Neetel Inside 文芸新都
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僕たちは恋してない
Child play(3) -道化-

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『どういうきっかけだか教えて欲しいなー参考までに』
 などと言われておいてアレなのだが、本当にきっかけなんか無かった。
 先生とこういう関係になったのはただの偶然で、今こうして続いているのはただの惰性だ。と、僕は思っていたし、先生もそう考えていると思っていた。
 でも、どうもそうでは無かったらしい。
 先生がああして僕との関係が崩れることに取り乱すのは、本当に予想外だった。先生だって、僕のことは替えがきく『代用品』ぐらいにしか思っていないと思っていたのに。
 関係を修復した、だなんて軽々しく考えていたけれど、今までの僕たちの関係は果たしてどのようなものだったのだろう。そして、僕はその関係をどのようにか変えてしまったのだろうか。
 僕たちは『恋人』ではない。そのはずだ。だから、僕は先生に『好き』だと言った事は全く無い。
 そのはずなのに、先生が僕に詰め寄ったときの様子は、どう見ても恋愛関係にあるものに向けてのそれだった。しかも僕はその時、その事実に歓喜していたのだ。
 必死な相手に、一方的に冷めた視線を向けられることに興奮した。
 理由は簡単だ。彼女が昔僕にしたことを僕が他人にできる。圧倒的な優越感を感じられる立場から、一方的に相手の全てを自由にできる。
 恋愛は惚れた方が負け、なんて言葉はよく聞くけれど、あの時の僕はそれで言えば完勝していたのだ。そしてその事実は、僕たちの関係に少なからず恋愛が入り込んでいることに他ならない。
 それが、先生からの一方的なものだったとしても。
『オトナを舐めると後で痛い目見る事になるよってこと』
 彼女の言葉が、ちらちらと頭の中を掠め飛ぶ。
 先生を全て受け入れるのか、それとも切り捨ててしまうのか。決めなければいけないのは分かっていても、僕はそれをどうやって先延ばしにするかしか考えられなかった。

 とか色々と悩んでいる気分を見せていようが、結局やることはやるのだから本当に僕ってしょうもない。
 彼女と話したあの日から、僕は毎日図書準備室に入り浸っていた。
「んっ……あ、はっ……」
 彼女に言われたことを振り切りたかったのかもしれないし、先生に触れることで関係が分からなくなった不安を取り除きたかったのかもしれない。
 でも、結局求めてしまうのは快楽だけで、後には何も残らない。
「きちゃ……あ、だっ…め……ぅあ!」
 いや、まぁ残るものはあるのかもしれないけれど、そんなものはすぐにティッシュに包んでゴミ箱の中だ。
 空しいとか、悲しいとか、思うところはあったのかもしれないけれど、捨ててしまえばみんな闇の中。見えないことを憂うもの無し。世は全てことも無し。
「あの、先生。前から思ってたんですけど」
「何?」
「そうやってポイポイ学校のゴミ箱の中に捨てちゃってるの、いいんですか? ゴミ収集の時とかにバレたりしません?」
 半ば答えが分かっていながら、僕は先生にそう問いかける。先生は笑って、「大丈夫よ」と自信満々に答えた。
「教室のゴミって、清掃の時にゴミ集積所に持っていくでしょ? これも同じ。教室みたいに毎日って訳じゃないけど、頻繁に集積所に捨てに行くの。持っていくのが自分の手なら、バレたりするわけないでしょ」
「じゃあ、もし先生がゴミを捨てている時に、ゴムがティッシュからはみ出てるのとか何かを、ちょうどゴミを捨てに来た誰かに見られたら?」
「ちょっとはみ出てた位のものを、そんなに注意深く調べようとする? モノがモノだし、ゴミの中に手に突っ込んでまで確かめようとする人なんていないでしょ。見間違いかもしれないしね。だったら、普通そういうのは見て見ぬフリをするものよ」
 なるほど、と納得したフリをする。
 どんな回答が来るか分かっている、時間つぶしのような会話。核心には触れない当たり障りの無いコミュニケーション。
『先生は、僕のことが好きなんですか?』
 そんなこと、聞けるわけが無い。
 それを言うという事は、どういう形であっても今の状態を変化させるという事だ。それは決して望ましいことじゃない。
 もしも崩れるとしたら、それは先生の方から。それも先生の方に罪悪感が残るように、僕はあくまで被害者のように振舞える状況にならなければならない。教師とこういう関係になるという事は、そういうことだ。絶対に後腐れを残すわけにはいかない。
「それじゃあ僕は、そろそろ行きます」
「そう? もうちょっとで仕事一通り終わるから、今日は一緒に帰ろうと思ってたのに」
「……それ、本当ですか? まぁ、僕が毎日来てるせいなんですけど、最近全然机に向かってる姿を見てない気がしますよ?」
 苦笑しながら言う。
 彼女の研修期間が終わって教育実習生たちが引き上げれば、そのすぐ後には期末試験がやってくる。教育実習生関係の書類もあるだろうに、現国の試験問題も作らなければならないのだ。とても簡単に一区切り付くとは思えない。
「僕ももう少し、ここに来るの控えた方がいいかなと思ってたんです。このまま仕事が遅れるのは悪いですし、今日は一人で帰ります」
 図星だったのだろう。先生は気まずそうにしながらも仕方ないといった様子で、俯きながら答えた。
「そう……こっちの仕事の事とか全然気にしなくていいから、気が向いたらいつでも来てくれればいいからね? しばらくは忙しいかもしれないけど、試験が終わったら時間もできると思うから」
「その頃には僕のほうが受験前で忙しくなっちゃいますよ」
「うん……まぁ、無理はしなくていいんだけどね」
 口ではそんなことを言いながらも、顔からは期待している雰囲気が溢れ出ているようだった。本当に分かりやすい。うざったいくらいに。
「じゃあ、また明日」
 そう切り上げて図書準備室を出ようとした僕に、名残惜しむような声が聞こえてきた。神経を逆撫でするような、甘ったるい声。
「あのさ、二人でいる時くらい敬語止めたら? 呼び方だって、先生じゃなくて下の名前で呼んでもいいんだよ?」
 先週のような苛立ちが、ほんの一瞬だけ頭に熱を持たせる。喉本まで来た言葉を、ぐっと押さえ込んだ。
「いや、それはちょっと止めておきましょう」
「どうして?」
「何かの拍子で普段出ちゃわないとも限りませんし、なんていうか学校の中にいるときの『けじめ』みたいなものじゃないですか。そういうのは、大切にしたいんです」
「そっか……」と呟いた先生の顔は、とても人にものを教える立場の人間の顔ではない。
 その嗜虐心を煽るような、いじめられっこのような、捨てられた子犬のような、
 寂しそうな表情は僕が作ったものなのだと、そう感じるだけで再び昂奮が頭まで駆け上がってくる。
 僕は振り返って、先生を抱きしめた。頭を抱え込むようにして髪を撫でる。
「呼び方なんて大した問題じゃないじゃないですか。それに、僕たちは始まりからこの形だったんです。今さら変える方が不自然ですよ」
「……うん」
 肩口で綺麗に切り揃えられた髪先を指で弄びながら、ゆっくりと離れる。
「また明日来ますよ」
 そう言って図書準備室を出て、昇降口に向かった。
 校門から出て、ため息を付く。一週間前、三年ぶりに彼女と話したあの日と同じように。
 そして、この一週間ずっとそうしてきたように。
「今日もお疲れ様」
「はいはい、どうも」
 そう言って歩き出す彼女の後に、付き従って歩き出す。
 まるで、鎖に繋がれた犬みたいに。

       

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