Neetel Inside 文芸新都
表紙

僕たちは恋してない
Four Feelings For you(4) -Spring(4)-

見開き   最大化      

 ナツキは演劇部、シュウはサッカー部の練習でいつものごとく別行動。今日に限ってはユキまで図書委員の用事で、俺は久しぶりに一人寂しく下校していた。
 ちなみに、うちの学校は部活強要なので俺も一応部に所属している。友人に頼まれて入ったコンピューター研究会だ。ゲームならともかく、パソコンの前で変な文字列と何時間もにらめっこしている趣味の無い俺は、一回も顔を出したことが無い。ようは、人数合わせの幽霊部員。
 いつもならユキと昼休みの続きなどを話して歩く並木道も、こうして一人でいるとなんとも手持ち無沙汰なものだ。
 考えるべき事は色々とあるはずなのに、ぱっと頭に出てこない。普段ユキと会話という形を取って話をまとめることで、それなりに物事が分かりやすくなっているのを実感した。
 とにかく考えをまとめようと、たくさんある事柄の中から自分は何が一番気になっているのかを模索すると、意外にもそうして出てきた案件はナツキに関してではなく、ユキの今日の態度のこと。
 昼休みにナツキのセックス発言によって呆然とした顔、そしてその後の俺に対する言及の苛烈さ。どちらも、ユキと紛いなりにも付き合ってきたこの三ヶ月間で初めて見るものだ。
 いや……思い返すと心当たりが一つだけある。あれは、俺とユキが『協定』を結ぶことを決めた日のこと。
 怒鳴って、泣きじゃくって、俺の胸を叩いていた。あの時のユキは、今日の不自然な態度と通じるところがあるような気がした。
 もしかしたら、普段が冷たい――他人に無関心な印象だから気付かないだけで、ユキは俺たちの中で誰よりも感情の起伏が激しいのかもしれない。
 思えば、友人と好きな人の付き合いを邪魔しようなんてことも、常識的に考えたら実行するようなものじゃない。頭の中で思うくらいはあったとしても、それを現実に行うなんて並大抵の神経でできることじゃないと思う。
 まぁ、それに加担してる俺が言えることじゃないけど。
 現状を把握して、なんとなく俺はため息を吐き出した。
「はぁ……今さらだけど、やっかいなのに捕まっちまったのかなぁ」
 三ヶ月も付き合って今さら思う。俺はユキのことを何も知らないのだ。
 一緒にいるからといって、相手のことを多く知っているとは限らない。いや、確かに知る機会は多くあるのだろうが、俺たちは互いのことに興味が無さ過ぎた。
 話すことといえばナツキとシュウのことばかり。義務感による何の感動も無い逢瀬。付き合ってはいても、彼女らしい事なんて一回もしたことは無い。
「彼女、ねぇ」
 普段口を動かしている時間だからだろうか、もちろん周りに聞こえないような小さな声でだが、独り言が自然と出てしまう。
 彼女……というか、恋人らしいことというとなんなのだろう。
 手を繋いでデートをすれば恋人らしいのだろうか。お互いの家に遊びに行くようになれば恋人なのだろうか。それとも、今日ナツキが言ったようにセックスをすることが何かの区切りになるのだろうか。
 ユキの顔を思い浮かべながら、それらを一つ一つ当て嵌めていく。
「ま、有り得ないよな」
 思わず苦笑いすら浮かんでしまう。
 ユキと俺がそんなことをするなんて、全く想像できない。
 ナツキやシュウと一緒に出かける時、カモフラージュのために手を繋いだりするだけで違和感があるというのに。
 ぐるぐると思考を回しながら、駅前のロータリーを曲がって線路沿いに進む。すると、道なりにそれなりに大きめの商店街が広がっている。
 駅から正面に伸びる、学校へと続く道。そこを挟んで反対側に大きいデパートが出来てしまったことで多少下火になってしまったが、未だに人が途絶えることは無い活気に満ちた商店街だ。
 今も夕食の買い物に勤しむ主婦たちが、八百屋や肉屋に群がっている。
 歩きなれたそこを縦断するように通り過ぎて、マンションの立ち並ぶ住宅街を抜ければ一軒家が群集している区域に出る。
 まばらに立つマンションの影に隠れてしまうせいで、たまに日当たりの良くない時もある。それでも、駅からそこそこ近く買い物にも不自由しないこの区域が俺は嫌いではなった。
