Neetel Inside 文芸新都
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一枚絵文章化企画2017
「合図」作:ヤスノミユキ 0406 15:47

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 家の裏庭にて。明夫は映像撮影の準備をしていた。縁側の近くに三脚スタンドを組み立て、ビデオカメラをセットし、機械の設定を確かめる。面倒な作業だが、彼の表情に陰りはない。今日は楽しみにしていた撮影日なのだ。もう何十分も前から、そわそわとしかるべき時を待ち望んでいる。
 ちょうど万全が整ったとき、玄関のほうから門を開く音が聞こえてきた。
「やあっ、容子、帰ってきたのかい、今日は撮影の日だよっ。制服のままでいいから、裏庭まで来なさいっ」
 明夫が声を張り上げると、億劫そうな返事が返ってくる。
「ええー、そうだったっけ」
 不承不承の感じながら、容子はすぐに荷物を置いてやってきた。
「さあ、さあ。さっそく撮影をはじめるから、手伝ってくれ」
 明夫は弾む期待のまま愛娘の手を取り、カチンコを持たせる。背中を押して、ビデオカメラの前に立たせた。
 裏庭には、一本の落葉樹がある。レンズがいま中心に捉えているのは、葉を落とし、寒そうに痩せたその樹の姿だ。周りにほか、見るべき園芸などはない。明夫は季節が移り替わるたびに、この、他人に言わせればつまらないような風景を撮っている。撮影は習慣と言っていいほど長く繰り返され、かれこれ十年以上になっていた。
 助手役の容子は落葉樹の真横に立ち、待機している。
「ねぇ、お父さん」
 ファインダーを覗き込む明夫に向けて、容子は話しかけた。
「なんだい」
「いつも思うんだけど、風景なんて撮っておもしろいの? それも、おんなじ場所ばっかり何回も」
「うーん、指摘はごもっともだ。しかしね、むしろ、同じ場所を同じように撮ることに意味があるんだよ、容子。考えてみてごらん。毎度まったく同じようにカメラを構えても、風景が見せる表情は少しずつ違っているだろう? たとえばその樹は、夏にはあおい葉をつけていたけれど、いまはすっかりなくなっている。空模様も、撮影のたびに異なる趣が漂ってくる。同じ条件で撮影すると、そういう違いが際立つわけだ。つまり、ぼくはね、風景というよりも絶え間ない時の流れを切り取っているんだよ。わかるかな」
「ふぅん」
 容子は一応うなずくが、「でも、あたしの手伝いはいらなくない?」
「……手伝いは嫌かい?」
 明夫はファインダーから顔を上げた。
 親子間での似たような会話も、十年以上繰り返されてきたことだ。容子が本気で嫌がっているわけでないことは、明夫も知っている。
「ううん、別に、嫌ってわけじゃないけど。でも、あたしが持ってるこの――」
「カチンコ」
「そう、カチンコ。鳴らす意味あるの? 撮影開始の合図っていうけど、必要ないよね」
「確かに、こういった形式の撮影には必要ないね。けれど、映研時代の癖かな。どうにもカチンコの合図がないと、撮った気がしないんだ。これも趣というやつだね」
「エーゾーカントクさんの気持ちはわからないわ」
 娘があきれてため息をつくのに、明夫は莞爾として笑った。再びファインダーに向きを直し、そのまま会話を続ける。
「ははは、容子は自分が写真に撮られるのも嫌がるくらいだからなぁ」
「当たり前よ。あたし、女優でもなんでもないんだもの。写真うつり悪いし。知らないうちに、ひとに姿を見られるのって恥ずかしいわ。葬式のときに使う遺影もないくらい、写真は一切撮らせないつもり」
「親心としては、我が子の記録はなるべく多く残しておきたいんだけどね……」
「わがまま言ったってダメ。撮らせません」
「そりゃ、残念」
 明夫はおどけた調子で言いながらも、ビデオカメラにかじりついている。空は曇天。しばらく呆けていれば、雨に降られるかもしれない。容子はいいかげん我慢の限界というように、不満を漏らした。
「ねぇ、撮るならはやく撮り始めてよ。あたし勉強しなくちゃいけないんだから」
「わかった、わかった。それじゃあ、いくよ。レディ?」
「はいはい」
 容子はカチンコの拍子木を打ち鳴らし、速やかに画角から捌けていく。
 それを合図に、明夫はビデオカメラを停止させた。



 その日の晩。ほかの家族がみな寝静まった時間帯。明夫は自室でひとり、晩酌をしていた。つまみは用意していない。代わりに、彼の視線の先に映像がある。ビデオカメラにつながれたテレビの液晶画面には、まだ幼いころの容子。その隣に、裏庭の落葉樹が立っている。
 日本酒をちびちび舐めながら、明夫は次々に映像を送っていく。日付が最近のものになるにつれ、容子と落葉樹の背丈は近づいていく。子どもの成長を実感するために、これほど絶好のロケーションはない。
 そうしてついに、テレビには今日の映像が映し出された。中では、容子がつっけんどんな態度でしゃべっている。
 『写真は一切撮らせないつもり』
 『わがまま言ったってダメ。撮らせません』
「親心を甘くみたね、容子」
 明夫は得意そうに言って、残りの酒をあおる。
 夜は穏やかに更けていった。

       

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