Neetel Inside 文芸新都
表紙

一枚絵文章化企画2017
「STRAIGHT」作:顎男 0319 21:26

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 警官になった時、誰も喜んではくれなかった。いや、ケーキなら振る舞ってもらえた。親戚一同も我が家に集まってくれた。弟が二十歳になってからすぐに開催されたホームパーティは、誰もが話す話題に困っていた。ちょっと前に積もるよもやま話を崩したばかりで、そして農場を継がずに警官になった長男の話は、誰もしたがらなかったから。おめでとう、ええと、うん。誰もが早く手のなかのグラスを乾杯したがっていた。酒でほろよい、あいまいに笑ってさようなら。みんなそうしたがっていた。両親も農場を継げばいいだけの俺を理解しがたい目で見てきた。市民のため、それがどうした? 農場の男は家畜と畑の心配だけしていればいい。先祖代々そうやって生きてきた。それのどこが悪い?
 俺の襟にはオフィサーエレメントが輝いていた。
 俺はそれを、時々手で隠した。
 もちろん俺だって、こうしてチンピラライダーを名機ホワイト・アルバスで捕縛し損なっている時なんかは(そしてワイドターンに手間取って、住宅塔の壁面を吸揚翼でこすりかけている時なんかは)警官になったのは失敗だったと骨身に染みることだってある。やっぱり親父のトウモロコシ畑を継げばよかった。六番地先のマジフィニカ夫妻の一人娘のキミシィと婚約していればよかった。親父の農場があれば、俺は努力なんてしなくても生きていけた。トラクターを転がしてビール腹になっていればまとまる人生。確かにそれが俺の目の前にはずっとあった。鬱陶しいほどに。だが、今は警官なのだ。
『チェイス3、ターゲットの逃走経路からコースを外れかけています。直ちに修正してください』
「わかってる! いまやろうとしてる!!」
 管制本部のロキルカに繋がるインカムに怒鳴りつけるが、ノイズキャンセルされて適正音量まで絞られているだろう。そうすれば魔法のように、彼女に伝わるのは弱気で震えた俺の本音の声色だ。コースを修正する? 警察学校を卒業したてで、ライディングテストに三度も落ちてお情けで合格をもらった俺にコースを修正しろだと? もちろんやってやる。俺は必ずその艱難辛苦の大挑戦を乗り越えて、あの不良野郎から駐禁切符を切ってみせる。ああ、そうだとも。それが俺の仕事だからな。
 フューエルタンクを膝で抱き込み、アクセルを回した。接地バイクと違ってタイヤがないジェットコースト機はアクセルを回したからって自然と車体が持ち直したりはしない。むしろあらぬ方向へ突っ込もうとする。だから俺がいまやったのは間違いで、本当はアクセルを絞り重力と相談しながら自由落下と燃料軌道(ジェットコースター)のつなぎ目を見つけることだった。それだけが、駐車禁止に加えてスピード違反も罪状に上乗せされたあのジェットコーストに追いつくやり方だった。だが、俺はいたずらに加速し、距離は縮めても最適コースからは外れ、入り組んだ空中市街のパイプラインへと突っ込む羽目になった。この格子のトンネルを超えた時、まだターゲットは悠長にそこを飛んでいるだろうか? 俺はまた、失敗するのか?