 申し訳程度についた狭い庭に一歩踏み込んで、青い屋根の一軒家を見上げながら俺は改めてそう思う。
「ただい……ま……」
 我が家の扉を開いて、そう声に出した瞬間。俺の足はピタっとそこから中に入ることを拒否してしまった。
 玄関に見たことのある――いや、そんなもの誰のだって同じだと人は言うかもしれないが、さすがにこの場所にこんなものがあってしかもそれが毎日見ているものだとすれば持ち主は容易に想像が付くわけで、要するに何があるのかというと――どう見ても女物の、革靴が置いてあった。
「ちょ……は……えー?」
 急いで居間に顔を出しても、家族どころか人の姿はどこにも無い。
 テーブルの上に伝言であろうメモ用紙が置いてあるのが目に入ったが、それを見つけた時点で内容は分かったようなものだ。
 俺は踵を返して廊下に出ると、玄関脇左に携わる階段にじっと目を凝らした。
 俺の部屋は二階にある。こうやって見つめたところでその事実は変わらない。だが、今俺が自室に感じている猛烈な嫌な予感は勘違いなどではないはずだ。
 ごくりと、妙に粘度の高いつばを飲み込んで、そろりそろりと何故か無意識のうちに足音を立てないようにして階段を上る。
「落ち着け」と、声に出して自分に言い聞かせた。
 そうとも、ほんの何年か前までは普通にあったことじゃないか。それが今起こっただけで、こんなにも動揺するなんてどうかしてる。
 自室の扉の前で、大きく息を吐く。
 どうかしてなんかいなかった。こんな状況、動揺してしかるべきなのだ。
 意を決して開けたその先には、せんべいをバリボリ食べながらマンガを読みふける彼氏持ちなはずの幼馴染が、当たり前のように俺のベッドの上で寝そべっていた。
「あ、おかえりー」
 呑気に呟いたそいつに、俺は一瞬だけ考えて、
「……人の布団の上でモノを食べるな」と頭を抱えたくなるのを我慢して言う。
 道中で考えていたことなど、もちろん全て吹っ飛んでいた。
「お前……なんでここにいるの?」
「え、たまたま遊びに来たらちょうどおばさんが出かけるとこでさ、ハルがまだって聞いて帰ろうかと思ったら、おばさんが「上がって待ってたらどう?」って言ってくれて」
 くそ……。母さんには後で、繊細な十代後半男子の部屋がいかに神聖な場所か言い含めておかなくては……。
「何しに来たんだ?」
「え、別に。少し話がしたかっただけなんだけど、ハルの家に来るのも久しぶりだったしさ。おばさんもそう言ってくれるなら、まぁせっかくだしーみたいな感じで」
「そんだけかよ……。話なら明日学校行く途中でもいいじゃねーか」
「今日の朝話したけど、ほとんど流し聞きだったじゃーん。朝だと眠くてまともに取り合ってくれないからこうして来たんでしょー?」
 今日の朝、その単語がナツキの口から出て、俺の動きは一瞬止まってしまった。動揺が表に出ていたかもしれないが、それでも聞かずにはいられなかった。
「今日の朝の、話の続きをしに来たのか?」
「え、別にそういうわけじゃないけど。聞いてくれるならしたいと思ってたよ?」
 ベッドの上で起き上がって縁に腰かけると、気にしたこともないようにナツキは言う。
 そのスカートから伸びる白い脚が、今どれだけ俺の理性を削っているかもしらないで。
「それが本題なら、帰ってくれ。朝、それこそ何度も言っただろ? そういうのはシュウ当人と相談しろよ、俺が口を挟むことじゃないっての」
 冷静に考えれば、ナツキとシュウの関係自体に口を挟もうとしている俺が今更言えたことじゃないし、そんな立場の俺が放置していい問題でもないはずだ。
 ユキの『危機感が足りない』というセリフが脳内で嫌みったらしく再生される。
 でも、冷静でなんかいられるはずがないんだ。
 ここは自分の部屋で、自分のベッドに腰かけているのは俺が好きな女の子で、しかも今は家に二人っきりで。
「……あーっそ。じゃあもういい。そうさせてもらうよ!」
 だからその時、不機嫌そうに吐き捨てたナツキの腕を掴んで引きとめたのは、『協定』を思い出したとかの打算的な理由じゃなくて――
「え?」
 不思議そうに振り返った彼女に、俺は敗北の宣言をする。
「いいよ……。話、聞くよ」
 ただ、この二人きりの時間を少しでも長く続けたくて。

