Neetel Inside 文芸新都
表紙

僕たちは恋してない
No believe(7)

見開き   最大化      

 先輩の後に続いて扉を抜けると、秋らしい涼しげな風が脇を抜けていった。前を歩く先輩の長髪が、ぶわりと風を受けて広がる。まるで一枚の絵のようだと僕は思った。
 先輩が僕を連れてきたのは屋上だった。完全下校時間などと同じように、少し前から多発していた物騒な事件のために屋上の縁には背の高いフェンスが張られ、扉にも常に南京錠で施錠がされている。
 文化祭の喧騒もどこか遠くに聞こえるここだけは、学校の中でただ一箇所限りの落ち着いて話せる場所だと言えるだろう。
 屋上に来るまでずっと無言だった先輩が、「んー」と大きく伸びをすると口を開いた。
「本当、今日はいい天気になって良かった」
 独り言なのかこちらに呼びかけたのか分からなかったその言葉には答えず、僕は先輩に聞いてみる。
「どうして先輩が屋上の鍵なんて持ってるんですか?」
 先輩は上半身だけで振り返ると、なんでもないことのように、
「実は、毎日昼休みにここに上がってタバコを一服するのが日課だったりして」などと、とんでもない事を言った。
 一瞬、この屋上でタバコを吸う先輩の姿を想像してしまった。
 スカートが汚れるのも気にせず地べたに座り込み、大きく吸い込んだ煙を一気に吐き出す。慣れたようなその仕草は、ともすれば煙で輪などまで作ってしまいそうだ。
 ……絶望的なほどに似合っていなかった。
「嘘、ですよね?」
「うん」
 あっさりと認める先輩。
 真っ直ぐに屋上の端まで行くと、突き当たりのフェンスに指を絡ませる。そこから下を見下ろせば、校庭のステージで行われる午後のイベントのために集まった、大勢の学生たちが見下ろせるはずだ。
「鍵はね、前に屋上に上がっていく人たち見つけて、その人たちにもらったの。タバコ吸おうとしてたみたいだったんだけど、それを誰にも告げ口しないって約束で。あ、その人たちはもう卒業しちゃったんだけどね」
 意外だった。先輩がずっとその鍵を隠し持っていたことではなく、タバコを吸おうとしたその上級生を先輩が見逃していたことがだ。
「先輩は、もっと正義感の強い人なんだと思ってました」
 先輩の視線が上を向く。文化祭日和とも言える秋晴れの空は雲一つ無い。
 僕の疑問に答えるように、先輩は続けた。
「ここに来るのはね、前に言ったみたいにちょっと周りと目合わせたくないなーって思った時とか、なんとなく息が詰まりそうで一人になりたい時。立ち入り禁止の屋上に入るだけなんて大した事じゃないけど、自分は周りが思ってるような優等生なだけじゃないんだぞ、って主張だったのかも。安易だよね」
 僕は先輩から三メートルほど後ろに、それ以上近づかないように立っている。
 いつもの生徒会室で、窓から入り込む夕日の逆光に照らされるどこかファンタジーのような光景とは違って、今目の前にいる先輩は空の青さの中でも嫌味なほど現実味を帯びていて、僕にはそれ以上近づくことができなかった。
 先輩が振り返る。不意に目が合う。すぐにでも逃げ出したい衝動が襲ってくる。
「失望した?」
 僕は首を横に振る。
 僕が先輩を避けていたのは、先輩に言いたくないことがあるからなのに。自分の醜いところを見せたくないからなのに。先輩はこれからそれを言わせるだろう、否応無く、どうしようもなく、それを聞かないと納得しないだろう。
 僕の知っている先輩は、そういう人だった。
「……この前言ったこと、覚えてる?」
 先輩が本題を切り出す。
「まだあれから二日ですよ? 忘れてるわけ、無いじゃないですか」
「そうだね、まだ二日。でもね、私が生徒会にいられる時間は、あと一日しか無いんだよ」
 先輩は少し顔を俯けると小さくため息を吐きだす。
「このまま生徒会を引退しちゃったら、もう高崎君とこうして話すのも難しくなると思う。私も受験で忙しくなるし、高崎君だって進路とか考え始める時期だし、生徒会の仕事も忙しくなる。急ぎ過ぎだってのは分かってるんだけど、その前に答えが欲しいんだ」
 焦っている自分を自覚して、その事をわざわざ言い訳するような言い方だった。
 顔を上げる。先輩の頬は赤く染まっていた。夕日の逆光にも夜の闇にも隠されることの無いそれは、初めて僕の前にはっきりと現れた、先輩の照れた表情だった。
「私は、高崎君のことが好き。忙しくなるかもしれないけど、できたらちゃんと付き合いたいと思ってる」
 明確な答えを求める視線が僕を射止めて放さない。
 この場から逃げることも、嘘を付くことも、曖昧にごまかす事すら僕に許さない。
 今この場に、どんな覚悟を持って立っているのかも分からない先輩に、僕が返すべき言葉は一つしかなかった。
「僕は……僕は先輩のことが好きですよ」
 それは初めてする告白のはずなのに、僕の顔にはまるでこれから集団暴行にでも会うかのように苦渋の表情が浮かんでいるだろう。それほど、これから言う事は心に秘めておきたかったのだ。
 でも、いくら隠したくても、それができないなら晒すしかないのだ。この醜い感情を。ありのままの自分を。
『それにしてもさ、高崎君でも謝ることがあるんだね』
 いつかのそんな言葉が脳裏を掠める。先輩はなぜ僕が謝らないと思っていたんだったか。自分の行動に自信? そんなものはない。今ここにあるのは、どうしようもない罪悪感と……劣等感だけだ。

「でも、ごめんなさい。僕は、先輩とは付き合えません」

       

表紙
Tweet

Neetsha