 馬鹿は馬鹿なりに努力すればいつか道が拓ける。いつだったか、コミックのヒーローがそんなことを言っていた。ジュニアスクールで友達とそのヒーローをまねて遊んだ。不思議といつも俺はやられ役に回されたが、いつかはヒーロー役にしてもらえると思っていた。だが、現実はそう甘くはなかった。ヒーロー役になれるのは、現実でもヒーローにふさわしいやつだけなのだ。ちっとも馬鹿じゃなく、ちっとも努力していない判事の息子のリーガスが四日に七回はヒーロー役だった。銃砲店のせがれのギブルもたまにヒーローだった。本屋の店長が親父のフォウルはコミックの新刊を発売日前にくすねてきてから二、三日はヒーローだった。俺はやられ役の種籾男だった。いらない種籾から生まれた雑魚の役だ。べつに嫌じゃなかった。種籾男にもいいやつはいたし、彼らにフォーカスを当てた話もたまには載った。ただ、俺はヒーローもやりたかった。半々くらいでよかった。馬鹿は馬鹿なりに譲歩したような気持ちになっていたが、最初から農場生まれの地味な少年に栄光の美盆が回ってくるわけがなかったのだ。
 でも俺は信じた。くだらないコミックの言葉を。
 いつか報われる。願いは叶う。明日を信じて。
 読者に飽きられて連載を打ち切られたコミックのヒーローが最終回でそんなことを言っていた。俺はそのページをスキャナでスロウシャドウに取り込んで、自分の部屋の壁紙に投影した。それを見て、弟が彼女を部屋に連れ込んでいるのも気づかないふりをして、俺は一心不乱に警法掌本を読み漁った。あのヒーローは最後、変身能力を失って、一人の警察官になって、街を守っていく。そういうエンディングに辿り着いた。
 俺が、そのエンディングの続きになろうと思った。
『あんたは馬鹿ね』とキミシィはつまらなさそうに言った。
『向いてないのに。ドジでのろまでバカでマヌケなあんたなんかに、捕まる犯人いないわよ』
 そうかもしれない、と参考書を読みながら答えたら、ぶん殴られた。本気で顔面にパンチを喰らい、俺はトウモロコシ畑にブッ倒れた。キミシィはそれだけじゃ飽き足らず真上から俺を蹴り蹴り蹴り、最後に真っ赤な顔をぐしゃぐしゃにして走り去っていった。よっぽど俺のことが嫌いだったらしい。
 それでも俺はなんとか、ギリギリの点数で警察学校へ入学できた。本当に嬉しかった。この世界には、きっと夢で終わらないことがあるんだと思った。頑張れば報われるんだと。でも、やっぱりそうはいかない。無限に飛び続けるマシンがないように、夢は夢でしかない。
 ちょっと考えれば予測がついた。ギリギリの成績で警官になった俺ははっきり言ってお荷物だ。誰も一緒に組みたいとは思わない。だからこんな犯罪ともそうでないとも言い切れないような、軽犯罪のスピード違反ライダーを取り締まらされたりする。誰も俺に殺人者を捕縛することや、汚職企業の実態を暴いたりすることができるなんて思っていない。俺自身にとってさえ、疑わしいのだから。
 街を守りたかったのに、俺は今、街をちっとも脅かしていない軽犯罪者の市民のマシンを追いかけている。遠心公園にしがみついている子供たちが走り抜けていく黒のマシンを見上げて歓声を上げる。俺はそこを通過する時、目を細めた。見たくもないものが現れるのが怖かった。
『チェイス3、ターゲットは逃げる気がないようです。あなたで遊んでいます。――チャンスです。回り込み、進路を塞げば、今なら捕縛できます』
「ああ、そうだな。かなり言えてる」
『チェイス3?』
「カッコよくやりたいね」
 大人になって、わかった。みんな、わかりやすいヒーローを求めている。農場を出て、努力して警官になった平凡な男なんかに、誰も価値を見出したりなんかしないんだ。泥臭くて説教臭い成功譚なんて、いらないんだ。それよりも退屈した街の中を鋼鉄の機械で駆け抜けて、ハイスクールで埋もれているすば抜けた才能を凡夫や権威に見せつけるために飛翔している彼らの方がよっぽど主役にふさわしいのだ。俺はまさに彼らや街が打ちのめしたがっている凡庸な男であり、権威の狗なんだ。
 だったら。
 俺は、なんのためにここにいるんだろう。
 俺は、なんのために警官になったんだ。
 俺は……
 