   ●

 俺にとって、聞くに堪えない話がしばらくの間続いた。
 シュウのことは彼氏なのだからもちろん好きだし、付き合っていく上でそういうことが必ず起こるということも分かっていた。でも、三ヶ月という時間はそれを許してしまっていいのか判断しかねる微妙な時期で、要するに不安なのだと。
 ナツキの話をまとめると、大体そういうことだった。
「時間が不安って……。そういうことじゃなくて、お前の気持ち的にはどうなんだよ」
 そういった話を聞いているうちに、俺はやっと冷静さを取り戻していた。
 ふつふつと煮えるように心に広がる悪意が、ユキの言葉を俺に思い出させる。
 ナツキは、そういった行為に対して不安に思っているだけで、シュウのことはちゃんと好きなのだ。そういう知りたくなかった現状が、話を聞いているうちに実感として湧いてきてしまった。
「え、うーん……。それが微妙だから、わざわざハルに聞きに来たんでしょ!」
 やっぱり俺には、ナツキが他の男とそういうことになるのは耐えられない。たとえ、シュウがいいやつだと分かっていても。そいつがあまつさえ、友達だとしても。
 二人の仲を邪魔する。そのための『協定』だから。
「……そんな、人に聞いて決めるくらい不安なんだったら、止めておいたらどうだ?」
「え?」
「自分で決められるようになって、自分で納得して、それで初めてすることじゃないのか? そういうのってさ。少しでも迷っているうちは、止めといた方がいいよ、うん」
 正論の……はずだ。一番最後の一言は余計だったかもしれない。不自然に引き延ばそうとしているように聞こえてないだろうか。
「そう……かな?」
「ああ、そうだよ!」
 語気を強めたのは、ナツキを納得させたかったからじゃない。自分を納得させたかったからだ。これでいい、これが自分のしたかったことのはずだと。罪悪感を押し殺して。
 ナツキは少しだけ考える素振りを見せた後、「そっか」とだけ呟いて立ちあがった。鞄をつかみ、扉に向かうコイツを止める理由はもう、ない。
 玄関まで見送りに降りる間、俺たちの間になぜか会話は一つもなかった。
「今日はありがと。なんか、ホント真面目な話っぽくなっちゃって……」
「ホントだっつーの。もうこんな気まずくなるような話、勘弁してくれよ?」
 軽く言い放ったそれは、『協定』的にはマズいセリフだったのかもしれない。しかし、今日一日を終えた正直な気持ちだった。
「そんなこと言ってー。なんだかんだ言って、ハルはあたしが困った時はちゃんと助けてくれるもんね!」
「幼馴染じゃなかったら、とっくの昔に見捨ててたけどな」
「うわ、ひっどい!」
 顔を見合わせてひとしきり笑いあった後。別れの前の妙な静けさの中で、ナツキは小さく呟いた。
「幼なじみだから……だよね」
「え?」
 思わず聞き返してしまったのは、聞き取れなかったからじゃない。ただその言葉が……ともすればこちらに都合よく受け取ってしまえそうなそのセリフが、信じられなくて。気の抜けたような言葉が、無意識に漏れる。
「ううん、なんでもない。じゃあまた明日ね」
「ん、ああ。じゃあ……な」
 そう何とか絞り出したのは、ナツキの姿が扉に隠れてしまってからだった。
 扉を閉め、階段をまた登り、自分の部屋まで戻る。ただそれだけの作業がとても億劫に感じるほど、俺は疲れを感じていた。
 夢遊病者のような足取りで部屋にたどり着き、ベッドに倒れ込んでからやっと一息つく。頭が、今日あったことを処理できずにパンクしそうになっていた。
 ユキ、そしてナツキも。二人が考えていることが、俺にはさっぱり分からない。彼女たちが、俺に何を求めているのかも。
 いや……それをいうなら、俺自身はいったい何を求めているのだろう。やっと、ナツキが少し自分に傾くかもしれなかった糸口を、簡単に見逃してしまっておいて。
「だって、唐突すぎるじゃないか……」
 なぜあそこで聞き返してしまったのか。もっと言えることがあったのに。ずっとずっと、言いたいことがあったはずなのに。
「好きだからだよ」
 ポツリと口の中だけで呟いた言葉は、カタチにしてやっと現実味を帯びてくる。
「好き……そう、好きだから、だよな。ずっと……」
 あの時の、ナツキの表情はどんなだっただろうか。
『幼馴染だから……だよね』
 そんなはずがない。こんな辛い思いをしながらシュウとの話を聞いたのも、好きでもないユキと付き合って『協定』なんか結んでいるのも。そして、他の男と付き合っていても、それでも傍にいたいとこんなにも強く思うのは――
「好きだからに決まってんだろ!! ……クソ……」
 どこへも向かえない言葉は、ただ布団の中にこもるだけ。
 その上にほんの少しの湿り気が混じったのには、気付かないふりをした。

       

表紙
Tweet

Neetsha