第六話:七原克也は愛されない

「好きだ、蜜葉。俺と付き合ってくれ」
 中学二年の夏。
 その黒歴史は、某中学校、衆人環視の中庭で、おぎゃあと将来有望な産声を上げた。
 倉持蜜葉とどうやって出会ったのかは覚えていない。彼女に関する最古の記憶は幼稚園の縄跳び大会で最下位決定戦を争い、額を割る大怪我を負った末、ぎりぎりのところで俺が勝利したというもの。
 俺たちの健闘をたたえる声はなかった。すぐに俺は病院に搬送されたし、蜜葉は蜜葉で運動音痴のレッテルを貼られてしまった。悔しかったのはお互い様だ。退院してすぐ、蜜葉を誘って縄跳びの特訓をすることにした。山籠もりをし、食糧難に遭遇し、熊と戦い、全身血まみれ、傷だらけになりながら、それでも歯を食いしばって縄を振り回し続けた。三ヶ月後には、二重跳びを五〇回は飛べるようになっていた。俺たちは、互いの健闘をたたえ合った。
 その頃から、彼女のことが好きだった。
 表情の変化に乏しいからか、たまに見せる笑顔にどきどきさせられ、こっちの話は聞かないくせに、お笑いのこととなるといつまでも語り続けてしまうオタクな性格も、負けず嫌いで努力する姿を他人に見せたがらないところも、集団の意思に迎合せず爪弾きにされても自分の意見をはっきりと言いすぎてしまうところも。
 可愛いと思った。同時に自分のことのように誇らしくもあり、頭がどうにかなりそうなほどに好きになってしまったのである。
 そんな蜜葉が俺の好意に応えてくれたら、「私もあなたのことが」とあの黄昏れた笑みでそっと囁いてくれたら。
 俺は多分、そこで死んでしまっても悔いはないのだと思った。
 だから、死に物狂いになった。
 蜜葉に相応しい――或いはそれ以上の男になろうとした。
 中学校に進学するとすぐに女子受けがいいという理由だけでバスケ部を選択し、「イケてる」と評判の先輩に師事してワックスの付け方や制服の上手い着崩し方について学び、自主勉強は毎日三時間を欠かさず続け、定期試験では常に成績上位に居座り、一年目から生徒会に入り二年目には非合法な手段に頼りながらも何とか生徒会長の座を射止めた。部活動にも血道を上げ、一年の冬には先輩方を圧倒する実力を身に付け、二年になると最上級生の引退を待たずにキャプテン兼部長に選出された。
 文武両道の怪物としてその名を轟かせ、男子どもから絶大な人気を誇っていた櫛川凛からの告白にノーを叩き付け、初詣では大吉が出るまでおみくじを引き直し、中学二年の夏休みを人生最高の一ヶ月にするべく俺は――多くの生徒たちが見守る中庭に彼女を呼び出し、遂に件の一言を倉持蜜葉に放ったというわけだ。
 好きだ。付き合って欲しい。
 これ以上ないくらいにシンプルな言葉。
 等身大の気持ちを彼女に伝えたつもりだった。
 蜜葉はふっと微笑み、俺の手を握って、「喜んで」と応えてくれるはずだった。
 照れて逃げ出してしまう可能性も考えたけれど、それでも後日、ふたりきりになったタイミングで「私もずっと好きでした」と告げてくれるはずだった。
 ところが、彼女は表情ひとつ変えずに、
「話は、それだけ?」
 蜜葉は俺の目すら見てくれない。ぼんやりとした眼差しで、空を見つめながら、それっきり。
 だめ押しの「愛してる」も、力ない「そうか」の一言に打ち消され、「この先、お前以上の女に出会える自信がない」と放った悪あがきも、「それは大変だ」と煙に巻かれた。
「俺のことが嫌いなのか!?」
「別に、嫌いじゃない」
 蜜葉は、嘘を言わない。
 自分のために自分の言葉を使う。
 そういう女の子だと、俺は知っていた。
「だったらなんで」
「好きじゃないから」
 蜜葉は本当のことだけを言う。
 子供の頃から知っている。
 俺を喜ばせるための言葉は存在しない。
 だから、求めれば求めるほど、傷口はじぐじぐと広がっていく仕組みだ。
 彼女は告げる。
「七原とは付き合えない」
 俺の目を見て、そう言った。
 撃沈だった。
 野次馬たちが呆れた様子で解散していく。明日の朝刊トップは決まり。ふと校舎の窓を見遣ると、先日俺が振った櫛川が冷ややかな眼差しでこちらを見下ろしていた。
 俺は頭を抱える。
 頼むから殺してくれ、と思った。
sage