No30「キーホルダートラップ」
ごく、ありふれた昼下がり。
「死」が街中を移動していた。
親指ほどの大きさの、熊のキーホルダーの形をしたそれは、天空高くから黒いコードで垂れさがり、人が歩く程度のスピードで移動しながら、獲物がかかるのを待っている。
大都市東京の喧騒の中では少し不可思議な物があっても、誰もそれを気に留めない。
よくよく見ればおかしい物だと気がつくのだろうが、それに気を取られる程、誰しも暇では無かったのだ。
だから、地球人にはそれの対策が何もできておらず、そもそもその存在に気づいていなかった。
公園でタバコを吸っていたI美は、目の前に浮かぶ不可思議なキーホルダーに気が付き、それを目で追った。
(何これ?)
正体不明のキーホルダーに不用意に近づくI美。
迂闊だが、それも無理もない。
如何に空から吊るされていると言っても、所詮は小さなキーホルダーで、ここは昼間の街中だ。
気味が悪くはあっても、危険だと感じるのは、難しいだろう。
そしてI美は手を伸ばし、キーホルダーに触れてしまった。
一瞬、I美の視界は暗転する。
彼女が驚く間も無く、次の瞬間、周囲の風景が元の公園とは似ても似つかない紫色の煙が立ち込める沼のような場所へと変わってしまう。
「え?何?何!?」
突然の出来事に、狼狽するI美。
その眼前の煙の中に巨大な長い影が姿を現した。
恐怖に駆られ、後ずさるI美だったが、背後にも気配を感じて降り変えると、そこにも同じ、長い影がうごめている。
「何?何?何?」
恐怖から涙声になって縮こまるI美。
やがて、煙の中から蛇の様な体を持ち、頭からミミズの様な突起状の口を3本生やした怪物が姿を現した。
「我々はフォルソウ星人、女、絶望しろ、お前はこれから殺される」
「えぇ!?」
フォルソウ星人は唐突に、そう言い放つ。
人語を話す怪物に、狼狽え、逃げる事もできずに震えるI美。
「お前は我々の餌となった。お前は我々の罠にかかったのだ。お前は死ぬ」
そう言いながら、近づいてくるフォルソウ星人。
I美はどうする事もできず、ただ震えて立ちすくむしかない。
その頭に、フォルソウ星人の牙が喰らい付こうとした、その時、渾身の飛び蹴りが星人の脇にさく裂し、その体を二つに両断した。
「そこまでだ!」
霧を裂いて姿を現したのは、白い胴着姿の宇宙人、カラテレンビクトリーだ。
カラテレンビクトリー、それは、宇宙道徳に従って地球の文明を守る、宇宙空手の達人である。
「何故…ここに!?」
「ば…馬鹿な!」
信じられない、と言った風に声を上げる周囲のフォルソウ星人達。
その中心で、I美は状況について行けず、頭が真っ白になってただ茫然としている。
「そこに、宇宙からの暴力がある限り、カラテレンビクトリーは現れる!!行くぞ!!」
勇躍、フォルソウ星人の群れに飛びこんでいくカラテレンビクトリー。
そこで、I美の意識はゆっくりと闇に沈んでいった。
I美が気がつくと、そこは元の公園だった。
時計を見ると、時間はそれほど立っていない。
「…夢?」
思わず呟いて、I美は地面に何かが落ちているのに気が付いた。
それは…熊のキーホルダー。
「………忘れよっ」
首を振ってそれを無視すると、I美はその場から去っていった。
「おかーさん!こっちこっち、早くー!…ん?」
公園に遊びに来た7歳のAちゃんは、道に何かが落ちているのに気が付いた。
それは、Aちゃんの好きな熊の形をキーホルダー。
「おかーさーん!熊落ちてるー」
無垢な少女は、キーホルダーを拾おうと、手を伸ばしていった。