Neetel Inside 文芸新都
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一枚絵文章化企画2017
「加速する夕方」作:田中佐藤 0320 23:03

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 この世界がブラックホールに飲まれても、多分僕と隆史は死なないと思う。
 いつも通りの放課後。いつも通りの通学路。
 暗い顔をしている世間をよそに、僕と隆史はいつも通りふざけ合いながら、いつも通りの高校生活を送って、放課後になったらいつも通り真っ先に学校を飛び出して、いつも通りの高校前の急傾斜の坂道を、昨日と何ら変わらない顔をしながら下っていく。
 今朝のニュースによれば、地球の外からある日突然やって来た謎の宇宙人に乗っ取られた地球もとい地球政府は、明日中に政府としての機能を失うらしい。つまりどういうことかというと、これは明日中に地球は銀河の果てからやってきた謎の宇宙人の支配下に置かれる、ということを意味しているのだ。
 だけどそんなことはいざ知れず。いや、知ってはいるがあまり危機感を感じていない僕と隆史は、高校の前にそびえ立っている別名「心臓破りの坂」と生徒の間では忌み嫌われている砂利混じりの急傾斜の坂道を、勢いよく自転車で下っていく。
 自転車があまりに速く加速していくものだから、手を緩めたくはなるものの、そこはやはり高校二年生。死への恐怖と限界まで加速した先に見える景色への好奇心を天秤にかけた結果、好奇心が勝ってしまうのが男子高校生の性たるもの。
 というか、第一ここで自転車を減速なんかしてちゃあ、隣で馬鹿みたいに加速している隆史に示しがつかない。坂道を下った後に盛大に馬鹿にされてしまう。
 だから僕は怖くても手を緩めない。隣で馬鹿みたいに加速している隆史も、僕に負けじと一向に減速しようとしない。
 僕と隆史は、フルスピードで先の見えない急傾斜の坂道を自転車で下っていく。
「隆史さー、今日何の日か知ってる?」
「知ってるよ。三郎、おまえは今日何の日か知ってるのか?」
「知ってるとも。あれだろ、あれ」
「そう、あれの日なんだよな。今日は宇宙人に地球が乗っ取られる日!」
「やべぇよな」
「やべぇやべぇ。まあ、今の俺達の方がもっとやばいけど。ふはははは」
 そう言いながら隆史は自転車のハンドルから一瞬手を放す。
「おい隆史。ハンドルから手を放すのは流石に危ないんじゃねぇの」
「大丈夫だって。だって俺、無敵だし。ふはははは」
 そう言いながら隆史はまたもや自転車のハンドルから一瞬手を放す。
「やーい三郎、おまえ自転車のハンドルから手を放すこともできねーのか。全く情けない奴だぜ。だからいつまで経っても童貞なんだぜ」
「うっせーな。だー、今はめっちゃ加速してるけどな、だけど本来の俺は危ないことはなるべくやらない主義なんだよ。わかる?」
「だっせーの」
 だっせーの、と言いながらもう一度自転車のハンドルから手を放そうとする隆史であったが、今度は失敗してしまったらしい。隆史は死への恐怖で鬼のような形相と化してしまった。どんどん加速していく隆史の前方数十メートル先には、コンクリートの電柱がある。電柱に追突してしまって、まさか死んでしまうのでは、と思って僕は少しだけ身構える。
 何とか再び自転車のハンドルを握ることに成功した隆史であったが、自転車の操作はおぼつかず、ふらふらした自転車はそのまま脇道のガードレールに追突してしまい、勢いあまった隆史は体ごと投げ出されてしまう。このままいくと、どうやら隆史は頭から田んぼに突っ込んでしまうようにみえた。
 体ごと投げ出された先がいくら田んぼであるからといって――流石に無理か、これはもう助からないだろう。どうしよう。
 そう思った矢先に、夕暮れ色に染まった空が一瞬だけ白く光る。その光があまりに眩いものだったから、僕はたまらず目を閉じてしまう。目を閉じた状態でも、当然のごとく僕の自転車は加速していく。
 閉じた目を開けてみる。雷か、と思ったが、雷鳴も鳴り響ていない。だからきっと雷でもない。
 あれは一体何だったんだろう。というか隆史は大丈夫なのか、と思って隆史のいた方に目をやると、隆史は田んぼの中にはいなかった。
 加速していく自転車を減速させて、自転車を坂道の脇に停めた後、自転車から降りて、僕は隆史が勢いあまって体ごと突っこんでしまったであろう場所を少し散策してみることにした。いや、散策というよりは捜索だ。
 田んぼのあたりをしばらく見まわしてみたところ、隆史と思われるような人間の面影はおろか、ガードレールに追突したであろう自転車の面影すら見つけることはできなかった。
「……一体どうしたんだろう。っていうか、何がどうなんだ、これ」
 そうぽつりと僕は呟いてみるが、当然誰からの反応はない――はずだった。
「隆史くんは消えた――そう言いたいんでしょう?」
 僕の目の前には、無傷の隆史を両腕で抱きかかえる女の子が立っていた。背丈は僕より少し小さいくらいで、彼女の華奢な身体を包んでいるブレザーとスカートは黄金色の光を薄ぼんやりと帯びている
 光のせいで上手く直視することはできなかったが、多分彼女が着ている服はきっと僕らが通う高校の女子生徒が着ている制服と同じものだ。
 薄紫色のロングヘア―で、隆史を軽々と抱きかかえる女の子というだけでも驚きなのに、さらにその上この女の子は地に足をつけず、浮いているときた。それにどことなく女の子自体も白い光にも包まれているようにみえる。もう何が何やらさっぱりだ。
「……は?」
 隆史が死なずにいたのは喜ばしかった。だが、不可解なことが多すぎる。
「ふははは。どうだ、三郎。羨ましいだろう? 俺、今すっげーかわいい女子に抱きかかえられているんだぜ。へへっ、三郎、羨ましいだろう?」
 薄紫色の女の子のちょうどふくよかな胸にあたる部分に、隆史の頭があてがわれていた。隆史の頭部はあろうことか女子の柔らかそうなおっぱいに包まれていたのだ。
 隆史は、いつになく嬉しそうな顔をしていた。
 薄紫色の髪の女の子は、腕の中に抱きかかえた隆史をそっとコンクリートの地面に下した。
「……隆史を助けてくれて、どうもありがとう」
「いえいえ、どういたしまして」
「……ところで君は一体何者なんだ」
「……そうですね。私はしいていうなら……」
 薄紫色の髪の女の子がそう言いかけた瞬間、夕暮れ色に染まった空に黒色の裂け目が入り、裂け目から滲んだ黒色に空が塗りつぶされていく。


