Neetel Inside 文芸新都
表紙

僕たちは恋してない
Four Feelings For you(8) -Autumn(2)-

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 悪びれた様子もなく、口調は少しも淀みない。
 まるで「今気付いたのか?」とでもいうような表情で、ハルは俺にその事実を口にした。
 事実。そう、俺はその言葉をまるで疑うことなく、現実のものだと受け入れていた。それはハルたちが『まともに』付き合っていると信じ込んでいたのとは――そうであって欲しいと、信じていたいと思っていたのとは全くの逆。
 それが自然だと、当然なのだと。今までの疑問がすっと紐解かれるように、俺は納得してしまったのだ。
「なんで……そんなことを?」
「なんで?」
 態度が一変したハルは、笑いを堪えるようにして言う。
「そんなの、少し考えれば分かるだろ? それとも、今まで全く気付かなかったとでも?」
「……いや」
 そんなことはない。そんなことはないのだ。きっと俺は、本人の口から、確認をしたかっただけだ。
 思い返せば、理由になるようなものは目の前にゴロゴロと転がっていた。俺とナツキに合わせたような付き合い始めた時期。普段学校へと向かう道で、ハルとユキの雑談なんてほとんど聞かない。二人が互いに何が好きで付き合っているのかさえ、俺は知らなかったんだから。
 そして、俺の要求に合わせてのこの暴露。確かに、理由として考えられるのは一つしかない。
「じゃあ、やっぱりお前はナツキを?」
「……ああ。好きだよ」
 あっけない告白に、思わずに拳に力が入る。
「だからって、そんな……そんなことのために、俺たちの邪魔をしてたって言うのか!?」
 自然と声が大きくなってしまうのを抑えられない。
 ハルの言葉を聞いて憤ったから……という理由は、確かにある。だが俺は自分自身で、感情が抑えられない本当の理由に気付いていた。
「ユキと付き合ってるのも、朝や休日に俺たちに付きまとってくるのも、全部それが理由だったってのかよ!」
 これは、虚勢だ。
 ハルがナツキをどう思っていたかなんて、今まで何度も考えていたことで、予想できていたことで、いまさら聞いたところで動揺なんかするわけもない。
 しかし、自分の気持ちは別だった。俺が今まで信じたくなかったこと、そうであって欲しくないと思い続けていたことが事実であると分かったとき。確かに俺は、心の隅で思ってしまったのだ。今、ナツキと付き合っているのは間違いなく自分だというのに。
 ナツキは、ハルを選ぶのかもしれないと。
「そんなこと?」
「そうだろう? 俺とナツキはもう付き合ってる。お前がさっき言ったとおり、今まで何の問題もなくやってきてるんだ。お前がナツキをどう思ってようが、これから何をしようが、もう遅いって言ってるんだよ!」
 まるで自分自身に言い聞かせるような言葉を、叩きつけるように叫んだ。
 ハルはそれを聞くと軽く吹き出し、さらには耐え切れないとばかりに声を上げて笑い出す。
「もう遅い? 本当にそうか? 俺がやってきた邪魔は、本当に無駄なことばかりだったか?」
「……なんだと?」
「事実、お前は気にしていたじゃないか。この三ヶ月間で何も進展がないこと、そして俺の存在を気にしていたじゃないか! だからナツキから遠ざけようと、『もう会わないでくれ』なんて言い出したんだろ?」
「……。確かに、お前を遠ざけようとしたのは二人きりになるのに邪魔だったからだ。でも、そういう機会が少なくたって俺とナツキとの仲がどうこうなるわけじゃない。それとこれとは全く関係のない話だ!」
 絵に描いたように青い空の下で、俺の張り上げた声は空しく響きわたった。
 俺の虚勢の皮が、ハルの手でみるみる剥がされていく感覚。ハルの言葉は、俺が隠そうとしている本音を的確に突いてくる。それでも、俺は叫び続けるしかなかった。今の『恋人』という肩書きに、しがみつき続けるしかなかったのだ。
 もしかすると、階下の誰かや校庭にいる連中にまで聞こえてしまったかもしれない。そう思ってしまうほど――そして、そんなことはどうでもいいと考えてしまうほど、俺は頭に血が上っていた。
「……シュウ。お前、今朝ナツキの様子がおかしかったことに気付いてたか?」
「は? あ、ああ」
 突然話の内容を変えられ、俺はけっつまずいたような声を出してしまう。
「昨日、部活があったはずのナツキが、それをサボって帰ったって話は?」
「……」
 知らない。そんなことは知らなかった。
 熱した頭に冷水をぶっかけられたように、唐突に頭の中にある考えが浮かぶ。
 頭に血が上り過ぎていて気付かなかったのだ。今までずっと俺は、目の前のこと――ハルの言葉の上っ面しか見えていなかったと思い知らされる。
 なぜ今、ハルがこの話しをしているのかということを全く考えていなかった。
 普通に考えれば、俺とナツキの邪魔をしているなどと、どんなタイミングであっても本人に言うはずなどない。なぜならハルの気持ちも、今まで邪魔をしてきたということも、俺がナツキに簡単に伝えてしまえるからだ。恋人との関係を邪魔していた人間に、好意を持つ人間などいない。俺がちょっと告げ口をするだけで、俺とナツキが万が一別れた後にだって、ハルにお株が回ってくることはなくなるだろう。
