Neetel Inside 文芸新都
表紙

僕たちは恋してない
Four Feelings For you(15) -Seasons(1)-

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「私は清春君を盗ってなんかいないよ。そんなこと私にできるわけ無いし、しようとも思わない」
 昨日、ユキはそう言った後、あたしに小さく耳打ちをした。
 その内容はあまりに短く簡潔なもので、一瞬それが何を意味しているのか、あたしには理解できなかった。
「そうすればきっと、全部上手くいく」
 口元を少し拭って、それでも笑ってユキは言った。
 彼女はあたしを好きだという。同性なのに、昨日まであたしの好きな人と付き合っていたのに、あたしのハルへの気持ちに気付いていたのにシュウくんを紹介してきた癖に。
 なんて酷い子なんだろうと思った。どうしてそんなことができるのだろうと。
 でも一晩経ってみれば、あたしにユキを責める資格なんて無いことに気付かされた。
 そして、自惚れでは無く純粋に、ユキはあたしのことが好きなんだと思った。
 だってあたしは、ユキと同じことをやっていたのだ。好きな人と近い位置にいるための、『立場』として利用するためにシュウくんと付き合い始めた。
 言い訳で詭弁だと分かっているけど、それが相手を好きな気持ちからやったんだってことを、一番知っているのはあたしなんだ。
 その後もユキは、とても真剣にあたしと向き合ってくれた。あたしがさせているのにこんなこと言うのもなんだけど、逆の立場だったら絶対にできないと思うこと。
 自分の好きな人が、自分以外と付き合うのを本気で応援するなんて。
「これで幸せになれるよね、ナツキちゃん?」
 最後にそう言って笑ったユキが、凄く大人に見えた。
 そして逆に、酷く自分が傲慢だったことに気付く。
 あたしは結局のところ、ユキを見下していたのかもしれない。友達になってあげて、仲良くしてあげて、世話を焼いてあげて。手を引っ張ってあげているようなつもりでいたのかもしれない。
 でもそうじゃない。雪崎美冬という女の子は、最初から一人でいても全然苦痛そうじゃなかった。あたしと友達になっても他のクラスメートと関わろうとしなかったし、ハルと付き合おうとしたのにも理由があった。ユキは、一人でも歩き続けられる子だった。
 ユキはあたしに手を引かれていたんじゃなくて、あたしのことが好きだから一緒に着いて来てくれたんだ。
 あたしは今自室で、携帯電話を握り締めてベッドの上に座っていた。
 素直に認めよう。今、ここでこうしているのはユキのおかげ。
 あたしの方こそ、一人では何もできなかった。自分の思い通りだと思っていた形になって、でも居心地がいいとはいえなくて、ハルともよそよそしくなり始めて、でもどうすればいいのか分からなかった。
 あたしは、ユキに手を引かれて今ここに座っている。
 携帯電話の着信履歴から、目的の人を見つけてコールした。土曜日の朝早くだというのに、彼は二コール目で電話に出た。
『もしもし、ナツキ?』
「もしもし。おはよう、シュウくん」
『ああ、おはよう。こんな朝早くにどうした?』
「どうしたって訳じゃないんだけど、今日何も予定無かったから。よかったらどこか行こうと思って」
『お、マジで? じゃあとりあえず町にでも出ないか? 見たいCDがあるんだよ。その後のことは歩きながら決めてさ』
「うん、それでいいよ」
『よし、じゃあ一時間後に駅でいいかな?』
「大丈夫。じゃあまた後で」
『おう!』
 シュウくんのことが嫌いなわけじゃない。嫌いになれるわけが無い。
 あたしを好きになってくれた男の子。告白してくれて、あたしに初めて触れたいと言ってくれた男の子。
 照れて真っ赤になりながら告白してくれた、秋川修二という男の子のことを、多分これから忘れることは無い。
 今シュウくんに対して湧き上がる感情は、申し訳なさばかりだ。でもそれを押し隠して、今日は思い切り楽しもうと思う。
 それは免罪符にもならない、ただの自己満足でしかないけれど。

