Neetel Inside 文芸新都
表紙

僕たちは恋してない
Four Feelings For you(3) -Spring(3)-

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 屋上の扉を開けると、生ぬるい風が頬をかすめた。
 六月も半ばに入って、ようやく春の穏やかさを抜けて夏らしくなってきたようだ。もう二週間もすれば、ここも暑さのせいで学内一の過疎スポットとなるだろう。
(いや、その前に梅雨のせいで来れなくなるかな……?)
 最近は、毎年のように言われる異常気象や天気予報の信頼暴落なども手伝って、梅雨の時期が読みづらい。早かったり遅かったり、そもそも梅雨なんてあったのかと疑いたくなるほど雨の無い年もあった。
 とは言っても、それも今は要らぬ心配のようだ。まだ暑いという言葉には届かない程よい陽気に包まれた屋上は、多くの生徒たちでベンチは満員御礼。賑やか過ぎるほどの空気に包まれている。
 俺は購買で買ってきたパンの袋を揺らしながら、いつもの調子で給水搭の裏へと回った。
 ちょうど日陰になっていて薄暗い、屋上の入り口からも一番遠い。そんな人気の全く無い場所のベンチに俺に先んじて腰掛けていたのは、弁当の包みを膝の上に載せたユキだった。
 俺の接近に気付いているのかいないのか、雲の少ない良く晴れた空を、何を考えているのか分からないような瞳で見つめている。
「いい天気だな」
 ユキに対してものを言う時、第一声は基本的に返事を期待しないことにしていた。ぼーっとどこかを見ていることの多いユキは、たとえ聞こえていたとしてもまともな返答を返してくれることは少ない。
「ん?……うん」
 案の定、聞いていたようなそうでないような曖昧な返事を返す。どちらかと言えば、俺の声よりもベンチに座った時の振動で気付いたような素振りだ。
 俺が一つ目のパンの袋を開けてかじりついたところで、ようやくユキは自分の弁当の袋の紐を緩めだした。
「いつも言ってるけど、先に食べててくれていいんだぞ? 同時に食べ始めると、結局俺の方が先に食べ終わるんだから」
 俺がパン食でユキは弁当なのだから当然と言えば当然なのだが、屋上には毎日ユキの方が先に来る。そうするとユキは一人で場所取りのように待っていることになり、例外なくさっきのようにぼーっとして過ごしていることになる。
 そういう姿ばかりを見せられていると、そういう時間はもの凄く退屈なのではないかと、心配になってしまうこともある。
 しかし、ユキは俺を見て首を横に振ると、
「うん、でもそれじゃあ彼女っぽくないから。これでいい」
 そう言って、弁当箱からサンドイッチを取り出し小さくかじった。
「そ……ですか」
 何を考えているか分からないのも、三ヶ月も経てば毎度のこと。
 ユキは見かけによらず強情で、俺に『協定』を持ちかけた時もそうだったが、自分の中で譲れないところの一線というものがしっかりあるらしい。
 そう、元はと言えば俺たちが毎日こんな場所で一緒に飯を食っているのだって他でもない、ユキとの『協定』の一部なのだ。
 この屋上での昼食。これをやろうと最初に言い出したのはユキの方だった。
 俺たちの場合――ナツキとシュウ両方の警戒心を解くために彼氏彼女という立場を利用しようとした場合、クラスメートも含めた多人数に俺たちが恋人関係にあると認知されなければならない。
 本人の口からいくら付き合っているなんて言ってみても、結局は噂になったり友達に自分から話をしない限り、そういった話ってのは案外広がりにくいものなのだ。
 だから俺たちは、こうやって人目に付かないところも含めて、二人きりの時間はできるだけ取るようにしていた。
 特に昼休みは、学食で飯を食べる連中に一緒に行こうと誘われたり、飯の後に体育館でバスケをしようと言われる場合もある。そういった友達の誘いを「彼女と飯を食うから」と言って断ることで、俺たちが付き合っているという認知度を上げていくわけだ。
「それで、今日は何かあった?」
「ああ、ナツキが朝に変なこと言い出してさ、こっちもちょっと聞こうと思ってたんだ」
 同時に、この時間は情報交換の場でもあった。
