Neetel Inside 文芸新都
表紙

僕たちは恋してない
Child play(2) -声-

見開き   最大化      

 彼女のどこが好きなのかと聞かれれば、それはやっぱり性格だったのだけれど、始めのきっかけを振り返れば初めからそうだったわけでは無かったと思う。
「――久しぶりにこの学校に戻ってきて、あまり変わっていない雰囲気に少しほっとしています」
 中央ホールの舞台の上では、教育実習生として今日から就任する彼女が挨拶をしている。ホールいっぱいのパイプ椅子に座らされた全校生徒を前にしながら、その声には大して緊張も感じられない。
 彼女らしいと、僕は思った。
「私が担当する三年生は今年受験という事で、大事な時期に関わらせていただくことになりましたが、受験勉強の邪魔をしないように気をつける事はもちろん、少しでも皆さんにとって良いものを残せたらと思っています」
 学年の低い方から前に座るこういった全校集会では、最後尾に座る三年生はほとんど流し聞きなのが恒例だ。
 こんな位置からでは話している人の顔もハッキリとは見えないし、そもそもこんな集会で真面目に話を聞くのなんて、一年生の初めぐらいのものなんじゃないだろうか。
 周りを見回してみる。いつもならヒソヒソ声で周りと雑談していたり、前のヤツの背中に隠れて携帯をいじっていたりする生徒たちが、今日は妙に静かな気がする。
 それが彼女のせいだ、とまでは言わないが、彼女の声にはどこか人を落ち着かせるような響きがあるような気がする。
 遠くまで良く通る澄んだ声。少し舌足らずな、でもそれが逆に印象的で耳に付いて離れないような、そんな声。
 きっと、僕が一番好きだった声。
「二週間という短い間ですから、皆さん一人一人と話せる時間は僅かしか無いかもしれません。でも短いからこそ、この期間を充実したと思える時間にしたいと考えています。皆さん、よろしくお願いします」
 彼女が頭を下げるのに合わせて、会場から適当に拍手が上がる。大喝采が湧き上がるわけもない、いたって普通の挨拶だった。
 彼女が舞台の上で腰を下ろすのに合わせて、隣の二年生を担当する教育実習生の挨拶が始まった。


 彼女が挨拶で言っていた通り、授業担当で彼女がクラスに回ってくる回数自体は少なかったのだが、指導教官がうちの担任の先生だという事もあって顔を合わせる機会は少なくなかった。
 朝と帰り前のホームルームでは先生の隣で日誌のようなものを付けているし、休み時間に廊下を歩けば好奇心旺盛な生徒どもに厄介な質問攻めを受けている姿が目に入る。
 僕は正直、彼女と言葉を交わす気など毛頭無かった。
 当たり前だろう。フラれたあの日から三年間。電話もメールも無し、全くお互いに連絡を取らなかった僕らが、いったい何を話すというのだろう。
 そもそも、連絡をわざわざ取らなかったという事はその必要がないということでもあるのだ。向こうにもこちらにも話す気なんて無かったという事だ。実際に会ったからといって、それは変わらない。
 特にきっかけがあるわけでもなく、彼女が学校に来て早三日が過ぎようとしていた。
 その間、僕は先生とも特に会おうとしなかった。
 今の状況が彼女に対して負い目を感じるからとか、逆に彼女を気にしていて先生と顔を合わせづらいとか、簡単に出てくる理由はいくらでもあった。
 でも、別に先生とは毎日ああして会っていたわけでもない。教職とは多忙なのだ。僕が会おうと思っても会えないときはあったし、僕だって友達と約束ができればそっちを優先した。
 担任と密会しているなんて事を他人に知られるわけにはいかない。それは僕も先生も重々承知していることだから、こんな風に数日ろくに会話が無いなんて事も特にしないだろう。
 僕はそう楽観していた。
 忘れていたのだ。彼女が来る前日に僕がしてしまった、失態のことを。
「片瀬君!」
 そう言って声をかけられたのは、木曜日の放課後。ホームルームが終わって、僕が帰ろうとしていた時のことだった。
 教壇の上の先生が手招きしているのを見て、嫌な予感がした。軽く横に目を向ければ、彼女が教壇の横に置かれた専用の席で荷物をまとめている。
 先生が何を言おうとしているのかは知らないが、僕はそれを彼女に聞かれたくないと思ったし、彼女の前には一秒だっていたくなかったのだ。
 昔好きだった人がそばにいれば、そりゃあ目が向いてしまう。廊下で声が聞こえれば振り返ってしまう。授業で当てられて名前なんて呼ばれた日には、卒倒しそうになる。
 向こうも僕のことを忘れているわけではないらしく、廊下などで通りすがる時に目が合うことが何度かあった。そんな彼女の前で、他の女と話すのはとんでもなく苦痛だ。
「なんですか、先生」
「ちょっと話があるんだけど……この後いい?」
 ため息が出そうになったのをぐっと押し込めた。
 この人は、どうしてそうあからさまにモノを言ってしまうのだろう。
 明日の授業の準備でも、成績や授業態度の話だと言ってもいい、適当な言い訳でも用意してくれればこちらも出方を考えられるのに。こんなところまで分かりやす過ぎる。
 まだ帰っていない生徒も多い、黒板手前の席で雑談しているやつらだっているのに。警戒心というものが無いのだろうか。
「なんですか? ちょっとこの後用があるんですが」
 苛立ちが表に出ないように、疑問だけを顔に出して聞いた。
 それでも彼女に僕が不機嫌なことは伝わってしまったようで、視線を泳がせた後取り繕うように、
「えっと、ちょっと手伝って欲しいことがあって……図書準備室まで来てくれない?」
「それって、時間かかりますか?」
「ううん、十分くらいで終わると思う。本当にちょっとだから」
 ここで断ってもいいことは一つも無いだろう。これ以上取り乱されでもしたら本当に回りに不信がられるだろうし、先生の不満をこのまま溜め込むのも後で面倒なことになりそうだ。
「分かりました。じゃあ僕はちょっとこれで失礼します。あとで伺いますので」
 荷物を持って出て行く前に、彼女の方をちらりと見た。
 聞こうと思えば今の話を余裕で聞こえる位置にいたはずだが、特にそのことに反応を示す様子も無く、先生と雑談をしているようだった。
 教室の扉を閉めた瞬間、ため息が出た。
 それが、どうして出たものだったのか。自覚した瞬間、恥ずかしくなって顔が熱くなる。口元に当てた手が、無意識に震えていた。

       

表紙
Tweet

Neetsha