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三月の金平糖
三月の金平糖

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もう、随分と昔。
私がまだ、二十歳そこそこの小娘、だった頃の話。

当時私は大学生で、実験して観測して報告してまた実験して、そんな毎日を送っていた。所属するゼミは二十人にも満たない小さなもので、週に数日顔を出す社会人学生が研究のメインパートナーだった。そしてもう一人、修士課程の先輩が私の教育係を担当していた。
これは、教育係だった彼と私の、むかしむかしのお話。

地方都市の、一番栄えている地区に、私が通った大学はある。正門をくぐり、正面にそびえる近代的な建物。そこの七階に、私たちはいた。教授室、二つの学生部屋、実験と測定を行う部屋。一年間を過ごしたその空間は、今でもはっきりと思い出すことができる。そこに、私たちが、いたことも。

ゼミの中で、私は最初、異端児扱いされていた。というのも、唯一の女子、まさに紅一点だったのだ。私の教育係を任された時、先輩がどう感じたのかは分からない。でもおそらく、やったぜ。とは思わなかっただろう。硬派とは言わないまでも、私の知る限り、軟派なタイプではなかったから。

ある時、隣のゼミの女子学生が『恋人じゃなくて、結婚相手にしたい』と彼のことを評していた。それを聞いた私は、手を叩いて笑い、全くその通りだと彼女に答えた。それほどまでに彼は気の良い人だった。

またある時、確か夏の始まり。中間発表の打ち上げの席のことだ。私と先輩は隣あった席に座り、グラスを傾けていた。研究テーマが近いものだったので、発表内容について何か話したような気もする。私の向かいには隣のゼミの教官が座っていて、私と彼にこう言ったのだ。「君たちはよくお似合いだね。彼女みたいにしっかりした人が付いてると安心だよ」

そして、夏の終わり。またお酒の席で。今度は、大学院入試の合格発表の打ち上げで。私の同期四人ともの進学が決定し、来春の卒業は私一人と確定した日。気の早い話だが、先輩は私の卒業後を案じていた。「ふらっと遊びに来てさ、『そういえば苗字が変わりましたー』ってのはやめてくれよ」

先輩が、見てくれは良いが口が悪い、そんな後輩女子のことをどう思っていたのか。私には特定の恋人はいなかったし、先輩のことは『恋人じゃなくて、結婚相手にしたい』程度には好きだった。けれども、お互いにそれ以上は何も言わず、何事もないまま、夏は過ぎていった。

     

秋が始まった頃、ゼミ旅行があった。天橋立と京都市街を観光する一泊旅行。ちょうど、私の誕生日の三日前だと聞いて、先輩は土産物屋で、携帯ストラップを贈ってくれた。精巧な金平糖を象ったもので、『いつもお世話になってるから』だそうだ。私は嬉しくて、早速それを携帯に着けた。

冬が近づいてくると、卒論作成に向けての実験が忙しくなり、私は一人で実験室に籠ることが多くなった。実験データをまとめ、教授とパートナーの社会人学生と打ち合わせをする。先輩は、どうしていただろう。

年が明け、修士論文の締切を待たずに、私の卒論は完成した。私は、謝辞の一番上に先輩の名前を記し、提出するものとは別に印刷した。せめてもの気持ちだったのだ。

卒業式が近づくにつれて、私の毎日は目まぐるしく過ぎていった。研究室に置いてある荷物を整理し、持ち帰るもの、返すもの、誰かに引き継ぐもの。卒論が完成したとはいえ、研究が終わった訳ではないので、実験もしないといけない。私たちは、恋心を士舞い込んだ。

卒業式を終え、ゼミの謝恩会の後。二次会に参加せずに帰る私を、先輩は駅まで送ってくれた。街角の有線放送では、卒業ソングが流れていた。寂しくなるな。私もです。たまには遊びに来てよ。そうします。俺はまだ大学にいるからさ。はい。辛いときにはさ、いつでもいいから。

次に私が大学に顔を出したのは、結局、一年の後だった。教授も、同期も、先輩たちも、私を歓迎してくれた。私は、先輩の頼まれ事を、果たしに行ったのだ。


地方都市の繁華街。いつかと同じ、居酒屋で。私たちは秘密の打ち明け話をした。先輩、私、苗字が変わるかもしれません。結婚、するかもしれないです。変わる前に、言いに来たんです。先輩。今なら、間に合います。私を、もらってくれませんか。欲しいなら、今からしけこみましょう。あげます、責任とってくれるなら。先輩、私と、逃げてください。俺は、君が幸せなら、それで良いよ。

卒業ソングが流れる、三月。金平糖が、口の中で崩れる。

       

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