 お互いに互いのターゲットと二人で登校しているのだ。その間にした会話の中で有益な情報――たとえばデートの予定とか――を入手できる時だってあるだろう。
 そういう事があった時にお互いに話し合い、少しでも二人の仲を邪魔しよう……と、自分で言ってて嫌になるほどみみっちぃことをやっているわけだ。
 まぁ、実際に何かができることなんて、そう無いんだけどな。
「変なこと……なんて言ってたの?」
 そう聞かれて、しまったと思った。
 ナツキの言った変なことというのは言わずもがな、朝っぱらから『セックスしたことがある?』なんて聞かれた例のアレである。
 いつも俺たちはここで割と明け透けな話もしてはいるけれども、今は食事中だ。さすがにこれは場違いにも程がある。
 朝にナツキに言った自分の言葉が、頭の中でフィードバックした。
『お前はちょっとTPOという言葉の意味を学んだ方がいい』
 ……人に言える立場でもなかったことにげんなりしてしまう。俺が悪かったです。本当にゴメンナサイ。
 後でナツキに謝っておこうかな……いや、それは不自然だろ。
「いや……飯食ってからでいいよ。ちょっとこの時間にはそぐわないと言うか……そんな話だから」
 引きつった苦笑いで、なんとかこの場は流してしまおうとする。しかし、ユキはそんな俺の内心など察する気すら無いように、俺の顔を真っ直ぐに見返して言った。
「気にしないから、言って」
 気にしているのは断然俺なのだが、その気にしなさ過ぎる態度はピチピチの高校二年生の女子としてどうなのでしょうね? ナツキもそうだったけど、こういう話って女子の方が耐性が強いのかもしれない。
 まぁ、気にしないと言うのに黙っているわけにもいかない。なにしろ『協定』は絶対である。
 俺は、ため息を一つ吐きだしてから、観念したように今朝のセリフを反復する。
「『ハルはセックスしたことあるか』……ってさ」
「……は?」
 思わず飛び出たユキには珍しい素っ頓狂な声は、紛れも無く朝の俺の焼き直しだ。そうだよ、これが普通の反応だよな。
「だから、ヤったことあるのかって聞かれたんだよ。俺と、お前が」
 沈黙が、俺たち二人を包み込む。ユキの口は半開きになりっぱなしで、頭の中で処理が追いついていないようだった。
 しばらくして、ゆっくりと手の中に持ったままのサンドイッチに目を落とし、俺を見ようと顔を上げて、でも途中でまたゆっくりと手の中に視線を戻す。
 ユキのあまりの動揺っぷりに、何かフォローでも入れた方がいいのではと思った頃に、ユキは一言だけ「それは……そういうこと?」と呟いた。
 『そう』というのは、要するにナツキたちはもう『済んでしまった』のではないかという事だろう。
 だから、俺はそれを否定してやった。
「いや、直接何かがあったとかそういうわけじゃないと思う。ナツキもシュウの方から話を振られたとかってのじゃないみたいだし。友達からそういう事に関して、そろそろなんじゃないかと言われたって言ってたな」
 そのセリフを聞いて、やっとユキの顔に生気が戻ってきた。死人のように青白かった顔にも、ほんの少しだが赤みが差したような気がする。
 少し大げさすぎる気もするが、その気持ちは分からないでもない。俺だって、話を聞いてすぐは戸惑いっぱなしだったのだから。
「だからさ、俺の方からも聞こうと思ってたんだよ。シュウがなんか……直接的なことじゃなくても、変な素振りとか見せてなかったかとかさ。もしナツキが一人で言ってるだけなら、特に問題無いだろ」
 ユキは何か思い出そうと考えるような素振りを見せた後、首を横に振って言った。
「……シュウ君はそういう事、あんまり私に話さないから」
 そう言って再び、ユキは俯いてしまう。また落ち込むのかと思ったが、ただ思考に耽っていただけのようでユキはそのまま言葉を続けた。
「でもすぐ顔に出るから、もしそんなことをしてれば分かる。シュウ君の方から何か言ったって事は無いと思う」
「そっか」
 それを聞いて、ほっと胸を撫で下ろす。
 この『協定』が始まって気が付いたことがある。それは、ユキとシュウがお互いに、かなり遠慮しながら付き合いをしてるということだ。
 ユキがこんな『協定』を持ち出すほどだし、シュウと毎日一緒に登校しているのだから、お互いにそれなりの好意はあるとは思うのだが、何と言うのだろうか……。
