「ベアフット・トゥ・ステップ」作:あまがさ 0329 1:07


 人前で裸足になるって、なんだか全部を見られてるみたいよね、とカヨコは言った。
 そうかもね、と私は適当に頷いた。
 裸足になる時があるとして、どんな時が当てはまるだろう。自宅にいる時、プールで泳ぐ時、お座敷、お風呂、セックスをする時、エトセトラ。それ以外で私たちは大抵何かで足を覆っている。
「でもそれってなんか、もったいないと思わない?」
「思わない」
「なんでよ、毎日毎日窮屈なものに足を詰め込んでるのよ」
「そういうもんでしょ。あと変なもん踏みたくないし」
 カヨコは不満げにしていたが、私は無視する。彼女の会話はまともに付き合っても大した結論に至らないものが多い。付き合うだけ付き合って私だけカロリーを使うなんてことざらじゃない。
 今、私は都会の真ん中をグリーンのパンプスで歩いている。カヨコはピンクのミュールを履いていた。大して面白くもなかったのに朝まで付き合ってしまった同窓会の帰りだった。彼女の初恋のリョータ君は二児の父親になっていて、嬉しそうにスマートフォンに撮りためた子供の写真を周囲に見せびらかしていた。
 中学から数えてもう二十年近くカヨコとの付き合いは続いている。今思うと随分長く続いたものだ。どこかで別の付き合いが大切になって、自然とフェードアウトするものだと思っていたのに。高校だって違ったし、大学だって、更に言えば仕事先も全く別だ。
 でも彼女とは関係が続いていた。
 多分、人付き合いなんてそういう得体の知れない続き方をするものなのだろうし、考えたからってこれからカヨコとの付き合いが変わるわけでもないし、これが普通なのだろう。
 あれほど盛況だった飲み屋街は閑散としていて、威勢の良かったキャッチのお兄さんも誰もいない。酔い潰れと朝帰りのカップル、私たちと同じように朝まで飲んだ(実際私とカヨコは途中で眠っていたので朝まで、とはイマイチ言えないのだが)人たちが帰路へ向かう様子が見える。
「随分と皆変わってたね」
「そう?」
「そうよ、みんな変わってた。なんていうのかな、ちゃんと馴染んでる気がした」
「馴染んでる?」
 私が繰り返すと、カヨコは頷く。
「みんな、何かしらの生活を背負ってる感じだった。ちゃんと仕事して、ちゃんと結婚をして、ちゃんと子供を産んでって」
「それが変わることなんだ」
 それが普通であって、変わることにはならないのではないか。そう思っていると、カヨコは不思議そうに目をパチクリさせた。ショートヘアー髪の端に、変な癖がついているのが見える。多分、居酒屋のテーブルで突っ伏して寝たせいだ。
「だってさ、中学生の頃って、もっと漠然としていたじゃない。誰が好きとか、どういう夢があるとか、もっとみんな、浮いてた」
「ふうん」
 カヨコの言葉を横で聞きながら、私は後ろ手に手を組んで、一歩一歩つま先を見つめながら歩いて行く。不意に、カヨコが私の右腕に手を回してきたけれど、私は気にせず歩く。
「色んな窮屈なものを詰め込んで、みんな生活してるんだなって思った」
「靴を履くみたいに?」
 カヨコの例え方が分からなくてしばらく考えた後、私は適当に頷いておいた。
「そう、靴を履くみたいに」
 ようやく分かったのね、と得意げなカヨコにぜんぜん、と返答して、私は組んでいた手を離すと彼女の手を握る。
「わたし、浮いてるのかな」
「浮いてるよ」
 指と指の間に彼女の指先が潜り込んでくる。
「うん、間違いなく浮いてる」
 お互いに交差した指先が互いの指の間に収まった。まるで、はじめからそう設計されていたみたいに、綺麗に、ぴったりと。
「結局、言えなかったね」
「うん、言えなかった」
 仮にもし、私たちの話をしたとして、彼らはなんて答えたんだろう。
 やっぱり私たちを「普通じゃない」って言うのだろうか。
「こうして考えると、私たちって誰よりも窮屈な生活をしてるのかもね」
 カヨコがぽつりと口にした言葉を聞いて、どうだろうと私は考える。
「ちゃんと一緒になって、ちゃんと子供を作って、そういう類のことができない恋をしている」
「でも、今更それを後悔なんてしてないよね、カヨコ」
「うん。でもね、改めて家族を作ったり、この日常に根付くみんなを見ていたら、少しだけ、寂しくなったの」
 カヨコの手にぐっと力がこもるのを感じた。
「私だけじゃ、不安?」
 カヨコの手を握り返す。笑う彼女は、とても不安そうに見えた。
 閑散とした街中を二人、手を繋ぎながら歩いてゆく。
 何も言わず、互いの手で感情を分かち合いながら、寂しさを埋め合いながら。
「……靴、脱いじゃおっか」
 私の言葉に、はじめカヨコはぼんやりしていた。私は微笑みかけ、彼女の頬にキスをすると、手を離して数歩先を歩く。
「ここから帰り道まで、裸足ゲーム」
 そう言って私はパンプスを脱ぎ捨てると、路上に投げ捨てた。グリーンのエナメルが弧を描いて飛び、最後に道の端に転がるサラリーマンの背中にぶつかって落ちた。
 裸足の感触は悪くなかった。ここは舗装されているからまだ歩きやすいほうだ。瓶の破片とか、缶とか、そういうものは気をつけなくちゃいけないけど、帰れなくはない。
 呆けたままのカヨコに向かって私は両手を大きく開いて、車も通らない早朝の路上に飛び出した。
「ほら、カヨコもおいで」
 私の声に、カヨコは何かを決意したのかきゅっと小さな唇を閉じると、ミュールを恐る恐る脱ぎ捨てて裸足になった。変なものを踏まないように慎重に歩くカヨコがなんだかひどく格好悪くて、思わずあはは、と笑ってしまった。
「もう、突然なんなの?」
「しがらみだらけで面倒だから、なんとなく、脱げるものは脱いどこうかなって」
 流石に裸にはなれないしね、と言ったところでカヨコも呆れたように笑った。
「早く帰ろう」
 裸足のカヨコが私の隣まで駆けてくる。つま先で飛ぶように、ちょっと滑稽な、少しスキップしているみたいな感じがとても可愛かった。
 改めて手を繋いだ私たちは、互いの足先を見ながらしばらく笑い合って、それから再び歩き出した。透明なジェルでコーティングしただけの私の爪と、ミュールと同じ淡いピンク色をしたカヨコのネイルを見比べて、帰ったらちゃんとネイルをしてもらおうと思った。

 私たちは浮いているのだろうか。
 
 世界に馴染んでいないのだろうか。
 
 それならそれで、いいだろう。
 
 気にするだけ損なのだ。
 
 脱ぎ捨てて、歩け。
 
 これから先、私たちがどうなるかなんて今はわからない。もしかしたら、互いに日常に根付くときが来るのかもしれない。その時は、その時でまた窮屈な靴に足を入れよう。

 とりあえず、今はっきりとしていることがある。

 カヨコを愛している。

 今は、それだけあれば、浮いていたって気にしない。

sage