『チェイス3!!』

「!!」
 眼前に壁、アクセルを抜いても間に合わなかった。目を瞑ってマシンにすべてを預け衝撃を待った。油断していた心臓にいつの間にか死神の掌が媚びていた。気づかなかった……まさか死ぬとは。だが、軽い衝撃があっただけで、俺の飛行は続いていた。なんで? 振り返ると、粉々になったハリボテの家が風と重力にさらわれてどこか遠くへ吹っ飛んでいくところだった。そばで真っ赤な顔になった子供たちが何か叫んでいる。学芸会かなにかの準備をしていたのかもしれない。そこに考え事をしたマヌケな警官が突っ込んできて、謝りもせずに走り抜けていったわけだ。始末書は十枚じゃ済まないだろう。通報もまた市民の仕事だ。
「いやんなるぜ」
『それはこっちのセリフですこのおバカ』
 ロキルカまで口が悪くなってしまった。いよいよ世も末だ。
『チェイス3』
「なに?」
『……そのホシ、捕まえるまで戻って来ないでください』
 ブチッ、といい音を立てて通信が切れた。捕まえるまで戻ってくるな、か。ずいぶんな難題だ。もう知らない地区まで来ているのに、俺はどうやって署まで帰ればいい? 乾いた笑いが口の端に浮かぶ。
 俺はアクセルを回した。また同じ過ちを繰り返したが、構わない。何度でもやってやる。まだターゲットは、俺の視界の中にいる。
 追いつける。
 いや、追い抜く。
 捕縛するには進路を塞いで強制的に停止させるしかない。そのためにはあの黒いマシンをどこかで置き去りにするほど加速しなければならない。相手の速度を落とさせるように仕向けるやり方もあるが、そんな器用なことは俺にはできない。諦めよう、潔く。
 できることをするために。
「捕まえるまで、戻ってくるな……」
 呟いて、コースを探す。機械じかけの街の迷路が俺に囁く。出口なんかない。進むべきコースは狭く細くすり抜けられるかどうかいつも奇跡で、俺はあと何度の幸運にしがみつけば自分よりも速く鋭く飛べるあいつに追いつける? 警官がそこらのチンピラに追いつけずにつんのめっているザマを、きっと団地の人妻が眺めていることだろう。夕食の席で夫と子供に笑い話を振る舞うかもしれない。
「でも……」
 その夕食の雑談は、まだ内容を変えられる。
 若い警官があぶないコースターを捕まえたのよと、母親は今夜、子供に言うかもしれない。
 俺があいつより速く飛べば。
 物語は、変えられる。
 いつか読んだ本の内容を思い出す。ジェットコーストは動力系統を把握することがすべてだ。タイヤが無いんだから。どれだけの燃料を吹かしてどれだけの回転数をターボエンジンに与えるか。それしかない。進むべき道は誰にだって見えている。どうやって飛べばいいのかが問題なんだ。それを考えさせるために、マシンは人間を乗せているんだ。
 俺は、ジェットライダーだ。
 掌に命が集まっている。それがわかるスピードにいる時、誰も自分を助けてくれたりはしない。己自身がなんとかするしかないのだ。誰も助けには来てくれない。罪かどうかもあやしい事件なんかに誰が来る?
 この道の先になにがあるのか誰も知らない。
 誰にだって読めたりはしないんだ。
 俺が確かめるまでは。
 ――黒のマシンが近づく。振り返ったやつの顔は、俺がスピードの上げ過ぎであらぬ方向へ吹っ飛んでいく物語を読んでいた。勝手にしやがれ。十中八九、そうなるだろうさ。
 
『あんたなんかに捕まる犯人いないわよ』

 畜生、だからと言って、
 俺が遅いかどうかはわからない!!

 ここから先はチキンレースだ。俺が吹っ飛んでいくか、それともやつのケツにマシンのフロントを突っ込むか。やつが避け、俺が阻む。逮捕するにはそれしかない。
 最後の直線でぜんぶひっくり返す。始末書百枚じゃ済まないかもしれない危険飛行、それに付き合わされるあの黒いマシンこそ被害者なのかもしれない、だけど、
 それでも、
 
 












                                   やめたら絶対、明日は来ないから。

       

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