 地球が壊れるような音がした。
 空の向こうからは、まるで地球の断末魔のような轟音が鳴り響いている。救急車のサイレンを1オクターブ低くして、頭がねじれるほどの不協和音を付け加えたその轟音は、この世のものとは思えないほど不快だった。
 思わず吐いてしまいそうなくらいに不快な轟音が、脳の芯まで直接振動させそうなくらいに大きく鳴り響いている。気が狂うことを恐れた僕は、思わず両耳を手で塞ぐ。
「……私は…そうですね、しいていうなら、宇宙人になるのですかね」
 轟音の中でも確かに聞き分けられる不思議な声色で、薄紫色の髪の女の子はそう話す。
 衝撃的な事実。もう、正直言って地球は終わりだと悟った瞬間であった。
「……君は宇宙人か、そうか。じゃあ君は僕達を殺しにきたんだな。まあ今となってはもういいさ、好きにするがいい」
 両耳を塞いで何とか正気を保ちながら、僕は持てる力を振り絞りながら大声で話す。
 僕の大声を聞いた女の子は、少し深呼吸をした後、右耳にかかる髪を後ろに払いながら、芝居がかった声色でこう話す。
「三郎くん、隆史くん、今から私と一緒にジュブナイルをしましょう」
 薄紫色の髪の女の子は、耳を塞いでいる僕の右手を無理矢理耳から剥がして、右手を手に取って僕と一緒に駆けだそうとする。
「……へ? 君、何言って――」
 次の瞬間、僕の体が女の子が帯びているのと同じ白色の光の光に包まれていく。
 長い髪を揺らしながら駆けだす女の子に右手を引かれた僕は、女の子と一緒に駆けだしていく。
 右手には僕、左手には隆史の手を引いている女の子と一緒に、僕達は白い光に全身を包まれて、流れ星のような速さで見慣れた町を駆けていく。
「……でも、これじゃあボーイミーツガールじゃなくて、ガールミーツボーイですよね」
 女の子はそうつぶやいた。
 そうつぶやいている間にも、世界はどんどん暗闇に呑まれていく。
 流れ星のように世界を駆けていく僕達に追いついてしまいそうなくらいのスピードで黒く塗りつぶされていく世界は、さながら青春小説の行く手を阻む追手のようだ。
「……男二人の手を引くだとか、君もこう見えて結構肉食系なんだね」
 そう皮肉交じりに言う僕の顔を見て、クスりと微笑む薄紫色の髪の女の子の横顔は、宇宙人でも何でもなく、まるで色恋を楽しむガールミーツボーイの物語ーの主人公のようだ。
「よーし、じゃあどんどん加速してみっかー! ふははは!」
 世界が終ろうとしているのに、いつも通り隆史は能天気だった。
 隆史の能天気な一声で、黒く染まっていく世界を視界の隅まで振り切ってしまいそうな勢いで僕達は加速していく。
「しっかり捕まっていてくださいね」
 女の子の一声の後、僕達はまるで光のような速さで加速していった。その加速を凌駕しかねないほどの速さで、世界は黒い闇に包まれていく。その闇から逃れるために、僕達は加速し続ける。
 どこまで続くかわからないこの世界を、この光のように、僕達はただひたすらに進み続ける。
 世界が終わる頃に思春期を迎えた僕達の高校生活には、まだ終わりを告げるチャイムが鳴り響いてはいなかった。


       

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