Neetel Inside 文芸新都
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 集落に戻った頃にはすっかり日も沈み、満天の星空となっていた。
 かがり火が焚かれ、帰還した男たちが酒盛りをする歓声が聞こえる。
 フフを厩舎につないでいると、厩舎の藁で寝そべっていたやつが飛び起きた。馬の世話で疲れて眠っていたらしい。
「アモン! 帰ってきていたんだね」
「ああ。弓の練習はしていたか? ホルホイ」
「少しは上達したと思うんだけど、やっぱりアモンみたいに上手くはなれないよ…」
「しょうがねぇなぁ。一緒に狩りに行きたいって言ってるけど、そんなんじゃ連れていけねぇぜ。明日、また教えてやるよ」
「わぁ! 本当? ありがとう!」
 弟のホルホイは、兄のチョローと違って可愛いやつだ。目をきらきらと輝かせ、いつも笑顔を見せている。ホルホイと呼ばれているが、春の風のように優しい。厩舎の世話なんて雑用は女にやらせておけばいいのに、狩りにも略奪にも出られないからと自分から申し出て手伝っているらしい。おかげで女どもからは可愛がられているが、男たちからは軽蔑されている。ただ邪気がなく人懐っこいので、俺もホルホイが草原の男らしくなれるよう弓を教えてやったりと目をかけているのだ。
「それより、さ」
 ホルホイが眉をひそめ、表情を曇らせる。
「チョローが帰ってきてるよ。親父殿のところにいる。アモンも来いってさ」
「そうか…フフの世話をしたら行くよ」
「フフに水を飲ませて、綺麗にしたらいいんでしょ? 僕がやっておくからアモンは親父殿のところに行きなよ!」
「そうか? じゃあ頼む」
 めったに人に懐かず気難しいフフだが、俺以外だとホルホイにだけは気を許す。任せても大丈夫だろう。
「チョローもさっき帰ってきたばかりだからさ、親父殿に何か言われる前に早く行った方がいいと思うんだ」
「そうだな……」
 浅はかなチョローのことだから、大よそ何を考えているかは想像がついた。やつは兄たちの中でも不出来な方だから、次期族長なんてとても無理だろうが、それでも何かと手柄を立てて親父殿の目にかけられる機会を伺っていた。戦利品の、あの金髪の美しい女を自慢したいのだろう。
「気を付けてね」
「分かっているさ」
 気を引き締め、俺は集落でもひときわ大きな親父殿のゲルに向かう。
 扉の布を開けると、既に父と部族の主だった男たちが俺の方を見る。びりびりと頬を震わすような強い気が放たれている。いずれも弓や剣の腕に長じた戦士たちだ。迫力がある。
 ゲルの中央にはあの金髪の女も首にくびきをかけられたまま座っていた。周りの男たちが値踏みする目で見ている中、意に介さない様子ですました顔をしている。恐れて緊張しているだけなのかもしれないが、どちらともつかない。
「来たか、アモン」
 腹の底に響くような、低くて威厳のある声。
 父のボルドゥである。左目に刀傷を負っているが、それ以外は生涯でただの一度もしくじったことがないという。用心深く、執念深く、部族の繁栄のために手段を選ばない。名前通りの強くて冷徹な男。一代で大きく版図を広げ、今や十以上の氏族を束ねる偉大な男は、ゲルの上座にどっかと腰を落ち着けて馬乳酒を飲んでいる。
「フン……大方、馬の世話でもしていたんだろう」
 厭味ったらしい口調で言うのは、ボルドゥのすぐ下座に座っているチョローだった。
「馬の世話は草原の民にとって大事なことだ」
「馬鹿が。馬なんざ獣にすぎん。ただの道具だ。それで何を為すかが大事なことだ」
「略奪がか?」
「人から奪うか、獣から奪うかの違いだ。そして人から奪った方が部族の繁栄につながる」
「獣は人を恨まないが、人は人を恨むぞ」
「ちまちまと狩りをして何になるってんだ? お前は人を殺すのが怖いだけだろう」
 チョローとはいつもこうだ。
 挑発に乗ってしまい、俺も熱くなってしまってつい言い合いになってしまう…。
「やめろ」
 ボルドゥが低く呟いた。
 俺とチョローは顔を見合わせ、押し黙る。
 万が一でも親父殿を怒らせると命がない。二番目の兄はそれで死んだ。
「~~~~!」
 女の声。
 首をくびきで、手足を鎖で繋がれたあの金髪の女が叫んでいた。
 何を言っているのかよく聞き取れなかった。
 ただ、怒りに燃えた目をしていることから、すこぶる機嫌が悪いらしかった。
 まぁ、今から品評会にかけられるのだから愉快なはずはないだろう。
「名前は何と言う?」
 ボルドゥの問いかけに、女は首を振る。
 フォーグルの言葉が分からないのだろう。
「ねぇねぇ、僕は少しベルゴードの言葉が分かるよ!」