   ●

「びっくりした」
 駅前の喫茶店。初めて使う待ち合わせ場所。というか、待ち合わせ自体が初めてなんだけれど。
 その窓際の席でアイスコーヒーをすすっている俺の前に座り、ユキはまずそんなことを言った。
「何が?」
「昨夜の電話のこと」
 店員が水を置いて去っていくのを目で追いながら、いつも通りに平坦で素っ気無く彼女は言う。
「電話? 別に普通のことしか喋ってないだろ。何かおかしかったか?」
 俺は普通に、『明日デートでもしないか?』と誘っただけだ。
 確かに、別れてたった二日しか経っていない元彼女を、平気な顔でデートに誘うのはおかしいかもしれない。
 だが、俺たちは他のカップルとは少し違う。付き合った経緯も、別れた過程も。
「おかしい……っていうんじゃなくて」
 そう前置きすると、ユキはため息を一つ吐いた。
「清春君が私に電話してきたのって、初めてじゃない」
「え……、そこ?」
 言われてみればそうだったかもしれない。俺たちの情報交換は、基本的にあの屋上だけのものだった。三ヶ月前に一応連絡先を交換はしたものの、個人的に話すことなんて特にあるわけもない。ナツキたちと四人で出かける予定の連絡とか、業務連絡的なメールに使ったくらいだ。
「しかも、こんなタイミングで……」
 ユキが何かを呟いたが、それはうまく俺の耳まで届かない。
「は? 何て言った?」
 そう聞き返した言葉を見事に無視して、ユキは俺を睨み付けながらこんなことを聞いてきた。
「あのね、一応聞いておくんだけど……貴方、ナツキちゃんをストーキングとかしてなかったでしょうね?」
「……あのなぁ」
 流石に、これは怒っていいところのような気がする。
 しかし、俺はすぐに軽口を噤んだ。ユキの目はかなり本気で俺を疑っているようで、正直かなり怖い。
「そんなことするわけないだろ。お前、ちょっと疑心暗鬼になりすぎてないか?」
「そりゃあなるわよ。清春君って、何考えてるのかよく分からないところがあるし」
「それはお前にだけは言われたくない」
 冷徹で無表情で、でもそれは見せかけだけで、ずっと感情を押し殺しているようだった少し前のユキは、確かに何を考えているのかよく分からなかった。
 でも今こうして話していて、俺はユキの様子が変わっているような気がしていた。
「あのさ……何か、いいことでもあった?」
「え?」
「二日しか経ってないけど、なんか前と雰囲気が変わったから」
 表情が柔らかくなったというか、明るくなったというか……いや、俺に対する態度は素っ気無いままなんだけど、なんと言ったらいいのか。
 何かが吹っ切れたような、そんな感じに見えたのだ。
 しかし、すぐにユキは首を横に振って視線を外へ向けてしまう。
「そんなことないわよ。気のせいでしょ」
 さらりと流されてしまって拍子抜けしていると、ユキは焦れたように切り出してきた。
「それより、まさか本当にデートするつもりじゃないんでしょう?」
 俺はばつが悪くて頭を掻く。
「いや、半分くらいは本気でそのつもりだったんだけどな」
「じゃあ、もう半分は?」
 はぐらかそうとすると、間髪入れずに聞き返してきた。
「なんだよ、そんなに俺と顔合わせてるの嫌か?」
「嫌っていうか、気になるでしょう。何かあるのが分かってるのに黙られていると」
「まぁ、な」
 ユキの口調に、少しイライラしたものが混じり始める。まぁ俺がはぐらかせているのが悪いんだが、ユキも少し何かに焦っているように見えた。
 正直に言って、今日ユキを呼び出した理由はちょっと言い辛いのだ。
 もちろんというべきか、ナツキやシュウ関連の話なのだが、それをいまさら――たった二日しか経っていないにもかかわらず、『協定』を壊した俺から頼み事をするというのは、なんともばつの悪い話だろう。
「そういえば、雪崎って時間大丈夫なのか?」
「え?」
「なんかさ、ちょっとそわそわしてるみたいだから。この後に予定とかあったら悪いなと思って」
「別にそういうんじゃ――」
 そこで、ユキの目が不意に見開かれた。
 無意識に視線を追って、自然と俺も固まる。
「あ……」
 ナツキとシュウが歩いていた。この喫茶店からは少し離れた、道路を挟んで向こう側の道を。それでも、すぐに二人だと気が付いた。
 デートの真っ最中といった感じで、二人はとても楽しそうに見えた。シュウの手振りを交えた話を聞いて、ナツキが笑っている。それだけで、砕けてしまいそうなほど心が痛んだ。
 それでも、それはそれだけの話。痛んだからといって死ぬわけじゃない。二人でいるところを初めて見たから、ちょっと動揺しただけだ。
 俺は二人から視線を外すと、軽く息を吸って吐いて、伝票を掴んで立ち上がった。
「ちょっと……何するつもり?」
 ユキが心配そうな目を向けてくる。俺が激情に駆られて何かするとでも思ったのだろうか。
「追いかけたりしないって。変な風に考えるなよ」
 笑い混じりにそう言うが、それでもユキはまだ真剣な顔を崩さずに立ち上がる。
 ユキの目を盗んで外に視線を向けたが、もうナツキたちの姿は見えなかった。
「俺たちもちょっとブラつこうぜ。元々半分の目的は、そっちだったんだしな」