 自分を引き合いに出すのもアレだが、幼馴染である俺とナツキのように、気がね無く何でも話せるような関係ではないらしいのだ。
 そういう部分も含めて、長年の付き合いのユキがここまで断言したのだからそれなりの確信はあるのだろう。俺はため息を一つ吐いて、すっかり忘れていたパンに再びかぶりついた。
 この話は、そこまで問題にするほどでもない。他愛も無い普段の話の一つなのだと、俺はすでに思っていた。
 しかし、ユキはそうではなかったらしい。
「なんか、冷静ね」
 飛んできた鋭い声に、咀嚼していた口が止まった。
 今度こそ顔を上げて真っ直ぐに俺を見たその顔。きつく寄せられた眉から読み取れたのは、俺への強烈な不快感。
「貴方は、ナツキちゃんがシュウ君とどうなってもいいの? それとも、この三ヶ月の間でもう完全に諦めちゃった?」
 それは挑発のようでもあった。『協定』の共犯者であるところの俺に、その意思が消えかけているのではないかと疑っているのだ。
「そんなこと言ってないだろ。大体、さっきのは明らかにお前の方が取り乱しすぎだろ? 俺は直接ナツキから聞いてたんだから、その時に十分衝撃受けてたんだよ!」
 ユキの目がスッと細められ、「そうかしら」という呟きが漏れる。
 先ほどの動揺から一転、氷のような冷たさすら感じさせる表情に、俺は一瞬胸が締め付けられるような感覚を覚えた。
「私が言いたいのは、危機感が足りないってこと」
「危機感?」
「そう。シュウ君から話を振られたわけでもなくて、そんなことを貴方に聞いてきたって事は、ナツキちゃんの方が『そういう事』に興味があるって事でしょ?」
 ズキリと、今度は胸が針で刺されるように痛む。
 そういえば考えもしなかった。ナツキの方から、シュウにそういう事を切り出す可能性なんて。『そういう事』になるとしたら絶対にシュウの方に言われてからだと、何故か勝手に思い込んでいた。
「もしかして、安心してた? シュウ君から言い出さなければ、二人がそんな事になることは無いって。呆れた。二人は付き合ってるのよ? どっちからだってきっかけさえ揃ってしまえば、すぐにでも『そういう事』になる可能性はあるのに」
 その通りだ。
 なんだかんだ言っても俺とナツキは二人で登校している。仲だって疎遠になるどころか、話す機会はユキと付き合う前よりも多くなった気さえする。
 だから油断していたんだ、『協定』は全て順調に言っているのだと。自分がナツキと離れないのと、シュウとナツキの距離が縮まるのは何の関係も無いのに、すっかり失念して。
 ユキの言葉は、あまりにも痛すぎる図星だった。
「う……うるさいっ!」
 思わず、八つ当たり気味に声を荒げていた。いけない。すぐにカッとなるのは俺の悪い癖だ。
 ユキはそんな俺から視線を外すと、結局半分ほどしか食べていない弁当箱の蓋を閉め、立ち上がる。いつの間にそんなに時間が経っていたのか、目に入った腕時計の針はそろそろ昼休みの終わりを示そうとしている。
 目線をさらに下に下ろすと、食べかけのパンを握った自分の手が震えていた。
「しっかりしてね、貴方にはまだ色々としてもらわなきゃいけないんだから」
 最後まで冷ややかな瞳と声で、ユキは俺を置いて一人で立ち去る。
 遠のいていく共犯者の足音を聞きながら、俺は三ヶ月前の事を思い出していた。
 あの時決めたはずの覚悟が、三ヶ月のぬるま湯のせいですっかり薄れてしまっていること。それをはっきりと自覚する。
 あの時ユキが言っていた、『何か』。それが、目の前の問題として現れたというのに……。
 何か行動しなくてはいけない。今を持続するためじゃなく、一歩でも事態を好転させるために。でも、その内容がさっぱりと思いつかないのだ。
 ユキの言っていた『危機感』とやらが、胸の中で急激に膨らみだした。
「あ――、くそっ! 俺にどうしろっつうんだよ!」
 一人きりの屋上で、無様に叫びを上げる。
 このままではいけないと思ってはいても、結局俺に思いついて行動できることなんてのは、どうしようもなく少なかった。

       

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