「眺める」作:エイピー(3/22 22:00)


ここら一帯は、すっかり獲れなくなってしまった。
ぼくはため息をついて、両手を水から引き上げた。


コン、という木と木がぶつかる音がする。
そちらを見ると、舟が桟橋に寄せられていた。
舟を引き寄せていたのは、たまに見かけるあの生き物だ。
日常的に見るものでもないが、居ても別に驚かないという程度にありふれた生き物。
理科の授業で習う特徴は、二足歩行で道具を使って言葉を持つというあたりだが、それならぼくたちと変わらない。
ぼくたちよりももっと前の時代では、彼らは世界中にひしめき合うほど繁栄していたらしい。しかし生殖に制約が多く、精神的にも弱かったという。また、乾燥したこの世界の気候は、ぼくたちには適している彼らが生きるには辛かったらしい。そんな色々が相まって彼らの栄華はゆるやかに終わり、今や彼らはぼくたちの片隅でひっそりと暮らしている。
ぼくの目の前にいるあの生き物も、狂ってしまったのだろう。
ここは湾ではない。湖なのだ。
舟に乗っても、見える景色は同じだ。
行けるところは、今と同じただの湖岸だ。
彼がどこかに逃げ出そうとしているのだとしても、それは冒頭からすっかり間違ってしまっている。


ココン、とまた木の音がした。
桟橋にいるその生き物は、不必要なほどゆっくりとした動作で舟に乗ろうとしている。
辺りに注意は向けられていない。
彼が一歩踏み出したときに舟をとっぱらってしまっても、そのまま歩き続けて沈んでいくのではないだろうか。
そのとき突然、ぼくは手前の桟橋に小さいものがいることに気が付いた。
それは奥の桟橋の幼体だった。
なぜそれまで気付かなかったのか自分でも不思議だったが、それまで背景だったその生物は、突然目の前のキャンバスの主題として浮かび上がってきた。
幼体は、舟に歩む成体の姿をただじっと見つめている。親子か何かなのだろうか。親子でない幼体と成体が連れ立っていることは、よくあることなのだろうか。
ぼくはそこまで彼らの生態に詳しくないので、本当のところはわからない。


成体が静かに腰を折るところを眺めるうちに、ぼくは黙って視線だけを送る幼体が不気味に思えてきた。
なぜ叫ばないのだろう。
なぜ止めないのだろう。
言葉を発せば、簡単にできるはずのことだ。たとえ言葉を持っていなくとも、成体の注意を引くことは可能だろう。
幼体はそれらの全てをせず、ただ静かに眺めている。
よくあることなのだろうか。
止める必要はないと思っているのだろうか。
またどうせ、ここに戻ってくるだけだと諦めているのだろうか。
あるいはあの行動は、成体の日課にすぎないのだろうか。
そこまで考えたとき、ぼくもまた、黙って彼らを見ている存在であることに気が付いた。
ぼくが彼らに声をかけない理由は、ぼくには明らかだ。
ここに広がる空虚な諦観は、ぼくが壊していいものではないと思っているからだ。


ぼくもまた、不気味な存在なのか。
ぼくを解さない、誰かにとっては。


ぼくの足元で、ちゃぷ、と水が揺れた。
幼体は成体を黙って見つめている。
ぼくはそれを眺めている。