Neetel Inside 文芸新都
表紙

見開き   最大化      

 そんなわけはないのだが、まるで時が止まったような気がした。
 しばらくの間、先輩は無表情で全く動かなかった。ショックを受けて落ち込んでいるというよりは、僕の言ったことの意味を思案している様子で、口元に手を当てながら僅かに顔を俯けていた。
「私のこと、好きって言った?」
 俯いたまま、まるで独り言のように呟く。とりあえず「はい」と答えておく。
「でも、私とは付き合えない」
「はい」
「納得できない」
「そうでしょうね」
 確認するような言葉に、機械的に返事をする。先輩が僕の目を再び見たとき、先輩の顔からはもう照れのようなものは消えていた。テラスで僕に話しかけてきたときのように、感情の読みづらい表情。
「理由、聞かせてくれる?」
 今まで先輩は、僕にこれまでの印象が全く変わるほどの、弱みと言っていい一面を見せてくれた。だから今度は僕の番なのだと、今にも逃げ出しそうな自分を押さえつけて僕は切り出した。
「先輩は、二人で夕飯を食べに行ったときの事を覚えていますか? 話していた内容やその後の告白の事とかじゃなくて、学校から駅に向かうまでの道のりでのことです」
「買い食いしちゃいけないとかどうとか話してた時だよね。うん、覚えてる」
 言わなければならないと覚悟していても、思わず声が震えそうになる。
「先輩は気付いていたかどうか分かりませんが、通りすがった人が何人も僕たちを振り返って見ていました。いや、僕たちじゃないですね、先輩を見ていたんです」
 懺悔をしている気分で、一つ一つ噛み潰すように言葉を落としていく。
「もちろん……先輩が綺麗だからですよ」
 本当なら顔から火が出るほど恥ずかしいセリフなのに、僕はそれを淡々と口にすることができた。まるで開き直っているように、逆に明るさを装って。
 先輩の顔を見ると、さっきほど露骨ではなかったが顔が赤くなっているように見えた。意外な言葉に弱いのは、こんな状況でも変わらないなのだろう。
 今の状況も忘れて、口元に含み笑いが浮かびそうになる。この人に好きになってもらえて純粋に嬉しい、そう思った。そして自分もこの人が好きで堪らないのだ。
 所々で見える純粋な内面を思わせる表情、普段の姿からは思いも寄らない分かりやすい態度。一つ一つの新しく見る仕草が、もの凄く可愛く思える。
 でも、だからこそ。自分はこの人と違うのだと感じてしまうのだ。
「先輩に質問です。あの時、先輩を見ていた人たちの中で何人が僕たちのことを彼氏彼女だと思ったと思います?」
「……どういうこと?」
 芝居がかった口調で聞いた僕に、先輩は首を傾げた。周りの人に見られていたことさえ自覚があったか怪しい先輩のことだ、あの時にはそんなことを考えもしていなかっただろう。
「正解は、『誰もそんな風には思わなかった』ですよ。背が低い、気弱そうな、ただ後ろを付いていっているだけ。普通に考えて、そんな僕を誰も彼氏だなんて考えないでしょう。だって明らかに釣り合わないんですから」
 そう、放課後に男女が二人、それもかなり遅い時間に一緒に帰宅するなんて、普通に考えたら恋人同士だろう。でも、それは僕たちには当てはまらない。
 一七〇センチぐらい身長のある先輩よりも目に見えて分かるほどには背が低い、しかも斜め後ろという微妙な位置から動かなかった僕が、彼氏に見えていたわけがない。
 よく見えて事実通りの先輩と後輩。悪く見えたら……生徒会長に守ってもらっている情けないいじめられっこ? いや、それは自虐的過ぎるかな。
「学校の連中だって、もしも僕たちが付き合ったらどんな目で見るか簡単に想像できます。高嶺の花が神棚からぼた餅抱えて降ってきたようなものです。分不相応にも程がある。何でアイツが? そう思うに決まってます」
「付き合えないのは、周りの人の目が気になるからって事?」
「まぁ、要するにそうですね」
 学校で一緒にいれば、四六時中誰かに好奇の視線を向けられるだろう。一緒に登下校をするならそのときも同じだ。そして、これから受験に入る先輩と、学校外で長く過ごすことは難しい。
 それは確かに、断った理由の一つではあった。
「私に、高崎君が釣り合わないから?」
「そうです」
「私といると、高崎君の自尊心が傷つけられるから……って事?」
「それは違います」
「え?」と、先輩は段々と俯き気味になっていた顔を上げた。
 今顔を上げなければ、涙がこぼれてしまったかもしれないと思うほど、先輩の目は潤んで、頬は照れとは違う理由で赤かった。罪悪感がますます膨らむ。
 多分先輩は、僕が先輩と一緒にいることで人から酷い目で見られるのが嫌だから、告白を断ったのだと思ったのだろう。しかし、それはむしろ逆なのだ。
 だって僕は、先輩が『僕みたいなやつ』と一緒にいるのが我慢ならないだけなんだから。
「先輩。僕はね、ずっと『織原会長』に憧れていたんです」
 さっきは淡々と好きだと言えたはずなのに、憧れという単語を口に出すと酷く頬が熱くなった。
「一回も話したことなんか無くて、遠くからたまに見かけるだけで、性格や内面の情報なんかは、むしろ他の人から聞いたことの方が多いくらいで。まるで好きな芸能人みたいに会長のことを見てたんだと思います。そのくらい遠い存在なんだって、勝手に決め付けてました」
 そのままで良かった。
 自己完結で追われる『憧れ』のままだったのなら、こんな風に自分の嫌な部分を自覚しなくてすんだ、こんな風に人に曝け出すことだって無かった。
 このまま先輩が生徒会を引退して、僕は時期を逃した、機会が無かったって名目で告白なんてできない自分を正当化して。そのうち先輩は卒業して、僕は先輩と同じ大学になんて行けるわけ無いんだからと、この恋にさえならなかった憧れの結末を自分に納得させる。
 それで良かった。そんな終わり方が良かった。
「でも生徒会に入って、最近段々『先輩』と話すようになって、先輩にも悩みがあったり弱みも本音も中に抱えてるって事が分かって、一人の身近な人間として見るようになりました。だから、勘違いしちゃったんです。この憧れを、恋にしてもいいんじゃないかって」
 一人でずっと喋っていたせいか、息切れしそうになって一息吐く。
 先輩を見ると、いくつもの感情がない交ぜになって結局良く分からなくなったような複雑な表情で、じっと僕を見つめていた。
「でも違ったんです。そういう弱みや悩みが見えて色々と話しをして、それで見えてきた先輩はやっぱり人として凄い尊敬できる人でした。憧れていた時と同じように思いましたよ。自分が隣に、なんて……絶対に無理だって。自分みたいな人間は、先輩には釣り合わないって」
 だからだろうか、先輩とは生徒会室でも外でも、二人きりの時しかまともに雑談することさえできなかった。周りに人がいる時は、仕事の話題以外でほとんど話した記憶が無い。
 それは本当に、さっき先輩が言ったように人の目に萎縮していたという事なのだろう。自分みたいな人間が、先輩に近寄って親しくなろうとする浅ましさを、人に見られるのが嫌だったから。
「先輩、正直に言います。僕は、僕の好きな先輩には、僕のことを好きになんかなって欲しくなかったんです。もっと誰もが認めるような、先輩と釣り合うくらいいい人と付き合って、それを知った僕に『ああ、あの人じゃあしょうがないや』って諦めさせて欲しかったんです」

       

表紙
Tweet

Neetsha