Neetel Inside 文芸新都
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 校門を出るともう薄暗くて、遠くでカラスなんかが鳴いていたりなんかして、半袖ではちょっと肌寒かったりして、風からは秋っぽい匂いがしたりなんかした。
 秋っぽい匂いと言っても、自分でもなんとなくそう感じるだけではっきりと説明はできない。夏の青々とした草のような匂いとは変わった、どこか哀愁漂うような枯葉のような匂いだ漂っているような気がしたのだ。
「ふー……っと」
 息を吐き出す。さすがにまだ白く染まったりはしないが、心の中に溜まった何かを吐き出す実感が欲しかった。
 すがすがしい気持ちだった。なんとなくやりきった感というか、自分はこれでいいのだという自信にも似た気持ちが、自分の中にあったモヤモヤをかき消してくれていた。
 先生はまだ仕事があると言ったので今日は別々に帰ることになったが、完全に関係は修復できただろうという確信がある。
「ぷっ……くくく。ははっ」
 自分で言っていた言葉を思い出して、自嘲するように笑う。
 やれ『あれは昔の知り合い』だの、『今は全然関係ない人、話してないのがその証拠』だの、『先生とはこの前に一緒に帰ったから、周りの反応に過敏だった』だのだの。
 良くこれだけ思いつくなと自分でも思うほどの言い訳を、うやむやにするように押して押して言い聞かせた。
 相手の口は塞いで、余計なことは考えさせないように、まぁ色々としながら。
 満足していた。悪い自分に。先生を自分の思うとおりに考えさせて、自分の都合のいいように事実を改竄して、上手く自分のことを信じさせられた。まるで悪戯が成功した子供のように、自分の成果に酔いしれた。
「うっし、帰るか」
 彼女が来てから初めて、気分良く校門を出ようとした時。
 思わぬ声がかかった。
「自分は上手くやった……って顔してるね」
 台無しだ。
 ここ三日間の気分の悪さがやっと治ったと思ったのに、これだ。
「聞いてたんですか?」
 校門の横の壁に、腕を組んで寄り掛かっていたのは彼女だった。学校で見せる真面目ぶった教育実習生の顔とは違う、人を皮肉ったような、それでいて悪気は無い無邪気さを残した笑みを浮かべて。
 彼女は背中を壁から離して、まるでそれが当然のように駅に向かって歩き出す。僕が付いてくると、隣に並ばざるを得ないという確信があるのだ。先生との事を知られた以上、僕はそれに従うしかない。
「聞いてたんじゃなくて、聞こえたの。まぁきっかけは君の声じゃなくて清水先生の声なんだけどね。あれだけ大声で騒いでたんだもの、廊下にだだ漏れだったよ?」
 先生が僕に詰め寄っていた時のことを思い出した。あの時に彼女が廊下にいたのか……。
「良かったねテスト前とかじゃなくって。人が多い時だったら、他の生徒に絶対聞かれてたよ? 口論の後のこととかも、全部含めてね」
 ニヤニヤと僕の顔を覗き込む。どこまで聞いていたのかを問い詰めるまでも無く、頭から尾っぽまで聞かれていたらしい。
 最悪だ。
「誰かに言うつもりですか?」
「まさか。あたしがいるうちに指導教官がスキャンダル、なんてシャレにもならないって。あたしは何事もなーく実習期間を終えて、教員免許もらえればそれでいいんだから」
 とりあえず誰にも言う気が無いことだけ分かって、胸を撫で下ろす。この人は本当に僕の予想も付かないことばかりするが、嘘だけは付かない。本人は善人のつもりだから。
「でもびっくりしたな。まさか君が教師とデキてるとは」
「デキてるとか言わないでください」
「本当のことでしょ? どういうきっかけだか教えて欲しいなー参考までに」
「嫌です。っていうか何の参考ですか。アナタがこれから教師と恋愛することなんて無いでしょう? 教授でもやり込めて単位でも融通して貰うんですか?」
 かなり汚い口を吐いたかと思ったが、彼女は気にする様子も無い。
 彼女は人を責めることをあまりしない。自分で自分の非に気付くように、あくまで遠まわしに攻撃を仕掛けてくる。チクチクと、嫌味ったらしく、正論で。
 嘘を交えなければ説得もできない僕とは違う、本物の言葉を使って。
「まさか。これから教師と恋愛するんじゃ無くて、あたしが生徒と恋愛するかもしれないって話でしょ?」
「はぁ?」
「だってそうじゃない。あたしはこれから先生になるんだし、もしかしたら可愛い生徒の告白を断りきれなくて、あーんなことやこーんなことを学校で隠れてしてる誰かさんみたいなことに、なるかもしれないでしょ?」
 こういう事を本気の顔で言うから、この人は分からない。
「だってアナタ。前に年上としか付き合う気無いみたいな事言ってたじゃないですか」
 彼女はチッチッと芝居っぽく指を振る。
「違う違う。年上としか付き合ったことが無いって言ったんだよ、あたしは。別に年上だろうが年下だろうが、人間として尊敬できる人なら付き合うよ」
 それはフった僕に対する嫌味なのかとか、それ以前にちょっとは配慮とかしろよとか、じゃあ今の僕はどうなのかとか、そんなことが頭の中にいくつも思い浮かぶ。
 でも、そのどれもが自分を構って欲しいだけのセリフのような気がして、結局僕の口から出たのは本心とはかけ離れた、ただの強がり。
「参考とかになるものじゃ無いですけど。一つ言えるのは、アナタみたいな人が生徒から告白を受ける確率はもの凄く低いってことですかね」
「それ、どういう意味?」
「だって、学校でのアナタって全然隙の無い『先生』って感じじゃないですか。清水先生は『真面目そう』だけど、どこか親しみやすいというか、悪く言っちゃえば付け込み易そうなところがあるんですよ。そういう人じゃないと、『先生』を恋愛対象にしようって気にはならないんじゃないですか?」
 彼女は何かに納得したように「はーはー、なるほどねー」と頷く。
 僕はそれが、僕が説明した彼女が生徒と恋愛できない理由に対してだと思っていたのだが、返ってきた言葉は僕の予想とは大きくかけ離れたものだった。
「君って、清水先生を付け込み易いとか思ってたんだ。へー……」
「なんですか?」
 彼女はわざとらしくそっぽを向くと、「いやーでもそれは自分で気付くことだしー」などと言った後、僕に向き直ってこう言った。
「まぁ、オトナを舐めると後で痛い目見る事になるよってこと。これ、お姉さんからのアドバイスね」
 意味が分からなかった。
 ただ、彼女の中で僕はまだまだ子ども扱いなのだというどうしようもない事実だけが、再び僕の胸の中に薄暗いモヤをこもらせる。
 その意味に気付けないからこそ子供なのだと、そんな簡単なことに気付けないまま――――

       

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