   ●

 炎天下の下。きっと俺は、他の通行人から変な目で見られるくらい、浮かれて見えていたと思う。
 こうやって二人きりで外を並んで歩くのすら、どれくらいぶりだろう。
 学校の敷地内とかを除けば、確か一ヶ月ぶりぐらいのはずだ。でも、半年ほどはしていなかったんじゃないかと思うくらい、物凄く前に感じられる。
 それだけこの一ヶ月――正確にはここ一週間ちょっと――の間にあったことは、良くも悪くも密度が濃かったということなんだろう。
 それでも結局はいい方向にまとまったみたいで、しかも今日はナツキから誘ってくれた久々のデートだ。顔が自然とほころぶのも仕方が無い。
「あ、これとか可愛くない?」
 店の外に並べられていたネックレスを一つ取って、ナツキが俺を呼んだ。
「うん、よく似合ってるよ」
 自分の首にそれを当てるナツキに、俺はそう返す。
 俺は普通に答えたつもりだったんだが、ナツキにはそのコメントが気に食わなかったようで、
「ホントにー? シュウくん、どれ聞いても大体そう答えるからなー」
 少しにやついた笑いを浮かべて、そう言った。
「そんなこと無いって、本当にそう思ってるからそう答えるんだよ」
「ホント? 本当に似合ってるって思う?」
「だからそう言ってるって……」
 ナツキは俺から目線を外してネックレスと向き合う。
 そのネックレスは色を塗られたよく磨かれた木材や、暖色系の紐などで作られた民族ものっぽいものだった。
 それをしばし見つめた後、ナツキは一つ頷いて言った。
「よし、じゃあこれ買っちゃおうかな」
「え? それなら俺が言ったんだし、プレゼントするよ」
「ううん。あたしもこれ気に入った。自分で買うよ。ちょっとここで待ってて」
 店内へ小走りで向かっていくナツキ。反射的に伸びそうになった手を止めて、俺は一度頭を横に振った。
 正直に言えば、まだ色々と不安なことは残っている。
 あれから動きを見せない清春。ユキは清春と共犯だったのかどうか。そして昨日、ナツキの様子がおかしかったこと。
 しかしきっと、それももう大丈夫だろう。いくら楽天的と言われようが、俺はそう思いたい。
 友達だと思っていた奴の本音とか、好きな人の本当の気持ちとか。身近な人間を片っ端から疑ってかかるような生活は、もうこりごりだ。
「本当にもう……たくさんだ」

       

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