる。今さらどっちでもいいけど。
 妹には様々な種類があるが、基本的には単独で出没する。
 前触れなく、突如としてあらわれる。
 男が彼女と目を合わせたら、はい、一巻の終わり。
「おにいちゃん」と認識され、永遠に追い回されるハメになるわけだ。さっき砂浜で彼女を見てしまった、俺のように。

 そしてもし、兄であることを否定したり、拒否したりすれば――


「きゃっ!」


 妹が悲鳴をあげ、ぎゅっと俺の手を握ってくる。骨が砕けそうな握力にビビりながらも、俺は平静を装う。

「ねえ、なにあれ、おにいちゃん!」
「見るな!」

 そう言って俺は、彼女の目をふさいだ。
 なんとなく、それが兄っぽい行動だと思ったからだ。

 彼女が指さした場所には、先ほどの「先客」が転がっていた。
 ミンチ状にされた、おそらく成人男性と思われる死体。
 妹のごっこ遊びを拒否した結果の、なれの果て。
 せりあがる嘔吐感をこらえつつ、俺は妹に言う。
 
「大丈夫だ。お前はなにも気にしなくていいから。おにいちゃんがずっとそばにいるから」

 延命のために心にもない言葉を吐きながら、思う。

 彼は何年、妹に付き合ったんだろう? 
 なぜ死んだんだろう?
 うっかり受け答えをミスったか?
 それとも、嫌気がさして、わざと間違えたのか?
 くそっ。余計なことをしやがって。
 お前さえ死ななけりゃ、こんなことには……!

「えへへ、ありがと」

 甘い声がした。
 彼女は目をふさいだ手を引きはがし、俺の目を見る。
 心底、いとおしそうに。 

「ほら、いくよ」
「……どこへ?」

 思わず聞き返してしまった。彼女の目がすっと細くなる。
 ただそれだけのことなのに、背すじが凍る。
 
「もう! おうちに帰るに決まってるでしょ! しっかりしてよ、おにいちゃん」
「……あ、ああ! そうだよな。すまんすまん」
 
 彼女に手を引かれ、俺は歩き出す。死なずに済んだことにホッとしながら。

 それにしても、おうちってどこだろう。

 少なくとも。
 それが俺の家じゃないことだけはわかってる。
 

       

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