 遅れてゲルにやってきたのはホルホイだった。
「ぼくのお母さんはベルゴードの人だったから…」
「そういえばそうだったな」
 にこりとも笑わず、ボルドゥはホルホイに通訳をするように命令した。
 俺たちきょうだいは全員腹違いである。どの母親もボルドゥがよそから奪ってきた女たちだ。
 フォーグル族では、新しい力をもたらすと信じられているため、よその部族から妻を奪ってくるのが伝統的なのだ。男はよそで奪ってきた女を妻にすることで、一人前の草原の男と認められている。
 その伝統、俺は嫌いだが。
「名前はディーナ」
 ホルホイが通訳して、ディーナの言葉が伝えられる。
「~~~~!」
「ベルゴード王国の……それなりに裕福な家の娘。家が身代金を払うから解放しろ……だってさ」
 女、ディーナは実に惨めな状態にある。
 くびきと鎖でつながれ、家畜か奴隷のような扱いを受けている。
 これが伝統だと分かってはいるが、余り見ていて気分の良いものじゃない…。俺の母だってずっとボルドゥを恨み、毎日泣いて暮らしていた。呪いの言葉を吐き続け、生活に耐えきれなくなったのか俺が七歳の頃には自殺してしまった。俺に「蛇」なんて酷い名前をつけたのも母だという。
 だがこの女ときたらどうだ。惨めな状態でも怯えたり弱気なところを見せず、凛として強い目で俺たちを睨みつけている。自分の解放をかけて交渉を持ち掛けてきた女というのも、俺が記憶する限りじゃ初めてのことだ。美しいだけじゃなく、強い。浚われてきた母親たちはともかく、部族で生まれた娘たちでも、こんなに気が強いやつは見たことが無い。
「ふむ…」
 ボルドゥは愉快そうに口端を歪めた。
 ああ、この女を気に入ったんだな。
 ざまぁみろ。チョローは後妻にしてやると言ったが、ボルドゥが自分のものにしてしまうのだろう…。
「ディーナはアモンに与える」
 …は?
 ボルドゥの言葉に…。
 俺も、チョローも、ホルホイも、部族の他の者たちも何を言っているのか理解するのに時間がかかった。
 フォーグルでもベルゴードでもないまったく別の言葉を聞いたようだった。
 ゲルの中は静まり返り、みなが二の句を継げずにいる。
 俺たちの言葉が分からないディーナも、ただならぬ雰囲気であることは察して怪訝そうに何か喋っているが、ホルホイも通訳を忘れて唖然としている。
「な、何でだよ親父殿!」
 沈黙を破り、叫んだのはチョローである。
「まだアモンはガキだ。この女は見たところアモンより年上じゃないか!? それに、俺が奪ってきた女なのに、なんでアモンに与えるだなんて……!」
「黙れ、チョロー」
「うぐっ……」
 ボルドゥに一喝され、チョローは黙る。
 周りからくすくすと笑い声が漏れていた。
 チョローが数年前によそから奪ってきて妻とした女は、部族の厳しい生活に耐えきれずに自殺している。という話だが、実際にはチョローがいじめて殺したのだ。チョローはそのことを隠しているつもりだが、部族の者はみながそのことを知っている。男が偉くて女は奴隷のような扱いを受けるフォーグル族といえど、何も悪くない妻をいじめ殺したチョローを良く思っているやつなんていない。いい気味だ。
 とは言え…。
 何で俺なんだ…?
「アモンももう十五だ。弓の腕も素晴らしい。狩りでの貢献度を考えても一人前といえるだろう。そろそろ妻を持っても良い頃だ。だがアモンは他の兄弟と違って略奪に行かないので、いつまで経っても妻を奪ってはこれない。ならば、狩りで多くの獲物を部族にもたらしてきたことを鑑み、それと引き換えに女を与えても良いだろう」
 ボルドゥの理屈はそういうことだった。だがそれは建前で、部族の母とする女をまたチョローにいじめ殺されてはいかんと考えたのかもしれない。
「お、俺の後妻にしようと思っていたのに!」
 チョローが諦めきれずに抗議するが、ボルドゥが睨みつけるとすぐに黙った。
「やったね、アモン! こんな美人さんを貰えるなんて羨ましいよ!」
 ホルホイがこっそりと俺に耳打ちしている。
「あ、ああ…」
 喜んでいいのかどうか。
 チョローが物凄い目つきで俺を睨んでいた。
 くそ、厄介なことになってしまった…。
 言葉も分からない年増の女を妻としなくちゃいけない上に、チョローに恨まれてしまうとは。
「~~~~!?」
 状況をよく呑み込めていないディーナに、ホルホイが通訳して説明している。
 俺の妻にされることを知った彼女は、俺をまじまじと見ている。
 そして、ふっと不敵に笑うのだった。

       

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