Neetel Inside 文芸新都
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 草原では早くから母親と離れて暮らすことが多く、ボルドゥの息子たちの中でまだ母親と暮らしている者はいない。末の弟のホルホイでも一人で暮らしている。俺も当然自分のゲルを持っていて、狩りでしょっちゅう空けてはいるが、基本的に一人で暮らしている。たまにホルホイを招いて一緒に食事をしたりする程度だ。
 俺はディーナを自分のゲルの中に招き入れた。
 むず痒い気分だ。
 自分のゲルの中に女がいるというのが、どうも違和感があって落ち着かない。
「まぁ……座れよ」
 羊の毛を固めて作られたフェルトを敷き詰めた床に、俺はあぐらをかいて座る。
 だがディーナは固まって動こうとしない。
 言葉の意味が分からないのだろうか?
「ええと……こう座るんだ。分かる?」
 腰を上げたり降ろしたりしながら、俺は座るしぐさを何回か見せてやる。
 ディーナはようやく理解したようで腰を降ろした。
 何故だか笑みを見せていて、楽しそうにしている。
「やれやれ」
「~~~!」
「だから何言ってんのか分かんねぇって」
 これから共に暮らすというのに言葉の問題は大きいな。
 ホルホイがいれば助かるが、ずっと通訳をさせる訳にもいかない。
 やはり俺がベルゴードの言葉を覚えるか、ディーナにフォーグルの言葉を覚えてもらうしかないか…。
 座っているディーナと向かい合わせになり、俺はじっと彼女を見つめる。
 微かに笑みを浮かべる彼女はやはり美しい。眩いばかりの金髪に、宝石のような青い瞳に、真っ白な肌……。余り多くの女を見てきた訳じゃないが、フォーグル族の女たちとまったく違う見た目をしているからだろうか、最初見た時と同じように同じ人間のようには見えず、まるで天上の女神のような印象を受ける。それが目の前に妻としているのだから、現実感がまったく無い。
「~~~~!」
 また訳の分からない言葉で喋っている。親父殿のゲルで見せていたような気の強さはなりを潜め、今は子供のようにきらきらと笑顔を見せていた。
 ふと違和感を覚える。
 何だ? この女、無理矢理に妻にされているというのに、この状況を楽しんでいる…?
「ディーナ?」
 自分の名前を呼ばれたことに気づき、こくこくと首を縦に振るディーナ。
「俺はアモンだ」
 と、俺は自分を指さして名乗る。
「オレハアモンダ」
「……アモン!」
「アモン」
 こくこくと俺は頷いた。
「アモン! アモン!」
 ディーナは言葉の意味が通じるのが嬉しいのか、人の名前を何回も楽しそうに叫んでいる。子供か。
 これは先が思いやられる…。
 俺は馬乳酒で喉を潤した。
 狩ってきたマモットは干し肉にして食べるので、今日は保存していた方の干し肉を食べるのだ。
 がつがつと俺が干し肉を食べていると、ディーナがそれをまじまじと見ていたが、急に怒り出してぐいっと手を俺の方へ向けた。
 ああ、そうか……今日から二人分を用意しなくちゃいけないのか。
 面倒だな。結婚って。
 まぁ、女神みたいな女といってもやはり人間だ。飯は食うよな当たり前に。
 俺は備蓄箱から干し肉をもう一つ取り出し、ディーナに渡した。
「食え」
 言葉の意味が分からなくても食べ物を渡されたら分かるだろうと、俺は自分の食事を続ける。
 が、ディーナは食べようとはしない。
 良く見たら、首のくびきは外されていたが、まだ手足に鎖があるので自由がきかないのだった。
「~~~~!」
 ディーナは干し肉を持ったまま、俺の頭を殴りだした。鎖が当たって痛い。
「いてて! わぁ、分かったよ。鎖を外せってんだろ!?」
 あ、そういえば……。
「鎖の鍵、チョローが持ってんじゃねぇのか…?」
 くそ、くびきを外してもらった時に鎖も外してもらったら良かったのに、チョローがそこまでやってないことに迂闊にも気づかなかった…。石頭め、わざとだろうな。
 明日になったら鎖の鍵を取りにいかなくては。
 あーあ……気が重いなぁ。
 仕方ないので、すぐに鎖が外せないことを何とかかんとかディーナに説明し、俺が手ずから干し肉を食わせてやることにした。ディーナは不服そうだが、腹が減っているのか大人しく食べている。妻というより、まるで赤子の面倒を見ているようである。
「やれやれ……」
 やっと食事を終えたが、普段と違うことを強いられてどっと疲れてしまった。
 だが寝る前に明日の仕事の準備をしなくては。
 俺は弓と矢の手入れをすることにした。弓弦の張りを確かめ、持ち手の鹿皮を巻き直し、油を塗ったり。矢も油で軽く拭いてから鳥の羽根を付けたする。地味な仕事だが、準備を怠らないことが狩りでの成功につながるのだ。
「……」
 黙々と俺が作業をしていると、ディーナが興味深そうにそれを眺めている。
 弓を手に取って見たいらしく、そわそわとしている。
 が、男の道具を渡すわけにはいかない。
 それに…自分が妻にされたというのは理解しているだろうが、それを納得している訳ではないだろう。見知らぬ土地に奴隷のように無理矢理連れてこられたのだ。先程はじゃれるように鎖がついたまま殴りかかってきたが、弓を渡して本気で反抗されてはかなわん。
 俺は無視して作業を続けた。
 ゲルの中央にある薪ストーブがぱちぱちと薪を燃やす音だけが響いていた。薪ストーブから立ち上る煙は、ゲルの天井にある通気口から排出されていく。草原の夜はとても冷えるので、薪ストーブで暖と明かりを常に取る必要があるのだ。
 しばらくすると、弓を手に取るのを諦めたようだが、ディーナは退屈そうにうつらうつらと眠りかけて舟をこいでいた。
「寝るか?」
 ゲルの中には寝台もある。一つしかないが。
 俺はディーナの手を取り、寝台へと誘導した。
「ここでこう寝るんだ。分かるか?」
 俺は寝台に横たわって眠るしぐさをする。
「~~~~」
 ディーナはこくこくと頷いた。
 そして、俺に覆いかぶさって、いきなり口を吸ってきやがった。

 

       

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