 だが、今ナツキと付き合っている立場にいる俺よりも、自分の方が好かれているという確証……少なくとも、そう判断できる材料があるとすればどうか。
 俺がナツキにハルの気持ちを告げるのは、二人の仲を取り持つ行為にさえなってしまうかもしれない。
 そう考えてしまえば、俺にはもうナツキに何も言うことはできない。それがハルの狙いだと察しているにも関わらず。
 さっきと同じ疑惑が、自分の中で膿んだ傷跡のように膨れていく。
 ナツキに告白したのは俺からだ。それにナツキは頷いてくれたけれど、ナツキは果たして俺のことが好きなのだろうか。……いや、今こうして付き合っているのだから、確かに好意はあるだろう。重要なのは、その好意がどういったものなのかということ。
 俺の目の前の男に向けられたものよりも、上なのかということ。
「何が言いたいんだよ、ハッキリ言え」
「……ナツキは昨日、俺の部屋にいた」
 その言葉を聞き終えるより先に、手が勝手に動いていた。
 躊躇はなかった。ただ、胸の奥がカァっと熱くなって、目の前が一瞬真っ白に染まった。
 次の瞬間。気が付いたら、痛いほどに握りしめた自分の拳が震えていた。コンクリートが剥き出しの、屋上の床に倒れたハルの頬が真っ赤に腫れ上がっているのを見て、それは自分が殴ったからだということに気付いた。
 自分が何をしたか自覚しても、罪悪感など微塵もなかった。頬を押さえながらフェンスに手をかけるハルの、胸倉を掴んで強引に立ち上がらせる。
「ふざけるなよ」
「いってぇな……。ふざけてなんかいるかよ。なんなら本人に確認してみればいいだろ」
「そういうことを言ってるんじゃない!」
 確認などするまでも無い。今、こいつが嘘を吐く理由なんか無いのだ。だが、そもそも事実かどうかすらが、もうどうでも良かった。
 ただ、目の前のコイツが許せない。俺が掴んでいるはずの幸せを、脅かし、横から奪い取ろうとするコイツが。
 そのことに、露ほども罪悪感を感じていなさそうなふてぶてしい態度がさらに癇に障る。もう一度殴ろうと振り上げた拳を見て、ハルは小さく呟いた。
「いいぜ、殴れよ」
「……は?」
 思わぬ発言に俺は手を止める。止めてしまった。一瞬後、そのまま振りぬいてしまえばよかったのにと後悔した。
「いいから殴れっつってんだよ。ああ、やるならさっきとは逆がいいな。傷が派手に残るからさ」
「お前……なに言ってるんだ?」
 怪訝そうな顔をした俺に、ハルは胸倉をつかまれたまま、心底呆れたように大げさにため息を吐く。
「……はぁ。お前ってホント、クールに構えてるように見えて考えなしだよなぁ。よく考えてみろよ。俺は明日もナツキと顔を合わせるんだぜ? そうしたらこの顔を見て、ナツキは一体どう思うよ? 俺がたとえばこの状況を馬鹿しょーじきに説明したとしても、同情を買えるのは一体どっちだと思う?」
「おっ……ま……!」
 あまりにも湧き上がり過ぎた怒りと驚きで、うまく言葉が吐き出せない。
 ハルの言っていることは無茶苦茶だ。邪魔をしていたことをバラされても構わない。殴られればナツキの情に訴えるという。そんなことは、頭で思ったとしても実際にするヤツなんていない。
 俺のような疑問を、コイツは少しも持っていないのだろうか。ナツキの自分への好意を少しも疑っていないというのか。そういう疑問が少しでもあれば、こんなことは絶対にできないはずだ。もしも少しも無いというなら、自暴自棄にも程がある。
「ほら、どうした? 殴らないのか?」
 見上げるハルの目は、自信とも陶酔とも取れない強気で揺れていた。端が血に濡れた口元は、痛みに震えながらも微かな笑みさえ浮かべている。
 ぞっとした。正気な人間の目ではないように見えた。
 こんなヤツと、俺はついさっきまで友人のように接していたのだ。
「…………っ!!」
 俺は無言で、さっき殴ったのと同じ場所を殴りつけた。
 悔しかったし、悲しかった。俺は、どうあってもコイツの思惑を上回れない。
 そして、どうあってもコイツより、ナツキを信じきることができないのだ。
 倒れ付したハルを放置して、俺は踵を返す。
 当初の目的はすでにどうにかなるわけもなく、ハルと話すことなどもう何も無い。冷静に話ができる状態に、自分がこれからなれるとも思えない。
「待てよ!」
 屋上の扉に手をかけた瞬間、その声に足を止めた。無視して帰ることはできただろう。むしろ、今までのことを考えればそうするべきだと理解していた。二回も人を殴ったおかげか、そのくらいには俺は冷静だった。
 だが俺は、それでも『ハルから逃げた』という事実を作りたくなかったのだ。
 振り返りはしない。ただ足を止めただけの俺の背中に、ハルは構わずに続ける。
「これだけは言っておくぜ……ナツキは、俺のものだ」
 それは余りにもふてぶてしい、宣戦布告の言葉。
「だから、お前から取り返す。昨日確信したんだ。アイツの『彼氏』はお前でも、アイツの『特別』はまだ俺だ」
 それを一笑に付すことなど、今の俺にはできるはずもなかった。

       

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